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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~LUNA NOVA篇~
604/952

251話 LUNA NOVA Ⅱ 2


「アンソニーの住所を、教えてほしいのです」


 中央役所――派遣役員の執務室では、カザマがL55のE.S.C本社と、通信していた。カザマのデスクにあるモニターには、通信相手の役員の、疲れた顔が映っていた。


「先日、宇宙船が“境界”を超えました。これからは、L55の本社とこちらを往復するのに、どんな速い便をつかっても、五ヶ月以内に往復できません。わたくしがL系惑星群にもどるようなことが起きたなら、そのあいだのルナさんたちの担当役員は、アンソニーしかいないとわたくしは考えます」


 カザマは、ずいぶんな熱心さで、電話向こうの本社役員を――派遣役員の交代や、補助、移動を担当する役員――を説得していた。だが、彼から返ってくる返事は、相変わらずためいきだった。


『ミヒャエル』


 彼は、カザマが彼を説得するのと同じくらいの熱心さで、カザマを説得しようとしていた。


『何度も言うが、彼はもう引退した――休ませてやりなさい。いくつだと思っている。もう八十七歳だぞ? 定年はとうに越している』

「この宇宙船の役員に、定年などあってないようなものでしょう」

『……ミヒャエル、君のいうこともよくわかる。君の担当船客であるルナ・D・バーントシェント――彼女の近辺には、地球行き宇宙船創設以来、類を見ない、数々の難事が起こっている。だとすれば、君の代理人は、やはり特別派遣役員がふさわしい。L03出身の特別派遣役員を手配しよう。アンソニーは、もう、休ませてあげなさい』


「――ですが」

 カザマは言いつのった。

「最初、マ・アース・ジャ・ハーナの神が命じたルナさんたちの役員は、アンソニーでした。アンソニーの引退申請が通らなければ、彼はルナさんたちの担当をしていたでしょう」


『申請は通った。それがマ・アース・ジャ・ハーナの神のご意志では?』

 電話の相手は、くたびれた様子で言った。

『ミヒャエル。気の毒だとは思わないのか。長年の激務で、彼は手が震えて、字も書けなくなっているんだぞ。そんな年寄りに、まだ仕事をさせようというのか』


 カザマがやっと黙ったので、彼は口調を和らげた。


『そもそも、今のところ、君がこちらにもどるような用件は存在しない。だが、念には念を入れるという、君の考えは正しい。こちらで、特別派遣役員を一名手配する――なるべく急ぎで向かわせるから、三ヶ月程度で着くだろう』


 カザマからの返事はなかった。彼女が納得していないのは、彼にはわかっていた。


『君の熱心さと勤勉さはみとめる。だが、引退した病の老人を、現場に引きずり出すのは感心しない』


 彼は、釘を刺しておいた。なんにせよ、アンソニーは地球行き宇宙船内にいるのだ。カザマの様子では、探し出して、直接彼に頼みに行くことも十分考えられた。


 それは気の毒だと、彼は思った。アンソニーのことだから、熱心に頼まれれば引き受けてしまうだろう。


 アンソニーは高齢と病のため、昨年、やっと派遣役員を退職した。

 これでも、何年も前から退職願いは提出されていたのだ。だが、アンソニーの“経歴”ゆえに、退職願いはなかなか受理されなかった。地球行宇宙船は、彼を必要としていた。やっと昨年、その申請が通ったのだ。


「……わかりました」


 カザマから、ようやく返事が返ってきた。


「では、代わりの特派を、どうかよろしくお願いいたします」


 そういって、カザマは通信を切った。説得にくたびれた男が、ためいきをついて受話器を置いたのに、後ろの席の男が苦笑した。


「ミヒャエルかね」

「ええ、まァ、そうです」


 カザマの相手をした役員は、疲労困憊といった様子だ。後ろの席の男は、労をねぎらった。彼は二時間も、カザマを説得し続けていたのだ。


「気持ちは分からないでもないがね――なにしろ、ミヒャエルの担当の子は、L03の予言に出た人物なんだろ?」

「そうです」

「たしか、このあいだも、事件があったな。L20の首相の――だれだったか」

「カレン・A・マッケランですか」

「そう。暗殺騒ぎがあったとかで――その子と一緒に暮らしていたんだろう? 真砂名神社でのできごとといい、その子の身辺には、いろいろ起きすぎる」


「だからといって、アンソニーが気の毒ですよ」

 疲労困憊した彼のために、上司である男は、廊下にある自販機で、コーヒーを買ってきてくれた。彼は礼を言って受け取り、

「アンソニーは、なかなか引退させてもらえなかったと聞きます。もう五年も前から届けは出してるのに。もう八十七歳ですよ? 五年前ったって、八十二歳でしょ? わたしの爺さんより、年上だ」


「仕方ないさ」

 上司は苦笑した。

「なにせ彼は、“地球到達率100%”の、奇跡の役員だからな――」





「あたしの、担当役員さんになるところだったんですか?」


 ルナはびっくりして、カクテルをめのまえに差し出されても気づかないでいた。


「うん。でもね、このとおり、手にも震えが来てしまって、自分の名前さえまともに書けなくなってしまった――ついに引退さ」


 アンソニーは、震える手でグラスを口元に持っていった。


「ここに、住まいを?」


 アズラエルが聞くと、アンソニーはうなずいた。


「地球が好きだから、地球で暮らしてもよかったんだが。ぼくは、人生の大半をこの宇宙船で過ごした。だから、終の地も、この宇宙船にしようと思って」


 アンソニーは海の方をながめて言った。


「派遣役員になって、ずいぶんたくさんのひとの担当になったが、K25区のひとの担当になったことはなくてねえ――じつは、何十年も担当役員をしていながら、ぼくがこの地に足を踏み入れたのは、去年がはじめて。つまり、終の住処をこことさだめたときだ」


「地球に着いたときは、ここに似た風景の街に滞在すると聞いたが」

「おや、君はよく知っているね」

 アンソニーは、本気で驚いたように目を丸くした。

「なかなか、知らんものだよ――君には、親しい役員が?」

「まぁ――たまにいっしょに呑むくらいは、仲がいい」

「そうか、そうか――なかなか、派遣役員と乗客が親しくなることはないが、君とは気が合ったんだな――素敵なことだ」


 それからしばらく、雑談をした。主に、K25区の話だ。ルナが、昼間は行けなかった灯台に、あす帰るまえに寄ってみたいという話をすると、アンソニーが言った。


「灯台の近くにはノワの墓がある。ノワを知っているかね?」

「“ノワ”?」


 ルナとアズラエルが、同時にその名を口にした。二人とも知っている――こちらもめずらしいことだった。


「ノワって、L系惑星群の各地を放浪して、あちこちで奇跡を起こしたっていう、L05の僧侶だろう?」

「L77の、あたしんちの近くの真月神社にも、ノワの銅像が立ってるよ! あの神社に、いっぱいバラを咲かせたのはノワなんだって!」

「うん。――各地に残っているね、ノワの伝説は」


 “ノワ”の本名は、不明だ。地球の古語で、「新月」を意味する、「LUNA NOVAルナ・ノワ」から来ていると言われる。


 千年以上前に生きたL05の僧侶ということくらいしか、分かっていない。世界を放浪して、各地で奇跡を起こし、ひとびとを救った。


 そのために、辺境惑星群から、鉱山区の惑星群まで、あちらこちらにノワの伝説が残っているのだ。


 ノワが杖で突いたところから湧水が出てきて湖になったとか、鉱山から宝石が産出されるようになったとか、不治の病を治したとか、そういうエピソードは枚挙にいとまがなく、L系惑星群のあちこちに記念碑や銅像が建てられ、終焉の地だと言われる場所も、墓もあちこちにあって、はっきりしない。


「おかしいよ? ノワが生きてたのは千年よりずっとまえで、そのころには、地球行き宇宙船はなかったよ?」


「そのとおりだ」

 アンソニーはうなずき、

「だがね、たしかに、このK25区に、ノワの墓があるんだよ――そう、あの灯台のふもと」


「えっ?」


 ルナは思わず、アンソニーが指さした灯台の方を見た。


「地球行き宇宙船には、二ヶ所、ノワの墓があると本で読んだ。ひとつは、このK25区の灯台のふもと。もう一ヶ所は、ぼくもいまだに見つけられないんだが、どうやら、K19区にあるらしいんだ」


「――K19区!?」


 ルナのウサ耳がぴーん! と立った。


「そう、K19区。K19区担当の役員というのは、特殊でね、ぼくは、なんの資格もないただの派遣役員なものだから、K19区の子の担当になったことはない。だから、K19区もあまり出入りしたことはないんだが、ノワの墓を探しに何度か赴いた。だが、いまだに、どこにあるか分からない」

「……」

「たしかに、ノワが生きた時代は、この宇宙船ができるずっと昔だ。だが、彼の終焉の地は、きっと地球だった――そう考えると、ロマンがあるだろう?」


「考えられなくは、ねえな」

 アズラエルはうなずいた。

「こういう宇宙船ができて、一般人が地球とL系惑星群を行き来できるようになったのが、千年前だとしても、地球とL系惑星群との往来は、もともと、地球人がL系惑星群に移住したときからあった」


「そうだよ! だから、千五百年もの大昔、ノワが最後の地を求めて地球に向かったとしても、不思議はない」

「終焉の地が地球だから、地球の居住区に似たこの区画に墓があるって――そういうことか?」

「そう考えるのも、楽しくないかね」

 アンソニーは浮き立つ声音で言った。

「――なるほど」

 ルナはぴょこたんとうなずき、やっとカクテルに口をつけた。


「ノワは、“新月”を愛した――だから、“LUNA NOVA(ルナ ノワ)”と名乗った」

 アンソニーは、月のない星空をながめて、つぶやいた。

「君の名前といっしょだ。“ルナ”さん」

「……うん」


 無限の星がちりばめられているこの宇宙船の夜空は、宇宙をそのまま映している。月がないだけで、光景はルナたちの星と同じだ。たまに、巨大な惑星がよぎっていくのを見ることがあるし、彗星も頻繁に観察されるが――。


「新月とは不思議なものだよ――ルナさん。夜には見えない。月が消えたわけでもないのに、人の目には見えないのだ」

「うん」

「月は、姿を変える。満月になったり、三日月になったり、上弦であったり、下弦であったり――そして、完全に姿をなくして、新月になったりもする」

「……」

「星空の中に、月は見えない。だが、つねにそこにある。月は、消えてはいないのだ――まるで、ノワの生き方そのものだ」


 アンソニーは、震える手でグラスをつかんでいたが、やがてゆっくりと、中身を干した。アズラエルが彼のグラスに二杯目を注ぎ足そうとしたとき、昼間アンソニーといっしょにいた女性が、迎えに来た。


「アンソニーさん、もう休まないと――あら、昼間の方々」


 ヘルパーは軽く会釈をした。ルナはぴょこんとお辞儀をし、アズラエルは「どうも」と言った。


「そんな時間かね!?」


 アンソニーは、信じられない顔で腕時計を見やった。だが、「そんな時間」だった。彼は名残惜しそうにルナたちを見つめ、それから酒を見つめた。


「いや、じつに楽しい時間を過ごした」


 彼はヘルパーに支えられて立ち、上下にぶれる手で、ルナとアズラエルと、握手をした。ずいぶんな時間をかけて。


「ありがとう――ふたたび会うことができるかわからないが、元気で」

「こっちこそ、楽しい時間をありがとうございました」

「達者で」

「君たちに会えてよかったよ――いや、よかった」


 ルナとアズラエルもアンソニーの手をしっかりと握って挨拶をし、彼が手を振り、白い石畳の向こうに消えていくのを見守った。


(――一度だけ)


 導きの子ウサギは、「彼に会えるのは一度だけ」と言った。彼には、もう会えないのだ。ルナはちいさくなっていくアンソニーの背を見つめながら、思った。 


(LUNA NOVA……)



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