271話 カーダマーヴァ村 Ⅱ 3
「おもしろいではありませんか、長老さま。彼らが村に入れるかどうか、ためしてみては」
再び、群衆はざわめきに揺れた。
「なにを言うか、マクタバ」
「だって、よそ者であれば、イシュメル様の“目”が彼らを滅ぼすはず」
「無駄に命を散らしてはならぬゆえ、こうして説得して引き取らせておるのではないか」
「……この村に入ることができれば、俺たちを村の者と、認めてくれるんですね?」
ケヴィンが一歩、カザマの前に進んだ。アルフレッドも、膝が震えていたが、ケヴィンの隣に立った。
イシュメルの像が、双子を見下ろしている。イシュメルの目が、キラリと光った気がした。
双子は、一歩、二歩、慎重に進んだ。目の錯覚ではなかった。イシュメルの目に、たっぷりと緑光色が浮いている――侵入者を焼き殺す、鋭い光の塊が。
「ケヴィンさん、アルフレッドさん! お戻りください!」
カザマの声が響いたが、ケヴィンはイシュメルの像に向かって怒鳴った。
「おれは、エポス・D・カーダマーヴァ!」
「ぼ、ぼくはっ、ビブリオテカ・D・カーダマーヴァ!」
アルフレッドも、半分泣きそうな声で怒鳴った。
「どうか入れてください! 人の命がかかってるんです!」
ケヴィンはそれから、なにも見ずに、夢中で門に向かって駆け出した。アルフレッドも「うわあああ!」と叫びながらケヴィンの後を追った。村人も、――カザマも、思わず目を瞑った。ケヴィンたちは、群衆の中に飛び込んだ。
門が、ケヴィンたちが門内に入ったのと同時に――大きな音を立てて閉まった。
だれも門を閉じてはいなかった。勝手に閉じたのだ。まるで、イシュメルが招き入れたようだった。
「は、ははは……」
ケヴィンたちは無事だった。
頭から村にすべりこみ、砂まみれになったケヴィンたちは、互いの砂だらけの顔を見合わせて、がくりと力が抜けたように突っ伏した。
村人たちも目を白黒させていたが、イシュメルが招き入れた彼らを追い出す気は、ないようだ。
「ずいぶん勇敢じゃないか」
ゴーグルをはめた少女が、笑いながら双子を見下ろしていた。
「カーダマーヴァ村にようこそ」
門の外では、カザマが閉じてしまった門を見つめていた。
イシュメルの目は、たしかに光っていた。だが、今は、陸軍基地の電燈を反射しているだけのようだ。
カザマはほっとして、イシュメルの像に向かって、祈るように手を合わせた。
(ケヴィンさん、アルフレッドさん。どうか――お願いいたします)
願いを込めて門を見上げ――それから、ふと気配を感じて、後ろを振り返った。
うしろにいたのは軍人ではない。
カザマは一瞬、ペリドットかと思った。それほど彼に、衣装が似ていた。けれども別人だ。
彼は、左肩に大きな黒いタカを乗せていた。
カザマは、ケヴィンたちを村の中に入れたのは、イシュメルではなく彼だと――唐突に気づいた。
「――あなたは」
カザマの視界を遮るように、砂ぼこりが舞った。カザマが再び目を開けると、男の姿は消えうせていた。
(あれは――)
カザマはあわてて周囲を探したが、もう、だれの姿もなかった。
あと七日。
クラウドとエーリヒは、謎かけを解いてはいたが、それがなにを意味するのかまでは、まったく分からなかった。
“ふたりの女が死に、ふたりの女が救い、ふたりの女が導き、ふたりの女が待っている。
ふたりの男が死に、ふたりの男が救い、ふたりの男が導き、ふたりの男が待っている。“
「死んだふたりの女とは、ピトスとエルピス――つまり、ロビンの母親と、アイゼンとピーターの母親。プロメテウスの血族の姉妹……」
エーリヒがメモしながらつぶやいた。
「だいたいこうなるんじゃないか」
クラウドは、「女」と「男」に当たる部分を、人名で埋めたメモをエーリヒに突き出した。
「ピトスとエルピス」が死に、「真昼の女神と月の女神」が救い、「 」が導き、「エミリとミシェル」が待っている。
「プロメテウスと 」が死に、「イシュメルと 」が救い、「夜の神と太陽の神」が導き、「アイゼンとピーター」が待っている。
「……ふむ。おそらくは」
エーリヒに異論はないようだった。
「空欄を埋めれば、答えが見えてくるのかな……」
クラウドも、メモを見ながらつぶやいた。
「ピトスとエルピス」はすでに亡くなっているから、「死んだ者」となるだろう。詳細は不明だが、ロビンの母ピトスは、ドーソン一族に追われて命を落とした。エルピスの話は、ナキジンから聞いたばかりだ。「地獄の審判」で亡くなった。
「ピトスとエルピス」は姉妹。対となる。
「真昼の女神と月の女神」も対だ。月の女神はいま、裏でロビンを救う計画を立てている。真昼の神の動きは知れないが、化身であるカザマが、ロビンを救うためL03に旅立った。
「救う者」と「導く者」はもしかしたら変動があるかもしれない。
「エミリとミシェル」は、ロビンが階段を上がるのを待ち続けている。
そして「男」のほうは。
「プロメテウスと 」は、もしかしたら第一次バブロスカ革命で亡くなった者か。
だとすると、プロメテウスと同列に並ぶものが、もうひとりいることになる。
「イシュメルと 」がロビンを救い、「夜の神と太陽の神」がロビンを階段頂上へ導いている。
そして、「アイゼンとピーター」が、「プラン・パンドラ」を始動させるため、椋鳥の紋章の持ち主であるロビンを待っている。
「――ということは、イシュメルのほかに、もうひとり、“男性”で、ロビンを救う者があるということか?」
「そうなるね」
エーリヒとクラウドが、顔を見合わせたときだった。
「やあ。様子はどう」
アントニオが姿を見せた。アントニオは毎日、リズンを閉店し、翌日の準備をしたあと、紅葉庵に顔を出している。
「なにひとつ変わらないさ」
エーリヒが肩をすくめ、クラウドが「今、なぞ解きをしているところ」とメモをひらひらさせた。
「いよいよ、あと一週間か……」
アントニオも隈ができた目をこすりながら、店内の時計を見た。時刻は十時近い。
「俺にも見せて」
そばのパイプ椅子に腰かけたところで、アズラエルがもどってきた。
「エーリヒ、交代だ」
「そんな時間かね」
エーリヒが立って、コートを着込んで外へ出た。アズラエルは店先に置いてあるポットから、コーヒーを注いだ。
雪さえ降っていないが、キンとはりつめた冷たさが、皆の息を白くさせていた。
「すみません、わしが階段を上がれれば……」
九庵が申し訳なさそうに言ったが、だれも彼を責める者はいなかった。
「人手があるのは、本当に助かってるよ」
「まだ、何があるか分からねえしな」
「ルナちゃんはどう」
「眠ったままだ――そっちも、進展はねえのか」
エーリヒが座っていた席に、アズラエルが座った。アントニオがルナの様子を聞いたが、こちらもまったく、なにひとつ、変わった様子はなかった。
嘆息を隠して、アントニオがふと、ルナのいる階段頂上を見上げた。
そのときだった。
「――?」
ルナの上空に、白銀色の光が降りているのが、アントニオの目にはっきりと見えた。
思わず彼が立ち上がったところで、再びいかづちの試練がはじまった。
「なんてことだ」
間を置かず繰り返される、いかづちと炎の試練にさえぎられて、見えなかったのか。
アントニオが階段上に向かって走り出すと、「どうした」とアズラエルが、アントニオのあとを追った。不審に思ったクラウドも、追いかけて来た。
アントニオが息を切らせて坂道を上がり切ると、銀色の光は、吸い込まれるようにルナの身体に消えた。
「これは――」
「どうしたのかね」
ルナのそばにはエーリヒがいる。彼には、白銀色の光は見えていないのか。
猛然と走ってきた三人を見て、そういった。アズラエルもアントニオに尋ねた。
「いったい、どうしたんだ? なにかあったのか」
「いや、ルナちゃんの上に光が――」
アントニオは言いかけ、はっとしたように、並んだルナとエーリヒを見た。――マジマジと。
「なにかね」
無表情だが、エーリヒは嫌そうにアントニオを見た。
「もしかして」
彼は、ついにひらめいた――。
「アズラエル、クラウド、下へ降りて」
「あ?」
「え?」
アズラエルとクラウドの、不審な顔。
「君たちは、しばらくルナちゃんのそばに近づかないで」
「なんだと!」
アズラエルが瞬間沸騰した。彼は、ほんとうはずっとルナのそばにいたいのだ。だが、なにが起こるか分からないし、片時も目が離せないから、ずっとそばに居続けるのは無理で、しかたなくほかの人間と交代しているのだ。
あわててクラウドがアズラエルをなだめ、「どういうこと?」と聞いた。
「君たちだけじゃない、グレンとセルゲイも近づけちゃダメだ。ミシェルちゃんもしばらく、ルナちゃんの近くに来ないように」
クラウドの質問に対する答えではなかったが、クラウドには分かった。
「もしかして、それって、ルナちゃんに縁の深い人間を、側に近づけちゃダメってことだね?」
「そう! そういうこと!」
アントニオはルナを見たまま手を打ち、
「エーリヒ、悪いけど、しばらくルナちゃんにつきっきりでいてくれる?」
「なんで俺はダメでエーリヒはいいんだ!」
「アズ、落ち着いて!」
クラウドがアズラエルを羽交い絞めにする。
「私はかまわんが」
トイレに行きたいときはどうすればいい、とエーリヒは当然の疑問を口にした。だがアントニオは、
「ルナちゃんは放っておいていい。そのままにしておいて」
いや、むしろ、ルナちゃんをひとりにしたほうがいい、と言った。
「なにかあったら、どうするんだ」
グレンも階下から上がってきて、顔を曇らせていた。いつ月の女神が顔を出すか分からないのに、ルナを一人にしておけない。グレンが言うと、今度はアントニオが逆ギレした。
「分からない奴らだな! そもそも、君たちが過保護に引っ付いてるから! “彼”が出てこなかったんだよ!」
「彼?」
いつのまにか、セルゲイもいた。
「“彼”はね、君たちが大嫌いだから。だから、出てこなかったの!」
「だから、“彼”ってだれだ!」
グレンが怒鳴ったが、アントニオも怒鳴り返した。
「“ノワ”だよ!!」
「あァ!?」
アズラエルが吠えた。
「君たち筋肉兄弟神を、召喚する儀式をしただろう!? そのとき、イシュメルの次に、君たちを助けた男がいただろ!」
全員が、それぞれの顔を見合わせた。そして、ついにその容貌を思い出した。
「もしかして、不精ヒゲの――」
「けっこういいガタイの、ペリドットみてえな――」
セルゲイとグレンが輪唱し、アントニオは「そうだ」とうなずいた。
「あれは、ノワだよ。“LUNA NOVA”だ。ルナちゃんの前世なんだ」




