260話 トロヌスの王宮とサルーディーバ 3
広間の奥中央に、カーテンで幾重にも仕切られた、細い回廊があった。何度カーテンをくぐり抜けたかわからないが、やがてほの明るい、広い部屋に出た。たくさんのカーテンで覆い隠された、大きなベッドがケヴィンたちに見えた。
ケヴィンたちは一番後ろを歩いていたため、この部屋まで来てやっと、さっきの不思議な声の主をたしかめることができた。
フードを深く被った、老人だ。顔は、ここからでは伺えない。背は高かった。
「サルーディーバ様の御前です」
老人はまた、あの不思議な声で言った。
「目を瞑り、口をふさぎ、耳だけはお声を受け取ること。――サルーディーバ様を見てはなりませぬ。頭を上げてはなりませぬ。尋ねてはなりませぬ。返事をしてもなりませぬ。問いがありましたら、ユハラムが答えます。よろしいですな?」
ケヴィンは「はい」と返事をしようとして、口を手でふさいだ。それを見て、老人は、「よろしい」と言った。
「では、おそば近くに」
ケヴィンとアルフレッドは、一番後ろで、ヒュピテムたちの真似をしてそばに寄って行った。半腰のまま、目線は下、膝をついた格好のまま、足音を立てずに近づく。
慣れていない双子は、幾度かふらついてひっくり返りそうになったが、なんとか、近くまで行った。大きな寝台を覆うカーテンの、一番近くまで。そこまで来て、膝をついた体勢のまま、サルーディーバの言葉を待つことになった。
ユハラムが、あの舞を三回繰り返してからすっと立ち、カーテンの中へ入った。
「“ヒュピテムを、殺してはならぬ”」
カーテンの中から、ユハラムの声が聞こえた。
「しかし、サルーディーバ様、ヒュピテムは、一番大切な掟を破ったのでございます」
深くフードをかぶった、側つきの老人が言うと、しばらく答えがなかった。長くも、短くも感じられる間ののちに、ざあっと音を立ててカーテンが開いた。
「おお……!」
ヒュピテムとモハの頭が、さらに低く下げられた。
サルーディーバが、寝台に座っていたのだ。
ケヴィンは、見てしまった。驚いたあまりに。
――サルーディーバは男性だった。ずいぶんな年寄りだった。
まるで老木のようで、ケヴィンは、生き神と呼ばれた人物が、あまりにふつうの人間だったことに、拍子抜けしていた。
「ヒュピテムを殺してはならぬ」
今度は、直に、サルーディーバが話した。
「は、はは……っ!!」
モハは、脂汗をかいて平伏していた。
ケヴィンは、声を聞いた瞬間に、泣きそうになった。なぜかはわからない。だが、胸にズンと響いてくるような、重さと温かさを持った声だった。厳しいのではない、優しいだけでもない――ケヴィンは、彼が生き神と呼ばれる所以を悟った。
「ヒュピテムは、大いなる役目を負って、ここまでもどった。ヒュピテムよ、そなたはカーダマーヴァの子らを、村に送り届けたのちは、王宮にもどってはならぬ。待機せよ、辛抱強く待機せよ。いずれ、たしかなるサルーディーバの子孫と、イシュメルの子孫が結ばれたあかつきには――その子が、この星の王となるときまで。そなたは、その子に仕えねばならぬ」
「――なんと!」
ヒュピテムは、滂沱の涙を流した。
「カーダマーヴァの子らよ」
ケヴィンたちはやっと、自分のことを言われているのだとわかった。
「恐れながら、サルーディーバ様」
ユハラムの声がした。
「ケヴィン様とアルフレッド様は、L61の出身でございまする」
「いいや。魂は語っておる。エポス・D・カーダマーヴァよ。そして、ビブリオテカ・D・カーダマーヴァよ。兄はドクトゥス。知恵者の弟。イシュメルを、目覚めさせたる者たちよ」
「――!!」
この場にいる、サルーディーバと双子以外の全員が息をのんだのが、下を向いているケヴィンたちにもわかった。
「そなたらは、大いなるさだめによりて、ここへ導かれた。行け! カーダマーヴァの地へ。そして、イシュメルを、長の眠りから解き放つがよい」
声は、やんだ。
「サルーディーバ様のお言葉が終わりました」
ケヴィンたちは、呆然と固まっていたが、ふっと目を上げると、カーテンはすっかり閉じられていて、サルーディーバの姿はなかった。ふたたび彼は、横になったのかもしれない。
さっきまでの声は、幻のようだった。
ヒュピテムに目配せをされて、はっと我に返った。うながされるまま、膝をついて目線は下の体勢のまま、うしろにあとずさり、ヒュピテムたちの真似をして、あの踊りを踊った。
ふらふらと、足元もおぼつかないまま、細い回廊をもどった。
「――マジで、生き神様でした」
ケヴィンは、オルドへの電話で、感想を語った。
「なんか、見ちゃったんだけど、見ちゃったんだけど――ふつうのおじいさんでした。なんかものすごいこと言われたんだけど、まだ消化できてねえっていうか、――バンクスさん見つかりました?」
『いいから、すこし落ち着け』
ケヴィンのパニック状態は、オルドにしっかり伝わっていた。
『サルーディーバに会ったなら、バンクスがどこにいるか、聞けばよかったのに』
オルドの台詞に、ケヴィンはめずらしく食って掛かった。
「オルドさんが聞いてくださいよ! おれは無理ですよ、あの雰囲気の中で聞くなんて――声が! 声が、神様みてーだったの!」
『落ち着けと言っただろうが。アルフレッドにかわれ』
ケヴィンはぶつくさ言いながら、アルフレッドに代わった。
『で? ヒュピテムの処刑は免れたってとこまでは聞いたが――おまえらは、いつ出発するんだ』
「今夜にも、また坑道に入る予定です。ヒュピテムさんとユハラムさん、マイヨさんが、道案内をしてくれるそうです」
アルフレッドは冷静だった。
『わかった。これから、ヒュピテムや――モハといったか。王宮護衛官と打ち合わせをする。おまえらは、坑道に入るまえに一度連絡を寄越せ。――ああ、バンクスはまだ見つかってねえ。じゃァな』
切れた電話を充電器に戻して、アルフレッドはまだぶつぶつ言っているケヴィンに言った。
「ケヴィン、バンクスさんは、まだ見つかっていないって」
「……」
「ケヴィン!」
めずらしくアルフレッドが怒鳴ったので、ケヴィンの肩がびっくりして飛び跳ねた。
「な、なんだよ……」
ツカツカとアルフレッドがケヴィンに向かってき、両手で、思い切りケヴィンの顔を挟んだ。バチン! と音がするほど。
「いってえ!」
「ケヴィン、ぼくたちは、何しに来たの」
アルフレッドが、怖い目でケヴィンを見ていた。滅多に怒ることのないアルフレッドが怒っている。ケヴィンはたちまち、おとなしくなった。
「――バンクスさんを、捜しに来た」
「そうだよね? イシュメルのことは、ひとまず横に置いておこう」
双子の兄が、なにに気を取られているか、弟はきちんとわかっていた。さっきのサルーディーバの言葉だ。
「ぼくたちは、バンクスさんを探しに来たんだ。それを忘れちゃだめだよ」
「わ、……忘れちゃいねえよ」
ケヴィンは、肺炎で入院した最中に、イシュメルの夢を見た。そのことが余計に、さっきのサルーディーバの言葉に重みを持たせているのかもしれないが、自分たちがここに、なにをしに来たか、目的を取り違えてはダメだ。
アルフレッドはそれを、自身でも再確認するように、同じ顔の兄を睨んだ。
「ちょっと早いけど、夕食を取ってください。陽が落ちるまえに、坑道に入りますから」
双子は、ノックの音が聞こえなかった。トレーにパンとスープを乗せて持ってきてくれたマイヨに、「あ、はい!」と二人そろって、あわてて返事をした。
同じ動作でこちらへやってきた双子に、マイヨは笑った。
「ほんとに、おふたりはそっくりですね。同じ衣装を着ていると、どっちか分からないけど――わたしは分かるようになりましたよ!」
マイヨは、得意げに言った。
「こっちがケヴィン様で、こっちがアルフレッド様!」
「「正解!」」
今度も双子は、そろって感嘆の声をあげた。服が同じなのに、見分けてもらえたのは、久しぶりだった。それから、彼らもやっと気づいた。
「――もしかして、君、女の子!?」
言ったのは、ケヴィンだった。
「バレちゃいましたね」
マイヨは、照れくさそうに笑った。
ずっと、青年だと思っていた。王宮護衛官たちにくらべたら華奢だが、背の高さは双子くらいあったし、声もどちらかといえば低かったので、双子はずっとマイヨを男だと思っていた。
L03の民は、大抵フード付きの上着を着ていて、フードも深く被っている。だから、はっきりと顔が見えなかったり、髪型もよく分からない。マイヨは切りっぱなしのショートヘアだったが、こうしてフードをかぶっていない姿を見ると、女の子だとすぐわかる。
「最近、外も危ないですから。なるべく男に見えるようにしてるんですよ」
もとからわたしは、女らしくはなかったし、男に見えても無理もない、とマイヨは苦笑した。
「そ、そうか……」
「マイヨ! 早く来て、救世主様のお湯浴みの用意をして!」
「あ、はーい!!」
どうやら、でかけるまえにお風呂も入らせてもらえるらしい。
「マイヨ、おれたちは同い年なんだから、様とかつけなくていいよ」
ケヴィンは、マイヨが出ていく前に、あわてて言いたかったことを告げたが、マイヨのほうが慌てた。
「そんな! それはいけません。救世主様を呼び捨てにしたら、わたしの首が飛んじゃいます! わたしは、下級予言師で、王宮の清掃係なんです――平民出ですし」
そして彼女は、礼の踊りをしながら、
「救世主様のお言葉だけ、ありがたくお受けいたします」
と微笑んだ。
ケヴィンは、彼女をとても美しいと思ったのだが、いつものように、褒め言葉がすぐ口から飛び出してこなかった。
今朝食べたのと同じ、パンとインスタントのコーンスープの夕食を済ませ、ケヴィンとアルフレッドは風呂を使わせてもらった。温泉のような広い大浴場に、あふれるほど湯が満たされているというのは、ほんとうに、水にだけは困っていないようだった。
風呂に入ったあと、ケヴィンとアルフレッドは、それぞれ手帳と、携帯電話に向かった。
今回の旅のできごとを、ケヴィンは手帳、アルフレッドは携帯電話の日記帳に、それぞれ記していた。
ケヴィンは、バンクスからもらったボールペンをながめながら、ふたたびバンクスの行方に思いをはせた。
「手帳のメモ欄が、もういっぱいだよ」
ケヴィンは、さっきイシュメルのことを考えすぎてバンクスのことを忘れそうになったのをごまかすために、ぽつりといった。
アルフレッドは、今日の日記を書き終えたあと、それをオルドの携帯に送信しながら、こたえた。
「今年の手帳は、空欄ばかりというのは避けられそうだね」
「バンクスさん、カーダマーヴァ村にいると思うか?」
「……」
アルフレッドからの答えはなかった。
「腹、へったな……」
「それは、同感」
双子は、すっかり薄くなった自分たちの腹を撫でた。もとから筋肉のある方ではなかったが、さらに痩せた気がする。ずいぶん過酷なダイエットだ。
L09のスペース・ステーションを出た日から、食事は多くて一日二食。しかもパンと一杯のスープか、スープか粉ミルクだけ、という日がつづいている。
だが、ヒュピテムたちもろくに食べていないのに、自分たちばかりが要求するわけにいかない。
ふいに、ドアがノックされて、それぞれの思いにふけっていた双子は飛び上がった。そろそろ時間だからと、マイヨが呼びに来たのだった。
用意を済ませて大広間にいくと、ケヴィンたちの見送りのためか、また大勢の人間が集まっていた。
ケヴィンたちは、L03の衣装も、もう一着ずつ用意していたが、真新しい絹の衣装を三着ずつもらった。王宮護衛官たちは、「今はこれくらいしか、お礼ができない」と言ったが、着替えが増えるのは助かった。
「カーダマーヴァ村までは、本来なら馬車で一週間ほどですが、物騒な地域を避けていきますので、二週間ほどみてください」
ヒュピテムは言った。
「それとも、王都入り口のほうに向かって、L20の軍と合流した方がよろしいでしょうか? オルドさんは、それをするなと言いましたが……」
安全度でいけば、軍と合流した方がいいだろうとモハもヒュピテムも言ったが、
「オルドさんは、やめたほうがいいと言ったのですよね?」
ケヴィンは、問うた。ヒュピテムはうなずいた。
「だったら、やめた方がいいかもしれません。俺たちが探しているバンクスさんは、マッケラン家にも探されているんです。――つまり、L20の軍にも」
「なんと」
「おれたちの顔も、もし知られていれば、つかまるかもしれないから、やめろと言ったのかもしれません」
「なるほど。そういうわけですか。承知いたしました」
「ではやはり、マイヨの意見どおり、このルートを通っていきます」
ヒュピテムは、双子に地図を示して、道のりを説明した。ケヴィンは、腕時計を見つめた。L52のカレンダーは、九月二十八日を指していた。
ついに、十月になってしまう。
――まだバンクスは、見つかっていない。




