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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~羽ばたきたい椋鳥篇~
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265話 ロビンの記憶 1


「プロメテウスの涙は、どれだけ大勢の涙があれば、止むのかしらね? それとも、たったひとりの、後悔の涙なのかしら」





 ――ロビンが覚えているのは、ここまでだ。

 (こけ)むした墓のまえに立っている自分。

 背後には子どもが三人、大人が一人。

 自分の手は黒い土にまみれている。なにかを墓の土に埋めたのだ。父親と母親が死んだから、そこに埋めたのか。


 あの墓は、両親の墓? 

 それにしては、ずいぶん古びている。


 違う。うしろにいる少年の一人が、「埋葬はすませた」と言った。

 そう言った少年は同い年の十歳。黒ずくめの変わった格好。キモノというやつか。あとのふたりは、六歳と四歳だったか。ふたりは、子ども用の礼装だ。

 どいつもこいつも黒ずくめだったということは、たしかに葬式があったのかもしれない。


 四歳のあどけない男の子の手を引いてロビンを見据える六歳の子は、六歳とは思えないほどおそろしい目をしていたのを、ロビンは覚えている。

 彼だけではない。四歳の子以外は、みな不気味だった。


 ロビンは突然現れた彼らに、面食らったのだ。――そう。ロビンは彼らと知己(ちき)ではない。

 初対面だった。

 年下の子どもらとの会話はいっさいなかった。けれども、同い年の子とは会話をした。

 いいや、彼としか、話さなかった。


 彼らの名前は?

 思い出せない。


 自分は、土の中になにを埋めたのだ。

 ――覚えていない。

 

「てめえに、傭兵の誇りはあるか」


 自分はなんと答えたのだっけ。


「てめえのおふくろを殺したドーソンを恨んで終わりか?」


 そうだ。俺の母親はドーソンに殺されたのだ。だから自分は、ドーソンが憎い。

 だが父親は?

 両親がふたりいっしょに殺されたのなら、なぜ、「両親を殺した」と言わない?

 母親だけが殺されたのか?

 だが俺には確かに両親がいて――二人とも帰ってこなかった。

 父親はどこへ行った?


 自分がなにかつぶやき、同い年の子がけたたましい笑い声をあげた。そうして言ったのだ。


「いいか。おまえは今から、俺の親友だ。タキが“そうする”。――その言葉を、二十年後も覚えていたなら」


 一番不気味な、同い年の少年がロビンを指さした。


「俺が、おまえの望みをかなえてやるよ」

 




 ロビンは目覚めた。


(タキ、は、大人のほうの名前か)


 あの中で唯一のおとなの名が“タキ”。

 では、あの少年たちの名は?


 タキは、おとなではない。おぼろげな記憶をなんとか呼び起こしても、あれは十代後半くらいの容姿だ。十歳のロビンにはおとなに見えたのだ。

 めずらしく、はっきりとした夢を見たと思ったら、謎ばかりだった。


(もしかして、俺は記憶喪失とかいうやつなのか?)


 ロビンは首を傾げた。

 子どものころの出来事なんて、たいていの人間が忘れているものではないだろうか。

 生活をしていて、常に子どものころの記憶を必要とする人間はいない。忘れていても、別に、かまわない。なんの問題もない。

 思い出せないところで、ロビンの傭兵人生には、何の支障もない。


 ――あの“階段”が、ロビンには不要なように。

 

「ロビン、起きたの」


 ベッド脇に、Tシャツにショートパンツスタイルのエミリが立っていた。


 いつ見ても、うっとりするほどすばらしいプロポーションである。百七十六センチの、ロビンに釣り合う長身に、埋まったら窒息しそうな胸、はちきれそうな尻と長い足。クリーム色の肌はつややかだ。高価な化粧品も飽食状態のセレブたちの中では、稀有(けう)なほどなにもつかっていないのに、エミリは美しい肌をキープしている。


 彼女から香るのは、香ばしいパンとコーヒーの匂い。エミリのつけるパルファンの、さわやかなシトラスの香り。ミドルノートに変わっている気がする。だいぶまえに起きたらしい。


「やめて。傭兵って鼻までいいのね」


 エミリの香りの進展具合を当て、胸元まで顔を近づけて匂いを嗅ぐロビンの頭を、エミリはペチン! とやった。

 かくいうロビンは、すっぽんぽんで毛布にくるまっている。


「わたしまだ、シャワーを浴びてないのに」

「だから、エミリの匂いが残ってる」


 そのままエミリをベッドに引きずり込もうとしたロビンの二の腕を、エミリは叩いた。


「朝食を食べて。わたしの愛しいひと」


 ロビンは起き上がった。動きに合わせて、左肩にある小鳥のシンボルマークが、エミリに向かってキスをするかのように、くちばしを突き出した。


 エミリが地球行き宇宙船に乗ったのは、L51かららしいが、彼女からはまったく家族や職業の匂いがしない。L5系の富裕層出身で家族の影がなく、深窓の令嬢でもないのに職業の気配がしないことから、ロビンはエミリを原住民だととらえていた。


 アズラエルやバーガスの見解も同じだ。L5系の、金を持て余した変態どもに買われた奴隷。


 ラグバダやケトゥインといった、メジャーな原住民にはありがちな、発音のクセがないことから、消去法で、アズラエルは「マレ族」の女じゃねえか、とあたりをつけた。


 マレ族はよく人買いに狙われる。顔立ちが美しいから。

 原住民の中でも美相が多く、おだやかな性質を宿す、少数民族だ。


 彼女の、まるで本を読み上げるように正確な共通語も、それを証明していた。まったく共通語を知らずにいて、買われてから覚えたのだろう。


 エミリに、一度出自を聞いてみたいと思ったことはあったが、ロビンは聞けずにいた。

 お互い、過去があいまいな人間同士でお似合いだ。


 ロビンの取り巻きである女たちは、ララやムスタファのパーティーで知り合った、L5系の富裕層や自称芸能人、モデルがほとんどだが、エミリもそこで知り合った。

 もしかしたら飼い主が、パーティーの中にいたかもしれない。エミリは飽きられたから放っておかれているのか。


 大抵の女が、自分を知ってほしくて、ロビンにいらぬ自己紹介をするのが常だが、エミリだけはそれをしなかった。


 ロビンにこうして朝食をつくったり、部屋に歯ブラシやコップ、下着などをこれ見よがしに置いて、ロビンの特別な女になろうとしたヤツは、それらをまとめてゴミに捨てることで切ってきた。


 エミリは、ロビンの家に私物を置かない。たまに朝食はつくるが、押しつけがましくはない。どんなに女の数が増えようが、文句は言わない。正体不明。

 いまのところ、ミシェルに続いて、長続きしている女だった。


 ロビンが、ミシェルを自分の女として数えていることをクラウドが知ったら、ロビンがまとめて捨てたゴミのように始末されることだけは明白だが。


 ソーセージとマスタードとレタスがトーストの上に乗っていて、それを折りたたんで食べる。爪先まで美しいエミリの指が、それを口に運ぶのをロビンは見た。


「どうしてじっと見るの」

 エミリが困惑したように、ロビンを上目遣いで見返した。

「綺麗だなと思って」

 にっこりと笑うロビンに、うれし気にはにかむ。エミリは可愛い女だった。


「……なァ、エミリは、俺の話を聞きたいとは思わねえのか」


 エミリは不思議そうに首を傾げた。そして、「聞きたい」と笑顔を見せた。

 女たちは、自分を知ってほしいのと同じだけ、ロビンを知りたがる。知りたがらないのはエミリだけだった。ロビンが望む距離を、わきまえているのかもしれない。

 ロビンは、彼女の献身が、どこからくるものかまったくわからなかった。彼女は、いつまでも、ロビンと一緒にいられると思っているのだろうか。


「聞きたいわ。愛しいひと」


 主人を、「愛しいひと」と呼ぶようにしつけられてきたのだろうか。エミリはことあるごとに、ロビンをそう言った。

 ほかの女に言われたら、その時点で切ってやるところだが、エミリの「愛しいひと」には若干(じゃっかん)の悲劇と、素直さが(あふ)れかえっていた。だからロビンには抵抗がなかった。


「俺が両親を亡くしたのは、十歳のときだ」


 思えば、ロビンは、自分の過去をだれかに話すのも、思い返すことさえはじめてだということに気付いた。


 両親が仕事だと出ていって、何日たっただろうか。いつもは一週間ほどで帰ってくる親が、帰ってこなかった。


 親はふたりとも、傭兵だった気がする。

 思い返してみると、そのことさえ、記憶があいまいだ。


(――俺が傭兵だと思い込んでいただけで、本当は違うかもしれない)


 ロビンは、部屋にあった食い物が尽きて、腹が減ったので、置いてあった金で、大きなクッキー缶を買った。

 地球時代の名画でいろどられた、子どもの手にはひと抱えもあるクッキー缶。

 憧れのブレンダン・クッキー。


 近所の酒屋で買った。ホコリをかぶっていて、賞味期限なんて、一年も前に切れていたかもしれない。 


 なにせ、このスラム街で、これを買ってもらえる子どもはいない。軍人の子どもしか買ってもらえないようなしろものだったことだけはたしかだ。


 なぜ、あんな古びた店にあったかはしれないが、当時、CMでもよく宣伝していた、人気のクッキーだった。

 クッキー缶を買ったおかげで、金はなくなった。


 二週間、三週間――親は帰ってこない。

 親が死んだかもしれないという自覚はなかった。


 ロビンは、傭兵の学校にも行っていなかった。隠れて暮らしていたような気がする。今思えば、十歳にしては、あまりにも分別がなかった。世間と隔絶され、親の顔くらいしか知らない生活をしていた。

 記憶があやふやなのも、そのころの自分が、あまりにも分別がなかったからだろうか。


 腹が減って、食べ物を盗むということもしなかった。というより、思い及ばなかったのだ。

 だまって、部屋で両親が帰ってくるのを待ちつづけた。

 すこしずつ減らしていた、クッキー缶の中身も尽き、ロビンは飢えた。


 家賃を取りに来た大家が、ロビンの親が帰ってこないと聞いて仰天(ぎょうてん)したのを、ロビンは覚えている。


 そのままロビンは、寒空の雨雪降る中、放り出された。ロビンは空になったブレンダン・クッキーの箱の中に、宝物を入れていた。それだけを持って、アパートを追い出された。


「……」

「どうしたの? ロビン」


 ――宝物とはなんだった? 


 ロビンは詰まった。

 あのクッキー缶の中には、なにを入れていたのだっけ?




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