272話 LUNA NOVA Ⅳ 2
「時代遅れなんだよ! よそ者がどうとか、世間知らずもいいところだ!」
「ほんとにこの村の知的財産を守るためなら、もっと開放的になるべきさ――村の連中がバカで世間知らずで、どうやって財産を守る!? いつまでイシュメル様の不可思議なお力だけに頼っているつもりなんだろう!?」
「この村って、ほんとうバカばっかりさ!」
「あたしはサルディオーネになったら、この村なんて出ていく。絶対出ていく!」
双子は、マクタバの家に泊まらせてもらうことになったわけだが、家に着くまで、マクタバはまるでひとりごとのように、ぶつぶつと叫び続けていた。
マクタバの家は大きなゲルだった。コテージ型や、同じような半円形の家々が立ち並ぶ中、大きなゲルが二つと、ちいさなゲルが一つ。その三軒がマクタバの家だ。彼女は小さな方に双子を案内した。
中は、暖炉があって、すでに火は入っていた。暖かかった。ずいぶん快適だ。
「ここはあたしの寝室。貸してあげるからありがたく思って。それから、いくらこの村に入れたからといって、自由に出入りしないで。ミヒャエルとかいう女と連絡を取るときは、ぜったい門から外に出ないこと」
「あ、はい……」
双子はちいさく返事をした。
「食事は用意してあげるわ。前払いしてほしいところだけど、いつまでかかるかわからないなら、食事と宿泊費は、あんたたちが帰るときに請求するから」
ずいぶんしっかりした子どもだ。外見的には十歳くらいに見えるのだが。
「あの――マクタバちゃん」
六畳ほどの丸い部屋に、毛布を山積みにしたマクタバは、猛然と怒鳴り返した。
「子ども扱いやめてくれる!?」
「あ、す、すみません……」
アルフレッドは、ずいぶん年下の少女に、首をすくめて謝った。
「マクタバさんでいいのよ。その気があるならマクタバさま、でも」
双子は目を丸くして、見合った。
「そのうち、あんたたちなんか、まともに顔を見ることもできない身分になるわけだからね、あたしは」
鼻息を荒くして、マクタバは毛布を積み重ねた。
「あ、あの、マクタバさん」
ケヴィンは思い切って話しかけた。
あと七日ほどしか残されていない。今夜を過ぎたら、あと六日だ。
「なにかしら」
マクタバはすましていたが、怒ってはいなかった。
「あなたが、“パズル”の支配者、なんですよね?」
ケヴィンはなるべくおだてるように、下手に出て言った。マクタバの鼻息がさらに荒くなった。
「そうだけど、なに?」
「あの、実は、おれたちは――「パズルの占術を受けたいの? 言っとくけど、高いよ? あたしは、自分を安売りはしないからね」
「い、いくらかかるんですか」
アルフレッドはお腹のあたりに手をやり、瞬間的に通帳の残高を思い返していた。
「一億」
「一億!?」
地球行き宇宙船、真砂名神社の拝殿前では、大変なことが起こっていた。
「それ! 目一杯運び込め!」
「あるだけ持ってこい!」
「フサ坊、倉庫の在庫、ぜんぶ持ってきな!」
「ほいきた!!」
ルナの周りに、これでもかと酒瓶や、樽が転がっている――。
さすがの事態に、紅葉庵に待機していたアントニオやアズラエル、グレン、セルゲイ、ミシェルやエミリも、坂道を上がってきた。
アズラエルたちがルナに近づかなくなって、数時間。
エーリヒが坂道を降りてきて、商店街の酒屋に飛び込むことが二、三回つづき――それ以降は、商店街の若者たちが、樽ごと担いで、坂道を上がり始めたからだ。
拝殿前に来た彼らは、そろって顎を落とした。
ルナが、拘束状態のまま、エーリヒに酒を飲ませてもらっているのだ。瓶が、みるみる空になっていく。
ふだんのルナの酒量ではない。彼女も酒に弱いわけではないが、樽を干したことはない。
あきらかに、異常だった。
「ルナちゃん……!」
さすがのセルゲイも、グレンも、硬直している。
アズラエルも言葉を失った。
ルナに重なって、不精ヒゲのおっさんが、酒を呷っている光景が見えるのだ。
見たくなくても、見えるのだ。
「ルゥ! いったい、どうし――」
たまらず、アズラエルが一歩前に進み出ると、ブーっとルナが酒を噴いた。銀色の光が迸って、姿が消えうせようとしている。
「待ちたまえ! “ノワ”!」
エーリヒが怒鳴ると、消えかけたオッサンの姿が、また現れた。
「ルナちゃんに、不精ヒゲがはえてる……!」
「地獄の審判」を見ても卒倒しなかったアントニオが、いまにも気絶しそうだった。
「ノワ、彼らは、これ以上近づかん。心配するな」
エーリヒがルナの背をさすった。そのとたん、グレンとアズラエルとセルゲイの胸中に飛来した感情――焼けつくような、嫉妬。
セルゲイの口から、別人の声がこぼれた。
「“いまいましい鳥め! 鳥の分際で私のノワを――羽根をむしって、今日の夕食にならべてやる!”」
エーリヒではなくノワが飛び上がり、今度こそ消えようとした。
アントニオがあわててセルゲイのみぞおちに一発――沈めた。
「すまん! 消えないでくれ、ノワ!」
ノワは、いつでも逃げられるような体勢をし、疑い深い目で、アズラエルたちを見ている。だが、うしろのミシェルとエミリに気付いて、満面の笑顔になった。
「ルナ、いったいどうしちゃったの!?」
ミシェルも、親友の変貌ぶりに呆れるほかなかったが、唐突に思い出した。
ミシェルとエミリを笑顔で手招いている酔っぱらいのオッサンは、この階段で、アストロスの神をよみがえらせる儀式をしたとき、アズラエルたちが階段を上がるのを手伝った、ルナの前世のひとりだ。イシュメルのあとに出て来た――。
ルナに重なるオッサンは、ミシェルとエミリを手招きし、来ないのが分かると、首をかしげて悩むしぐさをして、やがてひらめいたように手を打ち――パチリと指を鳴らした。
すると、ケーキやら花束やら、ワインやら、たくさんの菓子が、ずらりとミシェルのめのまえに並んだではないか。
「ええっ!?」
ミシェルが、ララからもらった最高級のケーキやワイン、マカロンの包みだ。
エミリが呆然として、ケーキのクリームをつついた。指に着いたそれを舐めると、たしかに――本物だった。
「あなた、」
エミリがノワのほうに歩もうとしたのを、なぜかグレンが遮った。
「“――ノワ”」
グレンがうっとりとノワを見つめている。ノワの全身が動物のようにぶるぶるっと震えた。
「“俺の可愛いノワ――年をとっても素敵だ。そのつぶらな瞳、甘いくちびる、華奢な身体――”」
グレンが形容しているのは、自分と同じ体格ほどのオッサンの姿である。
「“今度こそ、俺のそばにいてくれ。ノワ、ぜったいに離さない――”」
ついにアズラエルまでイカレた。
ノワは彼らを指さし――なにか怒鳴った。
「なんて言ってる?」
クラウドがイカレたアズラエルを、アントニオがグレンの後頭部を殴って卒倒させてから、聞いた。
「俺に何とかしてほしかったら、そのヘンタイどもを、俺の視界から消せ」
エーリヒが淡々と、訳した。
――ノワが、半透明からすっかり姿を現したのは、アズラエルとグレンとセルゲイが、ルナと同じようにロープでぐるぐる巻きにされて、ノワからだいぶ離れた奥殿に放置されてからだった。
「君は――ノワ、なのか?」
クラウドが代表して尋ねた。
「あの、“LUNA NOVA”?」
ノワはその質問には答えなかったが、否定もしなかった。エミリとミシェルと酒を両手に、上機嫌だった。
ノワは折に触れて口を動かすのだが、その言葉はだれにも聞こえない。それを、ノワも分かっているようだった。ノワの言葉が聞こえるのは、エーリヒだけだ。
ノワの正体は、謎である。あちこちに出没しているわりには、姿を残した絵画や写真もないし、どんな人物だったのか、具体的な記録はいっさい残っていない。彼のしでかした、すばらしい足跡が残っているだけである。
こうして本物を見ると、ペリドットに雰囲気が似ている気もするし、ルナの面影もあった。
若いころは、美少年だったかもしれない。だが、先ほどのグレンの形容詞は、どんなにフィルターをかけてみたところで、今クラウドたちが見ている実像とは違った。前世のグレンの好みのタイプが、大衆的なものではなかった――そういうことだ。
エーリヒは、つぎつぎと瓶を空にするノワに、ふたを開けた瓶を手渡していたのだが――。
急に、エーリヒの顔に緊張が走った。
「……ノワ、それはいったいどこに?」
エーリヒの無表情が、すこしくずれた。彼は驚き、なにかいいこと聞いたかのように、高揚していた。ノワは、ルナの口を借りて、にやりと笑った。
「エーリヒ、彼は今なんていったんだ?」
クラウドが焦り顔で聞いた。エーリヒは、ルナのほうを見つめたまま、ノワの言葉を繰り返した。
「第一次バブロスカ革命の記録が、あるそうだ」
「――!?」
クラウドは驚愕したが、驚きに浸っている場合ではなかった。
「ノワ――」
「待ちたまえ」
エーリヒがさえぎった。ノワがまたなにか言っている。
「ロビンは、プロメテウスであり、エピメテウスである」
「――エピメテウス!?」
クラウドは、なぜ気づかなかったんだという顔をした。
ピトスにエルピス、「プラン・パンドラ」――。すべてがギリシャ神話のプロメテウスにまつわる名称だ。
ロビンの名は、プロメテウスの弟である、エピメテウスだったのか?
ふたたび、エーリヒの喉が鳴った。
「第一次バブロスカ革命のプロメテウスとエピメテウスは――姉妹だ」
ノワはふたたびにやりと笑い、酒瓶を掲げた。酒の礼だと言っているようだった。
今度こそ消えようとしたノワに、「待って!」とエミリが叫んだ。
「おねがい! ノワ、ロビンを助けて!」
ノワは美女の涙に困った顔をしたが、苦笑して酒を呷ると、両手を広げて言った。
今度の言葉は、拝殿にいた皆に聞こえた。
「“悪いな。俺はめんどうくさいことが、なによりも嫌いなんだ”」
ノワは消えた。
クラウドは――それがロビンの口癖と同じだということに気付いた。




