273話 パズル Ⅳ 2
ケヴィンは追い出されるようにして外へ転げ出た。
ゲルの外は猛吹雪になっている。監獄星を思い出させるような寒さだった。ケヴィンがあまりの寒さに震えあがり、未練がましく、パズルの舞台であるゲルを見つめた。
(追い出されてしまった……)
調子に乗りすぎた自覚はある。ケヴィンはとぼとぼ、宿泊所としてあてがわれているゲルにもどろうとして、呼び止められた。
「――エポスさん、だったかな」
これでもかと布を着込んだおばあさんが立っていた。
「こっち、こっち」
手招いている。
「わたし、マクタバの祖母です。お茶を飲みましょう」
マクタバの「パズル」用であるゲルの隣が、本宅だった。さっきのゲルより一回り小さいゲルに招き入れられて、ケヴィンは温かいお茶をごちそうになった。それはひどく甘いミルクティーにバターとシナモンを加えたもので、ずいぶん味が濃かったが、ケヴィンはおいしく飲むことができた。
(なつかしい味だな……)
ケヴィンも前世は、これをよく飲んでいたのだろうか。
「マクタバはわがままだけど、許しておくれね」
老婆は言った。
「両親が早死にしたせいで、わたしがわがままに育ててしまった。目が悪い子だから、それも気の毒でね、甘やかしたわたしが悪いのさ」
「目が悪いんですか……」
あのゴーグルは、視力を補うためのものか。
「父親も母親も生まれたときから目が悪かった。しかたがない、この村は血が濃いから、どうしても、どこか悪い子どもが生まれてきてしまう」
「……」
「マクタバの親はね、目からくる病気で死んだんだが、外界で手術を受ければ治ったよ。でもこの村には、よその医者は入れないし、この村から出して外界の病院に入れることもできない。よそで立派な医者になった者が、中に入ることもできない。外界で手術を受ければ治るということを、マクタバは知ってしまった。知ってしまうことの恐ろしさを、あなたは分からないだろうね」
ケヴィンは答えようがなくて黙った。
「この村に漂うのは、虚無感とジレンマだ。学びたい、学べば知識を得ることはできる。だが、それに比例して、外に出たい欲求は高まるのだよ。それならいっそ、なにも知らないほうがいい。見ないほうがいい――現に、この村でよく学ぶものは、いずれ耐え切れなくなって外へ出てしまう。おかげで、ずいぶん村人が減った。いまでは三百人ぽっちしかいないよ」
このおばあさんも、ずいぶん学があるようだった。年寄りにしては、かなり流暢に言葉を話すし、語彙も多い。
「あんたは、エポスという名だが、ミドルネームがDだ。親の名がDかね?」
いきなり話題を変えられて、ケヴィンは戸惑ったが、ふと、思い出した。
「――いえ。兄の名です。兄は、ドクトゥス」
おばあさんは、目を丸くした。
「その名は、今では“忌名”として、村ではつかわれていないよ」
村の中ではいうんじゃないよ、と念を押されて、ケヴィンはあわててうなずいた。
「ドクトゥスねえ……その名をつけるものは、この村じゃもういないから、ドクトゥスの弟で、双子で、エポスとビブリオテカなんて、“あのふたり”といっしょだ」
「あのふたり?」
「イシュメル様の祠をつくったひとたちだよ」
雪はやんでいなかったが、吹雪はおさまっていた。おばあさんは、ケヴィンを墓地まで連れて行ってくれた。
整然と並んだ墓は、雪に埋もれてほとんど名が分からなかったが、おばあさんは、ひとつの墓の前まで来ると、手で雪を払いのけてくれた。
そこには、エポスとビブリオテカの名と、生年月日、死亡年月日が記されていた。
前世とはいえ、自分の墓を見るのは不思議な気分だ。
「あっちが、イシュメル様の祠」
墓の入り口からすこし離れたところに、立派な神殿があった。
「その横に、イシュメル様がおられる、石室がある」
ケヴィンは、石室のまえまで来た。地下に降りる短い階段の先に扉があって、すっかり閉じている。入り口は、いまにも雪で埋まりそうだった。
「冬になると雪で埋まってしまうから、村人たちが毎日雪かきをする。イシュメル様を、すこしでも明るくしてやりたくて」
ケヴィンは、石室を見つめた。
イシュメルに出てきてもらわないと、ルナもロビンも、助からない。
寒いから帰ろうという老婆に、ケヴィンは言った。
「おれ、もうちょっとここにいます」
老婆は驚いた顔をしたが、ケヴィンが思いつめた顔で石室を見つめているのを見て、察したように、肩をすくめた。
「あんまり長いこといるんじゃないよ。ここの寒さは、あんたらには厳しいでしょう」
そういって、先に帰った。
(イシュメルさま――)
あなたは、どうしてそんなところにいるんです?
ケヴィンは、吹雪の中で、声にならない声でたずねた。
そばには立派な――祠というより、もうほとんど神殿のような建物がある。それなのに自ら、牢屋と変わらない、石の部屋に閉じこもってしまった。
ケヴィンは、イシュメルに語りかけた。
ほんとうは、おれも今、あなたにみたいに閉じこもってしまいたい気分なんだ。
ケヴィンは涙を流した。
流したそばから、涙も鼻水も凍っていきそうだった。
(バンクスさんは死んじゃって、ヒュピテムさんも、ユハラムさんも、死んじゃったかもしれない)
ぜんぶ――おれのせいかな。
ケヴィンは、雪の上に膝をついて、吠えるように泣いた。
つぎつぎに積もる雪と、吹雪のいななきが、ケヴィンの叫びを覆い隠した。
地球行き宇宙船では――。
残り七日となったところで、はじめてサルーディーバが、真砂名神社に姿を見せた。
彼女は、階段の真正面で、いかづちの雨が降り注ぐのを見て、顔を曇らせた。
「なんという――過酷な」
「サルちゃんかね!」
「ナキジン、ご無沙汰しております」
サルーディーバと聞いて、エミリたちは、さすがに目を見張った。
「ルナが気になって参りました」
「サ――サルーディーバさん!」
ミシェルが、サルーディーバに追いすがった。
「ルナはどうなるの!? ロビンは助かる? あたし、あたし――なにもできなくて。何代目かのサルーディーバも、ラグ・ヴァダの女王も、なにも言ってくれなくて!」
「ミシェルさん」
サルーディーバは、ミシェルを落ち着かせるように椅子に座らせ、背を撫でた。
「ご安心なさい――今、わたくしが見たかぎりでは、死の気配は微塵もいたしません」
「――え?」
「過酷な試練ではありますが、死の気配はいたしません。ロビンさんも、ルナもきっと助かります。わたくしは、それをたしかめに参りました。――それよりあなた、長く、お眠りになっていない」
「だって――眠れなくて――」
サルーディーバが何かしたのは間違いなかった。ミシェルがふわりと、崩れ落ちるように眠ったからだ。
「あなたも」
エミリもかくりと眠りに落ちた。あわてて、近くにいたセルゲイが支えた。
「ご心配なく。役目が来たら、自然と目覚めますわ」
サルーディーバは、ミシェルをクラウドに預けて、微笑んだ。
不思議だった。
サルーディーバが生き神といわれる所以が、クラウドにも少し分かった。
彼女が来たとたんに、緊張にこわばっていた皆の顔に、安心がもどっていく。クラウドもそうだった。リミットが差し迫り、不安と焦燥ばかりの胸中に、なぜかはしらないが、「大丈夫ではないか」という気持ちが沸き起こってきた。
「椿の宿にまで香る桃の香――ルナはよほど、月の女神と同化していらっしゃる」
サルーディーバが階段上まで行くと、ルナのそばにはエーリヒが着いていた。アズラエルたちは、まだルナのそばに寄ることを許されてはいなかったが、触らないのを条件に、様子を見に行くことだけは許されていた。
エーリヒも、サルーディーバの来訪には、さすがに目を瞬いた。
サルーディーバはルナを見、触れ、驚愕の声を上げた。
「なんということでしょう――これほどまでに、同化できるとは」
サルーディーバは一度立ち、階段を見、それからルナを見た。
「アントニオでも、ミヒャエルでも、これほど自身の魂である神と同化できません」
「――どういうことかね」
エーリヒが尋ねた。
「ルナと月の女神は、とても似ているということです」
サルーディーバは言った。
「気質も、容貌も、意志も――まるで、月の女神がそのまま生まれ変わったように」
サルーディーバは、ルナに――いや、ルナを通じて、イシュメルに訴えかけるように告げた。
「イシュメルよ。月の女神は、太古の姿を取りもどした」
サルーディーバは乞うた。
「目覚めたまえイシュメルよ――今度こそ、ラグ・ヴァダの武神は滅ぼされる。あなたの力がなければ、それは叶わぬ。皆が、あなたを必要としているのです。目覚めてくださりませ」
ルナからの返答は、なかった。
――「プロメテウスとエピメテウス」が死に、「真昼の女神と月の女神」が救い、「ピトスとエルピス」が導き、「ミシェルとエミリ」が待っている。
「サイラスとコルドン」が死に、「イシュメルとノワ」が救い、「太陽の神と夜の神」が導き、「アイゼンとピーター」が待っている」――
「こんなところか……」
クラウドは、空欄を埋め、階段を眺めた。
(まさか、プロメテウス・A・ヴァスカビルが女だったなんて)
プロメテウスとエピメテウス。ピトスとエルピス。
二人の姉妹によって、今のロビンがあるといっても過言ではあるまい。
いかづちが降り注ぎ、火をまとった小惑星が衝突する、悪夢の光景は続いている。
ペリドットにエピメテウスの名を告げたが、「パズル」の儀式が始まったという知らせはない。マ・アース・ジャ・ハーナの神に直接助けを求め、奥宮に行ったイシュマールからも、何の連絡もない。
空欄を埋めたところで、「地獄の審判」が終わる様子はないし、ノワも、イシュメルも姿を現さない。
クラウドは嘆息した。
ここでロビンに死なれてしまっては、「プラン・パンドラ」の実行は、見合わせることになるのではないか。
老舗傭兵グループ三社は、「プロメテウス直系の子孫」であり、「本物の椋鳥の紋章」を持つものを待ち続けている。
ロビンがここで死んでしまえば、彼らの待ち人は現れない。
「プラン・パンドラ」は、一見すると、軍部にとっては好ましくない計画だろう。好ましいどころか、吉と出るか凶と出るか――まるで、賭けだ。だが、軍事惑星群全体から見れば、それが必要な時期に来ている。
L18においての、ドーソンの弱体化は、L系惑星群全土に危機をもたらしているのだ。
このままでは、マリアンヌの予言が現実化する。
「――L系惑星群が戦禍に巻き込まれることとなります。
それはL4系から戦争の火種が発し、いずれ全土におよびます。
L18でも異変が起こります。ドーソン一族は完全なる滅びを迎えるでしょう。L18を支配するドーソン一族の力がなくなるということは、L系惑星群の軍事惑星の要ともなるL18の体制が揺らぐことになります。多かれ少なかれ、そうなります。
そうなれば、L4系の反乱を、抑えきれなくなる。それによって、L系惑星群に戦火が広がるのです。
L03とL18の異変は、同時に起こってはならぬのです」
軍事惑星群の混乱期に、L系惑星群を滅ぼそうとするラグ・ヴァダの武神が復活する、ということだ。
(サイアクだ……)
クラウドは頭を抱えそうになった。
L18のかわりに辺境惑星群を任されたL20は混乱し、まだ辺境惑星群を鎮圧しきれていない。
L19も、軍事惑星群全土の立て直しに必死で、アーズガルド家は、ドーソンに巻き込まれる形で力が半減している。
ララがかつて言ったとおり、今L4系を中心に、原住民たちの反乱を押さえているのは、ほとんど、傭兵グループなのだ。
軍部の力が低下している状況で「プラン・パンドラ」が実行されることは、傭兵の権力を強め、下手をすると、軍事惑星群のバランスを欠き――。
(一挙に崩壊……もあり得るな)
睡眠不足にくらくらする頭で、ふと、クラウドは思った。
アストロスの武神をよみがえらせる儀式をしたときに、イシュメルとノワだけではなく、ロメリアも現れた。
ロメリア――第二次バブロスカ革命の首謀者。
(ロメリア――君はどう、考えたんだ?)




