249話 新しい生活 K38区アルボル・ポートフォリオ3番地のお屋敷 Ⅱ 1
引っ越しが無事終わって、一週間も経ったころ。
「うわあ……」
「なんつうか……シュール」
「うん……だれの子どもか、すぐわかるね」
シナモンとミシェルとルナは、ガラスに鼻をくっつけんばかりの近さで、新生児が並ぶ部屋を覗き込んでいた。
ここは中央区の病院――ルナたちは、三人の赤ちゃんと初対面していた。
「左の子が、レオナさんの子でしょ。で、真ん中がレイチェル、それで、右の子がヴィアンカさん」
ルナは順番に当てたが、だれが見ても分かるほど、赤ちゃんは親の面影を宿している。
まだ、新生児なのに。
「ほんとこの子ったら、レイチェルと目がおんなじ!」
シナモンは、まるで自分の子のように、レイチェルが産んだ子をうっとりと見つめた。
「顔立ちは、なんとなくエドに似てない?」
「どっちにも似てるよ」
「まあそれは当然よね」
レオナとレイチェル、ヴィアンカの子は、そろって同じ誕生日になった。出産予定日は、多少ずれてはいたが、みな九月半ばだった――が、まったく同じ日に産気づいてしまったのだった。
おまけに、みんなそろって女の子。
ミシェルが「シュール」といったのは、レイチェルの子の両隣にいるレオナとヴィアンカの子が、ふつうの赤ちゃんの倍くらいあるからだった。
両隣のでかい赤ん坊にはさまれたレイチェルの赤ちゃんは、気の毒なくらい小さく見える。
「これは、おっきくなるわ~」
シナモンが感心した声で言う。レオナとヴィアンカの子は、まわりのどの赤ちゃんと比べても、でかい。
レオナの子は、手足をだらんとして寝っぱなしなところが、バーガスを髣髴とさせるし、ヴィアンカの子は、ヒヨコのような綿毛の頭で、ラガーの店長そっくりの座った目をして、ルナたちの方を睨んでいる。
「ぷっ……オルティスさんそっくり」
ミシェルが二度目の笑いを零したとき、
「だろ!? だろ、だろ!? やっぱ、オレに似てるよなあ~!!」
これ以上はないくらいデレデレとやにさがったラガーの店長が、そこにはいた。
「俺のガキも、俺そっくりだあ」
バーガスも、満面の笑みでガラスに貼りついている。ふたりそろって、鋭い目がすっかりタレ目になっていた。
「なあ、うさちゃん。俺そっくりだよなあ」
「う、うん!」
「レオナにも似てっけど、眉毛とか、この左手の小指の爪とか、俺と一緒だ」
「う、うん!?」
左手の小指の爪の形まで似ているかは、ルナも分からなかった。逃げ遅れたルナを残して、シナモンとミシェルは、とんずらした。
このデレッデレのおっさんふたりにつかまったが最後、えんえんとノロケを聞かされることになるからだ。
ルナがやっとおっさんに解放されたのは、授乳の時間が来たからだった。おっさんどもが授乳するわけではないが、おっさんたちは、できるものなら自らが授乳できそうな気配で、新生児室から連れ出される自分の娘を見つめた。ルナは、おっさんたちの注意が逸れたので、逃げるようにして、レイチェルの病室に行った。
「ルナ!」
レイチェルは、ルナの姿を見るなり顔を輝かせた。先におっさんふたりからトンズラしたシナモンとミシェルが、レイチェルのベッドの脇に座っていた。
「レイチェル、おつかれさま」
ルナが差し入れの、手製のゼリーを渡すと、うれしそうに受け取った。
「ありがと」
レイチェルの頬はバラ色だった。元気そうだし、疲れている感じもなかった。
「あたし、ずいぶん安産だったの。レオナさんもよ。でも、ヴィアンカさんは大変だったみたい」
「そりゃ、あの赤ちゃん産むんじゃ、ひと苦労だよ」
シナモンは、巨大な赤ん坊を思い出して、ためいきを吐いた。
「引っ越し先、どう?」
「たいへんだったね――あのアパート、今月末には解体だってさ。更地にして、コンビニかなんか、できるみたい」
「グレンさん、また、大ケガしたのね。ほかにもケガ人が出たみたいじゃない? グレンさんのほかに、救急車で運ばれていったひとがいたけど――」
「あれって、カレンさんが狙われたの?」
シナモンとレイチェルがバラバラに質問するので、どれから答えたものかと、ルナとミシェルは顔を見合わせた。
ルナたちが今まで住んでいたアパートは、なくなるようだ。
シナモンとレイチェルは、あそこで銃撃戦があったということは分かっているが、死者が出たことは知らないらしい。
「あたしら、怖くって、一階のルナの部屋で、キッチンのテーブルの下に隠れてたから、よくわからないんだ。クラウドもあまり説明してくれなかったし」
ミシェルの言うことにごまかしはなかった。まったくそのとおりだった。
ルナたちは、役員が保護してくれるまで、ちこたんに守られてテーブルの下に隠れていたし、クラウドたちは、ルナとミシェルに、くわしい背景を語っていない。
だが、ミシェルも、カレンの母親のことが書かれた本を読んだし、あの本が告発書で、マッケランの要人たちが逮捕され、そのせいでカレンもアミザも、傭兵組織に狙われた、ということだけは分かっている。
これら一連の事件が、カレンが早々に降りることになってしまった原因であることも。
レイチェルが、不安げな面持ちで、ルナとミシェルを見つめた。
「ねえ――ふたりとも、無事でいてね」
いきなりなにを言うのかと思って、ルナとミシェルはレイチェルを見たが、レイチェルは真剣な顔だった。
「アズラエルもクラウドさんも、悪い人じゃない――ルナたちが好きになったひとに、あれこれ言いたくはないけど――でも、ふたりが、危険な目に遭うのが、あたしはなんていうか――」
「レイチェル……」
シナモンは困った顔で、レイチェルの肩にそっと手を置いた。
ルナとミシェルも、言葉を失って、しばらくだまった。
レイチェルはすこし涙ぐんだあと、
「ヘンなこと言ったわね――ごめん、あたし、疲れてるのかも」
「そうだよ! 安産とはいえ、赤ちゃん産んだあとなんだからさ!」
シナモンがあわてて励ましたが、ルナは、ほっぺたをぷっくりさせ――真剣な顔で言った。
「レイチェル――心配してくれて、ありがと」
レイチェルは驚いたように目を丸くした。
「いろいろあることはたしかだけど――でも」
ルナの言葉を、シナモンとレイチェルも真面目な顔で聞いていた。
「アズもクラウドも、いっしょに暮らしてるみんなも、あたしたちを危険な目に遭わせないようにって、一生懸命なの。それは……分かるから」
カレンも、ずっとルナとミシェルのことを気にかけてくれていた。
『危険な目に遭わせてごめんね』とカレンが言ったとき、ルナは水臭いような、歯がゆいような、なんとも言えない気持ちを押し隠した。
そんな言葉を言わせたくなかった気持ちもあった――ずっといっしょに、暮らしてきたのだから。
きっとアズラエルたちも、いつもカレンと同じことを思っている。
ルナだって、自分から好きで、彼らのそばにいるのに。
「あたしも強くなりたいと思ってる――だから、心配しないで」
レイチェルは、「……うん」とちいさくうなずいて、微笑んだ。
「そうそう。リサとキラは、レイチェルが退院してから、アパートの方に来るってさ」
シナモンが、話題を変えた。
「キラは、予定日いつだっけ?」
ミシェルが聞き、ルナは、「来年の二月だよ」とこたえた。
「そっか。キラの赤ちゃんは見れないかも、あたしたち」
シナモンは、肩をすくめて言った。レイチェルも残念そうだったが、「仕方ないわね」と苦笑した。
「年を越したら、あたしたちも降りなきゃならないから」
レイチェルが退院して落ち着いたら、リズンでのお茶を再開しようと約束し、ルナたちの引っ越し先にも遊びにいくとふたりは言った。
シナモンは病室に残り、ルナとミシェルは、つかれているだろうレイチェルに無理をさせないために、早めに退室することにした。
「……そういや、レイチェルたちも降りちゃうんだったね」
「……うん」
「……すっかり忘れてたね」
「…………うん」
ルナもミシェルもショボンとしているのは無理のないことだったが、いつも一緒に遊んできたあのふたりがいなくなるというのは、カレンとはまた別の意味で、さみしかった。
来年のこととはいえ、別れが決まってしまったというのは、物寂しい気持ちになる。
「あーっ! もう、いつまでも、落ち込んでたってはじまらないしね!」
ミシェルは、伸びをした。
「あたし、気分転換に、久しぶりにK23区行ってみようかな――ルナも行く?」
「え? うん――あ、でもね、あたし、K25区も行ってみようかなと思って」
「あの、パンフにあった白と青の街? あたしも行きたい! よしわかった! 両方いこ。――今回は、クラウドに内緒ね。内緒で行くからね!」
「う、うん! ないしょだ」
なぜかウサギとネコは、またスクラムを組んでうなずきあった。ちょうどレイチェルの部屋にきたエドワードが、廊下でスクラムを組んでいる二人を見て、(なぜスクラムを……)と疑問に思ったが、口に出すことはなくルナたちに手を振った。




