256話 バンクスはどこだ Ⅰ 2
「お帰り、オルド」
彼の持つ雰囲気と口調は柔らかく、ケヴィンたちはやっと強張っていた肩がゆるんだ。
「こんにちは、ケヴィンさん、アルフレッドさん。――失礼。どちらがケヴィンさんで、アルフレッドさんだろう?」
「おれが、ケヴィンです」
「ぼくが、アルフレッド」
ケヴィンは青いカットソーの重ね着を、アルフレッドはストライプのシャツに、赤褐色のセーターを着ていた。
ふたりは、かわるがわる、好感度の高い青年と握手をした。
「俺は、ピーター・S・アーズガルド。アーズガルド現当主です」
「は、はじめまして」
「今日は……お忙しいなか、ありがとうございました」
双子はやっと、あいさつらしいあいさつを交わすことができた。
「長旅、おつかれさまです。さあ、座って」
優しそうな人で、ほっとしたのはケヴィンだけではない。アルフレッドの、緊張に白くなっていた顔に、やっと色がもどってきた。
向かいのソファを勧められ、ルーム・サービスが、ちょうどよいタイミングで運ばれてくる。ワゴンにはウィスキーと、それからあたたかい紅茶と、菓子が盛られたカゴ。
「酒は飲めますか」
「あ、お、おれたちは、紅茶で――」
「まあ、そんなに緊張しないで」
ピーターは苦笑した。
「オルドは怖かったかもしれないが、信頼できる男です。俺が一番信頼している秘書だといってもいい」
「は――はい」
ケヴィンとアルフレッドは、紅茶とウィスキーを、両方めのまえに置かれ、なんとか返事をした。オルドはピーターの傍らに立ち、つめたい目でふたりを見下ろしている。
ピーターは、手ずから彼らの前に洋菓子を置いて、自分も、洋菓子の包みを開けて頬張った。
「腹減った――今日は、昼を食いそびれてね。俺、これ好きなんだよね」
砕けた口調で言って、にこりと微笑む。彼が、ケヴィンとアルフレッドの緊張をほぐそうとしてくれていることだけはたしかだった。
「ひといきついて。話はそれからにしよう」
「……あ、じゃあ、いただきます」
やっと、ケヴィンが先に紅茶に口をつけ、菓子を取った。双子が菓子をひとつずつ食べ終わるまで、ピーターは当たり障りのない話題を振った。本題に入ったのは、カップの紅茶がなくなりかけ、ケヴィンが二つ目の菓子に手を伸ばしたあたりだった。
「それにしても、バンクスを捜しに、こんなところまで。――彼も、人望があるな」
ピーターの苦笑交じりの台詞に、ケヴィンは、菓子をかじるのをやめた。
「コジーさんから聞いていると思うが、うちでもバンクスの行方を追っている。今日の昼時点で、まだ見つかっていない」
コジーは、ケヴィンの編集者の名前だ。
「これだけは約束する。バンクスの消息がわかったら、すぐに連絡しよう。君たちはL52に帰った方がいい」
「……でも、あの、おれたちは、」
「きっと、電話で話すだけじゃ納得してもらえないと思ったから、一度は足を運んでもらったんだ」
コジーさんもそういっていた、とピーターは前置きし、声を低めた。
「君たちは、バンクスの助手として、マッケラン家に赴いている――そうだね?」
ケヴィンもアルフレッドも、息をつめた。
「バンクスを追っているのはうちだけじゃない。ドーソンも、ロナウドも、マッケランも、それぞれの意図を持って、彼を追っている。しかし、その“意図”は、決して同じではない」
ピーターの表情はおだやかだったが、どこか戦慄するものを感じて、アルフレッドはふたたび竦んだ。
自分たちとそう年齢は変わらないと思うのに、当主というものは、これだけの貫録を持つのだろうか。
「うちとロナウド家は、バンクスを保護するために彼を追っている。これだけは信じてほしいんだが、純粋なる保護が目的だ。だが、ほかの家はそうじゃない。ドーソンも彼を――拘束するために捜しているし、マッケランも同様だ」
「え?」
ふたりは絶句した。
「どうしてマッケランが――だって、あれは、アミザさんが」
「アミザの独断だ。そうだろう?」
ピーターははじめて、苦い笑みを表情にのぼらせた。
「アミザの行動は、過激すぎた。今回のことは、マッケランにとっても手放しには喜べない状況なんだ。――膿を出すには、切開手術が必要なことはたしかだが、アミザは麻酔もなしにバッサリやってしまった」
「……」
「マッケランの“後遺症”は、楽観視できない状況だ。アミザの代わりに、バンクスを“悪者”に仕立て上げないと、事態を収拾できないのかもしれない。マッケランも、ひそかにバンクスを捜している。――はっきりとしたことは言えないが、保護目的じゃないことはたしかだ」
ピーターは、氷の塊をウィスキーの中でカラリと回すと、口に含んだ。
「バンクスは、もともとドーソンには目をつけられていた。だから、彼になにかあったと考えるのも妥当だが、彼が自ら、身を隠しているという可能性もあり得るわけだ」
「――!」
ケヴィンとアルフレッドは、ふたたび顔を見合わせた。
アミザの狙撃のこともあって、バンクスが危険な目に遭っているとばかり考えていたが、ピーターのいうことも一理あった。
バンクスは、自分から、隠れているのかもしれない。――騒動が落ち着くまで。
「それから、ドーソンには、君たちの顔も割れてる、と思ったほうがいい。マッケランには、完全にね。――軍事惑星に残るのは、危険だ」
最後の台詞は、ほんとうにふたりの身辺を気遣うかのように、優しげだった。
「君たちのことはだいたい、コジーさんから聞いてる。バンクスの取材についてまわったって言ってたけど、危険地域には足を踏み入れてないようだ。バンクスの仕事をぜんぶ知っているとはいいがたい。でも、ドーソンもマッケランも、きっとそうは思わないよ」
ケヴィンもアルフレッドも、ちいさく震えた。軍事惑星群が怖いのは、ふたりも十二分に分かっている。
「君たちが、L52で、普段通りの生活を続けてくれるというなら、マッケランもドーソンもおかしなことはしないさ。でも、無理にバンクスを探しに行くとなれば当然――巻き込まれることもあるということだ」
ふたりがうつむいてしまったのを見て、ピーターは励ますように言った。
「分かってる情報だけ、教えてあげる。バンクスはね、どうやら、L18でゆくえが分からなくなったらしいんだ。L03に飛んだって話もある」
「――L03?」
「言っておくが、今の辺境惑星群は、ここよりもっと、危険だよ」
ピーターは、笑顔で釘を刺した。
「約束する。バンクスが見つかったら、一等先に知らせるよ。だから、せっかくここまできてもらって悪いが、帰った方がいい。君たちには、軍事惑星は危険すぎる」
ピーターと話したのは、ものの三十分に過ぎなかった。彼が多忙を詫びて、部屋を出て行ったあと、ケヴィンとアルフレッド、そしてオルドが部屋に残された。
オルドは、ピーターを丁重にドアから送り出したあと、
「今夜はここに泊まってくれ。ホテル代はうち持ちでかまわない。だが、一泊以上は、金をもらうよ」
オルドはシンプルにそう言い、
「どうする? 明日にもここを発つというのであれば、L52行きのチケットの手配をしてくるが」
一応、台詞は質問形式だった。どうしても追い出すというわけではないらしい。
ケヴィンとアルフレッドは、何のためにここまできたか分からないと言った顔で訴えたが、彼の鋼鉄の表情は揺らがなかった。
「おれたちは――」
ケヴィンは立ち上がり、言いかけ、またすとん、とソファに座った。
ピーターのいうことも分かる。そして、ケヴィンたちは、アーズガルドの保護なしではなにひとつできない。
ケヴィンも、ここまで来たはいいが、どうやってバンクスのゆくえを追ったらいいのか、さっぱりわからなかった。
ケヴィンたちは、来てみればどうにかなるという気持ちで――ほぼ、アーズガルドを頼りにここまで来たわけであって、計画性もなかった。完全に、ガイド頼りだった。
L22の裁判所にしろ、ケヴィンたちが回ろうとしているバンクスの足跡は、すでにアーズガルド家も調査済みなのだ。ケヴィンたちにできることはない。ピーターのいうとおりだ。言える言葉は、何ひとつなかった。
「でも、あの、ガイドを、受けてくれるって……」
意外に食い下がったのは、アルフレッドだった。彼は遠慮がちだったが、はっきりとそう言った。
オルドは嘆息し、ずかずかと、ソファのほうに踏み込んできた。ふたりは怯んだが、オルドはかまわず、ソファに腰を下ろした。
「正直なところを言おう」
オルドは、何の感情も持ち合わせない顔で言った。
「俺たちは、バンクスをというより――ヤツの死体を探してる」
今度こそはっきりと、ケヴィンとアルフレッドの顔が、歪んだ。
「ピーターは、おまえたちを怯えさせないためにああいったが、はっきりと言わなきゃ分からないようだ。――俺たちの見立てでは、バンクスは、もう死んでる」
最悪の予想を、現実だと告げられたのと同じだった。
「……そ、そんな」
ケヴィンの声が震えた。オルドは、しっかりとふたりの顔を見据え、告げた。
「もう、死んでるんだ。だから、おまえたちがどんな希望を持ってヤツを探したとしても、無駄だ」
オルドは、決定打を告げた。彼は、それで二人が引き下がると思っていた。
「だとしたら、よけいに、彼を見つけてあげないと……」
悲壮な顔でいったのはケヴィンだ。
「ウチに任せろ。おまえたちにできることは、なにもないんだ」
オルドは、舌打ちをした。
銃も持てないくせに、聞き分けのない、もののわからない――多少バンクスについて回ったからといって、軍事惑星を知ったつもりでいる、平和な星の住民を相手にしてだ。
「……」
やっとケヴィンも黙った。彼は、頭を抱えて、悲報に苦しんでいるようだった。
オルドは静かに席を立った。そして、室内の電話機に向かった。
悔しげにうつむくケヴィンの横で、アルフレッドも蒼白な顔をしてうつむいていたが――やがて、あきらめたように天井を仰いだ。
彼は、オルドが電話口でだれかと話すのをうつろな目で見つめた。
「――アズラエルに、銃の撃ち方くらい、習っておけばよかったかな」
それは、思わず口からこぼれたアルフレッドのひとりごとだったが、静かな室内では、オルドの耳に届いた。
「アズラエル?」
オルドが振り返った。
「アズラエル? アズラエル・E・ベッカーか? メフラー商社の?」
「……そう、です、けど」
アルフレッドが緩慢に顔を上げ――「彼を知ってるんですか」と聞くまえに、オルドのほうが聞いてきた。
「なぜおまえが、メフラー商社の傭兵を知ってる」
オルドの疑問には、ケヴィンとアルフレッドが、かわるがわる答えた。
自分たちは、地球行き宇宙船に乗っていたこと。そこで、K27区に住んでいて、ルナという女の子と友人になったこと。ルナの恋人がアズラエルだったこと。彼らとバーベキュー・パーティーをしたことなどを――。
オルドは黙って、ケヴィンたちの話を聞いていた。
「そういうわけで――ケヴィンは先に降りたから、ルナとは友人だけど、アズラエルとは話してない。でもぼくは、ナターシャと一緒に、彼らとバーベキューを……あの?」
オルドの口の端が不気味に吊り上がっていくのを見て、アルフレッドは怖くなって、しゃべるのをやめた。
「ふふっ」
ついに、オルドは笑った。楽しそうというよりかは、なにか企んでいそうな不気味な笑みだったが、双子は、ここにきて、はじめて彼の表情を見た。
「――つくづく、運のいい奴らだ」
「え?」
オルドは再び、ソファへとやってきた。そして、さっきのように真向かいに座ると、切り出した。
「バンクスは、間違いなく死んでいる」
彼は、容赦なく告げた。ケヴィンとアルフレッドの顔色が、また沈んだ。
「だが、それでもいいというなら――バンクスの無残な死体を見る勇気があるなら、俺がガイドをしてやる。こいつは、アーズガルド家とは無縁の、俺個人の行動だ」
「!?」
オルドの心変わりの意味が分からなくて、双子は顔を見合わせた。
「ピーターは、おまえらをL52に帰せと言ってる。だが、俺が自分からガイドをするといえば、文句は言わんだろう」
「え、あの――」
「おまえらが回ろうとしていたところは、L22の裁判所、そして監獄星だな? 裁判所は、もうだめだ。あそこにはドーソンの手が回ってるし、めぼしい情報はない。監獄星には俺が連れて行ってやる――どうした。やっぱり怖ェか?」
オルドは不敵に笑った。
ケヴィンは、なにが起きたか分からない顔でしばらく呆けていたが、オルドが心変わりする前に、あわてて、「どうか、お願いします!」と頭を下げた。
「お、お願いします……!」
遅れて、アルフレッドも。
「でも――急にどうして」
「アズラエルとお知り合いなんですか」
どうしても腑に落ちないふたりは、不思議そうに聞いた。
「アズラエルは関係ねえよ」
オルドは吐き捨てた。
「おまえら、ルナと友達だって言ったな?」
双子はふたたび顔を見合わせた。
「栗色の長い髪の小柄な女で、どこかヌケた雰囲気の」
ケヴィンは、こくりとうなずいた。
「ルナっちは、ともだちだ」
オルドは、にやりと笑った。
「そうか。――ルナ・D・バーントシェントは、俺の恩人だ」




