31話 ルナ Ⅰ 1
次の日、ルナは盛大に寝坊をした。起きたら午前十時を回っていたのだった。
約束は正午だったので、間に合わないということはなかったが、ルナは急いで着替えて食堂へ行った。すると、ナキジンとカンタロウがお茶を飲みながら待っていた。
「おはようさん! ルナちゃん」
「おはようございます!」
いつでも元気なナキジンに、ルナは同じくらい元気な声であいさつをした。
「すまんの。今日の約束はなしになってもうた」
「へ?」
「なしじゃ、なし! こっちから誘っといて、すまんかった」
カンタロウが申し訳なさそうにそう言い、ナキジンが拝むように手をすり合わせた。
「朝もはよから、でっかい観光バスが五台も到着してのう」
「みんなてんてこまいじゃ」
「まー、一年目やからしゃアないの」
「キスケもキョウもチヨも、バタバタしとるわい」
ふたりの話をまとめると、朝から観光バスがつぎつぎに到着し、いつもは閑古鳥のはずの大路の店が、観光客であふれてしまった。そのために、今日の観光はなしになってしまったそうだ。
まだ宇宙船が出航して一年目なので、船客はたくさんいる。こうして、たまに団体ツアー客がどっと押し寄せる以外は、いつも静かな大路なのだが。
「おかげさまで、うちも恩恵に預かってます」
「ほうか、よかったの」
今日は椿の宿も、三組ほど予約客が入ったらしい。
女将のマヒロが、弾む足取りで、お茶のおかわりを持ってやってきた。ルナのまえにも、お茶とウサギを模したまんじゅうが置かれる。
「こちらはサービスです。大路の和菓子店のおまんじゅうです。召し上がってください」
「こういう団体さんは、二年目の半ばまではたまにあるんじゃが、あとは祭りのとき以外、船客なんぞきやせん」
「団体客は、だいたい、鳥居前のホテルまさなか、翠雲郭やな」
鳥居のある道路の反対側に、大きな観光ホテルがあるのはルナも見てきた。
「あれ? ナキジーちゃんとカンタさんもいる」
ルナがおまんじゅうをもふり、そのおいしさにウサ耳を立てたときだった。アンジェリカが顔を出した。
「おお、アンジェ」
「おはよルナ、マヒロさんもおはようございます。ナキジーちゃんたち、ルナと知り合いだった?」
アンジェリカも靴を脱ぎ、上がり框から食堂に入った。
「きのう、大路の連中みんなと河原で宴会しよったんや」
「えーっ! マジで。あたしも参加したかった……」
「キョウがおまえさんの携帯に電話したったろ」
「出れなかった……和牛出た?」
「食べまくりました。ステーキ食べました」
ルナが言った。アンジェリカは頭を抱えた。
「来たらよかったに」
「昨日はどうしても外せない仕事だったんだよ……!」
ナキジンとカンタロウはいそがしいと言いながら、あれやこれやとしゃべり、三十分も食堂で茶を飲み、帰っていった。
「さっき大路に顔を出したら、めずらしくお客さんがいっぱいいて。びっくりしたよ」
食堂にはアンジェリカとルナだけが残された。昼も近くなり、食事目的の客も増えてきた頃合いだ。
「みんな、今日、K02区に連れて行ってくれるってゆってたの」
ルナが残念そうに言うと、アンジェリカが口をとがらせた。
「ええーいいなあ。でもどうせ、あたし行けないし」
「アンジェも誘おうって、ヒメノおばあちゃんが言ってたよ」
「無理だよ。たぶんK02区に遊びに行ったら一日がかりだし――あれ? あたしも一応船客だよね? 旅行楽しんでいいはずだよね? くそ、ララ以外の依頼主は滅びろ――きのう宴会したって、キスケとか、キョウさんとか、チヨちゃんに会った?」
「キスケさんとキキョウマルさんと、オニチヨさんのこと?」
「そう」
「うん。会った」
「ルナ、口説かれなかった」
「く!?」
ルナのウサ耳がビコビコーン! と立ち上がり、それから真っ赤になって叫んだ。
「口説かれは、しませんでしたです!」
「おかしいな」
アンジェリカは首を傾げた。
「まあ、アズラエルに飽きたら、つまみぐいもいいんじゃないの」
「へけ!?」
「相性はいいよ。あのへん」
「つまみぐいはしません!!」
「ルナ、声でかい」
アンジェリカが慌ててルナの口をふさぐ。
「あのさ、休憩もぎとってきたから、今日はお昼一緒に食べよう」
「食べる」
アンジェリカは、「椿の宿の食堂もおいしいけど、今日は違うところに行こう」といって、ルナを商店街の端にあるお好み焼き屋さんに連れて行ってくれた。客はほとんど大路に集中しているせいか、こちらにあまり人は来ていない。
「真砂名神社には毎日のように来るからさ、あたしもここらへん、くわしくなっちゃった」
焼いたお好み焼きを、席まで持ってきてくれる店だ。ルナとアンジェリカは空いた席に座り、注文をすませ、夢の話をはじめた。
昨夜で、グレン、セルゲイ、アズラエルと三人分の夢を見終わった。
「ルナ、それで、相談なんだけど」
アンジェリカはルナに、もう二日泊まっていけないか聞いた。
「うん。きのう、シロクマのおじいちゃんが、『今度は君自身の正体を知ることになる』ってゆってたから」
今夜も夢を見るのだろうなという予感はあった。
「宿泊費足りなかったら、あたしが出すから」
「だ、だいじょうぶだよ。椿の宿は安いし――うん。だいじょうぶ」
「だってルナ、リリザも行くでしょ」
「うん――まあ――でも、なんとかなりそう」
「ホント? うん、いややっぱり、あたしが出しとく。ルナが夢を見ることは、もちろんルナのためでもあるんだろうけど、姉さんのためでもあるから」
アンジェリカは念を押した。
やがて、あつあつのお好み焼きが運ばれてきた。
「アンジェは、今日あたしが見るはずの夢の内容も、知ってるの」
ルナはチーズと明太子入りのお好み焼きをもふりながら聞いた。
「ううん」
アンジェリカは海鮮ミックス焼きだ。
「あちち……あたしはただ、月の女神さまの指示通りに見せているだけ。ZOOカードを開いて、ルナのカードを出して、“過去”と“夢”の呪文を唱えるだけだよ」
「……」
ルナはお好み焼きの熱さのせいで、言葉を発せられなかった。
ZOOカードのことといい、夢のことといい、聞きたいことは山ほどあったはずなのに、すっかり忘れてしまっている。
「でも、ルナと一緒に夢の内容は見ている。あ、こういう仕事だから、プライバシーは大切にするよ? だれにも、夢の内容は言わない」
「アンジェにも、なにもかもが分かるわけじゃないんだね」
「うん」
アンジェリカは、鉄板に目を落とした。
「そうなんだ。――っていうか、こんなこと、ルナに話していいか分からないんだけど」
アンジェリカは豚玉を追加した。あとウーロン茶おかわり。
「あたしは、姉さんの相方としてこの宇宙船に乗った。それで、姉さんを助けてくれるのがルナだって、ZOOカードに出た。それ以外のことは、まったくわからないの。順を追って、調べていくしかない」
さらに、ルナが食べているもち明太チーズも追加した。
「あたしだって、今のルナが、なにかできるとは到底思えない。姉さんを救ってくれるのが、L77の女の子だって知ったときは、ホントにビックリしたもん――でも、ルナがただものじゃないのはあたしにもわかる」
「あたしはただものだよ」
ルナは困り顔で言った。アンジェリカは、それに対しては答えなかった。
ただ、メニューを見た。
「でもルナは、あたしの話を怪しまずに聞いてくれた」
「……」
「L77の女の子に、気味悪がられずに話を聞いてもらうためにはどうしたらいいか――あたしもさんざん考えたよ」
「もしかして、それで、何億もかかる占いなのに、無料で運命の恋人占いとかしてたの!?」
「うん――まあ――最終的に、それしか思いつかなかったっていうか。でもね、何億っていうけどね、あたしのふところに入るわけじゃないんだよ。サルディオーネって位を管理してる長老会って場所に入るだけだから。あたしに分配されるお金はほんのわずか。生活費程度」
「そうなの!?」
「そーうーなーんーだよ。それでね、ふつうサルディオーネってのは、一生王宮から出ないようなひとたちばっかりだから。王宮にいれば衣食住には困らないし、お金なんていらないけど、あたしはあちこち遠征するから、経費けっこうかかるんだ。それもぜんぶ自腹! ほかの星で活動すれば、さらにそこから税金引かれるでしょ。ないわ、マジでないよ。姉さんがこっそり援助してくれたり、パトロンがついてくれなかったら、とてもじゃないけど、やってけない」
怒涛の如くしゃべるアンジェリカに、ルナはもふもふとウサギの口を動かした。
「アンジェもたいへんなのです」
「億とは言わないけどさ――百万くらい、常にあたしの手元にあったっていいと思う」
アンジェリカはようやくメニューから目を上げて、遠い目をした。
「それに見合う労働はしてると思うよ? それに、サルディオーネとしての箔をつけるための衣装代、宝飾代、旅費、滞在費――サルディオーネがビジホになんか泊まれないし。SP必要な時もあるし。資料や書物も勉強には必要だし。まあ、衣装とか宝石類は姉さんのおさがりもらえたりするけど、金いるんだよ、へんなとこで! あたし、サルーディーバの妹だから、なんとかなった部分もけっこうあるんだよね。嫌がる人もいるけど、あるコネはつかったほうがいいよ、ルナ」
「うん」
ルナはコネなどないに等しいが――とりあえずうなずいておいた。
今のルナは、とんでもないパトロンが“影”にいることなど知る由もない。
「この宇宙船、マジ助かるよ。三十万デルももらえるでしょ? んで、宇宙船からの依頼も受ければ、長老会通さずにポケットマネーが入るし。ほんっと、マジ助かる。あたし、今後のために貯金しまくり」
「あたしも貯金しております!」
宣言したルナは、今月使いすぎていることに気がついた。
「来月から!!」
「やばい。ルナ、同い年だから、ホントしゃべりすぎちゃう」
アンジェリカはふたたびメニューを熱心に見つめた。
「……それにね、縁の面からみても、あたしたちとルナはつながりがある。不思議なほどに――」
ルナのウサギ口が、咀嚼のためにもふもふ動いた。
「むかし、あたしたちがガルダ砂漠で出会ったアズラエルと、ルナが宇宙船で出会い、ルナが姉さんを助けるカードだと、占いで出た。ルナは、ZOOカードで出たとおり、真砂名神社に来た。そして、あたしたちに会った」
ルナはやけどした舌を冷ますために、ジャスミン茶を飲み、さらにおかわりした。
「今のルナが何もできないのはわかる。アントニオの言い分もわかる。でも、一日も早く力を取り戻したい――姉さんの気持ちも、分かる」
「それって、ホントにあたしなのかな?」
サルーディーバを救う人物が?
ルナはいまだに信じられなかった。というより、アンジェリカは好きだが、そのこと自体は、完璧に眉唾で聞いている。アンジェリカのいうことを信じていないというよりかは、絶対に人違いをしていると思っていた。
アンジェリカは真面目な顔になって、ルナを凝視した。
「それは、まちがいない」
そう言って、タコ玉を追加した。ルナも「あたしもたこたまください!」と叫んだ。
「ルナ、豚キムチ半分こしない?」
「よいよ」
アンジェリカとは、お好み焼き屋の前で別れたが、食べすぎたルナは、大路から少し離れた界隈を散歩することにした。山道を散歩していたら、いつのまにかK02区の看板が見えてきたので、あわててもどった。
森林浴をしながらベンチに座り、持ってきていた日記に、昨夜の夢を書きつけてみる。
書くごとに、これがほんとうのことなのかどうかが、ますます分からなくなってきた。だが、直接アズラエルたちに聞いてみるには、あまりに聞きづらいことが多くある。
(今度はあたしの過去をみるんだっけ?)
シロクマおじいさんがそう言っていた気がする。
(あたしの、過去)
L77で平凡に育ってきたルナには、アズラエルたちのように波乱万丈な過去など、まったくないのだが。
(あたしの正体って、どういうことだろう?)
その夜、ルナが眠りに着くと、三つのドアはすでに消えうせ、ひとつのドアだけが目前にあった。名札には、急いで書かれたような字で、「ルナ」と書いてあった。
その下に小さく、「もしものおはなし」とも書いてある。
「もしものおはなし?」
ルナは眉間にしわを寄せた。
導きの子ウサギは、いない。
ルナは、ドアの取っ手を回して、押した――。
ふわふわのたよりない空間を泳いで、形ある世界へ――そろそろ慣れてきた。
ルナは、教科書を胸に抱えていた。そして、花柄の麻の布で包んだ、懐に入るくらいの大きな箱を。
(これって、お弁当?)
それにしては大きな弁当箱だ。お花見のときにでもつかうような、二、三人分のランチボックス。水筒もついている。
着ているのはカーキ色の制服。
(ああ、これは)
覚えがある。アズラエルたちの学校の制服だ。
と、いうことは。
顔を上げると、そこは廊下だった。学校の廊下だ。高い天井に広い廊下。クラスを示すアルファベットが書かれたプレートが突き出す引き戸。
昨夜、この光景を見たばかりだった。
(アカラ第一軍事教練学校)
ルナはあたりをキョロキョロ見回した。
(あたしは、L18にいたことなんて、ないはずなのに)
頭の上にはクエスチョンマークしか浮かばなかったが、ルナはようやく、札の下に「もしものおはなし」と書いてあった意味が分かった。
これは、「もしルナがL18に生まれていたら」というおはなしなのかもしれない。
(でも、なんで?)
ルナは思った。
(あたし、L18に生まれていたら、傭兵なの?)
「ルナ、早くいかなきゃ。次の時間、射撃場だよ!」
ルナに話しかけてきたのは、金髪碧眼の美人だった。ルナより大きかったが、L18では小柄な方だろう。
「ミランダ、ルナ! 遅れたらひどい目にあうよ! あの教官、性格悪いんだから!」
知らない女の子三人に追いたてられて、ルナも一緒に走った。
「射撃訓練のあと、お昼であがりだし。あとちょっとがんばろ」
ミランダと呼ばれた彼女が、ルナに向かって励ますように言ったので、ルナもうなずいて笑った。
レイチェルみたいにやさしそうな人だ。ミランダ――。
(ミランダって、あの、アズラエルに睨まれてたあのミランダ!?)
……かもしれない。金髪だし。なんとなく面影がある。
ミランダも小柄とはいえ、ルナよりも大きいし、他の女の子たちも大きい。皆、百七十センチくらい軽くあるのではなかろうか。髪型も化粧も大人びた装いで、まったく学生には見えない。タトゥも化粧もし放題――けれども、制服はある。
ルナの通っていた学校とはぜんぜんちがう。ルナの高校は、服装は自由だったけれども、タトゥや化粧は禁じられていた。
しかも、みんな足も速い。ルナは走ってついていくのが精いっぱいだ。
「ぴぎ、ぴぎ」
「ルナ、がんばれ」
ミランダだけが、ルナを待ってくれた。




