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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~羽ばたきたい椋鳥篇~
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275話 羽ばたきたい椋鳥 Ⅲ 1


 ロビンは、階段の中ほどで倒れたまま、ぴくりとも動かなくなっていた。

 気づけば、いかづちも太陽も、降っていない。

 試練は、止まっていた。


「ロビン――?」

 エミリの、頼りない呼びかけ。


 ロビンの身体めがけて、銀白色の光がキラキラと落ちて来た。

 

 カーダマーヴァ村でも、同じ現象が起こっていた。最初は、吹雪のせいでまったく気づかなかったのだが、皆が何十回目かの気合いをかけて、ロープを引き始めると、ふっと吹雪が止んだ。


「おい! 見ろ」


 石室の上に、銀白色の光がまっすぐに、降りてくる。

 吹雪が止んで、きらめく星空が見える、漆黒の宇宙から――。


 L19の陸軍駐屯地の外で、村のほうを見つめていたカザマにも、銀白色の光が見えた。


「――あれは」


 カザマは、ストールを被り直して門の近くまで行こうとし、ジープの音がしたので、振り返った。

 ジープから、軍人たちといっしょに出て来た人物を見て、目を見張った。


「あなたがた……!」





「かは……っ!」

「ペリドット様!」


 ペリドットが、どうっと真横に倒れた。


「二度とせんぞ――こんなもの」


 ペリドットの捨て台詞だった。アンジェリカの声を聞きながら、ペリドットは意識を失った。


「ペ、ペリドット様! だいじょうぶですか!?」


 ジャータカの黒ウサギが映ったモニターには、「リカバリ完了」の文字が点滅している。

 アンジェリカは、倒れたペリドットを病院に連れて行こうと、部屋を出ようとした。

 そのときだった。

「リカバリ完了」の文字を記していたモニターの画面が、切り替わった。

 ジャータカの黒ウサギにかわり、ピンクのウサギの顔が浮かび上がる。


「リハビリ Ⅰ エピメテウス、開始」


 ピンクのウサギは、そう言った。


 一方、マクタバも、肩で息をして、「リカバリ完了」の文字を見た。


 全身の倦怠感(けんたいかん)で、いまにも倒れそうだったが、倒れるわけにはいかなかった。ナイフが背中に突き刺されたときの痛みは本物だった。全身から血が流れ出ていく感触が、まだ残っている。


 イシュメルの慟哭(どうこく)が――後悔が――アミを愛しいと思う気持ちが、マクタバの涙をあふれさせる。


(イシュメル様)


 今すぐ、涙を拭いて立ち上がり、イシュメルのもとへ行かなければ。

 ゴーグルを外すしかなかった。ゴーグルの中は涙であふれ、鼻水も止まらない。

 マクタバは、全身を襲う空虚に、へなへなと力が抜けていく。


(これが――イシュメル様の、お気持ち)


 彼を縛り付けている、深い後悔の念だ。

 ふらつく身体を支え、ゲルから出ようと、なんとか席を立った矢先に、中央のモニターに、ピンクのウサギが現れたのを見た。


「――なに?」


 視力が弱いマクタバにも、ゴーグルなしで見えた。


「リハビリ Ⅸ イシュメル、開始」





 ――イシュメルは、悔いていました。

 おのれの宿命に負けて、ラグ・ヴァダの武神を倒せなかったことを。


 彼は、姉のアミが自分を刺しに来るのを知っていました。

 彼女のナイフをかわすことなど、彼には造作(ぞうさ)もありません。

 だのに彼は、ナイフを避けることはできませんでした。


 イシュメルは、だれよりも、アミを愛していたからです。

 イシュメルは、彼女の悲痛な思いを知っていました。

 彼女の悲しみを受け入れるために、彼は大義を投げ捨てました。

 それしか、自分がアミを愛していることを伝えるすべはないと思ったからです。


 ああ、おろかなイシュメル。

 アミ愛しさに、刃を受け入れてしまったイシュメル。

 彼が死んだために、大勢の、死ななくてよかった人命が失われた。

 ドクトゥスの、死を懸けた覚悟を無駄にした。


 イシュメルは、自身の命より、大勢の命より、アミの心を救うことを優先した。

 アミと、死しても結ばれたいと願った。


 おろかなイシュメル。


「――わたしは、罰せられなければならないのだ」





 ――エピメテウスは悔いていました。ずっと、生涯、悔いていました。

 姉や仲間を見捨ててしまったこと?

 いいえ、ちがいます。


「あの顛末(てんまつ)」を引き起こしてしまったことです。

 姉たちが、あのように死んだのは、エピメテウスのせいなのです。


 エピメテウスが、姉プロメテウスと生まれ、育ったのは、L81。

 鉱山労働者としての生活から脱したくて、軍事惑星群に来ました。


 ふたりの姉妹は、頭もよく、労働者生活で鍛えられた肉体も持っていて、すぐ傭兵となりましたが、軍事惑星群での生活は、想像以上にひどいものでした。


 辺境惑星群や、L4系、L8系から、仕事や新天地を求めて軍事惑星へ来たのは、彼女たちだけではありません。

 辺境から来たならず者が、軍事惑星を食い荒らしていく。

 姉妹が受けたのは、そんな印象でした。


 傭兵と名の付くならず者から、ふたりの姉妹は、幾度L18の住民を守ったかしれません。

 でも、限界があります。


 L18は、急激に人口が増え、治安は崩壊しました。

 傭兵と名の付くものは、軍事惑星すべての住民から嫌われました。

 これではいけない。

 プロメテウスとエピメテウスは、そう思い、いっしょに来た、鉱山の仲間を集めて、ある組織をつくりました。


 “L18を食い荒らす害虫を、退治する”という意味の、椋鳥(むくどり)の旗を掲げて。


 自分たちは椋鳥です。ちいさな椋鳥。でも、たくさんそろえば、害虫をついばんで、退治することだってできます。

 彼らが掲げた旗の意味は、ほんとうはそういう意味でした。


 プロメテウスは、軍部に直談判(じかだんぱん)しに行きます。

 傭兵にまず、居住権を与え、軍の指揮下にある組織を作る許可を軍部に求めました。

 そうすれば、ならず者の傭兵たちも、自分たち傭兵の組合で管理する。そうなれば、治安も落ち着くだろう、プロメテウスはそう考えました。


 今でいう、傭兵グループの創設を訴えたのです。


 ですが、これだけ大規模になった傭兵群が、軍部の許可を得て組織化したら、軍部が乗っ取られる可能性もあります。

 それに、このならず者たちを軍事惑星の民は信用できませんでした。軍部の許可を得て、さらなる悪事を企んでいるのではないか。


 軍部をはじめ、軍事惑星群の民は猛反対しました。許可が欲しいなら、まず先にならず者たちを束ねろと軍部は突っぱねました。そのあいだも、治安は悪化する一方。


 軍事惑星群の民の、傭兵たちへの怒りはやがて、プロメテウスたちに集中しました。


 軍事惑星群を救いたくて立ち上がったプロメテウスたちは、がっかりしました。

 ですが、このままでは自分たちの身が危うい。


 プロメテウスは、一度引こうと言いました。

 L81にもどって、組織を立て直そう。

 彼女はそう言いました。


 けれども、それに反対したのはエピメテウスです。

 エピメテウスは、なおも軍部に押しかけ、「武力行使も辞さない!」と宣言しました。


 群衆が、軍部に押しかけます。

 傭兵たちを追いだせ――。


 軍部はついに、エピメテウスを拘束しました。

 彼女を、群衆の怒りを鎮めるための生け贄にしようとしたのです。


 エピメテウスは喉を裂かれ、声を出せなくなりました。もう、民衆の前に引き出されても、なにも訴えることができません。牢で処刑の日を待つエピメテウスのまえに、姉や仲間たちが連行されてきます。

 彼らはひどい拷問を受けました。

 ほかに仲間がいないか、吐かせようとしたのです。


 エピメテウスは後悔しました。

 自分が、姉の言うことを聞いてさえいれば。

 姉の言うとおり一度引き、L81にもどっていれば――。

 こんなことには、ならなかったのに。


 拷問がはじまって七日――牢屋に、ノワが現れました。


 かつてノワは、L81の鉱山で、金を採掘できるようにしてくれたのです。その礼として、姉妹はノワをもてなしました。


 皆は、ノワが現れたことに驚きましたが、軍人たちにはノワの姿が見えていません。

 ノワは不思議な力で軍人たちを気絶させ、プロメテウスたちを助け出そうとします。

 けれども、プロメテウスは言いました。歯をすべて抜かれた真っ赤な口を開けて。


「われわれは、もうだめだ」


 プロメテウスは、もう自分が助からないことを知っていました。拷問で死んだ仲間も、まだ生きている仲間も、助け出されたとしてももう生きられないことを知っていました。


「ノワよ。わたしの願いを聞け」


 傭兵たちの未来のために、軍事惑星の民の怒りを鎮めるために、わたしたちは、処刑されよう。


 だが――妹は助けてくれ。


 エピメテウスは声なき声を発して叫びましたが、姉の決意は揺らぎません。 

 ノワは、エピメテウスだけを連れて、牢を出ました。


 拷問は、もはや長引きませんでした。ノワがなにかをしたのでしょう。処刑は、明日にも行われることになりました。


 姉や仲間が処刑されるのを、エピメテウスは、ノワとともに高台から見つめました。


 ――その後のエピメテウスの行方は知れません。


 ですが、残った記録には、処刑されたのはエピメテウスで、生き残ったプロメテウスが、仲間とともに、「ヤマト」、「白龍グループ」、「メフラー商社」のもとになる組織をつくったと言われています。


 エピメテウスの名前は、記録に残っていません。

 残っているのは、プロメテウスの名だけです。


 けれども、最初の傭兵グループをつくった「プロメテウス」は、傭兵たちの英雄でもあります。


 プロメテウスの名を冠した二人の姉妹――その伝説は、受け継がれます。


 いつか、ふたりの姉妹がそろって生まれ変わり、出会うとき、ふたたび傭兵たちは立ち上がるのです。


 生き残った「プロメテウス」を、ひとびとはこう呼びます。


 ――「偉大なる椋鳥たちの王」と。





 悔いているのか。


 ロビンは、意識を失いそうになりながら、だれかの声を聞いた。


 おまえは、悔いているのか。


(悔いている? なにに? 俺が――なにを?)


 ロビンには分からなかった。だが男の声は、悲痛だった。おだやかな、眠りに誘うような優しい声でありながら、悲しみにあふれていた。

 その声に呼応するように、ロビンの胸にも、悲しみがあふれた。

 吐き気を催すほどの後悔と、かなしみ――。


(ああ、後悔している)


 ロビンはうなずいた。走馬灯(そうまとう)のように、記憶が頭の中を駆けめぐる。

 捕らえられ、声を失い、牢に放り込まれる、――苦しめられ、燃やされる十人の仲間たち。ノワの声、姿――声をなくした自分をかくまい、さらに死んでいった仲間、つくりあげた傭兵グループ。


 ――母の声、「ここで待っているのよ、すぐ迎えに来るからね」

 父の声、「おまえたちを死なせはしない」


 ――父も母も、帰ってこなかった。甘い、ブレンダン・クッキー。よく食べていた菓子だった。あのときはじめて買ったのではない。ロビンは、よくあのクッキーを食べていた。アーズガルドの家で。

 ロビンを殴り、蹴った傭兵たちの顔は忘れてしまった。

 プロメテウスの墓、子どもたち、後悔、――後悔。後悔だらけ。


 自分のせいで、姉は死んだ。仲間たちは死んだ。そのあともさらに死んだ。

 生まれかわって「ロビン」の名を持った今も、母が死んだ、父が死んだ――ロビンを逃がすために。

 母と叔母、ふたりの姉妹は死んだ。


 ――プロメテウスの悲願を、果たすために。


 階段を進むロビンを打ち据える業火といかづちは、拷問を受けたプロメテウスたちの痛みに似ていた。

 その顛末(てんまつ)を招いたのは自分。

 だとしたら、自分もその痛みを引き受けようと思う。


(俺は、進むのをやめない)


 俺は、階段を上がり切る。

 後悔と痛みは、俺を押しつぶすことなどできはしない。


 俺には、あの恐ろしい二柱の男神の後ろに、白く光り輝く、祝福の女神が見える。





 ――銀白色の光が、止んだ。


 カーダマーヴァ村で、ロープを引くことも忘れて夜空から降りる光を見つめていたケヴィンだったが、はっと、腕時計を見た。

 0時を過ぎている。


 地球行き宇宙船では、朝日が昇ろうとしていた。

 銀白色の光が消えるのと同時に、両脇の、夜の神と太陽の神が、ただの石像にもどっている。階段も、黒色から、もとの壁面にもどった。

 ロビンは、倒れ伏したままだ。


 ミシェルとエミリは、寿命塔の数字を見た。

 まだ「1」を表示したままだが――砂が、残り少ない。

 砂が、すっかり落ちようとしている。

 それは、階下にいた皆にも見えた。――アズラエルにも。


「俺を入れろ!」

 アズラエルは壁を殴った。

「俺を入れろ!!」


「アズ!」

 クラウドが止めたが、アズラエルは振り払った。

「ロビンをここに連れて来たのは俺だ! 俺にだって、罪はあるだろ!」


 壁は、消えない。バーガスのときのように、消えはしなかった。


「俺を入れろっ!!!!!」


 アズラエルの絶叫とともに、だれかが、壁の向こうに現れた。


(ノワ)


 ノワは一瞬でかき消えた。彼が消えるのと同時に、壁も消えた。アズラエルは、駆けあがった。


「――砂が」


 ミシェルが寿命塔にすがった。

 最後の砂が。


 ――落ちる。





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