260話 トロヌスの王宮とサルーディーバ 1
ケヴィンたちは宇宙船に乗り、一日半でL03についた。
そのあいだ、ヒュピテムは、ケヴィンたちに遠慮をさせないためか、やっと自身から食べ物と水を口にした。
「私は、頑なになっていたようです」
ヒュピテムは、固いパンをひとつと、ミネラルウォーターを大事そうに飲みながら、言った。
「セゾのことで気づきました。私たちが倒れては、王宮で待っている仲間にも、食糧が届かないというのに――セゾもおそらく、ほとんど口にしていなかった。倒れるのは――あたりまえだ」
苦い顔でヒュピテムは水を飲み下した。
ケヴィンは、ヒュピテムの独白を聞いて、ヘルメットを見つめた。――ヘルメットは三人分。
ケヴィンたちも坑道を通って王宮に行く気でいるということを、オルドは見抜いていたような用意を。
(バンクスさん、ごめんな。俺たち、ちょっと寄り道していくよ)
ケヴィンも、心の中で、ひそかにつぶやいた。
イタラチル・ステーションにつくと、セゾの代わりであろうヒュピテムの仲間が、待っていた。
「ヒュピテム様! お聞きになりましたか、セゾが……!」
「ああ、聞いたぞ、マイヨ」
マイヨと呼ばれた迎えの青年は、馬車を用意していた。ケヴィンたちを見ると、声を詰まらせ、なにを言っていいかわからないといったような表情をしたあと、感謝の踊りをした。
「昨夜、電話でヒュピテム様からすべてお聞きしました。気高い方々よ……!」
「気高い!?」
双子は、はじめてもらった褒め言葉にがく然としたが、
「ヒュピテム様、こちらの馬車をつかって、ケヴィン様とアルフレッド様をカーダマーヴァ村まで。わたしは、食糧を届けます! ――どうか、ご無事で!」
馬車は二台用意されていた。ケヴィンたちが持ってきた食糧を積んだ馬車に乗って、青年が去ろうとしたのを見て、ケヴィンが止めた。
「ま、待って! ――ヒュピテムさんは、王宮に行かないの」
「私は、あなたがたをカーダマーヴァ村までお送りする役目があります」
オルドどのと約束しました。ヒュピテムは言った。
双子は顔を見合わせた。アルフレッドも、ヘルメットを渡されたときから、決意していたようだ。
「ヒュピテムさん! 先に、王宮に行きましょう!」
マイヨも驚いて、馬車を止めた。
「ヒュピテムさんは、携帯電話を王宮にいる人に渡さなきゃいけないし、サルーディーバ、さまは、危険な状態なんでしょう? 一日も早く助けなきゃいけないはずだ。ヒュピテムさんが携帯電話を届けないと、オルドさんの救助も遅れちゃう――だから、王宮に、先に行きましょう!」
「――!」
ケヴィンの言葉に、ヒュピテムが動揺した。
「し、しかし、あなたたちも、探している方が……」
「だって! ――えーっと、マイヨさん、あなたは、携帯電話のつかいかたが分かりますか!?」
「わ、わたしは――わかりません」
マイヨは焦り顔で首を振った。
「携帯電話のつかいかたが分かるのは、ヒュピテムさんだけでしょ!?」
「……」
「ぼくたちの捜索は、ほんとに、クモの糸でもつかむような、頼りないものなんです……」
アルフレッドは、自分で言っていて、足元から崩れそうになるのをこらえた。
「さっき、ここに着く前に、オルドさんに定期連絡をしましたが、まだバンクスさんは、軍事惑星でも見つかっていないし、カーダマーヴァ村でも、見つかったという報告はないそうです。ぼくたちがそこに行っても、……無駄足になるってことも、じゅうぶん、あり得るんです」
ヒュピテムは、自分のことのように辛そうな顔をした。
「オルドさんは、おれたちにヘルメットを三つ渡した。ヒュピテムさんと、おれと、アルの分を」
「……!」
「だから、おれたちも坑道を通って王宮に行くってことを、わかって渡してくれたんです。だから、行きましょう、先に! 王宮へ!」
ヒュピテムが否定しようとしたのを、マイヨが首を振ってさえぎった。ヒュピテムの代わりに彼は言った。
「お優しい方々――あなたの好意を、われわれは大事にします。おふたりと、バンクスさんに、マ・アース・ジャ・ハーナの神のご加護を」
マイヨは祈るしぐさをし、ヒュピテムを見つめた。
ヒュピテムはまだ迷うように双子を見ていたが、「ほんとうに、いいんですか?」と念を押した。
ケヴィンとアルフレッドは、二人そろって、力強くうなずいた。
「勇敢な方々だ――あなたがたは」
ヒュピテムはやっと笑みを浮かべ、「ありがとう」と二人の肩を抱いた。
坑道の入り口は、山岳の奥まった箇所にあり、そこにはヒュピテムと同じような体格で、同じような格好の――王宮護衛官の仲間が、五人待機していた。
彼らは、ヒュピテムには「ご苦労」と居丈高な物言いをしたが、ケヴィンたちを見ると、「おお……!」と歓声を上げて、一斉に、例の踊りを始めた。
「あなた方のおかげで、サルーディーバ様は救われる……!」
中の一人が、涙を隠しもせず、ケヴィンの手を握ってきたので、ケヴィンはどうしたらいいか困った。
「サルーディーバ様はいかがです」
「だいぶ、弱っていらっしゃる……だが、まだ気力は尽きておらぬ。セゾのことは、残念だったな」
ヒュピテムより位が上かと思われる壮年男性が、ヒュピテムを励ますように肩を叩いた。
「食糧は、われわれが運ぶ。ヒュピテム、そなたは救世主を連れてまいれ。礼を失することなく――飢えさせてはならぬぞ!」
「はっ! お任せください!」
いつのまにか救世主の頭文字がついたケヴィンとアルフレッドは、もはや言葉もなく、どこかのボケウサギと同じように口をぽっかりあけた。
「ケヴィンさん、アルフレッドさん」
「は、はい」
あきれて言葉を失っていた双子は、ヒュピテムに呼ばれてやっと返事をした。
「坑道は、長いです。われわれの足で、どんなに急いでも、二日かかる。おふたりはおそらく、三日はかかると思ってください」
「三日……」
「王宮内についたら、仲間に携帯電話を渡して、オルドさんに連絡をし、すぐにわれわれはカーダマーヴァに向かいます。また坑道を通ってここへ出ます」
「はい!」
「毛布と食糧は置いていってもらいましたが――坑道内は寒いです。体調が悪くなったら、すぐ仰ってください」
ヒュピテムも、オルドに負けずとも劣らずの丁寧なガイドだった。ケヴィンとアルフレッドは、今回のツアーはほんとうにガイドに恵まれていると思い、「ありがとうございます」と万感の思いで言ったのだった。今度は踊らなかったけれども。
しかし、坑道は、入り口も含め、ほんとうに狭かった。ヒュピテムは、軍が通れる広さではないと言っていたが、ほんとうだ。ヒュピテムが身をかがめながら、やっと通れる幅と高さであり、ひと一人通るのがやっとで、すれ違うこともできない。
ボストンバッグは前に持てばなんとかいけそうだが、あの大袋をどうやって、この幅の坑道に通したのか、それだけは謎だった。だが彼らは、ケヴィンたちより先に出発し、すでに姿は見えない。
一時間近くも坑道を通っただろうか。ケヴィンたちにはおそろしく長く感じられた。
この狭さと閉塞感が三日も続くのかと思ったときは、もう無理だと思ったが、坑道は徐々に高くなり、先頭のヒュピテムが鉄の扉を開けてからは、信じられないくらい広い空間に出た。
真っ暗闇の中で、ヒュピテムがランプをつけ、双子はライトのボタンを押し、広範囲を照らすようにした。
「うわあ――地下都市だ!」
アルフレッドが、見えないほど高い天井を見上げて叫び、ヒュピテムが言った。
「はい。ここはかつて、原住民の暮らす地下都市がありました。今は、廃墟ですが」
ケヴィンが五人そろってやっと抱え込めるくらいの太い円柱が、そびえたっている。ケヴィンとアルフレッドははしゃぎながら、ふたりで円柱を囲んだが、手が届かなかった。
ここは地下都市の王宮だろうか。
「そうです。王宮ですよ。――しかし、ほんとうにこれは、便利ですな」
ヒュピテムは、ライトつきヘルメットを感心してながめた。
毛布や水の入った袋を持ち、懐中電灯を持っては、両手がふさがってしまう。ちいさなランプの明かりでは、前を行くヒュピテムの背も見えなかった。さっきまでの道は一本道で、迷うことはないが、ヒュピテムの背中が見えることだけが支えだった。あまりの真っ暗闇で何も見えなかったら、怖くなって、とっくにくじけていたかもしれない。
さっきの王宮護衛官ではないが、オルドの手を握って、涙ながらに感謝したい双子だった。そんなことをしたなら、「薄気味悪ィことをするな」とつめたい目で睨みつけられるのは分かっているが。
「参りましょう」
双子はヒュピテムのあとをついて、廃墟の地下都市を歩き出した。ヒュピテムはまめに休憩を取ってくれたが、一日じゅう歩き続けるというのは、なかなかしんどいものだ。
あの重い食糧袋を持たなくてよくなったというのは、非常に助かった。あれを持ったままなら、五日くらいかかっていたかもしれない。
坑道に入ったその日の夜、双子はパンをかじった体勢のまま、落ちるように眠りについた。ヒュピテムは苦笑し、双子を毛布でくるんだ。坑道の夜は寒い。零下になることもある。ヒュピテムは火を絶やさず、寝ずの番をした。
次の日、焚いた火で湯を沸かし、温かいインスタントのスープを飲んだ。胃に染み入るようだった。ヒュピテムが三十分ほど仮眠を取ってから、三人は出発した。
二日目も、長かった。
三日目は、さらに長く感じられた。つづく廃墟が、果てしないもののように感じられた。
地下では昼も夜もない。ただただ、つづく暗闇の世界が――ヘルメットのライトだけが頼りの世界に、双子は次第に無口になった。歩くのだけで精いっぱいだった。
ヒュピテムは、辛抱強く双子を励ましながら歩き続けた。
「もうすこし、ですからね」
「は、はい……!」
廃墟で見つけた石の杖にすがりながら、ふたりは歩きつづけた。
最後に、長い長い石段が待っていた。双子は、息も絶え絶えに、のぼった。
ヒュピテムが石の扉を開けると、光が差し込んできた。三日ぶりの陽の光だった。
ひさびさの日光のまぶしさに、双子はしばらく目をあけていられなかった。
ヒュピテムに抱きかかえられるようにして坑道を出、石の扉が閉まる音がする。
やっと光に慣れた双子の目に入ったのは――何十人単位の、感謝の舞いだった。
「神よ――救世主よ!」
「おお――マ・アース・ジャ・ハーナの神が、われわれをお助けくださった!!」
「ありがとうございます、ありがとうございます!!」
ケヴィンたちは、わらわらと人に囲まれ、坑道の入り口で起こったできごとが、今度は何十人という人間に繰り返された。
坑道のホコリと煤、砂まみれになったケヴィンたちは、今度は感謝の涙にまみれた。
「救世主はつかれている。あまりかまわないでやってくれ」
ヒュピテムが止めて、やっとひとの波が引いていくありさまだった。彼らは離れたところで、まるで神様でも仰ぎ見るように双子を見つめている。
「ありがとうございます、ケヴィンさん、アルフレッドさん」
ひとりの婦人が、涙をたたえて双子の前に現れ、例の踊りをした。彼女は、双子を「様」づけもしなければ、救世主とも呼ばないので、双子は少しほっとした。
「やっと、サルーディーバ様が召し上がれたの」
「まことか! ユハラム!」
ヒュピテムの顔も輝いた。ユハラムは何度もうなずいた。
「ええ――ええ――離乳食を入れてくださったのね。――それを湯で溶いたものを、サルーディーバ様は召し上がったの。――果実の味がする離乳食を。そして、ジャムもすこし。スポーツドリンクもお飲みになられました。――いままで、なにひとつ喉を通らなかったのに」
ユハラムは、感極まって泣きむせんだ。
「おお――神よ! オルドどの――!」
ヒュピテムはその場に膝をつき、おそらくオルドのいる軍事惑星群に向かってか、祈りを始めた。
「み、水はだいじょうぶなんですか」
ケヴィンたちは、水の心配ばかりして、ペットボトルのミネラルウォーターを買いまくったが、ユハラムは言った。
「王宮内に井戸はあります。水の心配はないのです。ですが、食糧も、薬も足りなくて……」
イタラチル・ステーションに、ヒュピテムを迎えに来ていた青年――マイヨも、大喜びで、飛び上がりながら走ってきた。
「新聞も――ラジオも! われわれが欲しがっていたものがそろっている! まさに神の御業だ!」
彼は天井を仰いで、大げさに両手を広げ、また双子に感謝の舞をした。
ここに来て、何人に踊られただろうか? 双子は、オルドがここにいたら逃げ出しそうだな、と思って苦笑し合った。




