268話 地獄の審判 Ⅰ 1
※残酷表現があります。
「地獄の審判!?」
クラウドが、ルナの言葉をとらえるのと同時に、商店街から、わらわらと人が集まってきた。みんな、顔を真っ青にしているか、真っ赤にしているかのどちらかだった。
「ナキジーン! おぬし、見張っとるといったろうが!」
「便所にいっとるスキに来ちまったもんは、しょうがなかろう!!」
「あああああ……嫌な予感は的中じゃあ」
「なんでまた――“地獄の審判”なんぞは、百年にいっぺんあればいいほうじゃろ。二十年前もあったのに……なんでまた、こんなすぐ」
黒の浸食は、階段すべてを埋め尽くした。黒色化した階段に呼応するように、天候まで変わった。晴れ渡った快晴の空がふうっと消え、K05区の上空に、ぱあっと宇宙があらわれた。
階段脇の灯篭が、だれも触れていないのに、一斉に火がともされていく。一番下から頂上に向かって、一気に――。
「なんだ、こりゃァ……」
グレンもアズラエルも、尋常でない階段の様子を見つめて、立ちすくんだ。
「なにが起こったんだ……」
クラウドも、戦慄して階段の頂上を見つめた。
アストロスの武神のときとは、まるで違う。
「ロビン!」
ミシェルがロビンに駆け寄ろうとした。
「来るな!」
ロビンの鋭い拒絶。
「来るな、ミシェル」
ロビンは自身の足元を見つめていた。さすがの彼も、よくない状況だということは理解した。階段から降りようにも、足が、張り付けられたように動かない。
ロビンの背中に冷や汗が伝う。本能が告げていた。
生きるか死ぬかの任務が、いま、始まろうとしている。
「な、なに……」
ミシェルが一歩、二歩さがった。
ゴゴゴゴゴ……と地鳴りがした。地震かと思ったが、そうではないのだった。階段の頂上が、変貌しようとしている。
両脇にあった狛犬が地面にしずんでいく。そのかわりに浮き上がってきたものは、向かって左側に、錫杖を持った夜の神の石像、右側は、燃え上がる火の玉を手にした、太陽の神だった。
そして中央に――両脇の石像よりも背の高い、砂時計が姿を現した。
宇宙の色をしてそびえたつ砂時計。さらさらと、砂が上から下へ、落ちている。
「はじまったわい……!」
商店街入り口のハッカ堂から、いち早く駆けつけたカンタロウが、タオルを額に巻いて戦闘態勢に入った。
「上がっちまったモンは仕方ない。おまえさんら、大路を封鎖してきてくれ」
ナキジンが、静かに告げた。
「あいよ!」
「行くで!」
商店街の年寄り店員たちが、大路の入り口に走っていった。
「みんなでてこォい!“地獄の審判”がはじまったァ!」と叫んで、商店街の皆に知らせていく。
「“鬼”どもォ! さっさと出てこんか! “地獄の審判”じゃあ!!」
頂上を見つめたまま、立ちすくんでいるロビンに、ナキジンが近寄って、声をかけた。
「なるべくなら、おまえさんにこの階段を上がらせたくなかったんじゃが、こうなってしまっては仕方がない。あとは、上がるしかない」
「――いったい、なんなんだ、この階段は」
「こいつはな、前世の罪を浄化する階段じゃ」
「前世の罪……」
ロビンはやっと、階段の正体を知った。
「ええか。おまえさんのは特別難儀じゃが、上がれないヤツは、この階段に足を踏み入れたりはせん。魂が分かっておるんじゃ。上がれないヤツは、階段手前で逃げ出す。おまえさんは、逃げたりせんかった。たとえ、不用意とはいえ、階段に足を踏み入れることができたんは、それだけで、ぜったいに上がれるという意味じゃ――おまえさんの魂は、よほど偉大なことをなしとげてきた魂なんじゃ」
「……」
「偉大な魂は、良いことと同じくらい、悪いこともしておる。それゆえに、罪を浄化するためにこの苦難の道を選ぼうとする。――この階段を上がり切れば、おまえさんの罪はことごとく消え去るんじゃ。――ええな? 気を強くもて。なにがあろうとも、わしらがおまえさんを死なせはせん」
ロビンの顔に、はじめて戸惑いが揺れた。
「待って、ナキじーちゃん」
ミシェルが言った。顔色が真っ青だった。
「この階段、やめようと思えば、やめれらるんでしょ? 降りられるんでしょ?」
ナキジンは首を振った。
「“地獄の審判”だけは、そうもいかんのじゃ」
「いったん階段に上がったら、上がり切らねばならん。だから、わしらもなんとか上がらせまいと、見張っとったんじゃが――」
カンタロウも、全身で嘆息した。
「ミシェル、おまえさんと、ルナは帰んなさい」
「なんで!?」
「ロビンちゅうたか、こいつは、かならずわしらが上がらせる。だから、心配かもしらんが、帰んなさい」
「でも――」
「“地獄の審判”はな、見とる方が、耐えられん」
「えっ――」
「上がる本人もきっついが、見とるほうもきつい。おまえさんたちは見んほうがええ」
「……!」
「――はじまるぞ! ミシェルちゃん、ルナちゃん、下がりんさい!」
カンタロウが、ルナとミシェルをかばって、後ろへ下がったときだった。
ルナとミシェルは後ろを向いていても、視界が真っ白に染まったのが分かった。
閃光だ。
ついで、鼓膜がやぶれそうになるほどの、ごう音。
「うおああああああっ――!!」
宇宙まで貫くような絶叫が、あたりに響いた。――ミシェルは、その声が、ロビンの声だと、少し遅れて気付いた。
ルナとミシェルは、「やめろ見るな!」というアズラエルの声も間に合わず、振り返ってしまった。
「ロビン……!」
ひとの形をした、真っ黒こげの死体が、階段に倒れている。
ルナたちは、言葉を失った。
――階段には、避けようもないほど、満遍なくいかづちが降り注いでいた。
夜の神が持った錫杖から降り注いでいるそれは、バリバリとすさまじい音を立てて大地を割っていく。
「やめて――!」
ミシェルが叫んだ。その声すら、いかづちの音にかき消されていく。
「やめて! やめてよ!!」
ミシェルが、泣きながらカンタロウの腕を振りほどいて、階段に駆け寄ろうとしたが、クラウドが止めた。
「離してよクラウド!!」
「離せるわけないだろう!?」
雷は、止むことなく黒い階段に打ち付け、石つぶてを飛び散らせ、あらゆるものを焦げ付かせる。
――ふっと、雷が止んだ。
一瞬の出来事だった。
たった数秒のあいだに、階段を、数千のいかづちが襲ったのだ。
アズラエルたちにも、なにが起こったのか――目はとらえていても、頭が理解しきれなかった。
雷に打たれて黒焦げになったロビンは、だが、死んではいなかった。
黒焦げの死体は、みるみる、ひとの形を取り戻していく――もとの、ロビンの姿を。
砕けた階段も、宇宙を映すなめらかな壁面に、もどっていく。
「……っ、そういう、ことか」
ロビンは、それでも、口の端に笑みを湛えていた。
「ロビン――生きてる――!」
ミシェルがほっとしたのも束の間。
「次は、火の試練じゃ」
ナキジンの声がした――彼の言葉が終わるか終わらないかのうちに、太陽の神が手にした球体が――太陽が、ごうっと燃え上がった。
ルナたちのところまで届く猛烈な熱気。火炎のかたまりが、豪雨のように降り注ぐ。業火は、ロビンを焼き尽くした。
彼は悲鳴を上げることも許されず、ふたたび消し炭になった。
「ミシェル!!」
クラウドの悲鳴は、ミシェルが腕の中で気絶したのを見たからだった。
ルナはいつのまにか、アズラエルの腕の中にいた。
動けなかった。
「こんなことになるって……だれが思うかよ」
苦い台詞は、隣にいたグレンからこぼれた言葉だった。
雷に打たれたときと同様、時間を置いて、ロビンはもとの姿を取り戻した。
身体から、煙が上がっている――黒こげの状態からよみがえったとしても、五体満足というわけではない。
Tシャツもジーンズも焼け焦げ、火傷と裂傷だらけだ。ロビンの肩が息をするたびに動いた。意識はあるようだったが、動けないのか。
アズラエルは蒼白になった。
階段から、地面に染みていくものがある。なにかと思ったら、ロビンの血なのだった。
それも、水がたちまち蒸発していくように、消える。
「……これが、階段を上がり切るまで、繰り返される」
カンタロウの言葉に、ルナもアズラエルも――皆が絶句した。
「“地獄の審判”じゃよ」
「ええか、ロビン! 力ある限り上がろうとしてみせい!」
ナキジンが、励ますように叫んだ。
(うさこ)
ルナは、アズラエルの腕の中で震えていた。
(うさこ、たすけて。ロビンさんを助けて)
アンディとルシヤの時とは比べ物にならない。しかもあのとき、ルナは「ルシヤ」だった。数々の修羅場をくぐってきた女戦士――だが、今はちがう。
めのまえに起こったことを見つめて、震えるしか術はないのだった。
ルナが立ちすくんでいる間に、商店街のほうから、たくさんの人間が集まってきた。
若い者たちばかりだ。フサノスケもいる。子どもの姿だ。彼はルナがいるのを見て驚いて、「なんでルナちゃんがここにいんだ? とっとど帰れ!」と慌てた様子で叫んだ。
「よおし、ようし、みんな、行ったってくれ! ひとり三年ずつくらいでいいじゃろ」
「はい!」
「俺、十年くらいでも平気ッス」
「無理はしたらアカン。みんな、平等に三年から五年ずつな」
若い者たちは、三十人ほどいただろうか。彼らは、階段の側面にある坂道を、上がっていく。フサノスケも、「ルナちゃん、帰んだぞ!」と念押ししたあと、彼らを追った。
「彼らは、いったい何を?」
気絶したミシェルを抱いたまま、クラウドが聞いた。ナキジンは、泣きそうな目で倒れたミシェルを見やり、頭を撫でた。
「おお――むごいモンを見せちまったわい。ミシェルはホレ、店で寝かせておけ。迎えをすぐ寄こすんじゃ。――あいつらはなァ、寿命を分けてやりに行ったんじゃ」
「寿命だと?」
「あの砂時計の上の数字、ここから見えるか?」
ナキジンは、階段の頂上にある砂時計を指さした。砂時計の上部には、「ロビン」の名前と、数字が表示されている。
「30」と。
「あれが、ロビンの、残りの寿命じゃ」
クラウドには、それですべてがわかった。砂時計が現れたとき、数字は「63」を示してから、砂がさあっと半分ほど落ちて、「30」に変わった。
「ありゃ、“寿命塔”いうてな、地獄の審判がはじまったときに、階段を上がる者の寿命を表示する。一日で、一年分の寿命が消える。――だいたいの者は、一日一段上がるのが、やっとじゃ。立て続けにいかづちと火の試練がおとずれるから、なかなか上がれん」
アズラエルがあわてた。
「ちょっと待て――この階段は、百八段あるぞ!?」
「そうじゃ」
「一日一段じゃ、上がり切れねえだろ!?」
「数字はわしゃ、苦手じゃが――あ~、ロビンはいま、三十三歳か。六十三歳まで寿命がある、三十三年生きたから、残りの寿命は三十年。つまり、自力で上がるには、三十日しかない」
「――!」
「三十日以内に上がり切れない場合はどうするんだ!」
アズラエルたちのときと同様、この階段はいったん上がったら、上がり切らねばならない。階段を上がり切らないと、この“地獄の審判”は終わらないのだ。
アズラエルが吠えると、ナキジンは言った。
「じゃから、わしらが“ここに”いるんじゃ」
ナキジンはやせ枯れた腕に力をこめ、「ふんぬ」といわんばかりに鼻息を噴いた。
「わしは宇宙船生まれじゃがの、L02の天使の血を引いとる。――この商店街のモンは、長寿の血の持つモンばかりが集まっとるんじゃ」
わしらが、ロビンに寿命を分ける。
ナキジンの言葉に、アズラエルたちは目を見開いた。
「君たちは、この――“地獄の審判”があったときのためにここに住んでいるのか」
クラウドが聞くと、ナキジンはうなずいた。
「わしらみたいに、三百年も寿命がある連中は、五年かそこら寿命を分けたって、たいしたことはないからの。献血みたいなもんじゃ、ホレ、献血!」
ナキジンは、自分の腕をペチペチ叩いた。
「あの砂時計に、利き腕を入れて、『五年』だの『三年』だの言えば、砂時計がちゃあんとそれだけ吸い取ってくれる」
「でも、そうやって寿命を足してもらっても、上がったときにゼロだったら、」
クラウドは言ったが、ナキジンは安心させるように、クラウドの肩をたたいた。
「階段を上がり切れば、寿命はもとにもどる。罪がすっかり消えれば、寿命が延びるケースだってあるんじゃ。だから、そのあたりは心配いらん――ン?」
ナキジンの携帯から、現状とは無縁なほど陽気な、流行りのアイドルグループの曲が流れ出した。
「どうした?」
ナキジンが電話に出ると、相手は、砂時計の周りにいる、若者のひとりだった。
『ナキじーちゃん! たいへんだよお! 砂時計に腕入んない!』
「なんじゃとオ!?」
『だれがやっても無理! イシュマールさんも首傾げてる! ちょっと来て!』
「わかった、わかった。ちょい待っとれよ!」
ナキジンは電話を切った。
「ミシェルはここに寝かしときなさい――おまえさんらもおいで」
ナキジンが呼ぶと、紅葉庵の看板娘が毛布を抱えて店内から走ってきた。
「ルナも、ここへおりなさい」
ナキジンは言ったが、ルナは猛然と首を振った。




