267話 羽ばたきたい椋鳥 Ⅰ 3
「ルゥ」
アズラエルは、なだめるように愛称を口にした。
「たかが階段だ。俺たちだって、上がれたろ」
「まァ多少――ケガすることがあっても、死にはしねえ。アントニオだって、そういってただろうが」
グレンも言った。
「だめですっ!!」
いつになく、ルナは鋭く言った。ロビンも驚いた顔で、頭をかいている。
「うさちゃん、――なにをそんなにビビッてるんだ?」
ン? という顔でロビンはしゃがみこみ、ルナの顔を覗き込んだ。ルナは、必死な顔で首を振り、ドアの前をどかない。ルナの顔は、青ざめてさえいた。
「だめ。あれはだめ。あれはだめ。地獄だもの!」
「傭兵が、地獄を怖がるもんか」
ロビンは笑ったが、ルナはどかない。
「あたしもルナに賛成」
ミシェルまで、ルナと一緒にドアの前に立った。
「マジで、いやな予感がする。ナキじーちゃんがやめろって言ったのに、上がっちゃダメだよ」
筋肉兄弟と、女には格段にヨワいロビンが、顔を見合わせた。
「ミシェル、ジジイはやめろって言ったんじゃなく、帰れって言ったんだよ」
心配するなと言わんばかりにロビンが肩をすくめたが、ミシェルは怒鳴った。クラウドも驚くほどの勢いで。
「どっちだって一緒よ! やめたほうがいいっていうのに、どうして聞かないのよ!!」
――ルナとミシェルの、この異様な拒絶の仕方はなんだ。
ここでなんとなく、やめた方がいいのかもしれないと気付いたのは、グレンだけだった。
鈍いアズラエルはともかく、いつもなら、クラウドもこのあたりで気づくのがふつうだったが、大嫌いなロビンのこととなっては、クラウドの勘も鈍くなるようだった。
「ルナ、そんなにやべえのか」
グレンが聞くと、ルナは目にいっぱい涙をためだした。グレンは「やめたほうがいい」のだと、本気で悟った。
「チッ、しょうがねえな。じゃァやっぱ、演習で――」
「こうしよう」
クラウドが提案した。
「上がっちゃダメなら、ナキジンさんが止めるだろ。行って、聞いてみてからにしたら」
「ら・め・で・すっ!!!」
ルナがモギャーと暴れ出した。びったん! びったん! びったん! 勢いよく飛び跳ねだした。
このウサギの怒りようは、クラウドが、ララに絵を渡さなかったときと同じだ。
「だめ! だめ! だめ! ぜったいだめっ!!」
ルナの、常にない大声に驚いたのか、レオナの子が盛大に泣く声が、リビングまで届いた。
「お、おいおい? うさちゃん、どうしたんだ」
バーガスも不審を感じて、リビングに顔を出した。
「バーガス! ルナとミシェルを、つかまえといてくれ!」
「あ?」
「ロビンを合法的に、ぶん殴りに行く」
「お、おお?」
アズラエルはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、玄関ドアを開けた。
「おい、アズラエ……」
グレンが止めようとしたが、今度はアズラエルとクラウドが、ロビンを連行していく。
「モギャー! らめですううううう!!!!」
「ちょ、待ちなさいよこのバカどもおおおお!!!」
バーガスは、意味も分からず、とりあえず、ちびうさとちびネコを両腕で羽交い絞めにした。小動物たちは暴れたが、白クマにとっ捕まえられては、身動きが取れないのだった。
「心配すんな♪ ハニーたち。こいつらには悪いが、俺がふたりとも沈めて終了だ」
「「「俺のハニーだ!」」」
トラとライオンの遠吠えが重なったが、ロビンはほがらかに笑って、玄関を出ていった。
ルナはその後ろ姿に、夢で見た椋鳥の大きな背中が重なって、青ざめた。
「ない! ない! ない!」
「どこいったのあたしのカード!」
バーガスから解放されたルナとミシェルは、すぐにシャインで男たちを追おうと思ったが、シャイン・システムをつかえるカードが、どこにも見当たらない。
ふたりは財布とカバンをひっくり返して探したが、出てこなかった。
「なんでこんなときに、カードがないのよっ!!」
デジャヴュである。真砂名神社の星守りを買いに行くときも、これと似たようなことが起こった。
ルナとミシェルは、互いに不安な顔を見合わせた。
「まだ――上がってなきゃいいけど」
「あ、あ、あった!」
ルナのカードは、ルナが昨日はいていたジーンズのポケットから見つかり、ミシェルのカードは、別のバッグから見つかった。
もうだいぶ、時間がたっている。ウサギとネコは、猛烈な勢いで家の庭のシャイン・ボックスに飛び込み、K05区のボタンを押した。
あわてたせいで、商店街の入り口に出てしまった。鳥居があるところだ。
「あたし、紅葉庵に行ってナキじーちゃん呼んでくるから、ルナはロビンを止めて」
「う、うん!」
低速ウサギよりよほど足が速いミシェルは、いち早く階段にたどりついた。まだロビンは上がっていない。ミシェルはほっとして、クラウドを探した。
クラウドの姿がない。ナキジンを呼びに行ったのだろうか。
階段の手前で、アズラエルとグレンが、なにか言い争いをしている。
ミシェルは、紅葉庵に入るまえに、階段手前の、三人のもとへ駆けつけた。
「ちょっと! 上がらないでって言ったでしょ!」
「ミシェル」
ロビンは再び歓迎の両腕を広げたが、それがよくなかった。
紅葉庵から、ナキジンと一緒にもどってきたクラウドが、「ミシェルに触らないで!」と怒鳴った。
強い風が吹いたのは、だれのせいでもなかった。
ナキジンの麦わら帽子が、飛んだのも――。
ロビンに怒鳴っていたために、クラウドは飛んだ麦わら帽子をキャッチしきれなかった。
飛んだ帽子を、ひょいと手を伸ばして受け止めたのは、ロビンだった。
「うわちゃああああーっ!」
奇声が飛び出たのは、ナキジンの口からだった。ナキジンが見ていたのは、ロビンの足元だ。
ロビンの足は、帽子を取った勢いで、階段の一段目に上がっていた。
「イカン! アカン! ダメじゃ!」
ナキジンは、ない髪をひっつかむかのように頭を抱えて叫んだが、もう遅かった。
階段は、ロビンの足元から、黒色化していく。
白い布を、黒い染料の水に落としたように――階下から頂上に向かって、みるみる黒が。
ものすごい速度で、浸食していく。
やっと階段まで来たルナも、アズラエルたちも、その異様な光景に目を見張った。
(この階段)
ルナは、今朝見た夢を思い出した。
「たいへんだ……」
椋鳥が向かっていったアトラクション。真っ黒な階段。空には稲光が光り、恐ろしい轟音がなり響く、不気味な――。
「地獄の……審判だ……」




