32話 ルナ Ⅱ 2
「先月、政権が、ドーソンのオコーネルに渡ったろ」
ルナは、L18の事情は分からない。大統領が、そのオコーネルになるとよくないことがあるのだろうか。
「ドーソンの首相になると傭兵への締め付けがきつくなる。でも、たかが政権変わったぐらいで、傭兵制度の撤廃なんてのはありえねえし、俺らの生活が脅かされるなんてことはねえよ。いまさら、そんなこともできねえくらい、傭兵の認定制度ってのはこの星に染み付いたもんだからな。
L18の三分の一は傭兵なんだ。軍事惑星全部含めたって、そのくらいにはなる。もう、L18は傭兵を無視してやっていくことはできねえよ。でも、ガチガチの軍部至上主義のやつらは、傭兵は傭兵、軍部に口出しはさせねえって、身分の違いをひけらかしやがる。まあ、いままでだって何回かこういうことはあった。でも、またどうも、マズイことになりそうなんだと……」
アズラエルはベッドに寝そべった。天井を仰ぐようにして。
「オコーネルのヤツ、どうしても傭兵にデカイ顔はしてほしくねえらしい。うちの親父みてえに、傭兵のくせに軍部に関わってンのが気にくわねえんだろ。で、いきなり、第三次バブロスカ革命の裁判のやり直しをはじめるなんて、いいだしやがった」
ルナはどきりとした。
その“バブロスカ”の名前を、聞いたことがある。
だれあろう――両親の口から。
本の名前ではない。たしかにルナはむかし、その名を聞いたことがあった。
そう――両親と、ツキヨおばあちゃんが話していた。
あれは、いったい、だれの「命日」だったのか。
「裁判のやりなおしったって、オトゥールの親父の、バラディア大佐たちが求めてる、革命者の名誉回復じゃねえぞ? 裁判のやり直しをして、そこから革命者に余罪を見つけ出して、革命者の縁者をバブロスカ監獄送りにする。傭兵の認定制度ってのは、いわば、バブロスカ革命の成功の一例なんだよ。傭兵を軍部認定にするってことはだな、いわゆる、傭兵も、L18のちゃんとした軍人なんだって――傭兵の、軍部での権利を認定する制度なんだ。その傭兵の認定制度を、また白紙にもどそうってハラなんだ。ドーソン一族はガッチガチの権威主義だ。傭兵はぜんぶ、軍事惑星から追い出す。それに執念を燃やしてる」
「もともと、傭兵ってのは、地球からL系惑星群に人類が移住してきたころ、軍人の数が足りなくて、L4系や開拓前のL7からL8系でしょっちゅう戦争が起こってたとき、現地で兵を募集してたのがはじまりだ。そいつらがL18に移住してきて、戦争のたびに雇われる。でも、L18の軍人とは、きっちり線をひかれてた。
傭兵が増えるのは、べつに軍部はかまわねえ。普通の軍人にはできねえスパイ活動や、確実に死ぬだろう無謀な作戦の最前線には、ご立派な将校はいかせられねえからな。だれもやらねえ汚れ仕事をする傭兵は、どうあったって必要だ。
だけど、傭兵も山といりゃ、その中でカリスマ持ってるやつも出てくるし、ヘタな将校より有能なヤツだって出てくる。L18ができたころからの、由緒正しい将校サマがたは、それがイヤなんだ。L18の聖域に、よそ者が入り込んでくるのがな」
この際、いま夢の中で自分がL18の学生だとか、そんなことにかまっていられなかった。不審に思われるだろうが、聞かざるを得なかった。
「バブロスカ革命って、なんなの?」
アズラエルは、眉ひとつ動かさずにルナを見た。
「バブロスカ革命ってのは、ずっとむかし、傭兵たちが、軍部での身分差別を撤廃させようとして、軍相手に起こした革命だ。べつに、軍部をひっくりかえそうなんて思ったわけじゃない。ただ、傭兵も、同じ軍事惑星の人間として、みとめてもらいたかっただけなんだ。当時は、今より傭兵の扱いは、ひどかった。道端でうっかり殺されても、傭兵だってだけで、被害者にもなれなかった。
最初の革命は、名前も残ってないが、傭兵が決起して、傭兵たちを集めて、軍部に反乱をおこして鎮められて、首謀者は処刑。
二回目の革命から、バブロスカ監獄がつくられた。
バブロスカ監獄ぐらいはわかるだろ? 軍部の政治犯が投獄される特別な監獄だ」
「どうして――ドーソンのおうちが関わってるの」
「それはな、傭兵を徹底的に差別してるのは、ドーソン一族と、その一派だからだ。いまは、さすがに傭兵の認定制度が浸透してきて、あまり露骨な差別はないが、古い将校や名家は、いまだに傭兵をゴミだと思ってる」
「ぜんぶのおうちがそうなの」
「軍事惑星の名門と言えば、歴代首脳をたくさん出してるドーソン家、アーズガルド家、オトゥールの親父のバラディア大佐のロナウド家、L20のマッケラン、ほかにもたくさんあるけどな、大きいとこでいや、その辺だろ。ロナウド家は、バブロスカ革命の革命者がわの支援者だ。傭兵の身分差別はよくないことだと、代々ドーソンとは敵対してる。オトゥール見てりゃわかるだろ? あの正義感のカタマリ」
ようやく、アズラエルはふっと相好を崩した。
「グレンも、ドーソン一族にしちゃ、傭兵への差別はねえほうかもな。おまえと付き合うくらいなんだから」
「……そう、だね……」
「アーズガルドは、ドーソン側とロナウド側に二分してるんだ。だが、ほとんどドーソンよりだ」
「名門のおうちが、ほとんど傭兵への差別をみとめてるんだね」
「名家だけじゃない。傭兵ってのは、言ったろう? L4や、貧しい地区から金欲しさに集まってきたチンピラが多かったって。だから、L18に移住してきたときも、犯罪が格段に増えて、軍部が一時、取り締まれなくなったときもあった。だから、L18の軍人以外の住民にも、傭兵ってのはいまだにならず者扱いされるんだ」
「……」
「バブロスカ革命を起こしたひとたちは、だからこそ、傭兵もちゃんと軍部で管理し、教育を受けさせて、居住も保証しようとして革命を起こしたんだ。そうなれば、犯罪も格段に減る。――今だって、治安は悪いが、傭兵の認定制度ができたおかげで、認定された傭兵が、ならず者の傭兵もまとめられるようになった」
ルナは、聞いた。
「――どうしようも、ないの? あたしたちは、今、逃げるしかないの?」
「ああ――L18では、あまりにドーソンの力が大きいからな。第一次と、第二次のバブロスカ革命の首謀者は、名前すら残ってねえ。ドーソン一族が、革命に関わるものは、ぜんぶ処罰したし、それを記録に残すことも許さなかった。でも、第三次バブロスカ革命だけは、まだ五十年ぐらい前の出来事だし、みなも知ってる。もうほとんど、バブロスカ革命ってのは、傭兵対ドーソンの革命っていってもいいかもしんねえな。ドーソンは、第四次バブロスカ革命だけは、なんとしても起こさせないように、で、傭兵が、軍部に入って、軍部を牛耳るようなことになっちゃ困ると――躍起になってんだ。だから、また、バブロスカ革命の裁判のやり直しなんて馬鹿げた真似をする。そうなりゃ、」
「――そう、なりゃ?」
「また逮捕者が出る。……死人も、でるかもな」
ルナは戦慄した。
「死人って」
「だから俺たちは、いったん雲隠れしなきゃならねえ。バブロスカ革命の縁者は、みんなだ。そろそろみんなそろって他星へ逃亡を始めてる。このタイミングを逃せば、またくだらねえ言いがかりをつけられて親父もおふくろもしょっ引かれる。――可能性があるってことだ。おまえの親父さんもな。政権が代われば、元にもどるかもしれねえ。保証はできねえ。数年か、十年か――-わからねえよ。とにかく、オコーネルがさっさと引いて、ほかのやつが――できれば、ドーソン系列じゃねえやつが、たつのを待たなきゃならねえ」
アズラエルが、暗い顔をした。あの、子どものときのような、どこかあきらめた目を。
「少年空挺師団の事件は、さすがにおまえも知ってんだろう」
知らない。ルナは、知るはずもない。
L18生まれではないのだから。
「あれは、オコーネルが前、首相だったときに起こったことだ。悲劇の戦死としか書かれてねえが、あれは最悪の事件だ。十歳前後の、まだ実戦にも出てねえ傭兵の息子を二十人ほど集めて、最前線に連れてって死なせた」
これは、なんの予感なんだろう。
ルナは、急速に寒くなるのを感じた。
「名誉の戦死だと? 冗談じゃねえ。優秀な傭兵の孫や息子だからって、ガキはガキだ。実戦にも出てねえガキを最前線に連れて行きやがって。選ばれた二十人は、みんな調べ上げりゃ、バブロスカ革命の縁者の、息子や孫なんだ。“始末”したんだよ。ドーソン一族は、バブロスカ革命に関係する縁者は、みんな消してえんだ。みんな……」
アズラエルは、怒りで全身を震わせていた。
「だれひとり、生き残って帰ってくるやつはいなかった。親たちもまさか、最前線に連れて行かれるなんて聞いてもいなかった。L46の、原住民との戦争のな。軍部の空挺師団に、それも後方部隊のなかで応援パレードだけやって帰ってくると。そういう約束だったんだ。まさか最前線で銃を持たされて――弾よけに突っ込まされる、なんて。軍用機に乗せられて、おいてかれた場所が最前線だったんだ。なにかの間違いで、事故だったって、そんなバカげたこと冗談でも言えるかよ。
それは、――その場にいた軍人が証言した。見てられない光景だったってな。
いったい、なんでガキどもが――弾の飛び交う最前線に現れたのか、そこにいた軍人のほとんどは分からなかったそうだ。分からないままにガキどもを庇いつつ戦闘して――気づいたら、ガキはみんな死んでた。そこにいた大人の兵も3分の2が死んだ激戦区だったんだ。
でもまだ、その裁判はカタがついてない。その裁判だけじゃないからだ。それはぜんぶ、あのバブロスカ革命に繋がるからだ。軍部は――ドーソンは、その事実を認めねえし、バブロスカの裁判もずっと、こう着状態だ。
――おまえの兄貴が戦死したとき、リンファンさんは、おまえを身ごもってた」
「……アズ」
ルナは震えていた。泣いていたのか、わからない。
アズラエルが、ふいに身を起こし、ルナを抱きしめた。
「俺が、もうすこし早く生まれていたら、俺も確実に同じ目に遭ってたんだ。親父がよく、その話をする」
ルナを抱きしめる、熱い腕で。
「おまえがL77にいっちまったら、ほとんど永久に離れ離れだ。この見合いは、俺がドローレスさんに無理を言ったんだ。そうしたらドローレスさんは、ルナに選ばせるって言ってくれた。おまえを、傭兵にさせないこと、俺とおまえが、L52で暮らすことを条件に――L77でもいい。とにかく安全なところで。俺もそうする。もうL18にはもどらない」
額の次は、唇に。
「一緒に行こう。L52に」
ルナの唇は、つめたくなっていた。
「大切に、するから」
そのときだった。
自動車が止まる音がした。ドアが乱暴に閉められる音。数人の男の声。
「さっき、ここで降ろしたと、タクシーの運転手が――」
薄い壁越しに、ルナにもその声が聞こえた。やがて、ドアの鍵を開ける音が聞こえる。
アズラエルはさっと部屋の電気を消した。この部屋には窓がない。ルナとアズラエルの気配が外にもれていないのはたすかった。
「こっちだ」
ルナは戦慄していたが、アズラエルは冷静だった。ルナの肩を抱き、すばやく、物音を立てないひそやかさで浴室のほうへ移動する。
「なんだ、この部屋じゃないのか」
ルナは、アズラエルに抱きしめられたまま息を殺して震えていた。ふたりで浴室に移動した次の瞬間に、軍人と思しき者たちが、部屋に踏み込んできたからだ。
懐中電灯で真っ暗な部屋を照らし、「ここじゃない、となりか」とすぐに出て行った。
アズラエルが暖房をつけなかった理由が分かった。部屋が暖かかったら、もっと家探しされていただろう。
ルナは、まだ信じられなかった。
「まさか――あたしたちを捜しに来たの」
アズラエルは答えなかった。彼の息遣いも緊張で浅かった。
どのくらいそうしていたかわからない――十分にも三十分にも感じられた。だが、やがて数台の車が撤収していく音が聞こえ――アズラエルはようやく、ルナを抱きしめる力をゆるめた。
「いまのうちに、」
カラカラに乾いたアズラエルの喉から、ひきつるような声が出た。
ルナは腰が抜けて動けなかった。ルナを抱きかかえるようにしてアズラエルは浴室を出、ベッドルームのドアを開け、用心深く暗い室内に目を凝らして歩いた。古びた床は、慎重に歩いても、憎らしいほどの音を立てた。
「下がってろ、ルナ」
アズラエルはルナを後ろにして、玄関のドアを開ける。
「アズ!」
めのまえにクラウドの顔があったので、ルナも悲鳴を上げるところだった。アズラエルの体もさすがに大きく揺れた。
「びっくりさせるな!」
「こっちだ、ルナちゃんは!?」
「無事だ。ふたりともな」
クラウドの声も焦っていた。アズラエルはルナを前に押し出し、クラウドがルナを守るように手を引いた。
ドアを閉めたアズラエルと、ルナとクラウドは、足早にその場を離れた。草むらに紛れるように、クラウドのものと思われる乗用車が停まっていた。
「遅くなってごめん」
クラウドは謝ったが、アズラエルは言った。
「いや、遅れてよかったかもしれねえ。鉢合わせてたら、おまえもしょっ引かれてるところだった」
「ああ、軍警察の車と、ちょうどすれちがったよ」
アズラエルとルナは転がりこむように後部座席に乗る。クラウドは車を発進させた。
「アダムさんたちは軍事惑星を出たところだ。ドローレスさんたちも、なんとかL22までは行けたところ」
クラウドは早口で言い、山中の石ころだらけの道をものすごいスピードで走った。
(パパ――ママ!)
アズラエルから聞いた話が、どうしようもない実感としてこみ上げてきた。
(パパとママは、こんなふうに、L18から逃げてきたの?)
「俺が送れるのは空港までだ。そこから宇宙港へ。――逃亡資金を持って待ってる、オトゥールの部下がいるはずだから、そいつから金を受け取って。アズも知ってるやつのはずだ」
クラウドの声は、ルナの耳をすり抜けていく。アズラエルが低い声で言った。
「クラウド、恩に着る」
「恩になんか着らなくていいよ!」
クラウドはいつのまにか号泣していた。
「ぜったい死ぬなよ! アズも――ルナちゃんも!!」
クラウドの運転する自動車は、ひたすらに山道を走った。脇に残雪が残る山道。
対向車のライトが目に入ったところで、ルナのめのまえに、外の景色とはちがう、別の映像が飛び込んできた。
『恩に着ます、親父さん』
『恩になんぞ着らんでいい!!』
クラウドと同じセリフを怒鳴っているのは、ルナの知らないおじいさんだった。
おなかの大きなルナの母と、ずっと若いルナの父がいた。灰色のつなぎを着たおじいさんが、父の手を握って号泣している。
『死ぬんじゃねえぞォ……ドローレス』
『ドローレス、リン、死ぬんじゃないよ、死んだら許さないから!』
子どもを抱いた黒髪の女性も、おじいさんと同じつなぎを着ていた。クラウドみたいに号泣していた。バンダナで髪を覆った背の高い男の人も、涙を落としていた。
『生きろ』
『逃げろ、いますぐに』
『逃げて、逃げて。どうか助かって』
『リンのおなかの子は』
『どうか、ぶじに生まれますように……』
たくさんの願いと声が、ルナの目を覚ました。
かち、かち、かち。
時計が三回鳴った。
ルナは目覚めた。めのまえに、アンジェリカがいた。
「おはよ」
アンジェリカは、ルナにティッシュを差し出した。なにもかもを分かっているという顔だった。
「アンジェ」
「うん」
「……あたしのパパとママは、傭兵だったんだね?」
威勢よく鼻をかんだルナに、アンジェリカは、思いのほかはっきりと、うなずいた。
「そうみたいだ」
お兄ちゃん。
見たこともない、名前も知らない、お兄ちゃん。
ルナは夢の中の寒さがまだ残っているような部屋から出て、アンジェリカといっしょに、大浴場のひろい湯につかった。
それから、ふたりで食堂へ行って、あたたかい食事を取る。
「アンジェ、あたし、なんとなく、この夢を見た意味が分かった気がするよ」
ルナはぽつんと言った。アンジェリカは「うん」と微笑み、ふたりでしずかに朝食を取った。
「あとでもう一度、アントニオと一緒に来るよ」
と言って、アンジェリカは椿の宿を出た。
ルナも椿の宿を出た。雪は積もっていたが、晴れている。
ルナは大路に向かった。昨日とは違い、船客もいなければ、店主たちもほとんどいない。甘酒屋にオニチヨもいなかった。
オニチヨの店の隣は書店だった。ツキヨおばあちゃんの本屋、「カエデ書店」に似たちいさな本屋が、飲食店や土産物売り場にまじってひっそりとあった。
「こんにちは」
ルナが書店に入ると、やはり店主はいない。
だが、軒先にならべられた新刊コーナーに、一冊の本を見つけた。
『バブロスカ ~わが革命の血潮~』
エリック・D・ブラスナー著。バンクス・A・グッドリー編集。
硬いカバーの表紙は艶があり、古い本ではない。それどころか、装丁も比較的新しいデザインだ。発行日を見ると、まだ初刊で、一年も経っていないことが分かった。
発行は、L22でされている。
ルナが中央図書館の八階で見た本だった。借りようと思ったが、だれかに借りられてしまった本。
ルナは、本を手に取って、開いた。




