246話 エーリヒ、襲来 Ⅰ 3
ジュリの部屋をすっかり片付けおわり、ピエトの帰宅を待って、ルナたちは夕食を食べにマタドール・カフェへ行った。結局、ルナはくたびれ果てていて、行きつけの場所に行きたがったのだった。メンバーは、ジュリ以外の全員だ。
ジュリは、ようやく泣きつかれて眠ったところだった。ジュリが眠ったのをたしかめて、マックスは帰った。
二階の個室に陣取り、パエリアや、ハーブソースのかかったチキン・ソテー、サラダやパスタなどが運ばれてきたあと、ほの明るいオレンジライトの下で、みなはワインで、(ピエトはジュースで)しんみりと乾杯をした。
このあいだのように派手ではない、ささやかなカレンのお別れ会だ。
「クラウドは、今日は帰らないって。あの、エーリヒさんっていうひとと大切な話があるみたい」
ミシェルはめずらしく、クラウドがいないことをつまらなそうに言った。
「じゃあ、おまえも、引っ越しのことはまだ聞いてねえのか」
グレンが言い、ミシェルは「引っ越し?」と今目が覚めたような顔をした。
セルゲイが説明した。
「あそこは――その、もう住むことはできないんだ」
ピエトもはじめて聞いたようで、「じゃあ、どこに引っ越すの」と、大好きなカルボナーラで口周りを汚しながら、聞いた。
「いろいろ、候補はあったんだけど――たぶん、K20区に落ち着くかも」
セルゲイは、不動産のパンフレットを数冊、テーブルに置いた。
一番上は、第一候補のK20区のマンションだ。バーガスとレオナが住んでいる高層マンションで、リビングの壁が一面ガラス張り、海が見えるというゴージャスな部屋だ。
「あの部屋も、よかったなあ……というか、すごかった」
セレブのお部屋だった、とルナは言った。ミシェルも内装を見て、まんざらではない顔をしている。
K35区のマンションもなかなかだった。ここは、セルゲイやグレンが以前住んでいたあたりで、立地条件がかなりいい。街中であることも、中央区が近いことも好条件だし、部屋自体も広くて、ルナとミシェルは気に入った。
K20区もK35区も、今まで住んでいたK27区より割高の家賃だが、その分部屋数は多いし、部屋自体も広い。
「K06区は?」
ルナは思いたって聞いたが、アズラエルは「そこはダメだ」といかめしい顔をし、セルゲイは、「私も聞いてみたんだが、K06区は、体の不自由な人優先だから、私たちはダメだって」といった。
ルナはしょんぼりとし、なにか言いたげな顔で、グレンの怪我した足を見つめた。
「ルナ、おまえ、俺にずっとケガしてろってのか」
リゾート地近くのK23区は芸術家の集まる区画で、ミシェルは何度もおとずれたことがあるらしく、「ここもいいよ!」と推した。
川が入り組んだ中に街があって、ちいさな小舟で行き来するのだという。ルナとピエトはおもしろがったが、「車をどこに置くんだよ」というアズラエルの意見でなしになった。
海辺のK25区も、ルナとミシェルは歓声を上げた。まっ白と青の土壁の街。青い海が、どこからも見渡せる絶景。白く美しい灯台。
紹介されているマンションは高級住宅街で、なんと海辺に張り出したプールから、海の景色や街並みが見渡せるのだ。
「うわあ~……キレイ!」
だが、セルゲイが、「この街は、地球に着いたときの玄関口の街と同じらしいから」と遠回しに「ここはダメ」と言った。地球に着けば、しばらくこういうところで暮らすんだから、ということだ。
たしかに、美しくて環境はよさそうだが、今まで見てきた中で、一番家賃が高い。どうも、富裕層の別荘地扱いのようだ。ここ以外になると、車を置く場所がないし、家も小さいうえに、部屋もせまかった。そして、中央区からあまりに遠い。ピエトの学校もだいぶ遠くなる。
ダメだしを食らったが、ここは、地球でツキヨおばあちゃんが暮らしていた街がモデルなのだとわかったルナは、今度遊びに行ってみようと思った。K19区から、少し足を延ばせば行ける場所だ。
「なかなか決まらないね」
「やっぱり、K35区か20区かなあ。車を置けるし、ピエトたちの学校も近いしね……ン?」
ミシェルとルナは最後の間取り図――K38区の庭付き一戸建てに目を留めた。
「え!? ――なにこれ! K35区と変わらないような家賃で借りれるの!?」
なぜかグレンが、座った目で二人を見ている。アズラエルとセルゲイは、苦笑いだ。
「ここがいいよ! ねえ、ここにしよ?」
K38区の庭付き一戸建ての家は、三軒あった。
それぞれが、大きなダイニングキッチンと、温泉みたいな浴室、それ以外に十部屋もある、三階建ての豪邸だ。天井から空が見えるロフトつきの部屋もある。
車が三台収納できる地下駐車場と、バーベキューができるひろい庭。プールがついた家まである。おまけに、家の隣にシャイン・システムのボックスがあった。
近くに公園も、病院もあり――これで、K35区でマンションを借りるのと同じくらいの家賃。これ以上ないくらいの好物件だ。
「な、なんでこんなに安いの……もしかして、ワケアリとか?」
あまりにステキな物件に、ミシェルが疑ったが、セルゲイは首を振った。
「なにもないよ。カザマさんが、最初に紹介してくれた物件が、実はここで」
「「ほんとに!? ここにしよ!!」」
ルナとミシェルが声をそろえて絶叫した。それに、ぶっと吹き出したアズラエル。セルゲイの大きくなる苦笑。ますます苦い顔になるグレン。
「……グレンの反対で、なしになった」
セルゲイが言うと、女の子組のうらみがましい視線が、グレンに突き刺さった。
「なんで!?」
「こんないいところ、ほかにないのに!!」
「おまえらはな!」
グレンは言い返した。
「その区画、よく見てみろ!」
二人は言われて、間取り図を見直した。下のほうに「K38区――ご結婚おめでとうございます。新婚夫婦の幸せな生活を応援します」と書かれてあった。
ルナはやっと気づいた。
「K38区って――新婚さんの区画だ」
「そうだ!!」
グレンはあやうく、テーブルを叩くところだった。
「おまえらはいい――ルナはアズラエルとピエト、ミシェルはクラウドと借りるだろ――俺はセルゲイとだ! そうなったら、どうなる? 新婚夫婦ばかり集まる区画に、俺とセルゲイで家を借りろっていうのか!?」
ついにセルゲイも吹き出し、意味が分かったミシェルも、テーブルを叩いて大笑いした。
「いいじゃん! 仲好さそうなゲイカップルのふりしてたら!!」
ちなみに、家を借りると、おそろいのラブラブ☆バスローブ(原文ママ)とハート形ペアカップ、スリッパがついてくる。ミシェルは、ふたりがそれを身に着けている姿を想像して、ますます笑った。
「……ミシェル、おまえおぼえてろよ」
グレンのこめかみがヒクつき、ついに向かいのミシェルの頭を小突きだした。ミシェルがキャーと笑って反撃する。
ようやく、明るい空気がもどってきた。さっきまで、まるでお通夜のようだったのだ。
「――ジュリさんは?」
ルナは思わず聞いた。さっきのグレンの「勘定」に、ジュリは入っていない。
「ジュリさんだって、いっしょに暮らすんだよね?」
とたんに、また静かな空気が流れた。グレンは、ジュリのことを忘れていたわけではない。
彼は、言いにくそうに、告げた。
「ジュリは、宇宙船を降りる可能性が高いってことだ」
「えっ!?」
ミシェルが叫んだが、セルゲイもアズラエルも否定しなかった。セルゲイが、あとを拾うようにつづけた。
「午前中に、ジュリちゃんが目覚めたから、ジャックのことと、カレンが降船したことを告げたら、やっぱりパニックになっちゃって」
セルゲイはちいさく肩をすくめた。
「カレンを追いかけるって言って、聞かなかったんだ。でも、カレンのもとには行かせられない。カレン自身も言っていたけど、これからカレンが進む道は危険が多いからね――ジュリとはいっしょにいられない。ジュリを、身近に置いて危険にさらすことを、カレンは一番恐れていた――それに」
セルゲイは、言いにくそうにつなげた。
「私も反対だ。ジュリちゃんは、かならずカレンの足手まといになる。――今回のことだって、ジュリちゃんは、利用されてしまったわけだ。そのことが、結果的には、カレンの命を危険にさらすことになってしまった」
ジャックは、ジュリを利用して、カレンやグレンの動向を探っていた――それは、たしかだった。
「だから、カレンのもとに連れて行くことはできないけれど――エレナちゃんのもとにはね」
「えっ?」
「マックスさんが、エレナちゃんと連絡を取ってくれた。ジュリちゃんの憔悴があまりにひどいようなら、そちらに連れて行ってもいいかと」
「エレナさん、なんて?」
聞いたのは、ミシェルだった。セルゲイはうなずいた。
「エレナちゃんは、もちろんうなずいてくれたよ。ルーイのご両親も、ルーイもね。ジュリちゃんのことをひどく心配しているようだった」
「そ、そっか……そっかあ……」
また、ミシェルの目に涙が浮かんだ。複雑な涙だ。ジュリまで降りてしまうのはさみしいが、恋人と、あこがれの王子様を、一気にそばからなくしてしまったジュリのショックは、このままではなかなか癒えないだろう。
やはり、姉妹のように育ったエレナのそばにいるのが、一番いいのかもしれない。
「――なあ」
大人たちの会話に、なんとなく置いてきぼりにされていたピエトは、さっきからずっと間取り図を眺めていたのだが、いきなり言った。
「これって、十部屋もあるんだから、みんなで暮らせばいいんじゃねーの」
「「「「「「あ」」」」」」
大人たちは、そろって口をあけた。
クラウドとエーリヒが、日記六冊分のディスクを観終わったときには、日付が変わっていた。
午前中から来て、深夜過ぎまで鑑賞会。映画だって、こんなに見続けたことはない。たった六冊分とはいえ、膨大すぎる量だった。
「いやはや……」
エーリヒが、ピクリとも動かない仮面顔の、目だけを二、三、パチパチと瞬いた。
「これが、十三冊! あと倍以上あるのか」
クラウドもさすがに「ふう!」と深呼吸して椅子に伸びた。
「これを流れるようなスピードで読むのか――倍の量を。さすがの俺も、無理かもしれない」
「頼りないことを言うね」
「いや、ほんとに」
クラウドは苦笑して言った。
読めることは読めるだろう。三回の一時停止で、休みながら読めばなんとか――でもあまりにも膨大な内容を、一気につめこむことになる。
(消化不良をおこすか、脳がイカレちまうな)
クラウドは、ズキズキと痛むこめかみを押さえながら、頭痛薬を飲んだ。
今読んだ話の中で、エーリヒはポイントしか記憶していないだろうから、集中して読んだ疲れが残っているだけだ。
だがクラウドは違う。クラウドの脳は、すべてを記憶しようとしてしまう。おかげで脳がエマージエンシーを起こしているのか、ひどく痛い。
「エーリヒ。文章が流れる速度って、このくらい?」
クラウドが、画面を早送りした。
エーリヒは「もうすこし速い」と言った。常人では、文字を追えない速度なのだと。
「……」
クラウドは、額にイヤな汗が流れるのを止められなかった。
(マリー、俺を買いかぶりすぎだ)
エーリヒが「このくらいだ」と言った速度で文章も文字も追える。読めることは読めるが、なにしろ、文章量が膨大すぎる。この集中力を、どれだけ持続できるか。
(鍛えておくべきかもしれない)
クラウドは、かつて、これほどの情報量を一気につめこんだことはなかった。さらに、文章を読み、読解する能力と集中力も、いままで以上に必要だ。
(このままじゃ、俺のアタマがパンクしちゃう)
ユージィンが持っているディスクが手に入ることはないかもしれないが、もし、読む機会がきたときのために――。
「読んでみて、なにか感想は」
エーリヒの問いに、クラウドは別のスクリーンに、画像を映し出した。
「これを見て」
クラウドが開いたデータは、ルナが見た夢を文章化して蓄積したものだ。
『昔々、海が見えるお屋敷に、ウサギさんとパンダさんと、ライオンさんの兄妹が住んでいました。毎日、執事のキリンさんが、熱いミルクティーを持ってきます』
エーリヒの細い目が、少し見開かれた。
「……これは、“マリアンヌの日記”になかったかね」
「ああ。四冊目後半にあった話だ」
クラウドは次に、「マリアンヌの日記」のほうを再生した。このディスクは、何のロックも施されていないから、巻き戻しも早送りも、再生も停止も自由だ。
――ウサギさんは、幸せでした。
目の前の海は、確かに靑です、碧がかった、鮮やかな青。それはグラデーションによって地平線の彼方は群青、間近に打ち寄せる水は濃く深く、下が見えない海です。たまにこんな荘厳な光景に目を奪われることがありました。岩肌に打ち寄せる波はたしかに白いしぶきで、浅い個所では散らばった石の見える、そんなところにウサギさんはすんでいました。
ウサギさんが一番幸せなのは、この海が見えるベランダで、夕日が沈むのをパンダさんとライオンくんと見ることです。
パンダさんはウサギさんのお兄さん、ライオンくんはウサギさんの弟でした。――
「この二つの話は、まったく同じものだ」
エーリヒは、記憶を、自分の脳内から探り出そうとしていた。
「この童話を、私は読んだことがないが、世に出ている書籍なのだろうか?」
「いいや」
クラウドは首を振る。
「これは、マリアンヌが残した童話だ。マ・アース・ジャ・ハーナの神に見せられた“記録”」
クラウドは、ふたたび別のスクリーンに、ルナの夢の記録を再生した。
「こっちの記録は、夢で見た内容を、ルナちゃんが昔話調に記録したものだから、内容が分かる程度のものだ」
「ルナちゃん? ――ピンクのうさこちゃんかね」
エーリヒが目を光らせる。
「ああ。ルナちゃんは、俺みたいな記憶力の持ち主じゃないからね――たとえ、夢でこの童話を読んでいたとしても、文章そのまま、覚えていられるわけじゃない。だが内容はほとんど同じだ」
『昔々、戦争があった時代です。その国には美しい四匹の姉妹がいました。一番上の姉は、賢い青い猫、二番目の姉は、奔放な真っ赤な猫、三番目の姉は、何でも器用な七色の猫でした。そして末の妹が、桃色のウサギです』
クラウドは、ふたたび「マリアンヌの日記」で見た、同じ話を別スクリーンで再生する。
――むかしむかし、あるところに、美しい四匹の姉妹がいました。
一番上の姉は、賢い青い猫、二番目の姉は、奔放な真っ赤な猫、三番目の姉は、何でも器用な七色の猫でした。そして末の妹が、桃色のウサギです。
三匹の姉と、桃色ウサギ、そして、褐色の大きなライオンさん。
彼ら兄妹は、とても仲がいい兄妹でした。三匹の猫とライオンさんは、ウサギさんとはとても年が離れていました。ウサギさんは、父親の後妻の子だったのです。もちろん、兄や姉たちとは、半分しか血がつながっていません。ですが、三匹の姉たちとライオンさんは、ウサギさんをとても可愛がっていました。――
エーリヒは、彼らしく無表情に、思案の顔を見せた。
「いったいこれは――なんなのだろう?」
「前世の物語だよ」
「なんだって?」
「……ひとりの少女の、かなしい、輪廻転生の物語だ」




