269話 地獄の審判 Ⅱ 1
――L03、首都トロヌスに隣接する森林地帯、タルカンディア。
坑道に入っていたオルド率いるアーズガルドの特殊部隊と、アイゼン率いるヤマトの傭兵部隊は、地下都市の廃墟を、地図どおりに進んでいた。
とはいっても、ヒュピテムが、オルドに渡した地図ではない。最先端の科学技術は、坑道に入った時点で、坑道内すべての地理をスキャンしてデータ化し、3Dで表示することができた。それを確認すると、ヒュピテムが示したルートより、近道が存在することが分かった。
だが、この地下都市の世界に、どんな障害があるかは、歩んでみなければわからない。タブレットの地図でもある程度の障害物や、老朽化して危険な箇所はわかるが、実際に人が通ってみないとわからないことが多い。
医者と、食糧を乗せたジープとバイクの別動隊は、ヒュピテム・ルートで先に向かわせている。オルドとアイゼンの部隊は、近道ルートを徒歩でたどり、危険個所がないかたしかめつつ、進んでいた。
うまくいけば、車輌隊と同じ時期に、王宮下の階段へ到着できるはずだった。
半分ほど進んだ時点で、地下水が湧き出て水没した箇所があって、ジープどころかバイクも通れないことが発覚した。
無言で坑道を歩いていたアイゼンが、突如「うひゃひゃひゃひゃ!」とキチガイじみた笑い声をあげたので、訓練された特殊部隊もオルドも、一瞬歩みを止めるほどには動揺した。
ヤマトは、隊長のそういった奇行には慣れているのか、微動だにしなかった。
「なにがおかしい」
オルドは思わず言った。ライトの明かりだけが頼りの暗闇で、突然笑いだされたほうはたまったものではない。
「“地獄の審判”が、いよいよはじまったぜ……」
アイゼンは楽しげだった。鼻歌でも歌いだしそうなくらい。
無駄話をする気がないオルドは、意味不明な会話を終了させようとしたが、そうは問屋がおろさなかった。
オルドは、アイゼンがいきなり隣にいたので、背筋がひやりとした。たしかに周囲は暗がりだが、いつ隣に来たのか分からなかった。アイゼンは上機嫌でオルドと肩を組み、言った。
「いいかオルド? この仕事が終わって、おまえが帰るころには、軍事惑星がひっくり返ってるかもしれねえぞ?」
「――どういう意味だ」
オルドの口調は嘆息交じりだった。この、奇行が多いヤマトの隊長の相手を、しかたなくしてやっているという態度が見え見えだった。
アイゼンは気を悪くすることもなく、つづけた。
「ひっくり返るのさ! 世界がな! 傭兵王国バンザイだ! ヒャハハハハハハ!」
踊りだしそうな足取りで走り去っていくアイゼンを、無言でヤマトの傭兵が追った。
さすがに、特殊部隊の隊長が、オルドに耳打ちした。
「アイツ――だいじょうぶですかね」
オルドには答えようがなかった。ピーターが手配したのだから、あの隊長は、こういった任務には慣れているのだろう。たとえ、多少イカレ塩梅だったとしても。
L22の、アーズガルド家のオフィスでは、ピーターがトランクを手にし、帽子をクロークから取り上げたところだった。
「じゃあみんな、よろしくね」
にっこり。
ピーターの笑顔に、秘書たちは、一斉に、「いってらっしゃいませ、ピーター様!」と黄色い声を張り上げた。
「毎日、タツキから定期連絡は入ります。一ヶ月すぎるようだったら、そのときは、――うん、とりあえず、困ったらオトゥールに泣きつこう、みんな!」
「ピーター様……」
最年長で、秘書室リーダーのヨンセンが、あきれ顔でこめかみに拳を当てたが、ピーターは眉をへの字にした。
「こればっかりは、予定通りにいかないからね――そんな顔されても困るよ」
「わたくしたちを、信用なさっていないので?」
「まさか! 君たちのことは、オトゥールの百倍信用してるからね」
ピーターは、やんわりと笑みを浮かべた。その笑みにだまされる人間は99.9パーセントと言っても過言ではない。
(ずいぶん、苛立っていらっしゃる……)
古株のヨンセンは、見逃さなかった。だが、それは、ヨンセンたちのせいではない。
(大方、ロビン様のことでしょうね)
子どものころからピーターを見ているヨンセンの推測は、十中八九、外れたことはない。
「それよりみんな、ちゃんとお土産は買ってくるからね」
「さすがピーター様!!」
ふたたび秘書室では、黄色い声がこだました。
「ヨンセンは、焼きホワイトチョコのチーズケーキでしょ、ルリコは、シャトーヴァラン・オレンジのフロマージュ、サリナは、塩チーズのモンブラン、ジャンヌは、デイバッドの、カスタードと生クリームの特製エクレア、モニクは、LUNA・NOVAをたっぷりつかった贅沢ワインゼリー――」
ひとりひとりのだいすきなケーキの名をあげていくピーターに、皆はうっとりと頬を染めた。
「最高! ピーター様!!」
「彼氏だって、あたしの好きなケーキまで覚えてくれてないのに!」
「だいじょうぶ。ちゃあんとふたつずつ買ってくるから」
秘書室は、大歓声に満ち溢れた。
迎えに来たリムジンの運転手が、ピーターのトランクを手にしたところで、秘書たちはずらりと回転扉の外に並んだ。
「では、行ってらっしゃいませ。ピーター様」
八人の秘書は、勢ぞろいで礼をし、オフィスから見送る。
「いつ見ても、美女が八人もそろうと壮観ですなあ」
運転手は言った。美人コンテストでも見ているようだと。
「綺麗なだけじゃなくて、頼りがいもあるよ」
後部座席に座ったピーターは、笑顔でそう言った。
ピーターを乗せたリムジンが見えなくなると、ヨンセンは手を打ち鳴らして、みなに席に着くよう命じた。
「さ! この忙しいときに、ご当主の不在が一ヶ月になりますからね! 気を引き締めてちょうだい」
「ねえ、ヨンセンさま」
「どうしたの、マヌエラ」
「……ロビン様がもどってきたら、ピーター様はご当主じゃなくなっちゃうの?」
最年少のマヌエラの言葉に、秘書室の空気は凍った。だれもが、気になっていたことだったからだ。気になってはいたが、うかつには口にできないこと。
ヨンセンは、笑みをたたえたまま、言った。
「そうはならないわ」
細いフレームのメガネの奥で、ヨンセンは目を光らせた。
「そうさせるものですか」
「ロビン様が、――いいえ、ロビンが」
ヨンセンは言い直した。
「たとえ姉ピトス様のお子で、正統な“紋章”の継承者だとしても、ピーター様の“上”につかせはいたしません」
アーズガルドを動かしているのは、ピーターと、われらが秘書室。
ピーター様をお守りするのは我らです。
「ピーター様が、はやくお世継ぎをおつくりになったら、いいんじゃないの」
「そうね。お世継ぎができたら、次代ご当主は、確実にピーター様のお子よ!」
「お嫁さんは、もちろんあの方でしょ」
「オルドさんが、早くピーター様のお嫁さんになってくれればいいのよ!」
「そうよ!」
「そうよ、そうよ! ピーター様がいつまでも独身だから舐められるんだわ」
オルドとほぼ同時期に入った新顔、モニクは、流れで同意しそうになり、あわてて首を振った。
彼女は、「いずれあなたも、オルドさんがピーター様の奥様になると、そう信じ切れるようになるわ……」と毎日皆から追いつめられているが、まだ洗脳されきってはいない。先輩方のご意見を尊重しつつ、さりげなくオルドの味方をすることもあった。
「ピーター様の奥さん候補だったら、ほら、オトゥール様の奥様からご紹介された――いたじゃない、ほら、」
モニクは、失言を後悔した。秘書室の女たちの目が、一斉にモニクを睨んだ。
「あなたなにも分かってない!」
「あんなお嬢様にピーター様のなにが分かるのよ!」
「ピーター様の奥方は、オルドさんしかいないの!」
「でも――ピーター様はモテるから」
「気弱そうに見えるけど、優しいし気を遣うのが上手な方だから、モテるのよねえ」
「まあ――すこし頼りないけど――」
「だれとも結婚する気がないんだから、もうオルドさんと結婚したっていい気がするのよね」
「いっしょに暮らしてるんだし?」
「でも――オルドさんには、ライアンっていう、宇宙船に残してきたカレシがいるから――」
「だからピーター様になびかないの!?」
「ピーター様、あんなにアピールしてるのに」
「ああ――かわいそうなピーター様――」
モニクはだんだん、オルドが後継者を産めそうな錯覚を覚えてきた。あいにく、秘書室はなぜか女だらけだし、オルドが女だったと言われても、もう驚かないでいられる気がした。だが、残念ながら、オルドはれっきとした成人男性だった。かつて女だったことも、これから女になる予定も、まったくないはずだ。
L20出身のモニクには、あまり抵抗はない――抵抗はないけれど。
(オルドの胃に、穴が開きそうだわ……)
モニクは、オルドの、最後の救いである。彼女は、あわれなオルドのために、再び口をはさんだ。
「ええっと――でもまあ――オルドだって選ぶ権利が――オルドの好みって、メリーみたいな、結構筋肉質の、体格いい女性なんでしょ?」
あんたイケる。イケるわ。
モニクは、サリナを見て言った。178センチで、オルドより体格がよく、ダンベルが趣味で、腹筋がいまにも六等分しそうなサリナにお茶を淹れてもらったとき、オルドがまんざらでもない顔をしていたのを、モニクは覚えている。
モニクの言葉に、秘書室は沈黙したが、当のサリナがけたたましく言った。
「オルドさんの好みって、筋肉質なの!? じゃあ、ピーター様、ライアンに勝てないじゃない!」
「ピーター様だって、意外と脱いだらすごいのよ!?」
「大穴で、アイゼン様っていう手も――」
「ピーター様、あれでも腹筋割れてるし! ジム通い欠かしてないし! ムキマッチョより細マッチョでしょ! オルドさんただでさえ細いのに、ライアンやアイゼン様相手じゃ壊れちゃうっ!」
(あ。――あたし、アイゼン様とオルドなら、イケるわ)
一瞬でもそう思ったモニクは猛省し、(オルドごめん)と心の中だけで詫びた。
「強引なライアンとやさしいピーター様!」
「どっち!? どっち!? あたしはアイゼン様あ! キャー!」
「ピーター様なら、きっとやさしくオルドさんを……」
「「「「「「ギャアアアアアア!!!!!!」」」」」」
「おだまりっ!!」
ヨンセンの一喝に、秘書室はしずまった。
「すべては、ピーター様のご意志です」
「「「「「「はい」」」」」」
(あ、オルドの意志関係ないんだ……)
坑道のオルドは、今までしたことのないような盛大なくしゃみをした。
(――風邪か? 今はまずいな)
冷静に自分の体調をたしかめて、ドリンク剤のキャップをひねった。
「風邪ですか」
特殊部隊の部隊長が、オルドの顔色をさぐってきたので、オルドは「平気だ」と言った。
小休止のあとは、着くまで休息なしで歩きつづける。固形食糧を口に入れ、ドリンク剤で流し込んだ。
「坑道入り口で、原住民に遭遇したと連絡が入りました」
「派手にぶちかましたからな――バイクを入れるために」
バイクとジープを入れるために、掘削機械で坑道に大きな穴をあけた。音の少ない機械をつかったが、近隣の原住民に気づかれていたようだ。アーズガルドとヤマトの別動隊がおさえているだろう。
サルーディーバの救出が終了した時点で、この坑道は埋められる。オルドたち外部の者に知られてしまったのだから、封鎖するほかあるまい。それをわかっているから、だいぶ派手に入り口を破壊してしまった。
オルドは、ちらりと、アイゼンの様子を伺った。アイゼンとヤマトの傭兵は、離れたところで小休止を取っている。
オルドもかつて傭兵だったから思うのだが、やはりヤマトの傭兵は、傭兵の中でも異種だ。傭兵出身者で固められた特殊部隊の連中ですら、彼らを不気味に思っているのか、近づきたがらない。
(だが、仕事の腕は最高クラスだ)
ヤマトの仕事は芸術的でさえあると、傭兵の間でも評価は高い。
アイゼンは、さっきの上機嫌が嘘のように、むっつりと黙りこくって、腕を組んだまま座り、目を閉じている。
(こいつと、ピーターの関係は、なんだ?)
気になるのはそれだけでなく、自分と、アイゼンとの関係だ。
(俺は、こいつに、会ったことがあるのか?)
どちらにしろ、ピーターに聞かねば分からないことだ。
アイゼンは、自分で匂わせておきながら、詳しく話す気はないらしい。
「オルドさん、どうぞ」
特殊部隊の一人が、スキットルをオルドに放り投げた。坑道は寒い。酒好きのオルドはありがたくいただいた。強い酒が喉を消毒した。
「アーズガルドの秘書室って、女ばっかり、おまけに美女ぞろいだって。まるでハーレムだ」
スキットルを投げたヤツがそう言い、周りから、うらやましげな口笛がこぼれた。
オルドは、美味い酒のあとにその話題を出されたので、しかめっ面にならざるを得なかった。
(……帰りたくねえ)
オルドは心底そう思って、すこし気分が沈んだ。
(あれをうらやましいだと――あれを?)
ほぼ鉄壁を誇るオルドのメンタルを、急低下させることのできる化け物の巣窟である。
軽口を叩くそいつに、秘書室が天国に見える地獄だということを、オルドは教えてやろうとした。
「てめえが一日で退職届け出すのに、五千デル」
特殊部隊に、ちいさな笑いが、さざなみのように広がった。




