265話 ロビンの記憶 2
エミリは、ロビンがつらい話をして、それで詰まってしまったのだと思った。
優しい彼女はロビンの手を取り、「つらい話なら、しなくていいの」と言った。
「いや……」
「……」
ロビンはしばらく考えたが思い出せない。続きを話した。
ロビンは、汚水の匂いがするアパート前の小道に、それから何時間か立っていた。
早く出て行けと、大家に水をぶっかけられた。
それを見ていたはす向かいの酒屋の主人が、「子どもになんてことを!」と、ロビンを店内に連れて行ってくれた。
クッキー缶を買った店の店主だ。ロビンの汚れた身体を拭いて、パンと熱いスープを飲ませてくれた。
「悪ィなァロビン。かわいそうだが、俺も、おまえをここに置いておけねえんだよ」
今思えば酒屋の主人も、そう裕福ではない。だが親切だった。彼はロビンの小さな手に、クッキー缶と同じ代金をにぎらせ、昔なじみの傭兵グループへロビンを連れて行った。
酒屋の主人は、もと傭兵だった。身体を壊して傭兵をやめ、酒屋をひらいたのだ。
酒屋の主人はいい人間だったが、傭兵グループは最悪だった。彼が帰った途端にロビンは殴る蹴るの暴行を受け、金も取られ、宝物が入ったクッキー缶も奪われたので、逃げだしたのだ。
ロビンは傭兵たちに殴られながら思い出した。
「困ったら、“プロメテウスの墓”へ行け」といった母の言葉を。
ロビンは、皆が眠っているすきにクッキー缶を取り返し、“プロメテウスの墓”へ走った。そのときまで、箱は持っていたのだ。
「――と、すると、俺が埋めたのは、ブレンダン・クッキーの箱か」
「?」
エミリは首をかしげた。置いて行かれた彼女とは反対に、ロビンの記憶は徐々によみがえってくる。
“プロメテウスの墓”で、あの少年たちと、“タキ”に出会った。墓の前でひと晩明かし、陽も昇り切らぬころ、少年たちが来たのだ。
彼らは、ロビンを知っていた。――そのあとの記憶が空白だ。
ロビンは、おそらく“タキ”に、メフラー商社へ連れて行かれた。
だがタキは、メフラー商社の人員ではない。傘下の傭兵グループでも、あの顔は見たことがない。
タキの顔も、少年三人の顔も、あれきり見ていない。
あの四歳の子どもだけは、どこかで見たことがあるような気がするのだが。
アマンダが、「今日からあんたはウチの子だよ」と言って、ロビンの手を取ってくれたところはしっかり覚えている。
ロビンの傭兵人生は、そこからはじまった。
そもそも、“プロメテウスの墓”とは、だれの墓だ。
「プロメテウス、とは、地球の物語かしら? ギリシャ神話の、プロメテウス?」
だまって聞いていたエミリが、はじめて口をはさんできた。
「ギリシャ神話?」
「わたし、読んだことがあるわ。プロメテウスは、人類に火を与えた罰として、大神ゼウスに、山にはりつけにされたの。そして生きながら毎日、肝臓をハゲタカについばまれる刑にされたのよ」
エミリは身震いした。
「プロメテウスは、不死だから、肝臓もすぐよみがえるの。半永久的に拷問はつづいたわ――ヘラクレスに助け出されるまで」
「そんな話があるのか」
ロビンは知らなかった。
「だが、俺が見た“プロメテウスの墓”ってのは、そのプロメテウスじゃねえな。――たぶん、ずっと昔の、人間の名だ」
あの墓に眠る“プロメテウス”とは、何者だったのだ?
「いや――待てよ」
ロビンは腕を組んでテーブルを睨んだ。エミリは、ロビンを心配そうに見つめている。
「缶のなかに、写真のきれっぱしみてえなのがあって――そいつだけは、箱から出した」
「……」
「あれは、いっしょにしといたら腐っちまうからって――タキってやつが、出した。――ヨレヨレの写真の紙切れで――だれが映ってたんだっけ――あれは、たしか、」
『こいつは、わしが預かっとく。おまえが独り立ちするときに、ちゃあんと返してやるからな』
メフラー親父が、ロビンから写真の切れ端を預かって、親父の宝物である、ドローレス家族の写真立ての裏に、しまい込んだ。
「ロビン!?」
ロビンがいきなり携帯電話をもって立ち上がったので、エミリは驚いた。彼はボタンを押すのももどかしい勢いで、メフラー商社の番号を呼びだした。
『ンもしもしい?』
呑気な声は、アマンダの息子のマックだ。
「よう、マック」
ロビンは、声だけは冷静につとめた。
『ンン!? もご、ロビンさん!?』
「おまえまだ呑気に朝めしなんか食ってんのか。工場開けてねえんだろ。アマンダに叱られるぞ」
『う、ええっ……か、母ちゃんに言わないで』
情けない声が返ってくる。
「マック。メフラー親父の写真立てあるだろ」
『え? う、うん』
「そいつのうしろに、俺が親父にあずけた写真のきれっぱしが入ってるはずなんだ。ちょっと見てくれ」
『ええっ? 写真立てなら、じいちゃんが持ってっちゃったよ』
「ァあ!?」
ロビンの絶叫。
『写真立てならありますよ~。ドローレスさんたちのですよね? 親父さんが持ってったのは、サブの写真です』
後ろから、シドの声が聞こえた。
『そうだっけ? ちょいシド、じいちゃんの写真立て持ってきて』
電話向こうでガサガサ、カチャカチャと音がする。マックが、写真立てを分解しているのだ。
『あ、あった』
ロビンは、自分が頼んだことなのに、心臓が波打つのを感じた。
「あったか?」
『写真のきれっぱしって――たぶんコレ? なに映ってっかわかんねえよ? すんげえ色褪せちまってて……』
「それだ」
ロビンは、焦りを必死で押さえて、言った。
「悪いが、それをなるべく急ぎでこっちへ送ってくれ。いいか――住所を言うぞ。メモしろ」
『あ、ちょ、ちょっと待って! これ、じいちゃんが大切にしてるやつだろ、勝手に……』
「ドローレスさんたちの写真は親父のモンだが、そのきれっぱしは、俺のモンだ」
『え?』
「むかし、俺が親父に預けたんだ――親父には俺から言っておくから、そいつを早く送ってくれ。急ぎなんだ」
『わ、わかった……』
「丁重に扱ってくれ。なにしろ、ボロボロなんだ。昔俺が持っていたころからな――分かるだろ」
ロビンの剣幕に押され、マックはうなずいた。ロビンは住所と、部屋の電話番号を告げ、電話を切った。
「ロビン?」
エミリが、ロビンの背に手を当てていた。その目は、憂いに溢れていた。
「なんでもねえんだ。――話を聞いてくれてありがとう」
ロビンは、エミリを安心させるように、腰を抱いて額にキスをした。
「俺の話は、これで終わりだ。でかけてくる」




