269話 地獄の審判 Ⅱ 2
地球行き宇宙船では、カザマが、真砂名神社に着いたところだった。
カザマは階段ふもとのシャイン・システムから出て、変貌してしまった光景を見て絶句した。
立ちすくんでいた数秒の間に、すぐうしろの扉がひらき、セルゲイとエーリヒ、バーガスが顔を出した。
気絶したミシェルを抱えてもどったグレンに、事情を聞いて、かけつけたのだ。
アズラエルはすでに、ZOOカードボックスを持って、坂道を上がっている。
「なんだ、こりゃあ!?」
バーガスが絶叫し――とたんに目がくらむような閃光。思わずカザマをかばったが、いかづちは、こちらまではこない。
だが、階段の下の方で、大怪我をして倒れているのがロビンだと分かった途端、バーガスは飛び出して行った。
「おい! うぉい!! ロビン、しっかりしろ!!」
バーガスも見えない壁に弾かれて、勢いよく尻もちをついた。
「ロビ――」
ロビンからの答えがない。
すさまじい火勢が、階段を、ロビンを襲う。
「ロビン――!」
バーガスの絶叫が、むなしく響いた。
「――いったい、なにが起こっているのかね」
エーリヒも階段を見上げて、それだけつぶやいた。こんな特異な現象は、エーリヒの人生上で、初めて出会った状況だった。L03に出張したときでさえ、L4系の大規模なエラドラシスの呪術に手を焼いたときでさえ、こんな事態に出くわしたことはない。
セルゲイも、炎が階段を焼き尽くすさまに固まっていたが、彼は階段上部にある夜の神の姿を見て、駆け上がっていった。エーリヒもセルゲイの後を追ったが、バーガスは、尻もちをついたまま、微動だにしなかった。
状況がまったく、理解できなかったのだ。
黒焦げの煤が吹き払われ、ロビンの姿が現れるのを彼は見た。
ロビンが、震える手で、上の段に手を伸ばす。
バーガスに、気づいていないようだった。
「待て――待てよ、今助けてやるからな!」
我に返ったバーガスは、ロビンを助けなければならないと立ち上がった。まずは、この得体のしれない壁をぶち壊さなければ。
「うぬお!!!」と唸りながら、彼は近くにあったベンチを持ち上げた。顔を真っ赤にして、地面に埋め込まれている大きなベンチを引き抜く。そのまま階段に放り投げた。
だがベンチは、見えない壁にぶつかって、割れた。
「バーガス!」
屋敷からもどってきたグレンが、今度は別のベンチを放り投げようとしているバーガスを、うしろからはがいじめにした。階下で見守っていた商店街の面々も、バーガスに飛びついた。
「やめろ! 落ち着かねえか!」
「この壁は、そんなんじゃダメだって!」
「ウチのベンチ壊さないで!」
「うおおおおお! 離せ!!」
バーガスは吠えた。五人がかりでも押さえきれない。
二つ目のベンチが引っこ抜かれそうになったとき、バーガスを、ベンチごと押さえつけた者がいた。
「やめんかい」
二メートル近くあるバーガスが、見上げることのできる人間は、そうそういない――いや。
人間か? これは。
バーガスは、ルナみたいに口を開けて見上げた。
三メートル近くある巨人が、バーガスの腕を押さえつけていたのだ。しかも、口から巨大なキバが見えている。
ルナやミシェルがここにいたら、「鬼だー!」と叫んでいただろう。
「あれは、おまえには、どうにもできん」
キスケの顔をした鬼が、そういった。眼鏡に髷。そこに牙。珍妙さにいつもなら首を傾げているが、今日のバーガスにはそんな余裕はなかった。目が熱くなるだけだった。
「じゃ、じゃあ、どうしろっていうんだよ……」
だれがアイツを、助けてくれるんだ。
「地獄に仏ってよくいうじゃろ」
オニチヨらしき、金髪の鬼は笑った。
「ここにおるんは鬼やけどねえ」
着流しをはだけた、体格のいい長髪の鬼、キキョウマル。
「地獄に入れるんは、鬼しかおらんでの」
三人の大きな鬼は、ゆっくりと階段に、足を踏み入れた。
「ルナさん!!」
カザマは、拝殿まえまで来てルナの姿を見――絶句した。
「これは――イシュメル様――?」
ルナの姿は、カーダマーヴァ村にまつられている、イシュメルの石像の姿と同じだった。
カーダマーヴァ村のイシュメルは、地下の石室に座っている。四方から、鎖でがんじがらめに縛られ、目もふさがれて――。
「これは――いったい」
「おお、ミヒャエル、来おったか!」
拝殿のほうから、イシュマールが走ってきた。ルナのそばには、ミヒャエルの知らない男性がいた。彼もルナに話しかけたが、応答がないので、様子を伺っているようだ。セルゲイも上がってきたはずなのに、いない。
カザマも、ルナに駆け寄った。
「ルナさん、ルナさん! いったいどうしたのです? 苦しくはありませんか……」
ルナの頬を両手で挟むと、ひどくつめたい。まるで石像のように――。
カザマはぎくりとしたが、呼吸はある。ルナは眠っているだけだった。
「脈もある。息もある――眠っているだけのように見えるが、ずいぶん体温が低い」
エーリヒの言葉に、カザマは自身のスーツの上着をルナの肩にかけ、ルナの冷えた手をこすった。
アズラエルも拝殿から降りてきた。
「ルナは、べつに苦しくはねえそうだ。さっきから、眠ったまま起きない」
アズラエルのほうが苦しげな顔をしていた。
この階段にロビンを招いたのは、アズラエルだ。まさか、こんな事態になると思わず、悔やむどころの話ではなかった。おまけにルナまで、このありさまだ。
「ナキジンさんから、電話でくわしくお聞きしました」
カザマは、階段のほうを見つめ、言った。
「――ロビンさんの、“地獄の審判”が始まったと」
「それに、砂時計に腕が入らなくなったことも。――ルナさんの、この状態も」
「わしもお手上げじゃ」
イシュマールは、肩をすくめた。
「ここに二百六十年おるナキジンが、こんな事態ははじめてじゃと言うとる」
あとは、アントニオとペリドットが来るのを待つしかあるまい、とイシュマールは言った。
ミヒャエルはルナの髪を撫で、それから周囲の様子をもう一度見回し――確信したように告げた。
「イシュマール様、このルナさんの姿は、おそらく、イシュメル様に呼応しているものと存じます」
「なんじゃと!?」
「カーダマーヴァ村にまつられているイシュメル様の石像が、ちょうどこんな状態なのです。四方から伸びた鎖で縛られ、目をふさがれている」
「ほんとうか」
アズラエルが目を見張った。
ルナの前世のひとつに、二千年前のイシュメルがあるというのは、ここでアストロスの武神がよみがえる儀式をしたときに、わかったことだ。
「なんだね、それは。封印でもされているのかね」
エーリヒが問うたが、カザマは否定した。
「封印ではありません。――イシュメル様が、ご自身でそうなさったのです」
「どういうことだ?」
アズラエルも聞いた。
「かつてイシュメル様がお亡くなりになられたおりに、カーダマーヴァ村で、イシュメル様をおまつりする祠をつくりました。けれどもイシュメル様は、そちらにお入りにならず、石室をつくってくれと、村の者に頼んだのです。石像を、何度祠におまつりしても、翌日には石室にもどってしまわれる――やがて、イシュメル様は、ご自分で身体に鎖を巻き、目を閉じて、石室から出られないようにしてしまわれたそうです」
「ルナの前世とやらに、二千年前のイシュメルとやらがあったが、もしかして、その話をしているのかね?」
「――! そうです」
カザマはようやく、いつものメンバーではない男性の名を思い出した。
「あなたはエーリヒ様ですね? クラウドさんの上司でいらっしゃる――」
「たしかに。私がエーリヒ・F・ゲルハルトです」
エーリヒは、バラの花束の持ち合わせがないことを詫びてから、言った。
「――ならばつまり、そのイシュメルとやらの鎖を解けば、ルナの鎖も解けるということかね」
「!」
クラウドがもどってきた。彼は全速力で坂道を駆け上がってきたせいで、息を切らせながら話に加わった。
「イシュメルは――“よみがえり”の神」
カザマが、はっと気づいた顔をした。階段を振り返る。
「ロビンを助けるのは、きっと、イシュメルなんだ」
すさまじい雷鳴がとどろく。みなは一斉に、階段のほうを向いた。
カザマはあまりのことに目をそらした。アズラエルは目をそらさなかったが、爪が皮膚に食い込んで、血がにじむほど拳を握った。
「砂時計に腕が入らない――だれも、寿命を与えることができない。ロビンの魂が拒絶している。――ロビンをこの階段に導いたものも、きっと無意識下の“後悔”なんだ」
「――後悔?」
アズラエルが苦い顔をした。
「知らなかったとはいえ、無理やりアイツをここに引きずってきたのは俺だ――アイツが、なにを、後悔してるっていうんだ?」
「“プロメテウスの涙は、どれだけ大勢の涙があれば、止むのかしらね? それとも、たったひとりの、後悔の涙なのかしら”」
「なんだね? それは」
「なんです?」
エーリヒとカザマが同時に聞いた。
「さっき、ルナちゃんの口を借りて、月の女神が言った言葉だ――今回は、この言葉がキーワードだ。今朝読んだルナちゃんの日記にも、その言葉が書かれていた」
クラウドは息を整えることもせずにつづけた。
「イシュメルは、自分で鎖を巻き付けたと言ったね――さっきの、ミヒャエルの話を聞くかぎりでは、イシュメルは、“後悔”のために、自分を責めて、罰するために石室に閉じこもったのでは?」
「なんですって」
「おそらく――ロビンの魂を救うことができるのは、同じくらいの深い“後悔”を持った魂だけなんだ」
雷鳴が響き、いかづちの刃がロビンを切り裂く。
三段一気に這い上がったロビンは、つづけざま、いかづちに打たれ、一番下まで転がり落ちた。
「ぐあ……」
落ちたロビンを、大きな手が受け止めた。そして、自力で上がったところまで、連れて行く――鬼たちが。
「ええか。きばれや」
「俺たちがついとるでな」
「さっき、アンジェと話して、この結論に落ち着いた」
びしゃりと、血まみれのロビンの手が、黒曜石と化した階段に打ち付けられる。
「う、あ……」
火の塊が、ロビンの背を焼いていく。
アズラエルは見つめた。深い後悔にさいなまれながら。
ロビンの口から迸る、――血と、咆哮を。
「がああああああああっ!!」
身体の痛みと、魂の痛みの咆哮。
上へあがるための、渾身の叫びだった。
「ロビンの前世は、おそらく、第一次バブロスカ革命の首謀者、プロメテウス・A・ヴァスカビルなんだ」




