260話 トロヌスの王宮とサルーディーバ 2
『どうだ。そっちの様子は』
「まるで、古代にタイムスリップしたみたい。――いろんな意味で」
サルーディーバに次ぐ、王宮内の一番いい部屋に案内されたケヴィンはさっそく、オルドに電話をしていた。
アルフレッドは、先に湯を使わせてもらっている。風呂ひとつ入るのに、盛大なひと悶着があったところだった。十人にも及ぶ女官たちが、「救世主様の湯浴みのお手伝いをいたします」と、風呂場にかけつけたからだ。
アルフレッドは悲鳴を上げて追い出し――というか、泣きそうになりながら、必死の思いで断った。ひとりでゆっくり入らせてくれと。
おれたちはまるで神様あつかいだ、とケヴィンが疲れたように言うのに、オルドがちいさく笑った気がした。
『食糧も、医療品も、足りてねえだろ』
「なんでわかるの――でも、オルドさんが入れてくれた新聞やラジオ、助かったみたいです。あと、離乳食。サルーディーバさんはやっと食べてくれたって、ユハラムさんっていう人が言いました。桃とリンゴの裏ごしと、さつまいもの裏ごしのやつを食べたそうです。――あと、イチゴジャムと。スポーツドリンクはオッケーみたい。おかゆとかは、もうすこし回復したらあげてみるって」
『医療品はどうだ?』
「ぜんぜん足りないよ――食糧も医療品も、まったく足りない状態。あとでヒュピテムさんから正確な人数が連絡いくと思うけど、三百人はいるらしい。さっき、この部屋に来るまで、大広間にたくさんの怪我人がいた。あっ、それから、ユハラムさんが、医者を連れてきてほしいって。L03のじゃなく、そっちの、軍事惑星の近代的な医者を」
『わかった』
オルドは、坑道の様子も細かく聞いた。ケヴィンも気付かなかったが、アルフレッドは、坑道内の写真をいくつか取り、メモにくわしく、周囲の様子を文章で記していた。あまりにつかれた三日目からは中断していたが、王宮に来てから、それをオルドに一斉送信したらしい。
『おまえの弟は優秀だ。俺がほめていたと伝えろ』
ケヴィンはふて腐れた。
「おれのことは、ほめてくれないんですか」
『おまえが、褒められるようなことをなにかしたのか』
オルドは相変わらずつめたかった。
『それで、ヒュピテムは、携帯をつかえたか』
ケヴィンは苦笑し、
「その点に関しては、おれたち、一緒に来てよかったと思う」
ヒュピテムは、携帯電話で電話をかけるやり方は知っていたが、オルドが事前に携帯内に登録しておいた、オルドの携帯番号を、呼び出すことができなかった。ケヴィンは、ボタンのどこを押せば、オルドの電話番号が出てくるか教え、「オルド・K・フェリクス、と名前を呼べば、電話番号が出てきますよ」と音声で呼び出す方法も教えた。
『だから言っただろう。L03の連中は、原始人だと思えってな』
「でも、ヒュピテムさんは、地球行き宇宙船にいた人なんですよ? あ、それから、サルーディーバ様のそばに仕えてるユハラムさんって方も」
『まァいい。ヒュピテムから連絡が来るのはあしただってことだな?』
「あ、はい。そうです。――ところで、オルドさんって予言師?」
『は?』
オルドの声が裏返った。あまり聞けない声だ。ケヴィンはほくそ笑んだ。
「だって、おれたちが王宮へ来るのを見越してヘルメットをくれたし、離乳食なんて、おれたち、想像もできなかったよ。L03には予言師っていうのがいっぱいいるんだって――」
『てめえは、俺に呆れられることはあっても、ほめられることは一生ないと思え』
オルドは言い捨てて、電話を切った。ケヴィンは、ほめたのに、ガチャ切りされたのは、はじめてだ。
「でも、一生ってことは、これから先も、ともだちでいてくれるってことかな?」
ケヴィンのポジティヴ思考を、オルドは甘く見ていた。オルドが聞いていたら、「いつダチになった!」と怒鳴りそうなことは明白だったが。
その日、ケヴィンとアルフレッドは、風呂に入ったあと、気絶するように眠った。王宮に着いたのは朝だったが、三日歩き続けた双子は、だいぶくたびれていた。まるで意図しない、救世主あつかいも。
意識を失うように眠り、次の日の朝、ようやく目覚めた。足元には、綺麗に洗われ、乾かされたふたりの衣装が、丁寧にたたんで置いてあった。
「せ、洗濯してくれたんだ……」
「悪いな」
ふたりがいそいそと身に着けると、いい香りがした。花の香りが焚き染められている。
「お目覚めですか」
ユハラムが、見事な装飾が施されたトレーに、パンとインスタントスープをのせて、持ってきてくれた。そういえば、昨日丸一日、なにも食べていないのだ。スープの香りに、双子の腹の虫が鳴った。
ユハラムは、申し訳なさそうにトレーを差し出した。
「――これしか、お出しできなくて」
「だ、だいじょうぶです。すいません、じゃあ、いただきます」
「……い、いただきます」
「召し上がれ」
双子の表情を察してか――ユハラムは微笑んですすめた。
「遠慮なく、召し上がってください。私たちもいただきましたから」
自分たちはこれから、またあの坑道を通ってカーダマーヴァ村にいかなくてはならない。
パンを遠慮して、スープだけにしようとしたアルフレッドも、やはりパンを食べることにした。
王宮に来て分かったが、ずいぶんな人数がいる。ケガ人を合わせても三百人近く。大袋五つでも、全員に食糧が行き渡っているとは考えにくい。
ケヴィンたちが食べる分、口にできない人間もいるということだ。だが、ふたりはありがたくいただいた。
双子は、イタラチルに向かうまでの宇宙船の中で、ヒュピテムの独白を聞いていた。遠慮をするのはいいが、それで自分たちが動けなくなってしまっては元も子もないのだ。
ヒュピテムの話によると、ケヴィンたちと入れ違いに、また何人かあの坑道を通って外へ出、次期サルーディーバから託された金品を食糧に変えるため、L09へ飛んでいる。
いくら屈強な護衛官たちであっても、ひとりで持てる食糧は、知れている。だが大人数で外へ出ると、王宮を守る人員が少なくなる。
いつ原住民が総攻めをしかけてくるかわからない状態で、たくさんの護衛官を食糧補給に向かわせるわけには行かない。小競り合いはもう何度もあって、怪我人も増える一方だ。
一刻を争う状況なのは、ケヴィンたちにも分かった。
「お食事を終えましたら、部屋を出て右手へ――大広間があります。そちらへ、おいでください」
ユハラムは、あの舞を舞うと、ひそやかに部屋から出ていった。
双子が食事を終えて部屋を出ると、坑道で見たような、太い円柱が何本も、奥までつづいていた。
(バンクスさん、おれたち、あなたを追って、こんなところまで来ちまったよ)
ケヴィンは感慨深く、そびえたつ柱の先を見つめた。バンクスを探そうと決意して、L52を出た八月には、自分たちがL03まで来ることになるなんて、思いもしなかった。
柱の上には、空がある。晴れ渡った青い空に、流れる白い雲。――空の光景は、L03もL52も、L22もいっしょだ。
(バンクスさん、ぜったい見つけてやるからな)
ケヴィンは、決意も新たに、鼻息を荒くして大広間に向かった。
長い回廊を右手に進むと、まっすぐ、大広間に突き当たった。そこには、王宮内の動ける人間が、全員そろっていた。広間中央に、宝石で装飾された大理石の台が置かれていて、そこにあるものを睨んで、ヒュピテムと――ずいぶん高位にありそうな、いかつい男性が対話している。
「ケヴィンさん、アルフレッドさん、こちらへ」
ユハラムが気づいて、双子をその集まりのはじへ迎えてくれた。
「(ヒュピテムと話しているのは、王宮護衛官を取り仕切っている、モハです。彼は上級貴族で、この中で一番身分が高い)」
ユハラムが小声で教えてくれた。
「(あの、なんかすごそうな台に乗っているものは?)」
「(携帯電話です)」
「(はあ!?)」
ケヴィンとアルフレッドは叫びそうになって、慌てて口を押さえた。
「(――ヒュピテムに、処分が、下されようとしているのです)」
さすがに双子は、顔色を変えた。
「ヒュピテム――そなたの功績は、後世まで語り継がれる名誉に値するものである。救世主とともに物資を持ってサルーディーバ様、そしてわれわれを救った功績は大きい。――しかし、あの坑道を、王宮護衛官以外の者に教えた罪もまた、大きい。本来ならば、本人が死を持ってあがなうとともに、七代先まで名誉と位とを取り上げるところだが――今回は、特殊な事態である。そなたの死ひとつで、すべてを免じよう」
水を打ったように静まり返り、息をつめて見守っていた観衆たちから、どよめきが漏れた。
「ちょ、ま、待って……」
飛び出そうとしたケヴィンを、あわててユハラムが止めた。
「(お待ちください! もうすこし、待って)」
ユハラムは、全身を持ってケヴィンが叫ぶのを食い止め、それから小声で言った。
「(お願いですから、静かにしていてください。だいじょうぶですから)」
「その決定、しかとお受け致す」
ヒュピテムは厳かにうなずいた。
「だが、私には、恩人であるオルドどのとの約束がある。ケヴィン様たちを、確実に、カーダマーヴァ村までお送りせねばならぬ」
「あきらめろヒュピテム、それは叶わぬ」
モハは首を振った。
「そなたは、ここで刑を受けねばならぬ。そなたの代わりに、他の王宮護衛官が、責任を持って送り届けよう」
「モハ上級護衛官どの!」
ヒュピテムは叫んだ。
「私は、王宮護衛官の誇りを持って、必ずやもどり、刑を受けまする! 逃げたりなどいたしません!」
「そなたが逃げるなどと、だれも思っておらぬ」
モハは、おだやかに告げた。
「だがこれは決まりごと。それでも、われわれは長老会とはちがう。そなたの家まで取り潰したり、名誉を取り上げたりはせぬ。――そなたのしたことが、この上なき重罪に当たる行為であってもだ」
「……」
ヒュピテムは、悔しげに唇をかんだ。血がにじむほどに。
ケヴィンとアルフレッドは、ハラハラして、心臓がバクバクと脈打っていた。ほんとうにヒュピテムが死んでしまうようなことになったら、全力で止めるつもりだった。自分たちを救世主というくらいだから、きっと聞き入れてくれるはずだ。
「(あなたがたが止めても、ヒュピテムの刑はくつがえりません)」
ユハラムが、双子の考えを読んだかのように言った。双子はぎくりとしてユハラムを見た。
「(無理ですよ。あなたがたが、私たちにとって、救世主でもね――ここは、そういう星ですから。でも、もうすこし待って欲しいのです。かならず、なんとかなりますから)」
ユハラムは小声でそう言って、ふたりを元気づけるように微笑んだ。
「――では、私の代わりに、どなたをお遣わしに」
「マイヨと、メメと、ダスカを」
ヒュピテムが、名を呼ばれた若い王宮護衛官を見た。ケヴィンたちにも、三人の姿は見えた。
マイヨはともかく、ほかのふたりは、ヒュピテムに勝るとも劣らない屈強な男たちだった。
「マイヨは地理に明るい。そして、メメとダスカは、この中で一番体力があり、剣術もたけている。必ずや、救世主たちを送り届けるだろう」
「……いつ原住民が雪崩を打って押し寄せるかもわからない最中に、メメとダスカを、お遣わしくださるというのですか」
「われわれも、礼は尽くす。救世主どのの仰ることがほんとうであれば、アーズガルドの救援もある。われわれは、それまで持ちこたえればいい。最後の一兵となっても、サルーディーバ様だけはお守りする!」
「――モハどの! かたじけない!」
ヒュピテムは、声を放って泣いた。ヒュピテムの涙に呼応するように、王宮護衛官たちのあいだにも、さざ波のように嗚咽が広がっていった。
そのときだった。
「――サルーディーバ様の、お言葉がありまする」
涙声の充満する大広間に、その声は、拡声器を通したようにすっと広がった。女の声とも男の声とも取れない、透き通った声だった。
広間が、今度はざわめきに揺れた。
「ヒュピテム・H・エルバス、モハ・G・チュケム、ユハラム――そして、ケヴィン様とアルフレッド様、おいでなさいませ」
「参りましょう」
ユハラムが、笑顔で、双子を立たせた。




