248話 新しい生活 K38区アルボル・ポートフォリオ3番地のお屋敷 Ⅰ 1
九月に入ったが、まだ暑さはおさまらない。人工太陽光線が肌をやく夏は、残暑ともいうべき季節になり、秋にはまだ遠かった。
カレンが降船して、入れ違いのようにエーリヒが乗ってきて――それからしばらく、おだやかな日が続いた。
九月の大きなイベントといえば、引っ越しと、レイチェルたちの出産予定日が近いということ。そして、エーリヒとジュリが、結婚前提でつきあいはじめたこと。
どれも、新しい生活のはじまりで、おめでたいことであるのは間違いない。
「うわあ~! ほんと、ひろいねえ!」
引っ越し先の、K38区の庭付き一戸建てを、この目で見たルナたちは、感嘆符の連続だった。
入ってすぐの、大広間のようなリビング。三階まで突き抜けている、まるで王宮のような吹き抜けを、ルナたちはあんぐりと口をあけて見つめた。
一階は、入り口すぐの大広間と、左手に応接室。奥が、書斎にできそうな大机と書棚がならんでいる部屋だ。
右手のほうは、大浴場とトイレ、そしてあまりに広い、ダイニングキッチン。
二階は五部屋、三階は六部屋あって、二階の廊下から、駐車場の上にある、恐ろしい広さのテラスへと出ることができた。ここで、いつものメンバーが勢ぞろいしてバーベキューができる。
さらに、駐車場は地下と一階と二ヶ所あり、自家用車が六台置ける。
三階の各部屋には、星空が見えるロフトつきだ。
これから一緒に暮らすことになったセシルとネイシャも、口をぽっかりあけて、高い吹き抜けを見つめていた。
「こ――こんな家が、アパート程度の値段で借りられるって? ウソでしょ」
セシルはなかなか信じようとしなかった。当然である。理由をカザマから聞くまでは、ルナたちも信じられなかった。
「お家賃は安いです。でも、維持費はそれなりにかかりますよ。定期的に芝生を整えたり、庭木の手入れをする役員が参りますし、お屋敷も広いですから、一応、クリーニングサービスはございます。プールのメンテナンスもありますし。もともと設置されているpi=poは二台ございます。暖炉は旧式の薪ストーブですので、それらのメンテナンスも」
「だって、プールはないし、掃除はpi=poが二台もいるなら十分だし、ずいぶん破格だよ」
クラウドの呆れ声に、カザマは微笑んだ。
「いい物件なのですが、必要とされなくて。大勢でルーム・シェアのような生活をなさっているルナさんたちには、ちょうどいいかと思いましたの」
「ミヒャエル、ホントはここでバーベキュー・パーティーしたくて、紹介したんじゃないの」
クラウドは、バーベキューセットが完備されているテラスをながめながら、カザマを振り返った。
「あら。バレましたか」
カザマのオトボケ顔に、皆が笑った。
この庭付き一戸建てのお屋敷は、K38区にあとふたつある。この家の隣と、そして向かいだ。
もともと、貴族階級の乗客や、富裕層向けに建てられた物件だったが、貴族には貴族の区画があるし、富裕層は、宇宙船の西地区に富裕層の区画が集まっているので、みなそちらへ行ってしまう。
よって、この新婚夫婦が暮らす区画には、ほとんどこういった「お屋敷」をもとめる乗客はいなかった。
そのため、価値がどんどん下がって、今の家賃になったわけである。
二年目に入り、乗客も降りる人間が多くなってきた今、あきれるほどK38区は閑散としていた。静かな住宅街である。
「ここはだいたい、新婚旅行で宇宙船に乗って、という方が多いですから、一年持てばいいほうなんです」
カザマは、近所の住人がまったくいない周辺を見遣って、「ちょっとさみしいかしら」とつぶやいた。
「騒ぎながらバーベキューやっても、近所迷惑にならねえから、いいだろ」
「なあ! 花火! 花火できる!?」
ピエトが大興奮で、飛び跳ねながら叫んだ。セルゲイが、「もちろん」というと、ネイシャとハイタッチをして、大広間を走りだした。
「こら! 家の中で走っちゃだめだよ!」
セシルが怒鳴るが、子どもは聞いてもいない。
「次のバーベキュー会場は、ウチに決定だね」
「あとでバーガスとロビンが手伝いに来るって言ってたが、あのふたりも目の色変えそうだな」
「あいつらまでここに住むっていったらどうする?」
アズラエルの台詞に、グレンは「それはカンベンしろ」という顔をした。
「グレンは、実家を見てる気分じゃない?」
セルゲイが言ったが、グレンは、
「いや? 実家はこれの五倍くらいか? 俺も入ったことねえ部屋がたくさんあるしな」
「五倍!?」
ミシェルとピエト、ネイシャが顎を外した。
「長いあいだ空き家でしたから、急ぎとはいえ、ある程度手直しはしていただきました。今日からでも入れますよ」
ピエトとネイシャが、大広間のはじにある大きな暖炉へ突進し、中をのぞいていると思ったら、バタバタと廊下を走って二階へあがって行った。
「探検しよ! ネイシャ!」
「うん!」
「暴れてものを壊さないでね!」
あせったセシルの大声が、子どものあとを追う。
「薪ストーブか。冬が楽しみだな」
クラウドもこぼれる笑みを止められない。
「セシル、おまえだいじょうぶか。家賃はアレだが、ほんとに維持費はかかりそうだぞ」
アズラエルが気にかけたが、セシルは首を振った。
「維持費だって、みんなで割り勘すれば、平気だよ。あたしはもう、呪いもとけたから、どこででも働けるし。それより、あんたのほうこそ、あたしら親子がいっしょでも、いいのかい」
「俺はかまわねえよ。できるなら、十部屋、知ってるやつで埋めておいた方が精神衛生上いい。空き部屋があると、またよけいな来訪者があるかもしれねえからな」
アズラエルが言っているのはエーリヒのことだ。アズラエルの嘆息に、セシルは笑った。
「お金のことは、前ほど心配しなくてもよくなったんだ。カレンさんが、L20にもどることがあったら声をかけてくれともいってくれたし、レオナさんが、傭兵グループのJ/Jに紹介してくれるって」
「おまえほどの実力だったら、自分で傭兵グループつくるのもアリだろ」
セシルは、目の弱さや、なによりも「呪い」というハンデを抱えながら傭兵をつづけてきた。その強さには、アズラエルも感嘆するところがある。彼女なら、自分で傭兵グループをつくってもやっていけるように思えた。
アズラエルの台詞に、セシルは目を見開いたが、「それは、ネイシャに任せるかな」と微笑んだ。
セシルの目は、すこしずつだが、悪くなっていた。たまにいっしょに食事をするアズラエルたちにも、最近、それがよくわかるようになった。
この宇宙船の眼科の名医に手術をしてもらうのもひとつの手だが、セシルの場合は両目とも義眼にしなくてはならないらしい。その手術代は――というより、最先端の義眼が法外な金額で、とてもではないが、セシルには手が出なかった。
ちなみにベッタラとは、まだいっしょに暮らす、暮らさないの話ができるほど距離が縮まってはいない。
ベッタラとセシルは、まだ互いに遠慮があって、一緒に暮らそうとは言えないらしい。
ネイシャがあいだに入って、いろいろがんばっているそうなのだが、呪いが解けたとはいえ、まだまだ癒えてはいないセシルのトラウマも、ベッタラの生真面目も、互いの距離を埋める足かせになっているようだ。
「じゃあ、部屋割りを決めよう」
クラウドが間取り図を持ち出した。
まずセルゲイとグレン、ピエトが一部屋ずつもらった。グレンとセルゲイが、玄関から見て二階の右側に、一部屋ずつ。
ピエトは、星空が見える、ロフトがある部屋がいいと叫んだので、三階右の手前の部屋をもらった。
そして、セシルとネイシャが、ピエトの向かいにひと部屋――ネイシャに個室をあげてもいいよと誰もが言ったが、ネイシャは、部屋が広すぎて落ち着かないようだった。
結局、「母さんと一緒でいい」とふたりで一部屋に落ち着いた。
今日はここにいないエーリヒとジュリ用に、二階の左手前のひと部屋を取った。エーリヒはどこでもいいと言っていたし、文句はないだろう。
エーリヒは、いっしょに住むことになった。ジュリも宇宙船を降りる気はなくなったので、いままでどおりいっしょだ。
エーリヒは、宇宙船に乗った日からホテル住まいである。居住区は決めていなかった。最初から、クラウドの近くに住むつもりだったのだろう。
彼は、今日から二週間ほど入院しなくてはならないので、ここにはいない。脳内のチップを除去するために、外科手術を受けるのだ。手術自体は一日で済むが、もとどおりに生活できるようになるまでは、二週間ほどかかる。
エーリヒの荷物は、すでにクラウドがホテルから持ち出してきた。トランクひとつの身軽さだ。
ジュリは、エーリヒのそばにいたいと言って、病院へ行っている。まだ集中治療室だから、会えないというのに。マックスも一緒だから、心配はないだろうが。
ジュリはすっかりこのあいだの出来事から立ち直って、運命のお相手であるエーリヒにメロメロだ。
ジュリはやはりジュリだった。これほど早く立ち直られたのでは、ジャックも浮かばれまい。
アズラエルとルナも、ふたりでひと部屋にした。ピエトの部屋の隣だ。
もともと、K27区で住んでいた部屋も、寝室が二人の部屋のようなものだったので、ふたりはそれぞれの個室はいらないといった。それでも、以前はベッドしか置けない部屋だったが、今回は、大きなダブルベッドを置いて、さらにソファとテレビを置いたリビングスペースまでつくっても、余裕があるほどの広い部屋だった。
さて。
クラウドとミシェルはひと悶着あった。ミシェルが、個室がいいと言いだしたのだ。
部屋は有り余っているので、ミシェルがひとりで部屋をつかっても、だれも文句は言わなかったが、クラウドが猛反対した。
結局、最後はクラウドの泣き落としで、ふたりで一部屋になった。三階の、セシルとネイシャの隣で、ルナとアズラエルの向かいだ。
それでも、四部屋も余った。
次は、pi=poの設定である。
ルナたちが部屋割りを決めているあいだ、ちこたんとキックは、屋敷のスキャンを開始していたのだが、そのとき、二台のpi=poを見つけて連れてきた。
もともと、この屋敷の備え付けだったpi=poである。
一台は、名を「ヘレン」といった。
ちこたんと同じステラ・ボールの球形で、カラーバリエーションは、ロイヤルミルクティー色。
以前住んでいた富裕層の夫婦がセッティングし、置いていったもののようで、船客本人ではなく担当役員がセットしたのか、この屋敷の維持費一覧や、定期的にメンテナンスにくる日付などが、リマインダーにびっしり記録されていた。
『お屋敷のことは、わたしにお任せください』
もう一台は、ちょっと古い型ではあるが、高級の部類に入る新品のpi=po。どうやら掃除につかわれていたらしい。シャープナーと同じロボット型。
名前は、「リュピーシア」。
カレンが持っていったシャープナーと同じ会社の製品で、青色カラーがリュピーシアというグレードらしい。
男性の音声で、『掃除はわたしにお任せください』と自己紹介した。
『ステラ・ボール1400型、ピンクストロベリー4877、ちこたんです』
『オブライエン社製CK1325、通称キックです』
四台のpi=poは、自己紹介を済ませた。
『データの移行を許可しますか?』
ルナがセッティングしてやると、ヘレンとリュピーシアは、ちこたんの家事データを読み取った。ちこたんも、二台のデータを読み込み、再起動した。
『ただいまより、ハウス・マスター、ちこたんの管轄下に入ります』
『ハウス・マスター、ちこたんの管轄下に入りました』
二台のpi=poは、ちこたんの指揮下で、この屋敷のハウス・キーパーをすることになった。
ちこたんは、ふよふよ浮きながら、言った。
『どうせなら、キックもちこたんの管轄下に入れてください』
「え? いや、ちょっと待って」
ちこたんの言葉に、クラウドが慌てた。この付喪神がついていそうなpi=poの管轄下に入ったら、どんな設定変更をされてしまうか分かったものではない。
クラウドとちこたんのあいだで、多少の揉めごとがあったあと、皆は作業に入った。
カザマがメンテナンス済みと言ったのは本当で、まるで新築のようにどこもかしこも綺麗だった。すでに、業者が大きな家具は運び入れたあとだ。あとは個人的な荷物ばかりで、すぐにそれぞれの部屋の片づけに入った。
「四部屋あまってるからな。ひと部屋を客間にして、ひと部屋を書斎にしたらどうだ」
「なかなかいいアイデアだ」
セルゲイとアズラエルが、空き部屋を見てうなずきあっている。
「下に書斎があるよ!」
階下から、クラウドの大声がした。
男たちはゾロソロと書斎を見に行き、書斎の広さに驚いた。本をたっぷり置いて、さらにコンピュータを数台置いても余裕がある。
「書斎件、コンピュータ・ルームで」
男たちは満場一致で決定し、リュピーシアとキックを連れて、書斎の改造に取りかかった。




