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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~LUNA NOVA篇~
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249話 新しい生活 K38区アルボル・ポートフォリオ3番地のお屋敷 Ⅱ 2


 ルナたちは、ロビーにあるカフェで、アズラエルたちと待ち合わせていた。待ち合わせの席に行くと、アズラエルとクラウド、ロビン、セルゲイがいた。


「さっき、そこでエドに会ったよ――エーリヒさんとベンさんのお見舞いは?」

 ミシェルが席に着くなり言ったが、クラウドは、

「まだ、ふたりとも面会謝絶だよ。普通病棟に移るのは、数日先だ。――レイチェルはどうだった? 元気だった?」

「うん。思ったより元気そうだったよ」

「そう、よかった」


 クラウドたちは、レイチェルの見舞いを遠慮した。このあいだ、カレンの狙撃があったばかりで、レイチェルが神経過敏になっているのではと思ったからだった。レイチェルが、ルナとミシェルに危険が及ぶことをとても心配しているのを、クラウドたちも知っている。

 そこへ、セルゲイはともかく、「軍事惑星群」の男が顔をそろえるのはよくないと判断したからだった。

 クラウドの気配りは正解だったと、ルナとミシェルも見舞いを終えて思った。


「レオナさんとヴィアンカさんの赤ちゃん、見た?」

 セルゲイが言った。

「うん! 見た見た!」

 ルナたちは、注文したカフェ・モカとジンジャーエールが来たので、ネコ耳とウサ耳をうれしそうに立たせた。


「巨大な赤ちゃんだったね!」

「巨大ね」


 ロビンが笑った。ロビンはロビンで、ヴィアンカは担当役員だったし、(今は、彼女が妊娠したために別の担当役員に代わっている。)レオナは同僚ということもあって、見舞いに来ていたのだが、娘にメロメロのおっさんふたりに絡まれて懲りたらしく、ここに避難していたのだった。


「そういや」

 アズラエルが思い出したように、ロビンに聞いた。

「おまえ、真砂名神社の階段、上がれたか」


 ロビンの顔が、とたんに、ドロドロのコーヒーを飲んだような顔になった。


「まさなじんじゃのかいだん?」

 ルナは、リスのように頬を膨らませてジンジャーエールを飲んでいる。


「ン~……」


 ロビンが手にしているコーヒーは、ふつうのブレンドだ。粉が底にたまるようなコーヒーでもない。


「……上がらなかった――というのが、まァ、正しいかな」


 ロビンは、明後日の方向を向いたまま言った。


「ようするに、上がれなかったのか?」


 クラウドが、嫌みったらしく言うと、ロビンはカチンときたのか、

「上がれなかったんじゃねえ! 上がらなかっただけだ!」


「だから、ようするに、上がれなかったんだろ」

 アズラエルまで言った。


 ロビンは、なぜ自分が、階段を上がれなかっただけでバカにされているような気がするのか、分からなかった。あれはただの階段だった。アクロバティックなコースもなければ、よじ登らなければいけないような、急斜面だったわけでもない。


「俺は、上がらなかったんだ!!」

「マジ!? ロビン、上がれなかったんだ!」


 起きてはならぬことが、起こった。よりによって、ミシェルが、信じられないという顔で、ロビンを見ているではないか。


「ミシェル、これにはわけが……」


 訳が、と言いかけて、ロビンは、持ち合わせる「わけ」がないことに気付いた。あれはただの階段だった。たしかにふつうの階段だった。老若男女、だれもが上がっていた。

 ロビンひとりが、上がれなかっただけである。


「ああ! 分かったよ! 上がってやる! 上がって、上から写真でも取ってくりゃいいんだろ!!」


 ロビンは悔しまぎれに叫んだあと、「そういうおまえらはどうなんだ。上がれるのか?」と最後の頼みの綱で聞いた。


 だれかひとりくらい、あの階段を「上がる気がないヤツ」がいたっていいはずだ。


 ロビンはそう思ったが、みんなそろって――愛するミシェルと憎たらしいクラウドを含め――ちっちゃなうさこちゃんまでうなずいたので、ロビンは地団太を踏んで、その場をあとにしたのだった。





 そのころ――中央区役所。

 三階の派遣役員執務室のまえに、ひとりの男性が立っていた。

 あまり特徴のない外見である。黒髪に平凡な顔、白シャツに濃い色のパンツ、革靴――彼は、受付で人のよさそうな笑みを浮かべて、「申し訳ありません、ソフィーさん」と言った。


「引っ越しのゴタゴタでなくす人が、多いことは多いんですけど、気を付けてくださいね」


 二メートル越えのなかなか巨漢の女性役員は、そのコワモテ顔に反して、人の好い性格だった。


「すいません。ほんとに――あわててあっちを出てきたものですから、ゴミもいっしょくたにトランクに入れて――片付けのときに、いっしょに捨てちゃったのかな――見当たらないんです。免許証といっしょに、どこかにしまって――」

「だいじょうぶですよ。生体認証からやり直してもらうことになるけど、再発行はできますから」

「すいません。ふだんはこんなことないんです」

「そうね。軍人さんでは、めずらしいかも」


 彼女の口調に嫌みはなかったので、男性は、困り顔で笑みをこぼしたのだった。


 ベン・J・モーリスと名乗った、これといって特徴のない若い男性が願い出たのは、この宇宙船を出入りするのに必要な、認証カードの再発行である。ソフィーという名の巨躯の女性は、彼の担当役員であった。

 ベンは、ソフィーのあとについて生体認証をする部屋に行く際、遠慮がちな声で告げた。


「ほんとにすいません――あの――エーリヒ隊長には内緒にしてください。これがバレたら、俺――」

「はいはい、分かりました。エーリヒさんには内緒ですね」


 重ねて言うが、ソフィーという女性は、ひどく人のいい女性だった。彼女は、安心させる口調で、ベンをなだめた。

 心理作戦部という、軍でも特殊な部署出身の軍人である。宇宙船に入って早々、認証カードをなくしたとなれば、上司から叱責を受けるのはあたりまえだろうし、初めて見たときから、この男性がどこか頼りなさそうな気は、ソフィーにもしていた。

 ソフィーに比べたら、どの男性もだいたいは頼りなかっただろうが。


「じゃあ、装置に入ってください」


 生体認証システムの部屋に入り、ベンは腕時計やベルトなど金属系統のものをすべて外して、ボックス型の装置に入った。

 この装置がつかわれる理由は、L系惑星群に登録してある生体認証と照らし合わせるためだ。ピエトのように、もとから戸籍がない者の場合は、ここではじめて「戸籍」ともいえるべき生体認証が保存されるが、L系惑星群に戸籍がのこっているほとんどの人間は、戸籍と「同一人物」かをチェックされるのだ。

 装置内でたった数秒、全身をスキャンするだけで終了。特に手間はない。


「ベン・J・モーリス――エルミネイシュ=タイプ・アースL18。認証しました」


 装置は、ベンを「ベン」だと認証した。

 係員の声がして、装置のドアが開いた。装置から出てきたベンは、なぜかものすごい汗をかいていた。室内はエアコンが効いているはずなのに。


「だいじょうぶ? エーリヒさんには言わないから、安心して」


 優しいソフィーは、この気弱そうな軍人が、認証カードをなくしたことを上司に知られることを、それほどまでに怯えているのだと勘違いした。ソフィーは、彼の上司であるエーリヒを思い出した。そう厳しい人には見えなかったが。


「ありがとう……」


 係員がタオルを出してくれたので、ベンは汗を拭いて、パイプ椅子の上に置いた。


「写真は、このあいだ撮ったものをつかいますね。――三十分くらいでできますから、下のロビーで、待っててください」

「はい」


 ベンは素直にうなずき、部屋から出た。だが、彼はカフェのある階下へは行かず、三階の自動販売機のとなりのソファで、缶コーヒーを飲んでいた。


「カフェに行かなかったの」

 ソフィーは、三十分をすぎるまえに、認証カードを持ってきた。

「カフェは混んでて」


 ベンはやはり、汗をかいていた。ソフィーはハンカチを貸そうとしたが、ベンがカードを受け取り、「ありがとうございます」とほっとした笑顔を向けたので、貸すタイミングを失った。


「もう、なくさないでくださいね」

「はい。気を付けます」


 ベンは礼をして、去って行った。ソフィーは彼の後ろ姿を見送り、自分のデスクにもどった。


 ――傭兵グループ「アンダー・カバー」が、自主的に、地球行き宇宙船を降りたのは、その日の夜だった。チャンはクラウドが言ったように、「アンダー・カバー」が強制降船にならないように手配していた。


 彼らは、自主的に降りたため、担当役員が出身星まで見送るということはない。よって、彼らのゆくえは、だれにもわからない。


 担当役員は、基本的に、例外がないかぎり、船客のプライベートに立ち入らないものである。担当役員が乗客にふたたび接触するのは、だいたい降りるときくらいのものだ。

 ソフィーももれなく、そうである。


「本物」のベンは、脳内チップの除去のために手術を終え、病院の集中治療室で眠りについているはずのことを、ソフィーは知らなかった。



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