251話 LUNA NOVA Ⅱ 2
「アンソニーの住所を、教えてほしいのです」
中央役所――派遣役員の執務室では、カザマがL55のE.S.C本社と、通信していた。カザマのデスクにあるモニターには、通信相手の役員の、疲れた顔が映っていた。
「先日、宇宙船が“境界”を超えました。これからは、L55の本社とこちらを往復するのに、どんな速い便をつかっても、五ヶ月以内に往復できません。わたくしがL系惑星群にもどるようなことが起きたなら、そのあいだのルナさんたちの担当役員は、アンソニーしかいないとわたくしは考えます」
カザマは、ずいぶんな熱心さで、電話向こうの本社役員を――派遣役員の交代や、補助、移動を担当する役員――を説得していた。だが、彼から返ってくる返事は、相変わらずためいきだった。
『ミヒャエル』
彼は、カザマが彼を説得するのと同じくらいの熱心さで、カザマを説得しようとしていた。
『何度も言うが、彼はもう引退した――休ませてやりなさい。いくつだと思っている。もう八十七歳だぞ? 定年はとうに越している』
「この宇宙船の役員に、定年などあってないようなものでしょう」
『……ミヒャエル、君のいうこともよくわかる。君の担当船客であるルナ・D・バーントシェント――彼女の近辺には、地球行き宇宙船創設以来、類を見ない、数々の難事が起こっている。だとすれば、君の代理人は、やはり特別派遣役員がふさわしい。L03出身の特別派遣役員を手配しよう。アンソニーは、もう、休ませてあげなさい』
「――ですが」
カザマは言いつのった。
「最初、マ・アース・ジャ・ハーナの神が命じたルナさんたちの役員は、アンソニーでした。アンソニーの引退申請が通らなければ、彼はルナさんたちの担当をしていたでしょう」
『申請は通った。それがマ・アース・ジャ・ハーナの神のご意志では?』
電話の相手は、くたびれた様子で言った。
『ミヒャエル。気の毒だとは思わないのか。長年の激務で、彼は手が震えて、字も書けなくなっているんだぞ。そんな年寄りに、まだ仕事をさせようというのか』
カザマがやっと黙ったので、彼は口調を和らげた。
『そもそも、今のところ、君がこちらにもどるような用件は存在しない。だが、念には念を入れるという、君の考えは正しい。こちらで、特別派遣役員を一名手配する――なるべく急ぎで向かわせるから、三ヶ月程度で着くだろう』
カザマからの返事はなかった。彼女が納得していないのは、彼にはわかっていた。
『君の熱心さと勤勉さはみとめる。だが、引退した病の老人を、現場に引きずり出すのは感心しない』
彼は、釘を刺しておいた。なんにせよ、アンソニーは地球行き宇宙船内にいるのだ。カザマの様子では、探し出して、直接彼に頼みに行くことも十分考えられた。
それは気の毒だと、彼は思った。アンソニーのことだから、熱心に頼まれれば引き受けてしまうだろう。
アンソニーは高齢と病のため、昨年、やっと派遣役員を退職した。
これでも、何年も前から退職願いは提出されていたのだ。だが、アンソニーの“経歴”ゆえに、退職願いはなかなか受理されなかった。地球行宇宙船は、彼を必要としていた。やっと昨年、その申請が通ったのだ。
「……わかりました」
カザマから、ようやく返事が返ってきた。
「では、代わりの特派を、どうかよろしくお願いいたします」
そういって、カザマは通信を切った。説得にくたびれた男が、ためいきをついて受話器を置いたのに、後ろの席の男が苦笑した。
「ミヒャエルかね」
「ええ、まァ、そうです」
カザマの相手をした役員は、疲労困憊といった様子だ。後ろの席の男は、労をねぎらった。彼は二時間も、カザマを説得し続けていたのだ。
「気持ちは分からないでもないがね――なにしろ、ミヒャエルの担当の子は、L03の予言に出た人物なんだろ?」
「そうです」
「たしか、このあいだも、事件があったな。L20の首相の――だれだったか」
「カレン・A・マッケランですか」
「そう。暗殺騒ぎがあったとかで――その子と一緒に暮らしていたんだろう? 真砂名神社でのできごとといい、その子の身辺には、いろいろ起きすぎる」
「だからといって、アンソニーが気の毒ですよ」
疲労困憊した彼のために、上司である男は、廊下にある自販機で、コーヒーを買ってきてくれた。彼は礼を言って受け取り、
「アンソニーは、なかなか引退させてもらえなかったと聞きます。もう五年も前から届けは出してるのに。もう八十七歳ですよ? 五年前ったって、八十二歳でしょ? わたしの爺さんより、年上だ」
「仕方ないさ」
上司は苦笑した。
「なにせ彼は、“地球到達率100%”の、奇跡の役員だからな――」
「あたしの、担当役員さんになるところだったんですか?」
ルナはびっくりして、カクテルをめのまえに差し出されても気づかないでいた。
「うん。でもね、このとおり、手にも震えが来てしまって、自分の名前さえまともに書けなくなってしまった――ついに引退さ」
アンソニーは、震える手でグラスを口元に持っていった。
「ここに、住まいを?」
アズラエルが聞くと、アンソニーはうなずいた。
「地球が好きだから、地球で暮らしてもよかったんだが。ぼくは、人生の大半をこの宇宙船で過ごした。だから、終の地も、この宇宙船にしようと思って」
アンソニーは海の方をながめて言った。
「派遣役員になって、ずいぶんたくさんのひとの担当になったが、K25区のひとの担当になったことはなくてねえ――じつは、何十年も担当役員をしていながら、ぼくがこの地に足を踏み入れたのは、去年がはじめて。つまり、終の住処をこことさだめたときだ」
「地球に着いたときは、ここに似た風景の街に滞在すると聞いたが」
「おや、君はよく知っているね」
アンソニーは、本気で驚いたように目を丸くした。
「なかなか、知らんものだよ――君には、親しい役員が?」
「まぁ――たまにいっしょに呑むくらいは、仲がいい」
「そうか、そうか――なかなか、派遣役員と乗客が親しくなることはないが、君とは気が合ったんだな――素敵なことだ」
それからしばらく、雑談をした。主に、K25区の話だ。ルナが、昼間は行けなかった灯台に、あす帰るまえに寄ってみたいという話をすると、アンソニーが言った。
「灯台の近くにはノワの墓がある。ノワを知っているかね?」
「“ノワ”?」
ルナとアズラエルが、同時にその名を口にした。二人とも知っている――こちらもめずらしいことだった。
「ノワって、L系惑星群の各地を放浪して、あちこちで奇跡を起こしたっていう、L05の僧侶だろう?」
「L77の、あたしんちの近くの真月神社にも、ノワの銅像が立ってるよ! あの神社に、いっぱいバラを咲かせたのはノワなんだって!」
「うん。――各地に残っているね、ノワの伝説は」
“ノワ”の本名は、不明だ。地球の古語で、「新月」を意味する、「LUNA NOVA」から来ていると言われる。
千年以上前に生きたL05の僧侶ということくらいしか、分かっていない。世界を放浪して、各地で奇跡を起こし、ひとびとを救った。
そのために、辺境惑星群から、鉱山区の惑星群まで、あちらこちらにノワの伝説が残っているのだ。
ノワが杖で突いたところから湧水が出てきて湖になったとか、鉱山から宝石が産出されるようになったとか、不治の病を治したとか、そういうエピソードは枚挙にいとまがなく、L系惑星群のあちこちに記念碑や銅像が建てられ、終焉の地だと言われる場所も、墓もあちこちにあって、はっきりしない。
「おかしいよ? ノワが生きてたのは千年よりずっとまえで、そのころには、地球行き宇宙船はなかったよ?」
「そのとおりだ」
アンソニーはうなずき、
「だがね、たしかに、このK25区に、ノワの墓があるんだよ――そう、あの灯台のふもと」
「えっ?」
ルナは思わず、アンソニーが指さした灯台の方を見た。
「地球行き宇宙船には、二ヶ所、ノワの墓があると本で読んだ。ひとつは、このK25区の灯台のふもと。もう一ヶ所は、ぼくもいまだに見つけられないんだが、どうやら、K19区にあるらしいんだ」
「――K19区!?」
ルナのウサ耳がぴーん! と立った。
「そう、K19区。K19区担当の役員というのは、特殊でね、ぼくは、なんの資格もないただの派遣役員なものだから、K19区の子の担当になったことはない。だから、K19区もあまり出入りしたことはないんだが、ノワの墓を探しに何度か赴いた。だが、いまだに、どこにあるか分からない」
「……」
「たしかに、ノワが生きた時代は、この宇宙船ができるずっと昔だ。だが、彼の終焉の地は、きっと地球だった――そう考えると、ロマンがあるだろう?」
「考えられなくは、ねえな」
アズラエルはうなずいた。
「こういう宇宙船ができて、一般人が地球とL系惑星群を行き来できるようになったのが、千年前だとしても、地球とL系惑星群との往来は、もともと、地球人がL系惑星群に移住したときからあった」
「そうだよ! だから、千五百年もの大昔、ノワが最後の地を求めて地球に向かったとしても、不思議はない」
「終焉の地が地球だから、地球の居住区に似たこの区画に墓があるって――そういうことか?」
「そう考えるのも、楽しくないかね」
アンソニーは浮き立つ声音で言った。
「――なるほど」
ルナはぴょこたんとうなずき、やっとカクテルに口をつけた。
「ノワは、“新月”を愛した――だから、“LUNA NOVA”と名乗った」
アンソニーは、月のない星空をながめて、つぶやいた。
「君の名前といっしょだ。“ルナ”さん」
「……うん」
無限の星がちりばめられているこの宇宙船の夜空は、宇宙をそのまま映している。月がないだけで、光景はルナたちの星と同じだ。たまに、巨大な惑星がよぎっていくのを見ることがあるし、彗星も頻繁に観察されるが――。
「新月とは不思議なものだよ――ルナさん。夜には見えない。月が消えたわけでもないのに、人の目には見えないのだ」
「うん」
「月は、姿を変える。満月になったり、三日月になったり、上弦であったり、下弦であったり――そして、完全に姿をなくして、新月になったりもする」
「……」
「星空の中に、月は見えない。だが、つねにそこにある。月は、消えてはいないのだ――まるで、ノワの生き方そのものだ」
アンソニーは、震える手でグラスをつかんでいたが、やがてゆっくりと、中身を干した。アズラエルが彼のグラスに二杯目を注ぎ足そうとしたとき、昼間アンソニーといっしょにいた女性が、迎えに来た。
「アンソニーさん、もう休まないと――あら、昼間の方々」
ヘルパーは軽く会釈をした。ルナはぴょこんとお辞儀をし、アズラエルは「どうも」と言った。
「そんな時間かね!?」
アンソニーは、信じられない顔で腕時計を見やった。だが、「そんな時間」だった。彼は名残惜しそうにルナたちを見つめ、それから酒を見つめた。
「いや、じつに楽しい時間を過ごした」
彼はヘルパーに支えられて立ち、上下にぶれる手で、ルナとアズラエルと、握手をした。ずいぶんな時間をかけて。
「ありがとう――ふたたび会うことができるかわからないが、元気で」
「こっちこそ、楽しい時間をありがとうございました」
「達者で」
「君たちに会えてよかったよ――いや、よかった」
ルナとアズラエルもアンソニーの手をしっかりと握って挨拶をし、彼が手を振り、白い石畳の向こうに消えていくのを見守った。
(――一度だけ)
導きの子ウサギは、「彼に会えるのは一度だけ」と言った。彼には、もう会えないのだ。ルナはちいさくなっていくアンソニーの背を見つめながら、思った。
(LUNA NOVA……)




