31話 ルナ Ⅰ 3
「ちょっと早いが、あと十分ほどで今日は終了とする。各自あと1コースずつで上がっていい」
皆、バラバラともとの場所へもどっていく。
「ルナ」
アズラエルが出て行った入口を眺めていたルナは、グレンに肩をつかまれていた。
グレンは相変わらず怖い顔で言った。
「大丈夫か。アイツになにかされたのか」
アイツって、アズラエルだろうか。
ルナは正直に言った。
「ひどいよ。三十八口径の銃に弾丸つめてそこにおいて、あたしに先にやれってゆったの」
グレンが呆れ果てた顔で嘆息した。
「気をつけて見てねえおまえもどうかと思うがな。見れば一目瞭然だろ、二十二口径じゃねえってことは。しかもなんでか知らねえが、ゴーグルまでつけてるし。そういう悪戯にひっかかるおまえも、……ま、おまえだしな」
おまえだしなって。
教官にもアズラエルにも言われたルナは、ちょっと落ち込んだ。
「ほかになにもされてねえんだよな?」
「ほかにって?」
「……いや、いい。時間まで俺が見ててやるよ。腕は大丈夫なのか?」
「とっても痛いです……」
「腕出してみろ」
グレンがルナの袖をめくると、赤くなっていた。
「脱臼はしてねえな。だいじょうぶだ。念のため、医務室行くか?」
ルナは首を振った。ひととおり撃ち終えた者から、射撃場を出ていく。
「ま、いいか今日は。便乗してもう出ようぜ。教官もいねえし」
グレンが言うので、ルナは一緒に出た。
「あーっ!」
めのまえの、あまりにショックな光景に、ルナはさすがに絶叫した。
射撃場の隅に置いてあったルナの弁当が、なかったのだ。
ない、ない、と目を皿にしてあたりを探したルナだったが、どこにも見当たらない。念のためと、ゴミ捨て場にいったグレンが大当たりだった。彼は嘆息して、空の弁当箱と水筒を引っさげて帰ってきた。ご丁寧に、中身はすべてゴミ箱に捨てられていたらしい。
「しんじらんない……」
「俺もショックだよ……」
おまえの弁当だけを楽しみに、今日がんばってたのにな、とルナ以上のテンションの低さでグレンが打ち伏した。三段重ねの大きな重箱だった。ルナ一人で食べるわけがない。多分、グレンと一緒に食べようと思ってつくってきたのだ。
それに。
記憶が正しければ、今日はグレンの誕生日だった。
この、射撃訓練の日。
「すっげえうまそうな中身が、全部ゴミ行きだった」
ありえねえ、とグレンは脱力して座り込んでしまった。ルナもたしかにショックだったが、これは夢だし――実際に自分が作ったわけではないので、まだ耐えられた。それよりも、グレンの落ち込みようがひどくて、逆に自分が落ち込めなかった。
「おまえ、アレすげえ手間かけて作ったんだろ……? ゴメンな」
「どうしてグレンが謝るの」
でも、一体だれだ。こんなことをしたのは。
こんないやがらせ。もしかしたら、さっきのグレン狙いだっていってた子だろうか。
それとも、こそこそと後ろでうわさ話をしていたふたり?
「もしかして、グレンのこと好きな子とかかな……」
「……おまえのこと好きなやつなんじゃねえの」
互いの顔を見、同時に嘆息した。立ち直ったのはルナの方が先だった。
「落ち込んでても始まらないのです! グレンはあたしのおうちに来るのです! 美味しいもの作るから!」
グレンが戸惑った顔をした。
「無理だろそれ。お前の親に、俺たちのつきあいは反対されてんだし」
「そ――そうだっけ」
ルナは慌てふためいた。
「じゃ、じゃあ、どっか、……どっかいこうよ、ご飯食べに。ふたりで」
ルナはL18のことなどなにも知らないし、おいしい店など知らなかったが――このまま、帰るわけにはいかない気がした。
「グレンさま」
唐突に聞こえた声に、ルナのウサ耳も跳ね上がったが、うずくまっていたグレンの顔がはじかれるように上がった。そばにいたのは、初老の紳士。
「お迎えにあがりました」
校庭から見える門の奥に、黒い大きな高級車が横付けにされている。
「はァ?」
グレンが変な顔をした。
「なんで今日にかぎって。しばらくは生徒会の仕事で忙しいから、いらねえっつったろ」
「はい。ですがお見合いは今日でございます」
「断れっつったろ! いいから!」
グレンが声を荒げた。
「お断り申し上げるのですね、分かりました」
初老の紳士はあっさり引き下がったが、グレンがますます変な顔をする。紳士が、ちらとルナを見た。なんだか、申し訳なさそうな顔だった。
「ルナー!」
迎えに来たのは、グレンの執事だけではなかった。
「ママ!?」
ルナのウサ耳はこれでもかと跳ねた。
どうして、こんなところに母が。
ルナの母は、軍服は着ていない。ニットとスカート姿――見慣れたいつもの格好だ。
母親は紳士とグレンに会釈し、ルナの腕を引っ張った。
「さ、帰りましょ。……グレンさま、申し訳ありません。今日、ルナは用事があって」
「なにそれ! そんなの聞いてない!!」
聞いていない。条件反射で言った言葉だったが。
夢の中なのでそれを聞いているはずはないのだが、グレンはあきらめたように小さく嘆息すると、
「……そうですか。じゃ、また今度な、ルナ」
彼もあっさり、それを承諾する。
「グレン!」
ルナは思わずグレンに駆け寄って袖をつかんだが。
「しかたねえよ、今日は帰りな。こんなとこで意地はって、完全につきあい禁止になるのは俺もイヤだからな」
「……だって。誕生日なのに……」
グレンが笑って、ルナの頭を撫でてくれた。
「気持ちだけでうれしいよ俺は。こりずにまたつくってくれよ。楽しみにしてるから」
「うん……」
ルナがうつむいたままでいると、グレンが先に踵を返して車の方に行ってしまった。捨てられてしまったことを悟られないようにするために、弁当箱を持ったまま。
もし、母親が現れなかったら、ルナはグレンの夢で見たように、グレンのお屋敷にもどって、いとこやともだちとグレンの誕生日を祝ったのだろうか。
先日の夢で見たように。
現実では、グレンやアズラエルの十六歳ころには、ルナは九つかそこらだ。
ルナはドアの前に、「もしものおはなし」と書いてあったことを思い出した。
(もしも、あたしが、グレンやアズと同い年だったら)
もしかして、軍事惑星群で育っていたら。
こんなこともあったかもしれない? もしかしたら、あのパーティーに、自分もいたかもしれない。
ルナはなんともいえない顔で、グレンの背を見送った。
「ルナ。このまま美容院行くわね。予約してあるから」
「……今日、なにかあるの?」
「とにかく素直に行ってちょうだい。今日のところは」
「なにかがあるのかな!?」
ルナはふたたび歯をむき出したが、母親はペンギンみたいに手をバタバタさせて威嚇した。母親のクセだ。
「なにかがあるのよ!! だから行くの!!」
ミニチュア親子は、歯をむき出しながら威嚇しあったが、最終的に折れたのはルナだった。
ルナは腹が立って、母の運転する助手席ではなく、後部座席に乗って不貞腐れていた。
今日は、グレンの誕生日だったのだ。あの、前の夢でグレンの口から聞いたように、射撃訓練であんなことがあって、おまけにお弁当は捨てられている。
(……ホントに散々な誕生日だ)
これはしょせん夢だし、ルナの過去と言いながらも、ルナは軍事惑星生まれではないし、グレンたちと同い年ではないので、正しい過去ではないのだろう。
これは、「もしものおはなし」である。
でも、ルナはグレンのそばにいてあげたかった。いっしょに、誕生日を祝ってあげたかった。考えていたら、ちょっと泣けてきた。
「今日、グレンの誕生日だったんだよ?」
ルナはしつこく、歯をむき出した。
「あんた、すごいはりきってお弁当作ってあげたじゃない」
まさか捨てられたとは言えず、ルナは口をつぐんだ。
「ルナ」
母親の口調がちょっと遠慮がちになる。これは、なにか言いにくいことを言おうとするときの母のクセだ。
「……あのね。パパもグレンさまと付き合うの、いい顔してないの分かってるわよね?」
『グレンさま』。
ルナはいきなり気づいて目を丸くした。――そういえばさっきも、母親はグレンや執事に対して敬語で、しかも『さま』付けで呼んでいた気がする。
身分差があるのだ。グレンとルナたちの間には。
それがわかって、ルナは何とも言えない気持ちになった。
「ママ、グレンさまがルナのこと気に入ってくれているのは分かる。遊びじゃないってことも。あのひとはわたしたちにも礼儀正しいし、彼と彼のお父様は、傭兵を差別することはないしね。執事さんも、いい方だった。だけど、彼のおうちはそうじゃない。ドーソン家はL18でも有名な名門だから、いろいろよくない噂もあるの知ってるわよね?」
「……」
ルナは、返事ができなかった。
「あんたも真面目だし、グレンさまもあんたと真面目に交際してるの、ママもパパもよく知ってる。だからこそ余計に心配なの」
ルナのほっぺたは、徐々にふくらみはじめた。
「ママとパパ、グレンさまのお父さま――バクスターさまとお話ししたの」
「ほあっ!?」
ふくらんだほっぺたは、一気にしぼんだ。
「驚くのもわかるわ」
母親のうなずきは、「傭兵が、直接ドーソン家の偉い人とお話ししたことに」驚くのも無理はない、というニュアンスだった。
「ママたちが行ったんじゃないのよ。ドーソン本家になんか、行けるわけないわ。あんたとグレンさまがつきあってること、だれかから聞いたみたいで、バクスター中佐が、こっそりあたしたちのところに来たのよ。中佐はいい方だったわよ? グレンさまのお母さまが、もとL44の娼婦さんだったのは、みんな言わないけど知ってること。彼はね、自分も好きな人と結婚したのだから、グレンさまとルナのことを反対する気はない。……でもね、グレンさまが家を継がないと約束しないかぎり、ルナとの交際は許すことはできないって」
家を、「継がない」かぎり?
「中佐も、うまく言えなくて困っているようだったけど、それだけドーソンのおうちは、――危険なのよ。認められない結婚で、中佐もものすごく苦労されたらしいし。中佐もルナのことを思って言っているの。わたしも、パパもよ。グレンさまはあなたとの交際を中佐に言っていないみたいだったけど、――ね、あなたたちが真剣な付き合いであればあるほど、みんな心配なの」
――一体これは、なんのための夢なのだろう。
射撃場の一件を見せるためなのだろうか。なら、あれが終わった時点で、時計のねじは巻かれているはずだ。
時計の音はしない。なぜ。
夢は終わっていない。
まだなにか、見せたいものがあるというのか。
(うさちゃん、シロクマおじいちゃん、いったい、どういうこと?)
ルナが車の窓から外を見たとたん、窓に導きの子ウサギの姿が映った。
あの、懐中時計を首から下げている。
かち、かち、かち。
時計が三回鳴った。




