247話 エーリヒ、襲来 Ⅱ 2
エーリヒが座って腕を組み、無表情でルナを見、ルナがぽっかり口をあけて、エーリヒを見つめている。
男女が見つめ合っている――そのことが、これほどカオスを生み出した空間もなかった。
アズラエルもグレンも怒りださなかったのは、あまりにもその光景がカオスすぎたせいだ。
「ルゥが男と見つめあってて、ムカつかなかったのは初めてだ……」
アズラエルは言い、グレンも言った。
「なんだ? 何が起こってる? 何分、あの調子なんだ」
「なにかの実験?」
ついにセルゲイまで言った。
「あ、みんな来たよ!」
気付いたルナが、ふつうにこちらを振り向いて、手を振った。エーリヒも組んでいた腕をもとにもどして、「やあ」と立った。カオスタイムは終了した。
「……」
男たちは、にわかに言葉が出なかった。
ミシェルとピエトが、デレクと一緒に飲み物を運んできたので、やっと我に返った。
「ルナちゃん、ミシェル」
「うん?」
クラウドは、ルナとミシェルの、エーリヒに対する反応を見ていたのだが、特に変わった様子はない。むしろ親しげだ。――さっきのカオスは、親しげとかどうとか、クラウドにも表現できない状況だったが。
「エーリヒと会って、どう? その――気持ち悪い、とか」
ルナとミシェルは顔を見合わせた。
「? 気持ち悪くは――ないよ」
おもしろそうなひとだけど。ミシェルは言った。
「うんなんかね――なつかしいかんじがする」
さっき、絶妙なカオス空間を生み出していたルナは言った。ルナとミシェルのエーリヒに対する態度は、おおむね好意的だ。
クラウドは、「そう……」と肩すかしされたような顔をしてカウンターへ行った。
「エーリヒさんが気持ち悪いって? なんで?」
「わからない」
ルナとミシェルは首を傾げあった。
ひとを気持ち悪い、なんて思うのはよほどだと思う。あまりにも不潔だとか、変質者まるだしだとか――エーリヒは、無表情だし、変わった感じはするが、身なりは清潔だ。
エーリヒにくらべたら、いつもミシェルにハアハアしてるクラウドのほうがよっぽどキモイよと、ピエトがあまりなことを言ったあと、ルナは、「あ」と思い出したのだった。
あれは、ルナとアズラエルが一ヶ月の旅行に行く前の会話だった。
ルナは、アンジェリカと長い電話をして、イマリの運命の相手が、「華麗なる青大将」という、ZOOカードだと聞いたのだった。
『ええと――キーワードは、軍事惑星群の男で、蛇系、気持ち悪い、アズよりしつこくて、来年か再来年、宇宙船に乗ってくる――俺たちにも関係あるかもしれない人物――友人程度の、』
『へびのかわ!』
『オーケー。ルナちゃん、蛇の皮は俺の心の中に大切にしまったよ』
「華麗なる青大将」と「英知ある黒いタカ」は一緒に乗ってくる――それはルナが、月を眺める子ウサギから知らされていたことだ。
イマリの運命の相手である「華麗なる青大将」は、もしかしたら、イマリを害する相手かもしれない。
それは、イマリが、「ルナがアズラエルとしてきたような恋」を望んでしまったからだった。だから、「華麗なる青大将」と一番太い糸で結ばれてしまったと、月を眺める子ウサギは言った。
ルナとアズラエルが、長いあいだ、輪廻転生しながらつづけてきた恋は、ただ甘いだけのものではない。どちらかというと、結末は、いつも悲劇的なものだった。
それを知ったルナは、ふたりが宇宙船に乗ってくるまえに、ほかの運命の相手を見つけてあげようと、一生懸命になっていたのだった。
結局、うまくはいかなかったが。
(そういや――青大将さんも乗ってきちゃったんだ)
月を眺める子ウサギも、最近はまったく出てこない。ルナが呼んでも、出てきてくれない。つまり、そのことに対するご意見も、コメントもない。
「ちょっと待って。じゃあ、イマリの“運命の相手”がいよいよ乗ってきたってこと?」
ミシェルがウキウキ顔で言った。
「う、うん――そうゆうことになるね」
「華麗なる青大将」は――今のところ、エーリヒの同乗者のベンだろう。それ以外にいるだろうか。ルナは、ベンの姿を想像して、ゴクリと息をのんだ。
(へび系の気持ち悪い人ってゆうけど、どんなだろう……)
「クラウド、エーリヒさんは、“華麗なる青大将”じゃなくて、“英知ある黒いタカ”のほうだよ」
クラウドがもどってきたので、ミシェルは言った。さっきまでグレンと話していたエーリヒが、その言葉に反応した。
「私のことかね」
「エーリヒさんは、ZOOカードを知ってる?」
「いや、知らないね。昨日、概要をクラウドに聞いたばかりさ――ルナは、ZOOカードのプロフェッショナルかね」
「ZOOの支配者です!」
「ほう」
「そういや、ベンはどうした?」
グレンが聞くと、ルナとミシェルはその名に反応してぴーん! となった。それを横目で見てから、クラウドは言った。
「まもなく来るよ――でも、すぐ帰るかも」
「え? どうして。すぐ帰っちゃうの」
ミシェルが聞いたところで、急に男たちが無言になった。不自然な沈黙に、首をかしげたのは、女の子組とピエトだけだ。
「――ミシェル、君は、本物の“傭兵差別主義者”というのを見たことがないだろうね?」
「え?」
エーリヒの言葉は、クラウドが遮った。
「エーリヒ!」
「ベンは、ずいぶんな傭兵差別主義の家で育った。だから、彼はアズラエルと同席できないんだよ」
「は?」
ミシェルもルナも――ピエトも、意味が分からないといった顔をした。
「分からなくていいよ」
クラウドは慌てて言ったが、今度はアズラエルがはっきりと言った。
「ようするに、ベンにとっちゃ、俺は人間じゃねえんだ。家畜と同じテーブルに着けるか? そういうことだ」
ルナたちは唖然としたが、クラウドだけは頭を抱えた。
「アズ――あのさ、」
「どうも――こんばんは」
遠慮がちな声がかかった。皆の視線が、声の方へ向いた。
「どうも。ベン・J・モーリスです。お招きにあずかりまして……」
そこには、気弱そうにも見える――これといって特徴のない、黒髪の成人男性がいた。
背は高いし、体つきもしっかりしている方だとは思う――だが、なんというか、おそろしく平凡、だった。ルナは、もう一度彼を街で見かけたとしても、彼だと気付けないかもしれない。
エーリヒと似たような、清潔な白シャツと濃い色のパンツ、しっかり磨かれた革靴といった格好は、貴族軍人の典型的な休日スタイルだということは、ルナたちには分からないだろう。
彼らは、間違っても、Tシャツにジーンズというような、傭兵じみた格好はしない。
(青大将さんだ!)
ルナは心の中だけで叫んだが、ベンの外見にはまったく、ヘビらしきところは見当たらなかった。清潔だし、変質者的なところもないし、気持ち悪い箇所など見当たらない。
ルナもミシェルも、顔を見合わせ、首を傾げた。
「……イマリ、べつにかわいそうじゃないじゃん」
ミシェルは言った。
ベンは背も高いし、平凡だが、顔立ちは悪くないしで、シナモンがここにいたら、「イマリにはもったいない!」と叫ぶだろうことは予測できた。
“華麗なる”という表現にも首をかしげるところだ。
(ぜんぜん華麗じゃない)
ルナは失礼だがそう思った。めのまえの男性は、華やかさとか、華麗、とは対極にある。あまりにも、地味だ。
「華麗なる青大将」とは、また別の人物を指しているのだろうか?
「クラウド軍曹、おひさしぶりです」
ベンはクラウドに会釈をし、グレンとアズラエルのほうに向かって、「どうも」と言った。そのあたりに不自然さはなかった。アズラエルだけを特に差別視しているような言動は見受けられない。
ベンは、静かに、名前以外の自己紹介をすることもなく、用意された席に座った。
セルゲイが、「お酒はなにを?」と聞くと、テーブルを見回し、「じゃあ、スコッチで」とおだやかな声が返ってきた。セルゲイが飲んでいるのと同じ酒だ。
「いやあ、この宇宙船は平和でいいですね。ここに来るまえに、L77にも寄ってきたんですが、あそこもよかった。なんというか、穏やかな暮らしができそうで」
「ああ、L77ね。あそこは平和ですよねえ」
気弱そうな外見に反して、口調はしっかりと明るい。セルゲイと、のほほんと世間話をかわす姿は、ふつうのお兄さんである。食べ方も、飲み方も、さすがお貴族様だけあって、上品でスマートだった。
「(ルナ、このひと、青大将じゃないよ)」
「(あたしもそうおもう)」
ルナとミシェルが、小声で話していたところへ、セルゲイが話題を振った。
「L77は、ルナちゃんと、ミシェルちゃんの出身星でもあるんだよ」
「えっ? そうなんですか?」
話を振られたルナは、ベンと目があったとたんに、固まった。それは、ミシェルも同じだったようだ。
ミシェルは、一気に顔色まで悪くなった。緑色にも見えるくらい――。
「え――うん――はい!」
ルナは、なんとか返事を返すことができた――だが、ミシェルはダメだった。
「あそこは、素敵なところですね。そう、ちょうどお祭りがやっていて――」
ルナが慌てて返事をしたとたんに、ミシェルがガタン! と立った。口を押えているうえに、脂汗が額に浮いている。
「ミシェル――だいじょうぶ!?」
ルナが叫んだのと同時に、ミシェルが駆けだしていく。クラウドもそれを追った。




