252話 LUNA NOVA Ⅲ 3
「あれ? これは新作かな」
セルゲイが、ジャーヤ・ライスかと思って匙を入れた焼き飯に、首を傾げた。たしかに、いつものジャーヤ・ライスとは違う気がする。
ルシヤと喧嘩していたラルガが、あっさりルシヤから離れて、テーブルにやってきた。表情のない顔の中で、目だけがすこしキラキラしている。
「そいつはな。ラルガがつくったんだ」
シュナイクルが言った。ラルガが言葉を引き継ぐ。
「シラバといって、ラグ・ヴァダの伝統料理だ。昔、父上が、L45のラグ・ヴァダの料理だといって、旅から帰ってきたときにつくってくれた――食べてみてくれ」
セルゲイが、皆の小皿に取り分けた。
米はすこし固めに炊きあげられている。焼き飯ではなく、ピラフか炊き込みご飯に近かった。川海老と貝と、赤いパプリカが炊き込んであって、薫り高い葉とナッツの粉がかかっている。酸味と辛味が多少あって、夏に食べたくなる味だ。
「うん! 美味しいよ」
「これはなかなか……」
「あたし、好きな味だ」
セシルが微笑むと、ラルガの表情が、ちょっぴり揺れた。
「おんやぁ? ラルガ君、セシルみてーなセクシー美女がお好みかぁい?」
例によって、バーガスおじさんがニタニタ笑いながらからかうと、ラルガは恐ろしく真剣な顔で言った。
「入ってきたときから、とても美しい方だと思ったぞ」
「あらやだ! 正直だねえ!」
噎せ込んだセシルに代わって、レオナが弾けるように笑った。
「これさ、前アズラエルがつくってくれた辛いチャーハンみたい。揚げ玉子のってたら、もっと好きかも」
ミシェルが言うと、「揚げ玉子か……」とラルガが考えるような顔をした。
「本当は、焼いた川魚も乗せて混ぜて食べるんだ。今日は、合う魚がなかったから」
ラルガは言い、「玉子か」とまたつぶやいた。
「これの辛味って、タバスコかい?」
「ああ。タバスコ、とはすこし違うが、トウガラシで作った、タバスコに似たソースがあるんだ」
シュナイクルが持ってきてくれた。セルゲイは匂いを嗅いで、「うわ! これはタバスコというより、デスソースだな」と呻いた。皆はそれぞれ匂いを嗅いで、咳き込んだり、さらにかけたり――いつもどおり、にぎやかな食卓になりつつあった。
気づけば、ルシヤがいない。ルナがキョロキョロしていると、シュナイクルが「放っておけ」と言った。
「この店じゃ、俺しか叱るヤツがいない。ジェイクのあれは、叱るとは言わんし、ルナたちといれば甘やかされるばかりだ。たまにはいい」
ルナはお口をバッテンにしたが、とりあえず、食事に集中することにした。ラルガが、どこかに視線を泳がせていたからだ。彼の目はおそらく、ルシヤの姿を探している。
もしかして?
ルナのウサ耳がぴょこーん! と立った。
「君、pi=poを持っていなかったんだ。意外だったな」
クラウドが、バンビからトワエのサラダを取り分けてもらいながら、ふよふよ浮いている黄色いまん丸を見つめ、言った。
「うん。まぁ、デイジーとマシフがいたしね」
「そうか。pi=poなんていらないよな。あんな高性能ヒューマノイドがいるんだから」
「でも、ヒューマノイドは連れ歩けないから」
バンビはそういって、大口でサラダを貪った。
「あのpi=po、けっこういい値段したはずだし、限定百個しかないっていうのに、よく手に入ったね」
ミシェルが言うのに、バンビは目を見開いた。
「え? マジで?」
「うん。キラがそう言ってた」
「ふつうに量販店に売ってたわよ?」
「キラが行ったとこは、もう売り切れだったって」
「そう……」
バンビはpi=poを見た。
「キラちゃんか。バーベキューのときに会ったわね。いろいろ趣味が合いそうな子だったわ」
ファッションセンスは近いものがある。今日のバンビは、アニメの鹿がちりばめられたスウェットを着ている。色はショッキング・ピンク。リリザに売っていそうな服だ。
「九庵より、キラちゃんのほうが、コンビとしては似合うと思うよ」
「だれがハゲチャビンズだって? だからいってるでしょ、あたしのはファッションなの!! 坊主じゃなく!!」
クラウドの台詞に、バンビは一度憤慨した。
先だってのバーベキューの際、あやうく九庵に、「ハゲチャビンズ」なるものを結成されようとしていたのである。結成目的は、よく分からない。
「キラと、欲しいpi=poの種類も一緒か……」
「あたしは、このデイジー模様が目についただけで、キャンプ機能は関係ないんだってば」
ミシェルのしみじみとした言葉に、バンビは言い訳をした。
「今まで、pi=poのことはてんで頭になかったの。デイジーとマシフがいたし。でも、クラウドのキックや、ルナのちこたんを見てたら、連れ歩けるのがいいなって」
pi=po「デイジー」には、ヒューマノイドのマシフとデイジーのデータをインプットしてある。音声も、研究所の入り口同様、デイジーの声だ。
ヒューマノイドはもともと違法だし、連れ歩いたら即逮捕である。バンビは、代わりに連れ歩けるよう、pi=poを買い、改造した。
「連れ歩く予定があるのかい?」
「……ん。……そうね」
バンビは、「デイジー」を見るだけで、返事はしなかった。
「ノワ?」
クラウドたちがバンビのpi=poを話題にしていたころ。
ルナとシュナイクルは、別の話をしていた。
だんだんシュナイクルも、ルナのメチャクチャな言語を理解する機能がついてきていた。彼は、共通語とハン=シィクの言語とケトゥイン語とルナ語を駆使することができる――つまり、ルナの支離滅裂で難解な話を、彼は理解した。
K25区に遊びに行ったという話から、アンソニーという人物に会ったこと、K19区にノワの遺跡があるかもしれないという話を。
「K19区は、行ったことがないが――ノワの伝承なら、ハン=シィクにもあるぞ?」
「えっ?」
こんなところでも、ノワの話が?
「ハンの樹は、ノワが植えたの!!」
いつのまにか、ルシヤが戻ってきていた。本人よりはるかに大きい、チーズの塊を抱えて。
「ルシヤさん、俺がやりますから、座っててください」
ジェイクが、よろよろしているルシヤから、チーズを引き取った。ラルガの腰が半分上がっていたのを、ルナは見逃さなかった。あれは、ジェイクと同じことをしようとしたに違いない。
「ハンの樹は、ノワが植えた!」
ルシヤはもう一度鼻息荒く言って、ルナの隣に座った。ルナは、ラルガの動向に気を取られたあまり、ルシヤの最初の言葉を聞いていなかった。
「えっホントに!?」
食いついたのは、クラウドが先だった。
「そうだ! あの、三国の境界として立っているハンの樹は、もともとノワが植えたんだ」
「ノワは、三国の争いを鎮めるために、あの地にハンの樹を植えた」
シュナイクルが、くわしく話してくれた。
――かつて、千年以上も昔、ノワが、ルチヤンベル・レジスタンスが住む地を訪れた。
ルチヤンベル・レジスタンスは、ノワを、豪勢な食事や美男美女の踊りでもてなした。それに喜んだノワは、「なにか願い事があれば、ひとつだけかなえてやる」と言った。
ルチヤンベル・レジスタンスは誇り高き部族である。欲はない。だが、この地に争いが絶えないことだけが、困りごとだった。
「どうか、この地に平和を」
「バトルジャーヤから、争いをなくすのは、難しい」
ノワは言った。
「この星は戦の神の加護がある。そのことによって進化発展する星だ。完全にとはいかないが、争いを小さくしよう」
そうしてノワは、ハン=シィクの大地の中央に立ち、そこにちいさな木の苗を植えた。
ダイローンがノワを見つけて一斉射撃したが、ノワには一弾も当たらなかった。ハンの樹にもだ。ノワは植えた木の根元で昼寝を始めた。
それから一週間、ノワは目覚めなかった。
雨の日も、日照りの日も、ひたすら眠り続けた。そのあいだ、相棒のタカが、ダイローンの攻撃や、苗を引っこ抜こうとする悪の手から、ノワとハンの樹を守り続けた。
一週間たつと、ハンの樹はとてつもない大きさに成長していた。何十人もが傘の下で雨宿りできるほど。
その奇妙な御業に、ルチヤンベル・レジスタンスからも、ケトウィン国からも、ダイローンからも、大勢、人が集まって見に来た。
ノワはようやく起き上がり、大あくびをしてから、皆の前で宣言した。
「この地に平和をもたらそう。この木がある大地で、争いを起こしてはならない。禁を破ったものには、不吉が襲い来るであろう」
そう言い放ったノワに、ダイローンの銃が襲い掛かったが、ノワと木には当たらなかった。そのかわり、大きな雷が落ちて、ダイローンの戦士たちは焼け焦げた。
「見よ! 争う者は、ことごとく、滅びる」
それが証だった。
それよりのち、ハンの樹がある大地では、争いが起こらなくなった――。
いきなり静かになったと思ったら、皆が食事の手を止めて、シュナイクルの話に聞き入っていたのだった。
「……まぁ、こんな話が残っている、ということだ」
「このあいだから、ノワの話をよく聞くな」
バーガスが呑気に言った。
「そうだねえ。まさか、こんな宇宙船の中にもノワの遺跡があるなんてねえ……」
レオナもうなずく。
まさか、ハンシックでも、ノワの話が聞けるとは、思わなかった。
ルナは、半分口を開けてノワのことを考えていたのだが、ジェイクが「お待たせ~!」といって持ってきたラクレットチーズがトロリととろけるさまを見て、すべてを忘れたのだった。
さて。
屋敷の皆が、ハンシックでにぎやかにやっていたころ。
ロビンは、真砂名神社の階段のまえに突っ立っていた。
「……」
やはり、足はぴくりとも動いてくれなかった。ロビンは腕を組んで、長い階段のてっぺんを見つめるだけだ。ロビンの横を、老若男女――あの祭りのときほどではないが、何人も上がっていくのを、ロビンは見送ることを繰り返した。
「……」
ロビンは、片足を上げた。上がる。だが、階段の上に乗ってはくれない。
「……」
そうっと、乗せようとしたが、やはりその気が失せてしまう。ロビンは、地面に足を戻した。
ここに来てから、何度それを繰り返したか分からない。やはり、階段は上がれない。それがなぜか、分かる由もなかった。
「もし」
ロビンは肩を叩かれた。振り返ると、アロハシャツに股引に下駄、麦わら帽子といった、バカンススタイルの、白髭じいさんがいた。
「あんた、今日で三度目じゃろ。祭りのときに一回来て、そのあと来て、今日、来た」
「ああ」
なんで知っているんだと、ロビンが不審な顔をしたので、じいさんは説明した。
「わしゃァ、そこの店主でな。毎日、ここにくる客は見とる」
じいさんが指した店は、階段すぐ近くの、「紅葉庵」という看板が掲げられた、菓子屋と茶店がいっしょになった店舗だった。はためく店先ののぼり旗には、「白玉あんみつデラックスオブソルジャー! 好評発売中!」とでかでかと書かれていた。
(……ソルジャー?)
ロビンは首をかしげたが、じいさんが、ロビンの手に、なにかを押し込んできた。ロビンが手を開くと、そこにあったのは、紙に包まれた黒飴だった。
「――は?」
「飴ちゃんあげるで、帰んなさい」
「は?」
ロビンは、怪訝としかいいようのない顔をしたが、じいさんは、背を向けて店に帰って行く。
「ちょ、おい……!」
ロビンが呼び止めると、じいさんは振り返って、もどってきた。そして、自身を親指で差すと、怒鳴った。
「わし! 今年二百六十歳! 還暦三回目!」
「は?」
どこか自慢げに聞こえるのは、ロビンの気のせいではない。ロビンはとにかく、年齢に突っ込むことはやめた。たしか、アズラエルの友人にも百歳越えの、濃いキャラのコンビニ店長がいた――今はそれどころではない。てのひらの飴と、帰りなさいの言葉。まるで、子ども扱いである。実際、二百六十歳からしたら、三十そこそこのロビンなど、赤ん坊かもしれないが。
「年寄りのいうことは聞いといたほうがええ」
じいさんは、重々しくうなずいた。
「あんな階段、のぼらんでも、べつにいいじゃろ。おまえさんの人生に、何の影響もおよぼさん」
「……」
そのとおりだった。
ロビンもそう思った。あの階段は、ロビンの人生には全く必要のないものだ。
「いや、まあ、そうだ」
ロビンはうなずき、「じゃァな」と言って、階段をあとにした。彼が大路入口の鳥居をすぎて、姿が見えなくなるまで、紅葉庵の店主は、じっと見守っていた。
「ナキジン」
ほかの店から、顔見知りの店主たちが、幾人か集まってきた。
「ありゃ、ダメか」
ナキジンはうなずいた。
「ダメじゃ。――もしかしたら、また来るかもしれん。いまのとこは大丈夫そうじゃが、ウッカリ、なにかの拍子に、階段に足を踏み入れたらおしまいじゃ。よう見とってくれ」
「イシュマールは知っとるんか」
「わしが今行って、報告してくる。――ええか。わしも気ィつけて見とるが、みなも気ィつけてくれ」
皆は、真剣な顔でうなずいた。
「あいつはぜったい、階段を上がらせたら、いかんぞ」




