257話 バンクスはどこだ Ⅱ 3
――どれだけ長い時間、その場で固まっていたか、わからない。
「ケヴィン」
アルフレッドに呼ばれて、ケヴィンははっと振り返った。
「オルドさんが、ここに来ているアーズガルドのひとたちに、調査の進展を聞いてくるから、入り口で待っていろって――だいじょうぶ? 顔色が悪いよ」
「あ――ああ」
あまりに静かな通路をもどって、玄関口のロビーに来ると、幾人かひとがいた。ツアー客ではない。この観光地のスタッフだ。
自動販売機であたたかい缶コーヒーを買って飲み、ふたりは人心地ついた。
「……あんなに寒いところで、毒なんて盛られなくても、ぼくだったらとっくに肺炎で死んでいたと思ったよ」
めずらしく無言のケヴィンに、アルフレッドのほうが先に、感想を口にした。
「ぼくなんか、Tシャツを二枚きて、セーターを二枚も厚着して、コートを着て、まだ寒いんだもの」
「――怖くなっちまった」
ケヴィンが、やっと――ため込んでいたものを吐き出すように、つぶやいた。半分涙目だった。
「バンクスさんのことを考えてたら――怖くなってきた」
「分かるよ」
アルフレッドはうなずいた。
「やめる? やめてもいいと思うよ――少なくとも、やめてもだれにも迷惑はかからない」
むしろ今の状態が、あちこちに迷惑をかけているし、と苦笑した。
「……でも、ぼくは、ケヴィンが帰っても、L22に残って、もうすこし調べてみようと思う」
アルフレッドの言葉に、ケヴィンは跳ねるように顔を上げた。
「ぼくも怖いけど――でも、やっぱり、もうすこし、調べてみる」
「アル、おまえ……」
ケヴィンは驚いたように、「おまえ、強いな」と言った。
アルフレッドは「ううん」と首を振った。
「強くなんかないよ。ぼくだって、ひとりでここに来ていたら、逃げ帰っていたかもしれない。でも、ケヴィンもいるし、オルドさんもいっしょだから」
オルドがついていてくれなかったら――ケヴィンは、オルドがいてくれたことにひどく感謝した。ふたりでここに来ていたら、完全に意気消沈して、すごすごとL52に帰っていただろう。
「俺にもくれ」
オルドがもどってきた。
「あ、オルドさん!」
アルフレッドがすぐさま立って、「どうでした?」と聞きながら、自販機に向かった。そして、缶コーヒーを買って、手渡した。
「やっぱり、目新しい情報はねえ。ここにバンクスは来ているが、小説の資料のために、情報を照らし合わせにきただけだ。ふたたび舞い戻った形跡はねえし――おい、顔色が悪いぞ」
「え?」
ケヴィンの顔色はずいぶん青黒いというか、赤くも見えた。オルドはにやりと笑い、
「ちょうどいい。おまえの顔色をダシに、ツアーを抜けるぞ。気分が悪くなったからってな。俺たちの用はすんだから、とっととホテルへ帰る」
一気にコーヒーを飲み干すと、缶をアルフレッドに預け、オルドはさっさとツアーガイドをさがしに行った。
オルドの機敏さと合理的な行動は、ふたりに考えすぎる暇を与えない。双子は顔を見合わせ、やっぱり、オルドがいてくれたことに感謝した。
ケヴィンたちのツアー同行はこれでおしまいになった。アーズガルドの調査隊の車で、ホテルに帰り、ケヴィンの体調が悪かったので、その日もホテルに一泊した。
次の日、いよいよケヴィンの顔色は悪くなり、宇宙船の医務室で点滴を受けながら、L22に帰還することになった。
L22に着いた時点で、入院が決定した。診断結果は肺炎。監獄星の尋常でない寒さのせいもあっただろう。オルドは、調査を中止にして、ケヴィンが退院したら、L52に帰るよう勧めたが、アルフレッドが首を振った。
「ケヴィンの代わりにぼくがいろいろ調査しますから、ガイドをつづけてください」
オルドは断らなかった。それどころか、ふたりを「骨のあるやつらだ」と見直したようだった。
編集者コジーには、一週間の滞在だと念を押されていたが、ケヴィンの入院もあって、滞在期間は必然的に延びることになった。
オルドが自分からガイドを引き受けてくれ、まだ調査は続行中だということを告げると、もはや編集者はいつまでに帰ってこいとは言わなくなった。そのかわり、定期連絡をよこすようにとのことだった。
ナタリアにも連絡を終えたあと、アルフレッドは泥に沈むように、ベッドで深く眠った。
翌日は、昼過ぎまで目が覚めなかった。オルドもそれをわかっていたのか、彼がふたたびホテルの部屋に来たのは、夕方だった。
当初の予定通り、オルドはウィルキンソン家に訪問の約束を取り付けた。ケヴィンの完治を待つことになったので、訪問は一週間後になった。そのあいだ、アルフレッドはオルドの仲立ちでハーベストに会いに行ったが、やはりハーベストもバンクスの行方を知らなかった。
ケヴィンがホテルにもどってきたのは、入院して五日後のことだ。
ちょうど、L19のヴァンスハイト家からもどってきたアルフレッドは、ケヴィンが帰ってきているとフロントで聞き、大慌てで部屋に駆け込んだ。
「ケヴィン! よくなったの」
「ああ。このとおり、完全復活だぜ」
まだ多少咳き込んではいるが、熱は下がったようだし、元気そうだった。L52を出発したときの、明るい、勇敢なケヴィンにもどっていた。
「それよりおまえはだいじょうぶかよ。昔から、身体が弱いのはおまえのほうだったのに」
「ぼくは健康そのもの。やっぱり監獄星は寒くて、ちょっと風邪気味にはなったけど、一晩寝たら、治ったし」
アルフレッドは、待ちきれないとばかりに、さまざまな報告をした。滞在期間に制限がなくなったことや、ハーベストに会いに行ってきたこと。
やはりまだ、バンクスは見つかっていないということ。
「十七日には、ウィルキンソン家に向かうよ。――だいじょうぶ? ケヴィン」
「――ああ! もう弱音は、吐かねえよ」
ケヴィンは、力強くうなずいた。それから、ちょっと周囲を見回して、人の姿を探した。ケヴィンがだれを気にしているかは、すぐにわかった。
「オルドさんは、まだ来てないよ」
「そ、そうか……」
ケヴィンは、困惑気味に、「笑うなよ?」と前置きした。
「おれ――寝てるあいだ、へんな夢、見たんだ」
「――イシュメル? イシュメルって、あの、二千年前の、イシュメルのこと? マッケランの書斎で読んだ?」
「ああ」
ケヴィンはきっぱりとうなずいたが、すぐに付け足した。
「あ、まあ――イシュメルの肖像画なんて見たことねえし、大男だってことしか、知らねえけど――でも、たしかに、あれはイシュメルだと思ったんだ。なんとなく――」
たしかにこれは、オルドがいてはできない話だった。彼のいる前でこんな話をしようものなら、「重症だ。L52に帰れ」と言われるに違いなかった。
ケヴィンの夢に、イシュメルが出てきたのだという。本には大男だと書かれていたが、ほんとうに大きかった。優しそうな目をしていて、グローブのような大きな手で、ケヴィンの頭を撫でてくれた。その夢を見た次の日、まったく下がらなかった熱が、ようやく下がったのだという。
「びっくりするのはそれだけじゃねえんだ――それがさ」
ケヴィンは迷うように目をさまよわせ、「笑うなよ?」とまた言った。
「イシュメルってさ――ルナっちに、すごく似てんだよ」
「ええ?」
さすがに、アルフレッドは、笑わずにはいられなかった。
「イシュメルは大男なんだろ? しかも、あごヒゲをいっぱい蓄えた――」
アルフレッドは、ひげもじゃのどでかいオッサンが、ルナに似ていると言われても、まったく、想像すら、できなかった。
「お、おれもどう説明していいか分かんねえけど――でも――おまえも、直接見ればわかるよ! 錯覚かとも思ったけど、どう思い返しても、やっぱり、ルナっちに似てるんだ!」
「――たしかに、今回は、ルナちゃんに助けられたところが大きいからなあ」
オルドがガイドに入ってくれたのも、ルナが彼の恩人だったおかげなのだ。そして、オルドがいなかったら、どうなっていたかわからない。
「だから、たとえば夢の中で熱を下げてくれたイシュメルが、ルナちゃんと重なって見えたとか」
「……」
ケヴィンは納得いかない顔つきだ。
「マジで、似てるんだって」
「でも、イシュメルがルナちゃんに見えるっていうのは、ルナちゃんがある意味、かわいそうなんじゃない?」
オッサンに似ていると言われて喜ぶ女の子がいるとは思えない。
「え? う、う~ん……それは、そうだけど……」
女心は、確実に、アルフレッドよりケヴィンのほうが分かるはずなのに。
「まあ――イシュメルは“よみがえり”の神様って書いてあったからね。きっと、ケヴィンの元気をよみがえらせてくれたのかも」
アルフレッドは、そういって、ケヴィンをはげました。ケヴィンは、「ほんとうに、似てたんだって……」としつこく言ったあと、「ま、いいか」とあきらめた様子で両腕を上げ、伸びをした。そして、照れくさそうに笑った。
「よみがえらせてくれたのは、ビビってた、おれの心もさ。もっと勇気を出せって、勇敢になれって、励まされてるみたいだった」
ケヴィンは、退院のことを、ナタリアやコジーに報告するために、立ち上がった。
「病院でうんうん唸りながら、おれ、死ぬんじゃねえかと何度も思って、熱が下がったら、ぜったいL52に帰るんだなんて、ずっと弱気なこと考えてたけど、――イシュメルが、元気をくれた」
「……無理もないよ。ぼくも、この数日、何度も帰ろうかって、思ってた」
アルフレッドも、ケヴィンが入院していたあいだ、ひとりで心細さと戦っていたのだ。
「がんばろう――とりあえず、頭を絞って、勇気を出して。もうダメだってトコまでさ」
「――うん!」




