245話 いってらっしゃい、カレン 3
『レオンが、ユージィン叔父に似てると思ったことはある。あっちは叔父と甥の関係だがな。だが、おまえは似てると思ったことはねえ。あの本を読む前から、俺はおまえの親父がユージィンだということは、知ってた』
ユージィンには、結婚する前から、マッケランのアランという女性の間に子どもがいて、その子がカレンという名だと、グレンは幼いころから知っていた。
『だが、ユージィン叔父には似てない。おまえは、ミラ首相のほうに似てると思う』
『あたしが? 義母さんに?』
『ああ』
グレンはつづけた。
『ほら――犬を飼ってると、飼い主に似てくるっていうの、あるだろ』
カレンは目を丸くした。
『一度もあったことがねえ父親より、毎日一緒に暮らしてた他人のほうに似てくるっていうのは、あるんじゃねえか』
『あんた、それでもあたしのこと、励ましてるつもり!?』
ついにカレンは吹きだして、しばらく声を押し殺して笑い続けていた。カレンの笑いがおさまったころ、グレンは言った。
『おまえは、恐ろしいユージィンしか知らねえんだろうが』
グレンは、手短に本の感想を述べた。
『俺は、あの本に書いてあるユージィン叔父が、別人だとは思わなかったよ。――おまえは信じられねえかもしれねえが、ユージィン叔父は、すごく優しかった――昔はな』
グレンの十歳前後くらいまでは、優しいユージィンの記憶しかない。
ルーイの家からもどったグレンを、グレンの実の父親であるバクスターは、つめたい目で見据えたまま抱き上げもしなかった。父親の態度に傷ついたグレンを抱き上げ、「よく帰ってきたな」と慈しんでくれたのは、ユージィンのほうだったのだ。
それがいつから、あのような恐ろしい存在になっていったのか、グレンも定かではない。グレンが中等部に上がるころには、ユージィンは変貌したといっても過言ではないほど、悪魔のような所業をする人間になっていた。ユージィンを変えた直接的な原因は、グレンにもわからない。
カレンがユージィンを実父だと知ったのは、そのころだろう。
『おまえは、ほんとうに、ユージィン叔父に会ったことが、一度もないのか』
『ああ。一度もね』
グレンからかつてのユージィンの話を聞いたカレンは、複雑な顔で黙りこくっていたが、やがて肩をすくめて言った。
『でも正直、会いたいと思ったことはなくて――あんなヤツを愛してしまったアラン母さんがかわいそうだな、と思ったくらい。父親が欲しいと思ったことはなかったんだ。なんつうか、ミラ義母さんも、母親であり、親父みたいなもんでもあり。ツヤコばあちゃんも、若いころは相当モテたよ。――あ、男じゃなくて、女に。女を嫁にもらったはずで、ツヤコばあちゃんと言いながら、存在はじいちゃんよりだし。あたしはよく知らないけど、アミザの親父は、もと女だったって話で』
『……L20って、そういうとこがややこしいよな』
グレンも肩をすくめた。
女だと思っていたら男だったり、その逆だったり。女と女だったり。男と男だったり。
今の世の中、あまりめずらしくはないが、L20はその頻度が高かった。
『うん。だから、親父がいないってことを、悲しく思うことはなかった。ユージィンにそれほど会いたいって思ったことも。――でも』
カレンは、病室の暗い天井を見つめた。
『――あの本を読んで、会ってみたいなと思うようになった』
そして、あわてて付け加えた。
『昔のユージィンじゃないのは分かってるんだ』
『……』
『話をしてみたいわけじゃない。だけど、アラン母さんを愛していたかどうか、きっといつか、聞いてみたい』
『……そうか』
グレンは、カレンのその願いが叶えばいいと思った。カレンはL20にもどるのだから、もしかしたら、それは実現するかもしれない。
カレンは、しばらくの沈黙のあと、いきなり言った。
『ねえ、グレン。あんた、この宇宙船に乗ってはじめて出会ったころに、あたしに話してくれた夢があったよね……?』
グレンは、カレンが覚えているとは思わなくて、目を見張った。
傭兵と、軍人が差別なく暮らせる軍事惑星にすること。
思えば、ふたりの垣根を取り払ったのが、酔っ払ったグレンの発したそのひとことだった。
『あたしが、あんたの夢を叶えるよ。――あんたの、代わりに』
『……』
グレンが何も言えずにだまっていると、カレンがからかうように舌を出した。
『地球であたしの活躍を、指咥えて見てな』
『言いやがったな』
グレンも思わず笑った。
『てめえが失敗したら、地球からL20に届くくらいのでかい声で笑ってやる』
(そういうしか、なかったじゃねえか)
カレンも一度は捨てていたのだ。マッケランにもどるという――希望か使命か、一口ではいえない激情を押し込めたまま。
『ねえ、グレン』
カレンは病室を去り際、心を込めて言った。
『あんたと、出会えてよかった』
グレンも、良かったと思った。
地球で友人を、看取らずにすむこと。
――自分の夢を、現実にしてくれる友がいること。
そしてカレンが、一度は捨てた思いを、拾い上げることができたこと。
カレンも、良かったと思ったのだ。
――グレンと、この宇宙船で、出会えて。
セルゲイは、スーツケースを自室に運び入れた。
スーツケースの中身は、数少ない自分の荷物。すでにカレンの分は荷造りして、タケルに届けた。
マックスに許可は得ているから、ルナとミシェルに手伝ってもらって、ジュリの荷物をこちらの部屋に運び直さなければならない。女性の下着やらを勝手に荷造りするのは、セルゲイも気が引ける。
ジャック・J・ニコルソン殺害現場となってしまったあの部屋は、もう立ち入り禁止になってしまった。
ジュリの退院を待って、引っ越すことになるだろう。
それは、アズラエルもクラウドもグレンも、承知の上だ。
タケルがカレンに着いて、L20に出発したのを機に、セルゲイの担当役員も変わった。
新しい担当役員は、なんとチャンだった。チャンが、グレンとセルゲイの担当役員になったということだ。
(チャンさんは、メルーヴァの件にも関わっているから、だろうな)
やるべきことは残っている。
セルゲイは、宇宙船に残ることを選択した。ルナを、なんとしても守らなければならない。カレンに着いて行きたいと願いながらも、宇宙船を降りることに踏ん切りがつかなかった。
まずはジュリに、カレンが降船したことをどう告げるかが、一番の難題だ。マックスもついていてくれるが、ジュリの落胆ぶりが想像を超えるような気がして、セルゲイはすこし不安だった。先日からジュリを襲った悲劇は、度を過ぎている。
(気持ちが、持つだろうか)
セルゲイは、スーツケースを開けたが、自分の衣服をタンスに詰めなおすのはめんどうで、そのまま放り投げて、ベッドに腰掛けた。どうせ引っ越すのだ。
(――それに)
スーツケースはそのままにしておいたほうがいい。いつでも、カレンを追っていける。寂しがり屋のあの子が、いつ、セルゲイを求めるか、分からない。
『セルゲイ、宇宙船に残って』
今朝まで、ララ邸で、カレンと一緒に過ごしてきたセルゲイは、カレンにきっぱりと、そういわれた。
『君を放っておくわけにはいかないと、何度も言ったよ』
『あたしのためにも、だよ』
カレンは言った。
『ルナのためだけじゃない。あたしのために』
セルゲイがなんか言おうとするのを遮って、カレンはつづけた。
『あたしは、地球も見たい。――あたしのわがままだ。セルゲイ、ごめん。あんたはいつだって、あたしのわがままを叶えてくれた』
『カレン』
『あたしの代わりに、地球を見てきて。それで、かならず、あたしのところに戻ってきて』
――地球がどんなところだったか、あたしに話して。
(ずるいよ、カレン)
セルゲイが、カレンの「わがまま」を聞き届けないわけがないと、知っていて。
部屋に戻ったミシェルも、ぼーっとした顔でダイニングの椅子に座っていた。
ルナの部屋にいてもよかったのだが、ルナもぼーっとしているに違いないし、今日はミシェルも、ぼーっとしたかった。なにも、考えたくはなかった。
ミシェルは、セルゲイが降りなくて、本当によかったと思った。セルゲイまでいなくなってしまったら、さみしさ倍増だ。
意外と自分はさみしがり屋だったのだと、ミシェルが新たな発見をしているところで、クラウドが向かいの席に座った。
クラウドは、だまってコーヒーを淹れ、ミシェルのまえにも、ミルク・コーヒーをたっぷり注いだマグカップを置いた。
「さみしくなるね」
クラウドは、さすがに今日は泣いていなかったが、それだけ言った。
そういえば、この部屋のコーヒーメーカーをつかったのも、久しぶりかもしれない。ここのところずっと、アズラエルのエスプレッソ・マシンのお世話になっていた。
つまり、それだけ彼らの部屋に入り浸っていたのだ。
アズラエルとルナ、ピエト。グレンとセルゲイと、カレンとジュリ、クラウドとミシェルで、まるで大家族のように暮らしていた。
(ひとり、減っちゃったな)
さみしいと思う。それはたしかだ。でも、カレンとの別れは、前向きなものだった。
(カレンも、メルーヴァとの戦いのために、宇宙船を降りた)
――あとは、ロビンだけ。
クラウドの推測が当たっていれば、「ヴァスカビル」の名は。
そこまで考えたところで、クラウドはミシェルを見つめた。
引っ越しのことを、いつミシェルに話そうかとタイミングをはかっていたのだが、今はその時ではなさそうだ。
心ここにあらずといった顔で、マグカップを引き寄せたミシェルは、つぶやいた。
「あたしね、カレンの妹のアミザってひとに、似てたんだって」
ミシェルが鼻を啜った。
「写真を見せてもらったことがあるけど、ぜんぜん似てなかった。……うああああん」
なにが心の琴線に触れたかしらないが、ミシェルはついに号泣した。
クラウドは、今度こそ、“ミシェルを心身ともに時間をかけてなぐさめる俺”の図を思い浮かべながら、ミシェルを抱きしめようとしたところで、電話が鳴った。
クラウドは舌打ちしたが、号泣中のミシェルはそれどころではない。
電話というものがこの世界の存在することを心底恨めしく思いながら、クラウドは、電話に出た。
「はい――もしもし?」
『……』
「もしもし?」
応答がない。
これが悪戯電話だったなら、ミシェルとイチャつくわずかなチャンスを邪魔した罰として、なにがあっても相手を探し出し、死んだ方がましな目に遭わせてやると、アズラエルも真っ青の凶悪面をしたクラウドだったが。
『もしもし――私、エーリヒ』
クラウドは、携帯電話を床に叩きつけるところだった。
『今、君のうちの真ン前にいるの』




