30話 傭兵のライオン 2
時計が、かち、かち、かち、と三回鳴った。
(あれ?)
ずいぶん、時間が早く変わる。
ルナは、アズラエルの部屋のテーブルのまえにいた。ご飯をたべているはずのクラウドや、アズラエルの妹たちがいない。サンドイッチも、影形もなかった。
さっき時計が鳴った。時間が変わったのか。
それにしても、今日は導きの子ウサギがいないなあ、と思っていたら、ルナの後ろから、ぴょこ、と顔を出した。
「ごめんねルナ、遅れて」
「今日はひとりかと思いました!」
幸いにも、まだ怖い目には遭っていないが、ひとりではなんだか心細い。
「よかった、うさちゃんが来てくれて――ぴゃあ!?」
とたんにガシャーン! となにかが壊れる音がし、ガタガタと崩れるすごい音がして、ルナは驚いて硬直した。
ものすごい音だった。
「くそババア!! くたばりやがれ!!」
アズラエルの声だ。バタン、ではなくバキっ! とドアが破壊される音がして、それから、こちらの部屋のドアが、ものすごい音を立てて開けられた。
アズラエルがいた。
大きくなっている。背丈も、身体も。身長は今のアズラエルとさして変わらない。
髪は長いままだったが、顔に精悍さが増して、とてもではないが女の子みたいとは言えない風貌に変身していた。
髭こそなかったが、あの、子どものころの暗い眼は影が増して、すごみさえ出ていた。
まだ、十六歳くらい――のはずなのに。
グレンの同じころと比べると、粗野、というか、ギラついた感じがした。
多分、ルナが同い年で、アズラエルだと分かっていなかったら近づけない。
ピリピリとした人を寄せ付けないオーラが漂っていて、大人のアズラエルより怖い。
大人のアズラエルはきっと、こういう自分を隠す術をある程度身につけていたのだろうが、若いから、むき出しのままなのか。
制服は、グレンが着ていたのと違う、カーキ色――傭兵の色だ。ドッグタグは胸にかけられていて、Tシャツは、ところどころ切れてほつれて、血で汚れている。
それもそのはず。アズラエルの顔は腫れあがって、唇が切れている。
「あのくそババア――息子を殺す気か」
お母さんが殴ってこうなるの!? ルナは呆然としたが。
「おい! なんであのババアめちゃくちゃ怒ってんだ。理由知らねえか」
アズラエルはルナに向かって怒鳴った。
ルナが知るわけはないと思ったが、アズラエルはルナに聞いたのではなかった。
ルナの後ろに、ふたりいた――ひとりはアズラエルそっくりの男の子、もうひとりは金髪ボブヘアの、可愛い女の子。
男の子は机に向かって勉強していて、女の子はベッドに寝そべって雑誌を見ていた。
「スターク!」
アズラエルは怒鳴った。
「そりゃたぶん、射撃訓練の件だろ」
スタークはどうでもいいようにつぶやいた。
男の子は、妹のスタークか。おどろいた、男かと思った。
「兄貴、今日、あのグレンに射撃でぼろ負けしたってほんと?」
女の子の方が、急に興味を示したように顔を上げた。
「彼女は、さっき生まれた二人目の妹ね。オリーヴって言うんだ」
「オリーヴさん」
導きの子ウサギが、ルナの頭に乗っかっていて、恒例の自己紹介をしていた。
(男の子に見えるほうの子が、スターク、金髪の子が、オリーヴ)
ルナは覚えようと、復唱した。
「ミランダの前だからってカッコつけたのが悪いんだってクラウドが言ってたよ」
にやにや笑いながら言うスタークを、アズラエルはすごい目で睨みつけた。
ルナはぞぞおっとした。まだ若くて遠慮のない分、ルナが知っている大人のアズラエルより怖かった。
「あの教官、傭兵上がりだからって、兄貴に嫉妬してんだろ。コンバットナイフの教習で、兄貴に追い詰められて教官の立場台無しなんだからよ。まあ、グレンも将校の息子にしちゃすごいよね。やっぱドーソンだわ。甘ったれた将校のガキなんて、射撃、一発でもどっか当たれば拍手だっての。ま、グレンは正統派だけどさ。アイツ多分、傭兵の方が向いてるよ。将校やってるより。血の気多いし短気だし。俺、嫌いじゃないよアイツは。兄貴をぶん殴れんだからさ」
「しゃべりすぎだスターク」
「母さんが目立つなって、あんだけいってたじゃねーか。いうこと聞かない兄貴が悪いんだろ」
「だまってろ」
「俺は絶対傭兵はなんないからね。つかさー兄貴、聞いて聞いて!! 俺、L20の転入試験受かった!! これで将校への道まっしぐらだよー!!」
「あっそ」
将校? この子はL20に行くのか。
ルナは、まだ軍事惑星のことはほとんど分からないが、スタークがあんまり嬉しそうに言うので、よほどのことなのだと思った。
(アズの妹のスタークさんは、軍人なのかな?)
オリーヴが「よかったね。おめでとう」と頭をなでると、アズラエルが、ケッという顔をした。
「それで? それが原因で、おふくろ、あんなに怒ってんのか?」
アズラエルはドアのほうをチラチラ見ながら、腑に落ちないという顔をした。
「そっちもあるけど、たぶん、べつのことだと思うよ」
オリーヴは、ようやく真相を語った。
「たぶん、下の階のサキちゃんレイプしたの、兄貴だと思ってんじゃないかな」
「はあ!?」
アズラエルも叫んだが、ルナも叫んだ。
サキ――先ほどの夢で、アズラエルに気にするなと言った、若い女性のことだろうか。
「アイツ、最近顔見ねえと思ったら、そんな目に遭ってたのか」
アズラエルも寝耳に水のようだった。スタークも知っていたようで、肩をすくめた。
「入院してるよ。兄貴が親父と一緒に仕事出てたときに起こったことだからね」
「ここ、そんなに治安が悪いの!?」
ルナはあわてて窓の外を見たが、閑散とした道路ぞいの店は、ほとんどシャッターが下りていて、ゴミが散らばっている場所もある。ルナは来たことなどないから知らないが、スラム街、のような気がした。
「ここは、治安がとても悪いよ」
導きの子ウサギは、なぜか冷蔵庫からアイスクリームを失敬していた。
「L18の首都アカラのはずれで、スラム化してる地区。隣町がラダリッパ県で、傭兵の巣窟で治安が悪いから、ここも治安が悪くなったっていうこと」
「だれにやられた」
アズラエルの目が光った。
「ラダリッパ傭兵学校のやつら」
スタークはあっさり犯人の正体を明かした。
「なんで知ってんだ」
アズラエルも目を丸くした。スタークとオリーヴは、顔を見合わせた。
「最近、隣町のラダリッパのやつらがこの辺でヤクさばいてたりすんだ。ここは“アダム・ファミリー”のシマだから出て行けって言ったって聞かなくてよ」
アズラエルは唸った。
「そんなでかい組織ができたのか。傭兵グループか?」
「いや、まさか! ラダリッパはちいせえ傭兵グループが小競りあってて、でかいのはなかなかできねえだろ。傭兵やチンピラは入ってこねえよ? ウチの怖さ分かってるからな。まだ傭兵社会のいろはを知らねえ、田舎モンのガキがいきがってやってることさ」
自身もまだ十代前半のガキであるスタークは、もっともらしく、言った。
「俺とオリーヴ、それからオリーヴのダチにベックっているんだけど、そいつと三人で、ガキどもに思い知らせてやったよ――ここがだれのシマか分からせてやった」
鼻息荒く胸を張るスタークに、アズラエルは肩をすくめた。
「俺抜きでやったって、そういうことだな?」
「兄貴は仕事だったからしょうがないじゃんか」
オリーヴは口をとがらせた。
「でも、兄貴の名前出したら、『最初から言えよ』って怒鳴られたぜ? 兄貴の名前は隣町まで鳴り響いてる。すごいじゃん」
アズラエルって、そんなにすごい傭兵なのか。
ルナはびっくりして導きの子ウサギの顔を見たが、彼はアイスに夢中だった。
「ケーサツは、傭兵や、こんなスラムに住んでる連中がひどい目に遭っても捜査なんかしないからな。サキちゃんの敵は討ったよ。泣いて喜んでくれた――でも、彼女、引っ越すかもな。親父が、アカラのほうに新しいアパート見つけてやるって言ってる」
「へえ……」
そのほうがいいかもしれねえな、と同意したアズラエルは、やっと我に返って怒鳴った。
「そこまでおまえらがやったなら、誤解を解けよ!」
アズラエルの絶叫とともに、フライパンを手にした女傑が、この部屋に現れた。
「ここにいたかバカ息子!!」
「げっ!!」
「アズーっ!! この、大バカ野郎!!」
目を見張るようなエキゾチック美人が、――あのアズラエルの幼いころの、あの美形がそのまま成長して女性になったらこんな感じになる――という美人が、フライパンを振り上げ、そこに立っていた。彼女が身をひるがえすと、長い髪がふわりと揺れた。
美人ではあったが筋肉隆々なのだ。背も高い。百八十センチはゆうにあって、なんと、アズラエルよりも大きい。
ルナは口を開けた。
美人だが、すごい迫力の、すごいお母さんだ。
このお母さん、だれかに――似ている気がする。
「サキちゃんに、土下座して謝んな!!」
「ちょ、ま、おふくろ!!」
スタークとオリーヴがあわてて止めにかかった。
「サキちゃんのことは、兄貴じゃないって!!」
「コイツに決まってるさ!! どれだけ前科があると思ってんだい」
「前科は前科でも、さすがに兄貴は女に乱暴したことはないって!!」
スタークとオリーヴもけっこう大柄なのに、ふたりがかりでも、最強の母親は押さえられなかった。
アズラエルはふたりが母親を止めている間に、スタコラと窓に手をかけ、飛び降りた。
「――!?」
ここは三階だ。ルナがあわてて下を見ると、ベランダからベランダへ、器用に飛び降りて、地面に着地しているアズラエルがいた。
「アズーっ! アズラエル!! おぼえときな!!」
窓から、強烈なお母さんの絶叫がとどろいた――。
「すごいお母さんだ」
ルナは、やっぱり口を開けた。
「なかなか、いないよね」
ルナは呆気に取られてその光景を見ていたわけだが、アイスクリームを食べ終わったウサギは、時計のねじを巻いていた。
ふたたび場面が切り替わる。
ルナが導きの子ウサギとともにたたずんでいたのは、大きな建物のまえだった。
いかめしいともいえる巨大な門の向こうにあるのは、学校のような気がした。ルナが通っていたL77の学校とはくらべようもないほど、重厚な建物ではあったが。
門構えに、でかでかと建物の名称が記されている。
(アカラ第一……軍事学校?)
不思議なことに、ルナはこの学校に見覚えがあるような気がした。それは百パーセントありえないことなのだが。
ルナは生まれてこの方、L77を出たことは二度しかない。一度は修学旅行でL74へ。そして、二度目は地球行き宇宙船に乗った。
L18には、もちろん、来たことはない。
「ここ――L18?」
「そうだよ。ここはL18だ。アズラエルとグレンが通っていた、アカラ第一軍事教練学校」
チョコレート色のウサギは、そう言ってうなずいた。ウサギは、事前に説明していたわけではない。
ルナは、この学校が、L18の首都アカラの一番大きい軍事学校だということを、なぜ自分が知っているのかが、分からなかった。
「こっちに来て」
ウサギはルナをうながし、校庭に向かって走り出した。




