252話 LUNA NOVA Ⅲ 2
ルナたちが、ララ邸に顔を出したのは翌日だった。
あっさりアポは取れた。
ララは大喜びで業務を放り出し、ルナとミシェルの相手をした。
ミシェルが作ったグラスを手にしたララは、「はわ……あわわ……ミシェルのグラス……」と、意味不明の奇声を漏らすほど感激し、特大の宝石でも押し戴いたように崇め奉り、箱を丁重に開け、「粗品」とかいた熨斗ですら、粗末には扱わなかった。グラスを取り出し、また奇声をあげたあと、三百六十度から熱心に観察して写真を取らせ、指紋を丁寧にふき、宝石箱とおぼしき箱を持ってこさせてしまいはじめたので、ミシェルをドン引かせた。
そして、ルナからのプレゼントも、「こりゃァ、いいワインじゃないか!」と喜んで受け取り――いたずらっぽく、ニヤリと笑った。
「こいつは、ルーシーが選んだんじゃないね?」
「ばれた!」
「そりゃバレるさ」
ララはおかしげに笑い、
「どれもこれも、貴重なワインだ。金を出せば飲めるってシロモノじゃない。とくにこのアイスワイン――LUNA NOVAは、レストランで飲めば、グラス一杯五十万デルはするよ」
「瓶じゃなくて!?」
ミシェルが鼻から紅茶を吹き出すところだった。瓶でもたいそうな価格だが、グラス一杯五十万デルとは。
昨夜はミシェルも、「このワインおいしいね~!」とか言いながら、残りをルナとセシル、レオナと分け合ったのだ。そのあたりのカクテル缶と同じように、ガブ飲みした。
「だれが選んだ? アズラエルかい、それともクラウド」
ララはシグルスを呼び、宝石のようなチョコレートが並んだ冷蔵ケースを持ってこさせ、なにか耳打ちした。そして、ルナからもらったワインを、ワインセラーに持っていくよう指示した。
「……グレンです」
「なるほど。そうか。ドーソンのお坊ちゃまもいたんだっけね」
ララは、シグルスが持ってきたスパークリングワインを、手ずからフルートグラスに注ぎ、ルナとミシェルに渡した。
「飲んでごらん。これは、LUNA NOVAをつくってるところの、スパークリングワインだよ」
ルナとミシェルは、恐る恐るといった感じで一口飲み、当然のように「おいしい!」と叫んだ。
冷蔵ケースからチョコレートもいくつか出され、金細工の皿にのせてルナたちのまえに置かれた。
ララはグラスを揺らしながら、言った。
「LUNA NOVA……原住民のアフリタリ族がつくってるアイスワインだ。なぜLUNA NOVAって名がついたかっていうのは、ノワが、彼らにアイスワインのつくりかたを教えたから」
ルナは、きのうグレンに教えてもらった逸話を、思いだしていた。
「アフリタリの居住区が、星の気候変動のせいで寒冷地になってしまって、せっかくできたブドウが、収穫前に凍ってしまった。嘆いていたところに現れたのがノワ。ノワは彼らに、凍ったブドウを使ってつくる酒の製造法を教えた。その酒が信じられないほど美味で、ほかの村や原住民、地球人にも売れたために、アフリタリ族は、飢饉から救われた。ノワは恩人だ。だから、ノワの名を、ワインの名前につかった――」
ララは、そこまで言ってひといきに飲み干した。
「いまでは、アフリタリは葡萄酒づくりの原住民って言われていて、アイスワインのほかにも、さまざまなワインを手掛けてる。アフリタリの居住区も広いし、L系惑星群全土に散らばってるからね。でも、“LUNA NOVA”の名は、最初に、ノワが訪れた村でつくったアイスワインの専売特許だ。それ以外の村でつくられたものは、LUNA NOVAとは呼ばない」
ララの話は、グレンから聞いた話と同じだった。ルナは、聞いてみた。
「あのね、ララさん」
「うん?」
「K19区に、ノワの墓があるって聞いたの。ララさんは知ってる?」
「ノワの墓? K25区じゃなくて、かい?」
ルナは、K25区の灯台のふもとにあるノワの墓には、行ってきた話をした。
「う~ん、……K19区にあるって話は、聞いたことがないねえ……」
ララは、しばし考え込み、それから大音声でシグルスを呼んだ。シグルスがいつもの優雅なしぐさで駆けつけると、
「シグルス! ルーシーの頼みだ。ウチの社員を総動員して、K19区をくまなく探しな! ノワの墓だよ!」
「かしこまりました」
「待ってえええええ!」
ルナはあわてて叫んだ。
「そ、そんなことまでしなくていいの! ただ、ただララさんは知らないかなって聞いてみただけ!」
「遠慮しなくていいよルーシー。探してあげるから」
「い、いいの! いいのです! よけいなことをゆったあたしがばかでした!」
「そうかい……?」
ララは不満げだったが、やがて手を打った。ルナとミシェルはびくりとした。ララのプレゼントは規模が大きすぎて、いちいち身がすくむ。
「じゃあ、ノワの絵をあげよう!」
「ノワの、絵?」
ララは、別の部屋へふたりを案内した。
ララの屋敷は、ルナたちが転居した豪邸の二、三倍はある広さのようで、ララが次の扉を開けるまで、ずいぶん歩いた。
長い廊下、らせん階段、いくつものドアを過ぎ、最後に観音開きの大扉をあけた先は、たいそうな大広間で、家具は、すみっこにグランドピアノが置いてあるだけだった。窓はなく、壁一面に、たくさんの絵画が飾られている。
ララはまっすぐに、「ノワの絵」に向かった。
それは小さな額装だった。ノートパソコンを縦にしたくらいの大きさで、ノワの絵、というわりには、ノワの姿が描かれていたわけではない。
描かれているのは、ただの星空だった。――月のない。
「こいつは、そんなに身構えることはないよ。二束三文で買い取った絵だから」
ララは壁から額装を下ろし、ルナに手渡した。
「あたしがK23区を散歩してたときに、道端で売られていた絵さ。二十歳にもならんような女の子――美術学校の子かね――が描いて、道端で売っていた絵だ。ほかのは風景画がほとんどで、たいして目を引くものはなかったんだが、これだけはどうも気になってねえ」
ララは、そのときのことを思いだすように、絵を見つめた。
「K23区をぐるっとまわって――その日は、収穫はなかった。ま、たいていいつもそんなもんだが。区画の入り口にもどってきたら、その子の絵は、まったく売れちゃいなかった。それで、あたしがこの絵を買ったってわけさ。元の値に多少色はつけてやったが、それでも、まあ……」
ララは言いかけ、
「タイトルが『LUNA NOVA』だったから、『この絵は新月を意味してんのかい』って聞いたら、その子は、『これはノワを描いたものだ』といった。だから、あたしは気に入って、買った」
「……」
「ノワって、どんなひとだったんだろうね」
ミシェルも、興味深げに絵をのぞき込んだ。
ノワの姿を映した写真は残っていない。だが、ノワを描いた絵画はある。L系惑星群の美術館に飾られている、昔の画家のそれは、この絵のような抽象的なものではなくて、大きなフードを被り、マントで身を覆い、杖を持ち、黒いタカを肩に乗せた旅人の姿だ。その姿も横から見た姿で、ノワの顔は、はっきりしない。
ルナは絵をじっと見つめ――ノワという人物に、思いをはせた。
「それより、ふたりとも。今日くらいは夕食をいっしょに……」
ララがウキウキした顔で言いかけたとき。
「ララ様、お時間です。L55の本社からお電話が」
「シグルスゥゥゥウ!!!」
巻き舌で怒鳴ったララだったが、仕事は、ララを待ってはくれなかった。
「あっ、それ、キラが欲しがってたやつ」
バンビがセッティングしている黄色い球形のpi=poを見るなり、ミシェルが言った。
「それ、限定カラーだよね。なんつったっけ……」
「うーんと、“イエローモンスターBBQ”」
ふよふよ浮いているpi=poの真下を覗き込んで、バンビは言った。
「そうそう! それ!」
「なんでバーベキューかって思ったら、キャンプの機能がついてんのよね。テント張れるの。バーベキューのセッティングも片付けもおまかせ! だって。アウトドア機能特化型。海も山も――砂漠もどんとこい」
「バンビさん、キャンプしたかったの……?」
「まさか! いや、あたしも買ってから気づいて。バーベキューできますなんていわれても……。そうじゃなくて、あたしはこっちが目について……」
バンビが指さしたのは、pi=poの模様だった。明るい黄色のカラー、下一面に、白い花模様が彩られている。
「この花って、デイジー……。あっ! なるほど」
ルナとミシェルは手を打った。バンビは微笑んだ。
「うん。この子、デイジーっていうの。これからよろしく」
翌日のことだ。
ルナたちは、ハンシックに昼食を食べに来ていた。引っ越し報告も兼ね、久しぶりに、ハンシックの皆に会いに――。
もちろん、ハンシックは、昼の営業はやっていないのだが、ルナたちは特別だ。
夜はシュナイクルたちが忙しいからほとんど話せないし、営業が終わってからとなると、ピエトがおねむになってしまう。シュナイクルたちにとっても、いっしょに食卓を囲めるから、昼に来てもらった方が嬉しいのだった。
バーガス夫妻とセシル親子は、シュナイクルたちとバーベキュー・パーティーで少し話したことはあるが、店に来たのは、今日が初めてだ。
ネイシャとルシヤは、このあいだのバーベキューですっかり仲良くなっていた。
そして――。
「わたしのことが、嫌いなら、どうして店に来るの!!」
「おまえに会いに来ているわけじゃない。おれは、シュンさんに料理を習いに来てるんだ」
「おまえに手伝ってもらわなくても、間に合っている!!」
「おれは、勉強に来ているんだ。手伝いに来ているわけじゃない」
「ああいえば、こういう……!!」
ギャースカわめきながら――主にルシヤが、だ。
湯気の立つ料理をお盆に乗せて運んできたのは、麻の貫頭衣を着て、腕輪だの鉢金だのが宝石まみれで輝かしい――顔面も輝かしい、目を見張るような美形の少年、と、ルシヤ、だった。
金髪のライオンヘアが、だれの息子かとはっきり分からせる――ペリドットの長男、ラルガだ。
ルシヤより一、二歳上だが、ずいぶん背が高く、身体も無駄のない筋肉で引き締まっている。後ろ姿を見れば大人だと思うくらい、大柄な少年だ。ルシヤもネイシャも筋肉質で、同年にくらべればがっしりしているほうだが、彼は別格だった。
麻の半ズボンから覗く褐色の太股は、ムキムキ。
「どしたの? るーちゃん、不機嫌だね……」
ミシェルと一緒に、バンビのpi=poを見ていたルナが、こっそり聞いた。バンビは苦笑する。
「アレ、お嬢の天敵」
ルシヤがダンッ! とテーブルにお盆を置くと、目に見えてラルガの眉がしかめられる。
「食事はもっと丁寧に置くものだ」
「おまえが、いないところでは、いつもちゃんと置いている!!」
ルシヤは足音も荒く厨房に戻り、「じいちゃん!! アイツ、追い出して!」と、テーブルにも聞こえる大声で怒鳴った。シュナイクルの苦笑のさまが目に見えるようだ。
「すまない。こぼれてはいないか」
ラルガときたら、ルシヤの悪態にもまるで動じず、こちらは驚くほど音を立てずに、器を拭いてから、置いた。
「ラルガ、ルシヤと仲が悪いのか?」
ピエトはすでにラルガとともだちだ。ラルガの弟のイスピオとも。
彼と最初に会ったのは、ラグ・ヴァダの伝説を聞きに行ったときで、ラルガはK33区の子どもたちのまとめ役だった。ピエトも面倒を見てもらった。
二度目は、セシルたちの呪いを解くべく、マミカリシドラスラオネザに会いに行ったときで、ペリドットの家で夕食をいただいた。
そのとき出された夕食は、すべてラルガがつくったものだった。
ラルガは、一週間ほど前から、シュナイクルに料理を習いに来ている。料理を教えて欲しいといわれたシュナイクルは、最初は驚いたが――なにせ、ラグ・ヴァダ王族の王子様である――けれど、ラルガが本気で料理に興味があり、楽しそうに店の手伝いをするのを見て、「いつでも来い」と言ったのだそうだ。
それから、ほぼ毎日、通ってきている。勉強と鍛練を済ませてから、ずっと。
「あっちが、一方的におれを嫌っているだけだ」
ラルガは、どちらかというと面白くなさそうな顔で言った。少年にしては、驚くほど口調も安定していて、表情も少ない。
「おまえはルシヤが嫌いじゃないのか?」
「いや、嫌いだ」
ラルガはきっぱり言った。
「シュンさんは尊敬しているが、アイツは嫌いだ。なにせ、礼儀がなっていない」
ラルガは、ルシヤが、ジェイクやバンビら大人たちを呼び捨てし、まるで下僕でもつかうかのように、頭ごなしに命令するのが許せないのだそうだ。
「お、俺も、ルナとアズラエルのこと、名前で呼んでるぜ?」
ピエトは言ったが、ラルガは首を振った。
「ピエトは別だ。別に、ルナさんのことを顎で使うわけじゃないだろう? 敬称がない言語はいくらでもあるし、親兄弟、名前で呼び合う部族もある」
「俺も特に気にしてないぜ? 居候だってことは事実だしな。それに、俺だってルシヤさんを叱るときもある」
ジェイクも弁明したが、やはり首を振る。
「アイツは、態度がでかい」
ルシヤのほうも、ラルガの態度がでかいと文句を言っている――無理もない。ラルガはラグ・ヴァダ王族の嫡子。跡継ぎ。つまり王子様なのだ。
世が世なら、L03を治める王として君臨していたわけで。
「無礼は、アイツのほうだ」
王子様に言われてしまえば、もう返す言葉がない。
「まぁまぁ」
シュナイクルが、最後の器を運んできた。目が座ったルシヤを連れて。
「仲良くやってくれ」
「じいちゃん! 頼むから、アイツに来るなと言って!!」
ラルガは無表情だ。動じていないように見えるが、けっこう傷ついているのではあるまいか。ルナは勝手にそう思った。
「そういうな。ラグ・ヴァダ族の王子様を、追い出すわけにいかねえだろ。それに、ペリドットは恩人だ」
「……いや。もし迷惑なら、断ってくれてかまわない」
静かにラルガは言った。シュナイクルは彼の頭をガシガシと撫でた。
「俺は仲良くやってほしいだけだ。うちの素直じゃない孫ともな――あんたには、苦労かけるかもしれんが」
それを聞いて、ラルガは、シュナイクルを見上げ、それからルシヤを見て、ふうと小さくためいきを吐いた。それに、ルシヤがますます噴火したのは言うまでもない。
「分かった。なにかを学ぶときは、苦労がつきものだ。貴方の迷惑でないならかまわない。これからも続けさせてくれ」
「おまえ! わたしを苦労といったか!?」
「いちいち突っかかってくる者を、苦労と呼ばないなら、なんなんだ?」
「おまえが、わたしを、責めるからだろう!?」
「おれは、当然のことを言っているだけだ」
延々続きそうなケンカは、シュナイクルが放っておいていいと言ったので、みんなは食事にありつくことにした。
いつもながら、豪勢なメニューの数々だ。




