30話 傭兵のライオン 3
まるで警報みたいなチャイムが鳴り響き――しばらくして、校舎の玄関から大勢の生徒が出てきた。彼らの格好は、いつもの軍服ではなかった。軍人も傭兵も関係なく真っ白な上着を羽織り、白い軍帽を被っている。
ルナでもわかった。これは卒業式だ。
人の波に逆らうようにして、ルナは校舎に入っていく。ウサギの背を追いかけて。
廊下を過ぎ、職員室の脇をすりぬけ、進むたび、ルナはやはり、ずっと昔、自分がここにいたような気がしてしかたがないのだった。
校長室の札が見えたころ、ルナはそこから聞こえてくる怒声に、急ブレーキをかけた。
「なんでだ!!」
聞き間違いようもなかった。アズラエルの声だ。
ウサギは迷うことなく校長室のドアを開け、入った。ルナもあわてて滑り込んだ。
奥の大きな机に座した、校長と思われる巨漢の軍人、そばには厳しい面立ちの初老の教師がふたり――そして、いまにも校長に飛びかかろうという様子のアズラエルと、それを必死で止めている、おそらく教師三人と、クラウド、オトゥール。
「なんで俺に、認定の資格を寄こさねえ……!」
教師もまちがいなく体格は優れていた――だが、その巨躯も、あっというまにアズラエルによって押し返された。クラウドとオトゥールも跳ね飛ばされる。アズラエルを止められる者などいなかった。
机に身を乗り出したアズラエルに、初老の教師たちはあきらかに怯んであとずさった。
「アズ!!」
オトゥールが、アズラエルの背に呼びかけ、それからなだめるように手を当てた。
「冷静になれ」
「俺は冷静だ」
今に限っては、オトゥールが正解だった。アズラエルは冷静ではなかった。歯をむき出し、ぎらついた目は、お世辞にも冷静とは言えなかった。ただ、激情をこらえているだけだ。
校長は揺らぎもせず、ギョロリとした目でアズラエルをにらみあげた。
アズラエルではなく、クラウドが聞いた。
「なぜです?」
クラウドの声は、冷徹だった。アズラエルの荒い息遣いに、まるで反するように。
「どうして、アズラエルに認定の資格が与えられない? 彼は優秀です。頭のほうだって、悪いわけじゃない。認定の資格を得るレベルには、余裕で達しています」
「そうです」
オトゥールも言った。友の肩を押さえながら。
「素行に問題が? たしかに彼の素行はいいとは言えませんでした。でも、地方の傭兵学校では、アズラエルより素行の悪い生徒はいくらだっています。そちらでは、実力さえあれば、認定資格を得られます。アズラエルは思想も格別危険なところはない。心理テストもパスしました。俺も、なぜアズラエルが認定の資格を得ることができないのか、納得いきません」
ルナは口を開けたまま、話を聞いていた。
(アズは、認定の資格をもらえなかったの?)
認定の資格というのは、傭兵の資格のことで、軍部から、「これは信頼できる傭兵だ」と、お墨付きをもらうという意味である。
軍事惑星では、だいたいの傭兵がグループに所属していて、フリーでやっている傭兵も、認定の資格があればまともな傭兵であり、それ以外はよほどの例外を抜かして、「自称」傭兵のチンピラばかりだと聞いた。
それは、クラウドとアズラエルから教えてもらったことだ。
(でもアズは、認定だって、いってたよ?)
ルナと出会ったアズラエルは、認定の傭兵であった。ミシェルもそう言っていた。
だいたい、学校を卒業するときに認定の資格をもらうというのは、クラウドから聞いていたルナだったが――。
今見ているのがほんとうなら、アズラエルは、学生時代に認定の資格はもらえなかったということになる。
オトゥールとクラウドの言葉に、校長はちいさく嘆息した。
「ならば、もう一度地方の傭兵学校に入り直すことだ」
「校長先生!」
抗議したのは、オトゥールだった。
「地方の傭兵学校なら、資格を出すというのであればな。――オトゥール。アカラ第一軍事教練学校は、名門中の名門だ。L18でもっとも偉大で、もっとも誇り高き学び舎である。この学校で認定の資格を得るということは、特別なことだ。そうは思わんか」
「はい、先生――しかし、」
「がっかりしたよオトゥール。君ともあろうものが、地方の一学校と、この学び舎を同列に考えるとは。君がロナウド家の嫡子でなかったら、君の成績表を今一度書き直すところだ。卒業後でよかったな」
校長は立った。ずんぐりした体格は、アズラエルたちより頭ひとつ以上も低かったが、迫力は十分にあった。
「それゆえに、たかが素行とは言い切れんのだよ、アズラエル」
「……!」
校長は、まっすぐにアズラエルの目を見て言った。
「おまえの素行は、アカラ第一はじまって以来のひどさだ。とてもではないが、アカラ第一で認定の資格は授けられん」
「将校の連中が傭兵をリンチした件については? 傭兵の女子が乱暴されたケースもありますが」
クラウドの言葉に、教師全員の眉に動きがあった。
「なのに彼らはなんの処罰もなく卒業し、軍部に入る。アカラ第一の卒業生としてね――アズラエルは、弱い者いじめをしたことは一度もないんですが?」
「口を慎め、クラウド」
教師が怒鳴った。
「傭兵と軍人はちがう」
その言葉に、はっきりと凍り付いたのは、オトゥールとアズラエルの顔だった。
「――はっきり言えよ」
アズラエルの声は、震えていた。怒りに。
「俺が認定の資格をもらえねえのは、“ユキトの孫”だからだろ」
(ユキトの、孫?)
ルナのウサ耳が、ぴんっと立った。
(ユキト?)
「それはちがう」
校長は即答した。
「そのことは、直接の原因ではない」
彼はふたたび、アズラエルの目を見つめた。
「おまえが認定の資格をもらえなかったのは、素行が原因だ」
アズラエルは、怒り任せにオトゥールを振り払い、校長室を出た。
「アズ!」
クラウドは一礼して追いかけたが、今度はオトゥールが校長に詰め寄った。
「校長先生、どうか教えてください。ドーソンから横やりが入りましたか? アズラエルに認定の資格を与えるなと?」
オトゥールの言葉に、校長は首を振った。
「そんなことはない。そこまで彼らもヒマではないよ。現に、彼の母親はユキトの娘だが、認定資格はなくとも傭兵家業はしている。父親は認定傭兵だろう。ドーソンの手が入るなら、彼の父母も傭兵などやっておられんし、父親の資格も取り上げられるだろう」
「……たしかに」
オトゥールは困惑顔でたたずんだ。
「母親エマルもユキトの娘だが、とくに政治活動をしているわけでもない。彼女はただの傭兵だ」
校長は、ためいきとともにふたたび椅子に座った。
「それに、ここだけの話だが、グレン大尉から、できることならアズラエルに認定の資格をと――推薦があった」
「グレンが?」
オトゥールの目が見開かれた。
「ドーソンの御曹司から、推薦があったのだよ」
「……」
「素行に問題はあれども、アズラエルほどの傭兵を認定なしにしておくのは惜しいという話だった。だが、職員会議で一致した。アズラエルには、認定の資格は出せん。それは、ここがアカラ第一だからだ」
すでに、オトゥールの目から反論の意志は失せていた。
「……わかりました」
「君がアズラエルの友人であるというなら、見守ることだ。認定でなくとも名を上げる傭兵はいくらでもいる。資格がすべてではない。それに」
校長は咳払いをした。
「名を上げれば、軍部のほうから認定の証書を寄こすかもしれん。可能性はある」
「ええ――校長先生は、すくなくともアズラエルに卒業証書はくださいました」
認定資格はさずからなかったが、アカラ第一軍事学校を卒業したという証明書は発行された。
ルナは複雑な目で動向を見守っていた。
「失礼します」
敬礼して校長室を出ようとしたオトゥールに、校長から声がかかった。
「では、オトゥール君。立派な軍人になりたまえ。お父様によろしく」
ルナの左耳に、カチカチという音が聞こえたかと思ったら、導きの子ウサギがルナの肩で時計のねじを巻いていた。
めのまえは、整然とした校長室から、急に薄暗がりになった。
低めに響くジャズと、天井にともる優しい光、料理と酒の匂いに、ここがレストランだということが分かった。
壁掛け時計が目に入る。時刻は午前三時をまわっていた。
そこそこ広い店内に、まったく客はおらず、閉店間際であることが伺えた。
ウサギに連れられてカウンターのある方へ行くと、カウンターのそばにある四人掛けの席に、大きなひげもじゃのおじさんがふたり、向かい合わせに座っていた。
ふたりとも、でかいクマのような見かけだったが、片方はアズラエルの父、アダムだった。ずいぶん泥酔している。
アダムの向かいでタバコを吹かしているのは、穏やかな顔をしたシロクマだった。時の館にいたおじいさんより若い――。
クロクマとシロクマ。
「そのへんにしとけよ」
シロクマが呆れ声で苦笑したが、ほんとうに止める気はないようだった。アダムはすっかり氷も解け切ったグラスに、ドボドボと強いアルコールを注いだ――と思ったら、それはコーラの瓶だった。泥酔しているのではなく、眠いだけらしかった。
「バーガス、俺ァ、あいつをアカラ第一に入れたのは、間違ってただろうか?」
「間違っちゃいねえさ」
バーガスは軽い口調で笑った。
「あそこは特別な学校だ。入れるも入れないも、入れてくれなきゃ入れねえ場所だ。アズ坊が入れたってことは、それだけ優秀だったんだ」
タバコをもみ消し、バーガスは完全につぶれかけているオオグマにつぶやいた。
「なァ、アダム」
「あん?」
「ライオンを檻に入れっぱなしじゃ、息がつまるだろ」
ライオンの語句に、ルナのウサ耳がぴーん! と立ったが、ウサギは「たとえ話だよ」となだめた。
「アカラはあいつにとっちゃ檻だった。爆発しそうな鬱憤を、いつだって抱えてた」
「……俺ァ、あいつを、広い世界に出してきてやったつもりだ」
寝ぼけ眼ででかいあくびをし、アダムはぼやいた。
子どものころから一人前の傭兵として扱い、仕事にも同行させた。L18から逃亡したとき、一ヵ所に落ち着いてもよかったが、まともに傭兵となったらかならず訪れる世界を見せてきた。
「それが、まちがいだったかな……」
「いんや。ただ、ガキの世界はアイツにとっちゃ狭かった。それに、ライオンのオスは、群れを離れて、新しい群れを自分で作るんだぜ?」
バーガスの言葉に、アダムは顔をぬぐい、眠気覚ましにまたコーラをグビリと飲み干した。バーガスのまえにはウィスキーらしきものが置かれているが、アダムは下戸らしい。
「自分で傭兵グループをつくれるようにしてやるべきか?」
アダムは困惑顔で両手を広げたが、バーガスは破顔した。
「言っただろ。そういう過保護なのは、あいつは望んじゃいねえ」
「俺は親として、なにをしてやるべきなんだ?」
「だから、そこから解放してやれっていうんだよ――アイツが、ユキトの孫とか、バブロスカ革命とか、そういうモンに縛られてる檻から、出してやらなきゃ」
「つまり?」
「ウチに寄こせ」
ついにバーガスははっきり言った。だが、アダムはそのでかい身体をちんまり縮こめた。
「ちいさいころはおとなしかったが、アイツはもう、ホントに手が付けられねえヤツに育っちまったんだ」
小さく言った。
「親父さんに迷惑はかけられねえ」
アダムの言葉の裏には、アズラエルが粗暴だからというだけではない、なにかがあるのを、ルナも感じ取っていた。
「バカを言え! 親父さんはそんなふうに思わねえよ」
バーガスはアダムの分厚すぎる肩を叩いた。
「親父さんに預けるのが申し訳ねえっていうんなら、俺が引き取る」
その言葉に、アダムはいきなり目が覚めたように小さな目をかっ開いた。
「おい」
「冗談じゃねえよ。俺がメフラー商社独立して、アズ坊を仲間にして、グループ立ち上げたっていいと言ってるんだ」
「……!」
アダムは、想いが言葉にならないようだった。口を開きかけては閉じ、落ちつかなげに肩を揺らした。
「おめえ……」
「だがよ、たぶん、親父さんは、アズ坊が来るの待ってるぞ」
「……」
「あのひとは、そういうひとだ。どんなヤツだって、だれもが見放したヤツだって、ふところに入れてくれる」
アダムの肩が震えだした。泣いているのだった。声こそ漏らさなかったが、何度も何度も、太い指で、目をぬぐった。ルナももらい泣きしていた。
(アズは)
ルナもこぼれかけた涙をあわててぬぐった。
(周りに、よいひとがいっぱいいるなあ)
「ルナ、一度もどるよ」
ウサギの言葉とともに、ルナは時の館のまえにいた。シロクマのおじいさんが、パイプを手に、大きな椅子に座っていた。
もらい泣きしていたルナは、あわてて目じりをぬぐったが、おじいさんは気づいていないようだった。
導きの子ウサギが首からかけていた円形の時計を外すと、それは不思議なことに形を変えた――目覚まし時計のような円形から、大きめの掛け時計になった。
ウサギから時計を受け取ったおじいさんは、その巨大な掛け時計を膝に乗せ、ルナに言った。
「わしの時計は便利だよ。懐中時計にもなるし」
おじいさんの言葉とともに、彼の胸まであった大時計は、手のひらにおさまるような懐中時計になり、
「腕時計にもなる」
シロクマのもふもふ毛皮の手首に、腕時計が巻かれた。
「いつか、あんたにも貸してあげるよ」
おじいさんはそう言った。ルナは「ありがとう」と言いかけたが、先におじいさんが口を開いた。
「三人とも、見終わったかね」
「うん! とりあえず要所は」
導きの子ウサギは、そう報告した。シロクマおじいさんは、ルナに尋ねた。
「どうだった。彼らの過去は」
ルナは、答えられなかった。そもそも、彼らの夢を見たことに、なんの意味があるかさえも、まったくわからないのだ。
おじいさんの代わりに、導きの子ウサギが言った。
「今度は、君自身の正体を知ることになる」
「あたし?」
ルナが自分を指さすのと同時に、ウサ耳がぴょこん、と立った。




