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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~羽ばたきたい孔雀篇~
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253話 アンジェラとヨールカ 1


 それはすべてひそやかに始まり、ひそやかに、終わった。


 ――はじまりは、覚えている。

 火の祭事。

 あの日は、一年に一度の、火を祝う祭りの日だった。


 アンジェラは、目を覚ました。隣にはだれもいない。情事の跡だけが残っていた。いつまでいてくれたのだろう。ベッドのぬくもりは、アンジェラたったひとり分で、シグルスの分はなかった。


 彼は昨夜、アンジェラをたいそう愛してくれたのに、朝まで一緒にいてはくれなかった。


 いつもそうだった。彼は、ジルドとは違う。


 ひと部屋分もあるような大きなベッドの、白いシーツ。汚れてしまえば、すぐに取り換えられるシーツ。いつでも白い。白い壁。窓の外に見える景色と、家具と絨毯が、部屋に色彩をもたらしていた。


 白い壁、真っ白な、汚れひとつない壁。


「……石を、ちょうだい」


 アンジェラは、ぽつりと、つぶやいた。





「うわぁ……マジかぁ……」


 できあがったグラスを見て、ミシェルは苦い顔をした。失敗したわけではない。むしろ、「大成功」だ。


 最悪の、「大成功」。


 ミシェルの手にあるのは、アンジェラ作の「ラッカ・グリシャ」と名がついたグラス。

 リリザのリゾート、ラッカ・グリシャ島の浜辺から見える明け方の絶景――三色に光る海をグラスに閉じ込めた傑作。


 アンジェラにしか出せない「色」。


 これは、かつてミシェルがものすごく欲しかったグラスだった。しかし、アンジェラの初期のころの作品で、もう生産されていない。残った最後のひとつは、ララが所有する個人資産で、非売品。「アンジェラ展」で見てきた。


 そのグラスを、なぜミシェルが持っているかというと。


「――できてしまった」


 ミシェルは額を押さえ、それからうずくまった。

 そう――ミシェルは、その憧れのグラスを、自分で作ってしまったのだった。


 ここは、K23区のガラス工房。


 芸術家の街と呼ばれる、水路が張り巡らされたアンティークな街の一角に、だれもが使えるガラス工房がある。たまに初心者向けに、ガラス工芸の教室なんかも開かれていたりするのだが、主に、宇宙船に乗る前にガラス工芸をやっていたひとが、時間単位の使用料を払って使用する工房だった。


 ミシェルも何回か使わせてもらったことがある。ララへのプレゼントも、ここで作った。


「いやぁ。まさか、まさか、でしょ……」


 ミシェルはひとりで困惑していた。

 なんだか、作れるような気がしてしまったのだ。アンジェラと、あの教室で邂逅を果たしてから。

「偉大なる青いネコ」が現れたときから。


 アンジェラは、あのときのミシェルを「鏡」のようだといった。

 鏡。

 青いネコは、まるで鏡のように、アンジェラの能力を「写し取って」しまったのだろうか。


 あのころから、なんだか奇妙な予感だけはあった。

 その気になれば作れるんじゃないか。アンジェラと同じものを?

 もしそれがほんとうだったら、逆に怖くて、実行に移さないできたわけだが。


 あれからだいぶ時間が経っているし、まさか、まさかそんなことあるわけないだろうと。


 軽い気持ちで工房へきて、「こんな感じかな?」「もしかして、こう?」などと試行錯誤して――結果。


 できてしまった。あまりにあっさりと。

 アンジェラの「ラッカ・グリシャ」そっくりのグラスが。


「あの」


 遠慮がちに声をかけられて振り向いた。


「だいじょうぶ? 具合悪いの?」

「あ、いえ……」


 具合が悪いか、失敗したかと思われたのだろう。あんまり長いことうずくまっているから。


 ミシェルが「だ、だいじょうぶ……」と立ち上がりかけると、彼女の目線がミシェルの顔から、持っているグラスにまっすぐ移動した。


 まさに、ひきつけられた、という感じで。


「それ、そのグラス――」

「えっ、あ!」


 ミシェルは思わず耳まで真っ赤になって言い訳をした。


「あ、いや、ほら、似てるけど、ぜんっぜん別物だし!」


 アンジェラのグラスには似ても似つかない――と笑ってごまかそうとしたが、彼女は、アンジェラの「ラッカ・グリシャ」グラスを知らなかった。


「え? 似てるって、なにに?」

「え?」

「それより、それあなたが作ったの!? すごい! すごくきれい――」


 女の子の感激のさまが半端でなく、目まで潤ませ始めたので、ミシェルはびっくりした。ちょっと大げさすぎる。でも、ミシェルも、はじめてアンジェラの作品を見たときはそうなった。


 たしかに、このグラスは、あまりにも上手に、「ラッカ・グリシャ」そっくりにできてしまったのだけれども――。


 声が大きかったので、周りの人も寄ってきてしまった。


「……すごい」

「なに、この色。どうやったら出せるの」

「あなた何者!?」

「これいくら?」

「これ、俺に売ってくれない?」


 だれかがそういったのを皮切りに、口々から値段が飛び出した――「いくら?」「五万デルくらいなら出せるんだけど」「バカいわないで、これ、そんな安物じゃないわ!」


 急ににわかオークションが始まって、騒がしくなってきたので、ミシェルはさすがに怖くなった。


「ご、ごめん――これ、もうあげる先は決まってるから!」

「あっ! ちょっと」

「待って」


 制止を振り切って、ミシェルは工房を飛び出した。


 走って走って、K23区の入り口あたりまで来てようやく足を止め、うしろを振り返ったが、だれも追って来てはいなかった。壁に手をついて息を整える。

 トートバッグに投げ入れ、抱えるように持ってきたグラス。このあたりにひと気はない。水路沿いに置いてあるベンチに座って、こっそり取り出し、眺めた。

 そして、ため息をついた。


(ぜんぜんちがう)


 いままでのミシェルなら、こんな色は出せなかった。こんなに美しいグラデーションも作れなかった。自分がつくったものではないようだ。アンジェラが乗り移ってつくったみたい。

 でも、ちがう。


(アンジーの「ラッカ・グリシャ」とちがう)


 そっくりだけど、ちがう。アンジェラのグラスにそっくりだし、美しいことはたしかだし、自分は持っていない技術だった。


 でも――感動がない。自分がつくったからか?

 いや、たぶん昔のあたしだったら、こんなのができたら手放しで感激していた気がする。


 ――ほんとうにそう?

 これは、あたしの技術なの?


 こんなにすごいものをつくったのに、ぜんぜんうれしくない。


「そのグラス、気に入らないみたいだな。俺がお買い上げしようか?」


 ミシェルははっと顔を上げた。この通りに人はいなかったはずなのに。

 いつのまにか、軒先にアクセサリーをたくさんぶら下げた小さな屋台が、ベンチの隣にあった。


「あっ……」


 ミシェルは、店主の顔も、その屋台も、見覚えがあった。かつて、イアラ鉱石のペンダントを「押し付けて」きたアクセサリーショップだ。

 ミシェルはグラスをバッグに隠して、口を尖らせた。


「あんた、何者?」


 この男は、かつて、ミシェルにイアラ鉱石のペンダントを渡したあと、店ごと、こつ然と消えたのだ。


「グラスを買いたい」

 男は質問に答えない。

「百万デルでどうかな?」

「……売る気はないよ」


 ミシェルはバッグを抱きしめたが、急にバッグから固い存在が消えた――驚いてバッグのなかを見ると、グラスが消え失せている。かわりに、茶封筒に入った、古びたデル札の束が入っていた。

 グラスは、男が持っていた。


「ちょっと! 返してよ!」

「俺は商人だ。いつかどこかで、このグラスにインスピレーションを得る作家がいるかもしれない。そいつに高く売りつけるのが仕事だ」

「いや、あの、それは――」


 ミシェルは言いかけ、だまった。それはアンジェラの作品のフェイクだ。


「ああ、こんな傑作だ。百万デルじゃ足りねえか――でも、持ち合わせがそれしかねえし。それじゃあ、金の代わりに情報を」


 男は、グラスを紙袋に入れた。百万デルでは足りないかといったわりに、ぞんざいな扱いだ。


「“アンジェラ展”に飾ってあったグラスだものなぁ。百万デルじゃ、安いよなあ」


「――は?」

 ミシェルは目を見開いた。「どういうこと?」


「おまえ、自分の前世が、百五十六代目サルーディーバと、絵描きの娘だけって思ってるわけじゃねえよな?」


 ミシェルはこのときはっきり、薄汚れた男の顔を見た。鮮やかなブルーアイズが、まるで鏡越しに自分の顔を覗き込んでいる気にさせられた。


「ルナだけじゃないさ。おまえだって、自分のさだめと向き合うことは――」


 男がうっすらと微笑んだ。

 風が吹いた。砂ぼこりが舞って、とっさに目を閉じたミシェルが次に目を開けたときには、店ごと、(かすみ)のように消えていた。


「悪いことばかりじゃないぜ?」





 グラスを奪われたミシェルは、トボトボと帰路に就いた。

 なんだか、アンジェラのグラスを自分が作ってしまったことも、そのグラスを得体のしれない男に奪われたことも、ぜんぶ夢みたいに思えてきた。

 しかし、バッグにグラスはないけれど、百万デルは、現実にあった。


「……」


 もやもやした気分は晴れない。この百万円で豪遊してやろうか。

 ルナや屋敷のみんなと、豪華なフレンチかイタリアン――でも、いいワインを頼んだら、一気になくなる気もする。

 ハンシックは安いから、百万デルは使い切れないと思うし。


 ミシェルは嘆息した。いつまでも考えていたって、意味が分かるわけでもない。

 百万デルの使い道はあとで考えるとして、ミシェルは、このなんともいえない気分をどうしようか考えた。


 ルナを誘って、買い物でも行こうか。


 まぁ、真砂名神社近辺でも、まだ行っていない美味しそうなお店はたくさんある。


 そういえば、今日のお昼は、どこで何を食べようか。おじいちゃんといっしょだと、いつもお蕎麦か、料亭まさなで海鮮系ばっかりだしなあ。キキョウマルさんかオニチヨくんが遊びに来てくれたら、ステーキかラーメンも行けるんだけどなあ。


 あのあたりは、お好み焼き屋さんや、ラーメン店だって雷天以外にいくつかあるし、うなぎ屋さんとか天婦羅専門店もあるし。


 吉野さんだって、喫茶店メニューが美味しそうなんだけど、吉野はあまり、オニチヨくんたちが行きたがらない。店長のヨシノさんが怖いらしい。


 決めた。ルナと食い倒れツアーしよ。

 ルナがアンジェと行ったお好み焼き屋さんメッチャおいしかったらしいし。


 ようやく気分が浮上してきた――つまり、食べ物のことばっかり考えていたわけで、それが視界に飛び込んだのは、まさしく偶然だった。


 靴下を探すためにクローゼットを開けたら、小さな包みを見つけた。



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