263話 パズル Ⅱ 1
「報告が遅ェよ、ピーター」
L09のスペース・ステーションでは、アイゼンが苛立つ様子を隠しもせず、足を踏み鳴らしていた。
「グズグズしてっと、てめえの可愛いオルドを食っちまうぞ!」
『すまん。俺もこう見えて多忙でね――ウチの特殊部隊は予定通り出航した。明日にも所定の場所で、合流できる』
「てめえが、俺に話があると言ったんだぞ。俺はさっさと作戦に入りてえんだ」
『だから、すまないと言っただろう。これでも、俺は悩んだんだ、かなり』
電話向こうのピーターの声は元気がなかったが、それが作為か真実かは、アイゼンは見抜くことができた。ピーターとは長い付き合いだ。
『……オルドは?』
「近くにゃいねえよ。今回のミッションはアイツが中心だ」
アイゼンは高笑いした。
「オルドの野郎! 俺を見てなんて言ったと思う? 『はじめまして』だとよ!」
『無理もない。オルドはまだ四つだったんだから。“あのときのこと”を覚えていなくても』
苦笑するピーターの声は正常だ。
「なァおい、ピーター」
アイゼンは舌なめずりをした。
「ロビンがアイツを欲しがってるのは知ってただろう。ロビンにやれ。ロビンがもどったら、アイツをロビンの補佐にする」
『……』
「オルドはいい傭兵だ。傭兵のしたたかさも、軍人のカタさも、両方持ってる。へへ……いい傭兵だ。ロビンにくれてやれ。俺に寄こすよりマシだろう」
沈黙がややあって、ピーターが嘆息交じりに返した。
『オルドはアーズガルドの“人材”だよ。俺の秘書だ』
ピーターの声音が、L03の凍土を連想させる声に変わる。
『――言っただろ、兄さん』
「兄さん? いきなり薄気味悪ィこというんじゃねえよ」
アイゼンは顔をしかめた。
「おまえの兄貴はロビンだろ」
『あんたもだ。弟のものに手を出すな。オルドに触れたら、その指からもぐぞ』
「いうようになったじゃねえか! この俺に!」
『ロビンが宇宙船からもどるという保証はないよ。やるなら、傭兵グループ三社だけでやるべきだ。第一、きっと彼は何も覚えていない。跡継ぎ問題でややこしくならないように、タツキが記憶を消したろう』
「ダメだ。プロメテウスの血脈は必要だ」
『俺も、あんたも、その血を引いてる』
「“紋章”を受け継いだのは、ロビンだ。ロビンじゃなくちゃ、ダメなんだよ」
『……』
「いざとなったら、“階段”を上がらせるまでさ」
『――俺たちが上がった、あの“階段”か』
ピーターの声に、ほんの少し人の情が籠もった。
『彼が、上がり切れるかどうか』
「上がるさ」
アイゼンは笑った。
「上がれないヤツに用はない。それだけの人間だったってことだ」
『……』
「なァピーター。俺は知ってるんだぜ。心理作戦部に拘束された、L03の予言師だかが、プロメテウスの墓のことを吐いたようだが、ダグラスに、墓の場所を教えたのはおまえだ」
『……』
「おまえ、なにを企んでる」
『なにを?』
「白龍グループも、メフラー商社も、一番警戒してるのはおまえだよ、ピーター。アーズガルドを真っ二つに割りやがって。いらねえモンはあっさり切り捨てか。さすがの俺も、おまえほど思い切ったことはできねえよ――アミザのことを言えた義理か」
『俺たちはみんなそろって“母親”に似たんだよ。――怪物になった。俺の親父は、よくそう言っていた。ピトスもエルピスも、「希望」なんてものじゃない。プロメテウスがヤマトとアーズガルドに授けた、火のような女だってね』
アイゼンは、愉快そうに笑った。
「ところで、頼みごとってなんだ。お忙しいアーズガルドの当主様がわざわざ自分から電話してくるぐらいだから、よほどのことなんだろ」
またもピーターの沈黙。アイゼンは急かした。
「早く言え」
『――ベンを始末する予定だな?』
「ああ」
アイゼンは舌打ちをした。あの男は、真月神社で、エーリヒが待っていろと言ったのも聞かずに、拝殿のほうまで来て、アイゼンとマホロがいっしょにいるところを見た。おそらく気づかれていないと思っているだろうが、ヤマトはそう甘くない。
『で、最後のテセウスの被験者であるレオンは、ベンが消してくれるんだろ。――どっちにしろ、ヤマトはアストロス付近まで行くんだな』
「それがどうした」
『ついでに、そのまま、ライアンとメリーを張ってくれないか――期間は無期限』
上機嫌で闊歩していたアイゼンの足取りが、ぴたりとやんだ。
「ロナウドか?」
『そうだ。ロナウドが、ライアンとメリーの拘束に動いた』
「張るってなァどういう意味だ」
『そのままの意味だ。できれば彼らが、ロナウドの手に落ちないように』
アイゼンは笑うのをこらえる顔をした。
「――なんだそりゃ」
『あいつらは、俺の手札なんだよ。ライアンとメリーを、ロナウドが手に入れちゃ困るんだ』
「……」
『あいつらは俺の目の上のたんこぶだ。ほんとうは消してしまいたいが、消せばオルドの恨みを買う。だからといって、ロナウドの手に落ちるのも困る。――可愛いオルドが泣いちゃうからな』
ひゃはははは、というアイゼンの甲高い笑いが響くのを、しばらくピーターは聞いた。その笑いは、ピーターを虚仮にするためのものだった。
やがて、笑いが止むと、「了解」の返事がかえってきた。
「ライアンとメリーを消したがってるおまえが、守れというとは思わなかったよ。心配するなピーター。オルドの作戦は、俺が成功させてやる」
『そっちの心配はしてない。あんたじゃなくて、オルドが優秀だからな。ライアンたちのことは、オルドには秘密だ。じゃァよろしく』
ピーターの電話は切れた。
「アイゼン。作戦を煮詰めたい――電話は終わったのか」
オルドが隣にいた。無論オルドは、アイゼンがヤマトの頭領だということは知らない。彼が心理作戦部に在籍していることも。オルドは彼を、ヤマトが寄こした作戦部隊の隊長だと認識している。
アイゼンは、ニタリと笑い、そうっと、オルドの額を突いた。
「?」
オルドがいぶかしげな顔をする。
「おまえに触れたら、指をもぐとよ! おまえのご主人様が!」
「……」
オルドは肩をすくめるだけだった。
「なァ、おまえ、ほんとに俺のこと覚えてねえのか」
「……俺は、アンタに会ったことがあるのか?」
探るような顔で、小さく笑みを見せたオルドの眼力をまっすぐに受け止め、アイゼンは喉の奥で笑った。
「傭兵の名を、捨ててねえんだなァ、“ヴォール”」
「――!」
アイゼンは、オルドの薄い肩を叩いて、小声で囁いた。
「手柄を立てろよ。俺がおまえを、傭兵にもどしてやるから」
オルドは、笑いながら仲間のほうへもどっていくアイゼンの背を、何とも言えない表情で見つめた。
地球行き宇宙船のK27区、マタドール・カフェに、もうクラウドの存在はなかった。席には、ベンとエーリヒだけが残されている。
「で、アンダー・カバーが宇宙船を降りたっていうのは、ほんとの話なんですか」
ベンは、うんざり顔に変わっていた。
「ほんとうだよ。ちなみにヘルズ・ゲイトもこのあいだ、最後の一人がアンダー・カバー幹部によって射殺。とりあえず、ユージィンが送り込んだグレン暗殺部隊は、そろって宇宙船を降ろされたってわけだ」
「じゃあ、俺の仕事はないじゃないですか!」
ベンはもともと、グレンのボディガードで宇宙船に乗る予定だった。だが、いまはグレンとアズラエルがともに暮らしているうえに、メフラー商社の古株であるバーガス夫妻もいっしょにいる。グレンのボディガードは不要だった。
そのため、ベンの任務は「アンダー・カバー」の監視に切り替わったのだが、そのアンダー・カバーも宇宙船にいないのでは、彼が乗ってきた意味はない。
「そうでもないよ」
エーリヒは、ミルクセーキを飲み干したので、ストロベリー・ソーダを注文した。そして、分厚い書類のスクラップ・ブックを指でトントン叩いて言った。
「クラウドから、特殊GPSのアプリをもらったろう。それで、アンダー・カバーを追ってくれ」
ベンの顔つきが、急に真面目になった。
「アンダー・カバーはやはり、グレン少佐の暗殺をあきらめてはいないんですね?」
「確定はできない。だが、彼らが行動を起こすとしたら、アストロスにちがいない」
「アストロス……」
アストロスは、地球行き宇宙船に乗っていなくても行ける場所であり、クラウドの話によると、アストロスで「ひと騒動」起きることが確定している。その混乱に紛れて、グレンを狙うことも、予想に入れておいた方がいいということだ。
「分かっているね。この宇宙船に乗ったとき、君は出入りが激しくなるだろうから、先に出入船がいつでもできる許可証を発行しておいたが、この宇宙船は三ヶ月出ていると、もどれなくなるからね」
「ええ。了解しています」
「クラウドのGPSアプリは、星を越えては探知できない。おそらく、アンダー・カバーは、今E353にきているか、E654止まりかもしれないということだが――捜してみてくれ。常に、どこにいるか確認できるように――いいね。繰り返すが、時差を含めて三ヶ月だ。三ヶ月に一度は、宇宙船内に戻らなければならない」
「了解」
ベンは立った。それからふと、思い出したように確認した。
「――命令は、最初と変更ありませんか」
「最初と?」
エーリヒは少し考えたあと、「うん」とうなずいた。
「では、グレン少佐に危険が及んだ場合は」
「――ターゲットの、射殺の実行も、許可する」
「了解」
ベンは敬礼し、席をあとにした。




