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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~羽ばたきたい椋鳥篇~
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267話 羽ばたきたい椋鳥 Ⅰ 2


「ルナちゃん、これは?」

「あ、うん、これはね、うさこがゆったの。――なんだか意味深だったから、それだけべつに書いといた」


 ルナは、ぽてりとクラウドの向かいに座り、言った。


「プロメテウスって、ギリシャ神話のプロメテウスかな?」


 クラウドは、ルナも結構な本好きだったことを思い出した。


「いや――このプロメテウスは、きっとそれじゃない」

「だよね」

 ルナもうなずいた。

「プロメテウスってゆったら、火だもんね。イメージ的に。じんるいに火をさずけた神様だから。じゃあ、涙ってなんだろう?」

「さあ――」

「ねえねえ、クラウド、マァトってなに?」

「マァト?」


 日記帳を読みたいのだが、ルナが話しかけてくる。クラウドはしかたなく顔を上げた。


「マァト――そっちは多分、地球時代のエジプト神話。マァトの羽は、魂の罪の重さをはかるんだ。天秤に、死者の心臓とマァトの羽を乗せて――」

「うさこが、その天秤をつかってたのかな? 羽ばたきたい椋鳥さんの羽を、天秤に乗せて、“マァト”ってゆった」

「え?」

「羽ばたきたい椋鳥さんの羽は、すごく重たかったの。ものすごい音がして、お皿がかたむいたよ」


 クラウドは目を見張った。


「ルナちゃん――そのこと、書いてある?」

「うん」


 あわてて、ルナの記録へ目を落とした。そのときだった。

 インターフォンが鳴ったので、クラウドも反射的にドアのほうを見、ルナのウサ耳もぴーん! と立った。


「だれかな? ゆうびんやさん?」


 ルナがたちどころに駈け出していく。pi=poとどちらが早いか――廊下に出ると、つきあたりから、階下のリビングと玄関を見渡せるのだ。


 ルナはドアを開けっ放しで出ていき、廊下のはじでなにか叫んだ。クラウドには聞こえなかったが、ぱたぱたーっともどってきて、顔だけ部屋に突っ込むと、

「クラウド! ロビンさんだよっ」

 そういって、通り過ぎて行った。


「ロビンだって?」

 クラウドは、結局、ルナの日記をほとんど読めずに部屋を出た。

 

 ほんとうに、ロビンだった。リビングにいたグレンが、彼を招き入れていた。


「なんだ? めずらしいじゃねえか」


 キッチンにいたアズラエルも顔を出した。たしかにめずらしいとクラウドも思った。

 バーベキュー・パーティーでもないのに、ロビンが来るなんて。

 エミリから、勝手に子ども時代の話を聞いたことで、文句でも言いに来たかとクラウドが思ったが、そうでもないらしい。


「アズラエル。ちょっと聞きてえことがあるんだが」


 大広間のソファに座り、妙に真面目な顔で、アズラエルが座るのを待っているロビンは、たしかに不気味だった。アズラエルは、ロビンの向かいに腰かけ、ロビンの言葉を待ったが、彼はなにもいわない。


 彼にしては、潔くない。口に出すことを、ためらっているように見えた。

 ――じつに、不気味極まりなかった。


「……」

「……」


 沈黙に、アズラエルが耐え切れなくなってきたとき、セシルがちょうどいいタイミングで、紅茶を持ってきてくれた。


「やあセシル。今日も綺麗だな」


 ロビンは、たとえどんな真面目な顔をしていてもロビンだった。セシルは肩をすくめてもどっていく。


「ベッタラなんかやめて、俺にしろよ」というロビンの余計なひとことには、「アンタよりは、百億倍もあのひとのほうが素敵だね」という言葉の平手打ちをかました。


 ロビンがロビンであったことに、多少の安堵(あんど)を覚えたアズラエルは、「聞きたいことって?」とあらためて尋ねた。

 仕事以外で、男に用などあるはずもないロビンである。


「ン~……」


 ロビンは、苦り切った顔で紅茶を口にした。セシルの()れた紅茶は、苦いわけでもなかった。すでに砂糖が入っている。

 やがてロビンは、だいぶ重い口を開いた。


「あの真砂名(まさな)神社の階段ってのァ――なんなんだ?」

「……」


 アズラエルは、用件が分かって拍子抜けした。あの話は、レオナたちの出産見舞いのときに、終わったと思っていた。ロビンがいつまでも、あの階段のことを気にかけているなどとは、思わなかったのだ。


「あの階段は――」

「なんだ、おまえ、まだ上がれねえのか」

「上がれないのに、気になるわけ?」


 ロビンをいじめる機会ができて大喜びの、大人気ない大人二名――が紅茶を手に、ロビンを挟んで座った。

 前者はグレン、後者はクラウドである。だが、ロビンは今回、ふたりを相手にしなかった。目線は真向かい。アズラエルから動かないまま。


「このあいだ行ったら、紅葉庵(もみじあん)とかいう店のジジイが、俺に飴玉握らせて、帰れって言ったんだ」

「あ? どういうことだ」


「ナキじーちゃんが?」

 ミシェルが、その言葉を聞きつけて寄ってきた。


「よお♪ ミシェル、あいかわらず最高のキュートさだぜ♪」


 ロビンは両手を広げて歓迎の意を示したが、ロビンの隣に、ミシェルのスペースはなかった。むくつけき男性が二名、封鎖している。


「真面目に聞いてるの。――マジ? ナキじーちゃんが帰れって言ったの?」


 ミシェルの真剣な顔に、ロビンはふざけるのをやめた。


「ああ」

「……」


 ミシェルは、真砂名神社の川原でイシュマールと絵を描くことをはじめてから、商店街の面々とも親しくなっていた。紅葉庵には、イシュマールとよくおやつを食べに行く。


「そのときロビンは、階段の前にいたの? 自分からナキじーちゃんに話しかけたわけでもなく?」

「ああ。俺は、階段の前っていうより――だいぶ離れたところにいたが。階段を見てたんだ。そうしたら、うしろから、その爺さんがやってきて……」

「ナキじーちゃんが帰れっていうってことは、きっとなにか、意味があるんだよ」

「意味?」


 ロビンは聞いたが、「ロビンは、あの階段、上がらないほうがいいよ」とミシェルはきっぱり言った。


 ロビンは、自身でも、あの階段は自分には不要なものだと思ってきた。正確にいうと、ナキじーちゃんとかいう爺さんも、「おまえさんには必要ない」と言ったのだ。


 たしかに上がってみようと思っても、なかなか上がれなかったわけだが、特にあの階段を上がらなければならないという理由も見当たらなかった。


 あの階段に出会ってから、自分はどうも様子がおかしい。階段は気になるし――おそらくそれは、ふつうの階段なのになぜか上がれないという――どうして自分だけが上がれないのだという疑問から来ているものだと思われる。

 それに、子ども時代の夢など見るし。あげくに、自分が記憶喪失ではないかという疑いまで出てきた。

 とりあえず、階段の正体ぐらい、知っておくべきだと思ったわけである。


 なにしろ、どんなアクロバティック・コースか知らないが、アズラエルとグレンは、あの階段で満身創痍(まんしんそうい)となったわけであるからして――。


 だが、ここではじめて、「あの階段は上がるな」という決定的な言葉が与えられた。


「つまり――なんなんだ? あの階段は?」


 ミシェルの返事を待たずに、そのロビンの両腕をつかんで引き上げた男がふたりいた。今度は、アズラエルとグレンである。


「意味だかなんだか知らねえが、俺たちが上がらせてやる」

「アクロバティック・コースへ出発だぜロビン」


 筋肉兄弟の笑みは凶悪だった。


「あァ? やっぱ、なにかあンのか、あの階段」

「自分で体験してみるのが一番だ」


 もっともらしいことを言ったアズラエルだが、完全に悪事を企んでいる顔だ。

 そういえば、とクラウドは思い出した。

 ロビンがイマリたちを利用した件で、アズラエルもグレンも、宇宙船を降ろされるところだった――それに腹を立てたふたりが、「合法的にロビンを殴る」と息巻いていたのを思い出したわけである。

 まァ、合法的に殴る、の意味は、ジムかどこかで演習でもして、徹底的にぶちのめしてやる、の意味だっただろうが――。


(予定変更というわけか?)


 まあ、真砂名神社の階段を上がることも、楽ではない。


 クラウドも、はじめて上がったときはだいぶ疲弊(ひへい)したし、ロビンもおそらくは、カンタンには上がれないだろう。ロビンがヒイヒイフウフウいうのを見て、ふたりが笑い転げるつもりなのだということは、クラウドにも想像できた。


 そしてクラウドに、止める理由はなかった。


 アズラエルたちが、あの階段で尋常(じんじょう)ではない過酷な目に遭ったのは、彼らがアストロスの武神だったからだ。


 ロビンの場合、今のところそういった儀式は予定されていないし、クラウドたちが最初に上がったときと、大体同じレベルのしんどさだろう。


 ――クラウドは、あとから、ルナの日記帳を読んでおかなかったことを悔やんだ。

 日記帳を読んでいたら、気づいていたかもしれないのに。


「やっぱりあの階段、アクロバティック・コースか」

 ロビンは嘆息して、ふたりの腕を振り払った。

「野郎と腕を組むなんて、ぞっとするぜ。とりあえず放せ。一緒に行くから」

 逆らう気はないようだった。

「どんなコースだろうが、かまわねえよ。なまった身体のリハビリにはもってこいだ」


「いつまでその減らず口が叩けるかな」

「おまえも、無傷じゃすまねえぞ」

「そんな言葉で、俺が引くと思ってンのか」


 ロビンは口の端を引き上げて不敵に笑った。怯む様子はまったくなかった。ふたりの大ケガを見ていたのに。


 ――怯んだ方がよかったのかもしれない。

 ロビンが、臆病者のほうが、よかった。

 あとからアズラエルたちは、どれだけそう思ったかしれない。


 玄関から出ようとしたところで、小さな身体がとおせんぼしていたので、ロビンだけではなく、筋肉兄弟も戸惑った。

 ウサギは、ぷっくりほっぺたの顔をして、ドアをふさいでいた。


「だめです」

 ウサギは座った目をして猛者(もさ)どもを(にら)んだ。

「だめです。いやなよかんがします。ロビンさんは、あの階段あがっちゃだめ」




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