272話 LUNA NOVA Ⅳ 1
※残酷表現があります。
かわいそうになァ。気の毒によう。俺は、めんどうくさいことはなによりも大嫌いだが、それでも気の毒すぎて、見ていられねえよ。
――人間ってのは、なんて残酷なんだ。
ルナは、夢を見ていた。
ルナが男性だということは、あきらかだった。
指輪がいっぱいの、筋張った大きな手に、ほっぺたには不精ヒゲ。ぼろぼろの衣服、腕とすねに鎧をつけていて、なんだか左肩が重いと思ったら、びっくりするほど大きな黒いタカが乗っていたのだった。
ルナは、砂粒みたいな群衆を、高みから見下ろしている。
丘の上にいるのか?
軽い酩酊感――右手には酒の瓶――ルナは酔っ払っていたのだった。
ルナはイシュメルなのだろうか?
だが、イシュメルにしては、様子がおかしい。
(気の毒になァ。――ファルコ、いっそ、あいつの心臓を、ひと突きにしてやれよ)
ルナは自分が言ったことながら、なんてひどいことを言うんだと思って怒ったが、すぐに意味が分かった。めのまえの光景を見て。
猛り狂った群衆が、そいつらを殺せとわめいている。ひとが十人、はりつけにされている。真ん中にくくりつけられたひとは、自分も虫の息なのに、生かされて、仲間が死んでいくのを見ていなければならないのだった。
なぜかルナは知っていた。
真ん中の人物が、第一次バブロスカ革命の首謀者、プロメテウス・A・ヴァスカビル。
一緒に杭を打たれた人々は、革命の仲間だった。端から順に、石で打たれ、あるいは火にあぶられて殺されていく。
プロメテウスの目の前で殺されていく。
仲間が殺されていくのを、狂気の瞳で、見ている。
これはルナの記憶ではなく、この、酒を飲んでいる男の記憶だ。
ルナは、自分の懐にだれかいるのを知った。マントの中にだれか隠れている。女のひとだ。
彼女が飛び出して行こうとするのを、ルナは男の力で易々と押さえつけていた。女の人は小柄で、今のルナくらい。押さえつけている「ルナ」はきっと、アズラエルくらいあるから、押さえつけることは造作もない。
懐の彼女も、のどに包帯を巻いていた。おそらく喉笛を切られた。
声が出せないのだ。悲痛に泣きわめくこともできず、うなるだけ。
(――なにしてんだファルコ、行けよ)
ルナは黒いタカに言ったが、思いもかけずタカは、人間の言葉で返事をした。
(もうすこし近づきたまえよ、君)
ルナは、黒いタカからエーリヒの声がしたのに驚いた。
(めんどくせえなァ――しょうがねえなァ――)
ルナは億劫そうに腰を上げ、丘から飛んだ――鳥のように。いいや、鳥というよりかは、綿毛が風に乗って漂うようだった。
ルナは群衆の中にふわりと着地した。
群衆は、死刑台の十人に夢中だとはいえ、それしても、まったくルナに気づかないのだった。
まるでルナは、幽霊か、透明マントでも被っているように、だれにも姿が見えない。
ふところに抱え込んだ少女が暴れていても、だれも気付かない。
この少女も、本来なら死刑台に上がっているはずだった。ルナが助けたのだ。周りの群衆も、L18の軍部も、目の色を変えて探している革命家だ。顔も知れ渡っているその少女がここにいるというのに、だれも気付かない。
ルナは、死刑台から五メートルほど離れたところまで来た。死刑台を取り囲んでいる軍人たちにも、ルナの姿は見えない。
うつろな目で、プロメテウスがルナを見下ろした。プロメテウスには、ルナが見えるようだった。口には不敵な笑みが浮かんでいた。
幾人もの軍人たちに汚され、子どもたちを石で殺され、仲間を、夫を火にあぶられて、それを見せつけられ、生きながらえているプロメテウスは、「女」だった。
歯もすっかり抜かれた真っ赤な口が、笑みを刻んだ。
ルナは唐突に、プロメテウスの正体が見えた。ルナが以前、夢で会った、大きな黒いヘビだった。
(エピメテウスを――妹を、頼む)
ルナは返事の代わりに酒を飲みほし、その瓶を持った手をひねると、となりにいた軍人の頭に叩きつけた。瓶が割れ、軍人の頭も割れ、軍人がひっくり返ると、急に群衆は静まり返った。
なぜいきなり、軍人が、頭から血を流して倒れたのか分からない様子だった。
地面には、どこから現れたか分からない酒の瓶。
だれかが瓶を投げつけたのだと、軍人たちが大挙して押し寄せ、群衆に割って入りだした。
あちこちから引きずり出され、連行されていく一般市民。
(すっきりしたか)
プロメテウスが微笑んだ。ルナの懐にいる少女と目が合い――彼女は、狂気の瞳に慈愛を浮かべた。
(生きろ、妹よ)
生きて、われわれの望みを果たすのだ。
黒いタカ――ファルコが、空中を旋回し――鋭いくちばしをプロメテウスの心臓に突き刺した。プロメテウスの胸から、血しぶきが迸った。
彼女の足元の枯草に、火がつけられたところだった。プロメテウスは、火が足元にたどり着く前に、絶命した。
(感謝する)
ルナは、プロメテウスの安らかな死に顔を見た。
ルナはいつのまにか、また丘の上にいた。
はりつけ台の最後の一人、プロメテウスが燃え尽きて煤になり、朽ちるのをずっと見ていた。
ルナのふところにいた少女は、姉が燃え尽きるのを見て、うなり、吠え、喉をかきむしって叫び続けていた。声にならない声を。
やがて、少女は恨みのこもった目でルナを見、渾身の力で殴りはじめた。ルナには痛くもかゆくもなかった。ルナは、ルナがぺけぺけしても、アズラエルやグレンが痛がらない理由が分かった気がした。
(俺は、めんどうくさいことが何よりも大嫌いだと言ったろう)
ルナはどこから取り出したのか、新しい酒をあけていた。
(好きなところへ行け。俺はおまえの面倒はみねえ)
少女は、わかっているといわんばかりに、丘を駆け出した。山のほうへ向かって。
ルナには分かっていた。もうエピメテウスにもルナの姿は見えなくなるが、このあと、彼女がプロメテウスと名乗り、第一次バブロスカ革命の生き残りと再会し、「プロメテウス」という傭兵グループをつくるまで、見守りつづけるのだ。
「プロメテウス」という傭兵グループは、「ヤマト」のもとになる組織だ。
走れ。
――生きろ、エピメテウス。
ルナの中から男の声がした。
階段を這う椋鳥に、ロビンに――エピメテウスに。
その声は届いている気がした。
――ルナは、目覚めた。
「……しゃけ」
「ン?」
エーリヒがルナのそばに待機し、アズラエルたちが紅葉庵に引っ込んで、そわそわと階段上を見始めて、五時間が経過したころだった。
「おしゃけ」
「おシャケ?」
目覚めた第一声が、カオスである。さすがルナだと感心したエーリヒの耳に、ただならぬ声が飛び込んできた。
――野太い、なつかしい男の声が。
「“酒持ってこい、ファルコ”」
なんとかカーダマーヴァ村に入ることができたケヴィンとアルフレッドは、村人たちに取り囲まれて、ずいぶん居心地の悪い思いをしていた。
「たしかに、イシュメル様はあんたらを入れたが」
村人の一人が、岩のような顔を溶岩みたいにして唸った。
「きのうから、イシュメル様の石室が、すっかり閉じてしまったんだよ! あんたらが来たせいじゃないのか?」
「え?」
ケヴィンが、顔を上げた。
「そうだ! 石室の扉が閉じてしまった! われわれだって、イシュメル様をあんな牢屋みたいなところに入れておきたくなどないんだ!」
ひとりが声高に主張したのに呼応して、皆が口々に叫び出した。
「だのに、あんたらが来たせいで、イシュメル様がさらに引きこもってしまわれたじゃないか!」
「なにがイシュメル様を解放する、だ。あんたたちが来たことで、イシュメル様が、ますます閉じこもってしまわれたら――」
ケヴィンたちは、石を投げられた理由を何となく解した。イシュメルが石室を閉ざしてしまったことも、ケヴィンたちのせいにされているらしい。
「皆の衆、待ちなされ。どんな理由はあれ、イシュメル様は、ふたりを村へ入れたのだ」
長老が、皆を制した。
「サルーディーバ様の予言を、信じぬつもりか。イシュメル様に、石室を出ていただきたいという気持ちは、われわれも一致している――協力を、惜しむまいぞ」
長老はそう言ってくれたが、村人たちはうなずかなかった。この村が閉鎖的で、絶対に余所者を受け付けまいとしている気質であることを、ケヴィンたちは実感した。
そうこうしているうちに、雪が降ってきた。大粒の綿雪だ。
「これは、明日から積もるやもしれん」
長老は言った。
「とにかく今夜は解散しよう。――マクタバよ、そなたの家を、この者らの宿として提供できぬか」
「かまいません」
マクタバというゴーグルをかけた少女は、満面の笑みを浮かべて、うなずいた。




