266話 プラン・パンドラとムクドリの正体 2
クラウドはそのころ、ロビンのマンションのまえにいた。
椋鳥の件さえなければ、クラウドはロビンと髪の毛ひとすじたりとも関わっていたくなどないというのに。
(――仕事だ、仕事)
割り切れ。
クラウドは自分にそう言い聞かせて、ロビンの部屋のインターフォンを押した。
「ロビン!?」
ドアを開けて飛び出してきたのは、むさいロビンではなく、美女だった。クラウドは、その美女に見覚えがあった。
「エミリ?」
「ク――クラウド、ね?」
互いに、名と顔は知っていたようだ。クラウドは驚異的な記憶力のせいで、ロビンのそばの、入れ替わりの激しい女たちの顔と名全員を、覚えたくもないのに覚えてしまうが、驚異的な記憶力がなくても、エミリの存在は覚えるはずだった。
ラガーの店長も、アズラエルでさえも知っている。ロビンの女の中では、一番長続きしている女だから。
「ロビンはいないの」
エミリが、ロビンが帰ってきたのだと思って、ドアを開けたのは明白だった。化粧をしていない彼女の頬は、涙で濡れていた。
「どうしたの。ケンカでもした?」
クラウドが聞くと、エミリは首を振った。
「話を聞いて。クラウド」
彼女は、クラウドの手を取った。
「ロビンは、危険な任務に向かうのかしら? だからあんなことを?」
ずいぶん、狼狽している。クラウドは彼女を落ち着かせようと、手を握り直した。他意はない。
(ミシェルごめん)
一応心の中で謝ってから、クラウドは聞いた。
「いったい何があったの」
「ロビンは、朝からおかしかった――そういえば、お祭りがあった日から、なにか変だったわ――ずっと――彼らしくない」
「いいかい? エミリ。よく聞くんだ――俺の目を見て」
クラウドは優しい口調で言った。
「ロビンに大きな任務の依頼はあるが、それはまだ先だ。俺はアズラエルやバーガスと暮らしてる――分かるよね? ロビンと同じ、メフラー商社の傭兵だ。いまのところ、彼らにも任務の依頼はない。ロビンに来たら、彼らも行くだろう――だから、だいじょうぶ。ロビンは、危険な任務に行ったんじゃない。俺が嘘を言っているように見える?」
エミリは、安心のために緊張が切れたのか、その場に泣き崩れた。
「ロビンが、おかしいって?」
クラウドは、自身もしゃがみこんで彼女の背をさすってやりながら、さらに聞いた。
「おかしいの。――彼、過去を知られたくない人だと思っていた」
エミリは涙声で言った。
「なのに、今朝は自分から、子どものころの話をしたわ。――おかしいの。まるで、遺言のよう――」
「子どものころの話だって?」
「エーリヒ!」
「やっと帰ってきたか――君が来なければ、私から行くところだった」
エーリヒは、携帯電話を手にしていた。クラウドの追跡アプリを起動したところだった。クラウドの位置確認をするために。
屋敷に駆け込んできたとたんにクラウドは絶叫した。
「つなが……っ、つながったんだ! 一本線に!」
「私もだよクラウド。まずは落ち着きたまえ」
クラウドは、全速力で駆けて来たのか、肩で息をしていた。
まずはキッチンに駆け込んで水を飲み、エーリヒにうながされて書斎に入ったクラウドは、閉めきったドアに「会議中」の札を掲げて、ソファに腰を下ろした。
「ロビンの過去の話が聞けたんだ。思いもかけず。――それで、つながった」
「私も、ルナから、黒ヘビの話を聞いてね。それで、わかったのさ」
ふたりは互いの話を待つように、一瞬間を置き――クラウドが先に話した。かつて上司と部下だった時代も、クラウドから報告するのが常だったように。
「俺はさっき、二、三確認したいことがあって、ロビンのマンションに行ったが、彼はいなかった」
「ふむ」
「だが、ロビンの恋人のエミリがいた。彼女は、今朝、ロビンがめずらしく過去の話をしたとかで、ずいぶん狼狽していた。危険な任務を前にして、死を覚悟したんじゃないかって――そうでなくても、祭りがあったころから様子がおかしかったらしい。なぐさめて、話を聞き出すのは苦労したが、だいたいの内容を聞くことはできた」
クラウドは、一気にそこまでしゃべって、天井を見つめたまま、ソファに身を沈めた。
「予想してたできごとが、ぶっとんで正解になった」
「ロビン・D・ヴァスカビルはおそらく、一部の記憶を失っている」
「なんだ、そのあたりまでは知っているのか」
クラウドは視線をエーリヒにもどした。
「ロビンの記憶を消したのは、タツキという男だ。ヤマトの頭領の側近」
「そうだったのか」
エーリヒの言葉で、クラウドは真相にだんだん近づいていっていることを知り、興奮を抑えきれないようだった。
「エーリヒ――教えてはならないことなら、言わなくてもいい。だが、ロビンが十歳のころ、“プロメテウスの墓”で会ったのは、現在のヤマトの頭領と、側近のタツキ、それからアーズガルドの現当主、ピーター・S・アーズガルド、そして、オルド・K・フェリクスだな? ああ――当時の名は、ヴォールド・B・アーズガルドか」
「そうだ」
エーリヒはうなずいた。
「私も、ルナに黒ヘビの夢をくわしく聞いたおかげで、疑問が氷解し、一本線につながったのだよ。では、おそらく君が知らんことを教えるとしよう」
「なに?」
「じつは、現ヤマト頭領と、ピーターと、ロビンは、腹違いの兄弟なのだよ」
「なんだって!?」
クラウドは叫び――それからドアを見やって声を低めた。
「兄弟だって?」
クラウドにも、にわかにその事実は受け入れがたかった。
「三人が兄弟? どういったつながりで――」
エーリヒは、テーブルにあったメモ用紙に、さっとボールペンを走らせた。彼が書いたのは、家系図だった。
ピトス(姉)――サイラス・K・アーズガルド(アーズガルド前当主)
息子……ロビン・D・ヴァスカビル
エルピス(妹)――コルドン・G・ヤマト(ヤマト頭領)
末息子……アイゼン・C・ヤマト
※コルドンと、正妻や、他の愛人との間に数人子がいる。
エルピス(妹)――サイラス・K・アーズガルド(アーズガルド前当主)
息子……ピーター・S・アーズガルド(アーズガルド現当主)
クラウドは、額に汗を浮かせたまま、系図を見つめた。今、彼の脳みそは、これ以上ない働きをしているに違いなかった。
「この姉妹――ピトスとエルピスを結ぶものが、“プロメテウスの墓”なんだね」
「そういうことだ」
クラウドが、すっかり覚えた系図をエーリヒに返すと、彼はそれをシュレッダーに突っ込んだ。知れば死を招くほどの機密事項が、みるみる、紙くずになっていく。
「よし、エーリヒ。先に結論から言おう。たがいにね」
「かまわん」
「君から」
エーリヒは、もったいぶる気はなかった。
「ロビン・D・ヴァスカビルは、第一次バブロスカ革命で処刑された、プロメテウス・A・ヴァスカビルの子孫だ。――おそらく、直系の」
クラウドは驚かなかった。用意していた結論は、彼も同じだったのだ。
「彼は、“四つ目の紋章”を受け継いだ、正式なプロメテウスの血筋の継承者なのだ」
二人が導き出した結論は、同じだった。
「ピトスとエルピスが、おそらく“プロメテウス”直系の子孫……」
クラウドは、テーブルを見つめていた。
「エミリの話によると、ロビンの母親であるピトスは、ロビンが十歳のころ亡くなっている。腐ったアパートに住んでいた――隠れ住んでいたということは、ロビンにも自覚はあったらしい。ピトスがドーソン一族に殺されたことははっきりしているから、おそらく、ドーソンから逃げていた。ロビンの父は、前当主のサイラス・K・アーズガルド。もう故人だが――。サイラスが、ドーソンの手から、妻と子を匿い切れなかったのか」
「おそらく、そうだ」
「ピトスの埋葬は、アーズガルドですませたのか――ヤマトか。そのあたりははっきりしないな。だが、ロビンの記憶では、墓で会った子どもも大人も、みんな礼装姿というか、黒ずくめだった。ピトスの葬式の帰りだったかも」
エーリヒが、つづけた。
「“プロメテウスの墓”で、兄弟たちははじめて会った。ヤマトの現頭領が、プロメテウスの墓に詣でるのは毎日の日課で、そこで彼はロビンを見つけた」
「ヤマトの現頭領は、いなくなったピトスの子を知っていた。彼の意志で、おそらくロビンは、メフラー商社へ」
「そうだろうね――ヤマトの現頭領は、当時、ロビンをヤマトへは連れていけなかった。彼が頭領ではなかったから。そして、アーズガルドにも迎えられなかった。ピトスが、逃げ切れずに死んだばかりだ」
「姉のピトスはサイラスと結婚して、ロビンを。妹のエルピスは、同じ時期にヤマトの現頭領を産んだ。ふたりは同い年」
「ふむ」
「エルピスは、ヤマトの現頭領を産んだあと、サイラスと再婚して、ピーターを産んだということか」
「そうなるね」
なんの因果がうずまいているか知らないが、なんとなく、クラウドは「執念」を感じた。ピトスとエルピスの姉妹から――いや。
「ピーターのミドルネームは、サイラスの“S”。ヤマトの現頭領は――ええと――俺は名前を言う気はないけど――ミドルネームはコルドンの“C”だ。ロビンの“D”は、どこから来ている?」
クラウドは、独り言のように言った。
「ピトスは“P”になるだろ?」
ロビンのミドルネームは、SでもPでもない。その疑問はエーリヒが解決した。
「それは私も考えたがね――おそらく、これではないかね」
彼は、またメモ用紙にさらさらと書きつけた。
Descendant.(子孫)。




