245話 いってらっしゃい、カレン 2
――明後日は、あっという間に来た。
K15区の、宇宙船入口。
見送りに来たルナたちは、宇宙船の搭乗口付近まで来て、警備の物々しさに目を剥いた。
今期の地球行き宇宙船は、L20の軍機に警備されているという話だったが、それら軍機のほうから来たのか、カレンの周辺は、L20の真っ青な軍服で固められていて、ルナたちは、カレンのそばに近づくことさえできなかった。
立ち入り防止柵が、いかめしく通路をふさいでいて、ルナたちはそれ以上先に行けない。
みんなは柵越しに、カレンの姿を探さねばならなかった。
数少なかったが報道陣もいて、役員たちは、彼らを押し返すのに難儀していた。
ルナは、背の高い軍人たちに囲まれた中央に、やっとカレンとタケルの姿を見つけた。
ルナもミシェルもピエトもそちらを熱心に見、手を振ったが、カレンは気づかない。おそらく、見えないのだろう。
「こういうのを見ると、カレンさんが首相の子どもなんだってこと、実感しちゃうわよね……」
シナモンの言葉は、皆をうなずかせた。
シナモンたちは、今日初めて、カレンがL20の首相の子だということ知ったのだった。もし、カレンがこのまま地球に向かっていたのだったら、シナモンたちは一生知ることのない事実だった。
今回も、見送りに、バーベキュー・パーティーの仲間たちが勢ぞろいしたことは言うまでもないが、ジュリはここにいない。ジュリは、初日にだいぶ強い安定剤を打たれたせいで意識が混濁していて、まだ目覚めていない。今日の見送りには来ることができなかった。
「来れなくて、逆によかったかもしれねえぞ」
アズラエルは言った。それはルナも思った。カレンとの別れを、ジュリがどう受け止めるか、――パニックは確実だ。
しかし、寝ているうちにカレンがいなくなったことを、ジュリがあとで知ったら。
恋人が目の前で撃たれ、王子様だと信じていたカレンがいなくなる――ジュリの衝撃は、想像に難くない。
(ジュリさん……)
ルナは、ジュリが目覚めたとき、カレンの降船をどう告げたらいいのか、悩んだ。
グレンは見送りに来ることができたが、またしばらく、車いす生活だ。
「おまえ、また怪我したのか」という、事情を知らないオルティスの呆れ声に、「この宇宙船の安全神話は壊れつつあるぞ」と嫌みを返すことしかできなかったグレンだった。
「やあ」
この声は、ここにいるはずの声ではない。「見送り組」のほうではなくて、カレンのそばで、見送られる側に――予定としては、いるはずだった。
「軍機からだいぶ人数が来たって言うけど、ほんとうに物々しい警護だね」
セルゲイが顔を見せたので、アズラエルも驚いた。
「おまえ、いっしょに降りるんじゃねえのか」
「えっ!? セルゲイもいっしょに降りるはずだったの!?」
ミシェルの絶叫に、セルゲイはあいまいな苦笑を返した。
「来るなって、言われちゃったよ……」
その苦笑は、どこかさみしそうだった。
セルゲイの格好は旅支度だった。そう思えなくもない格好だった。ポロシャツとスラックスに革靴――大きなスーツケースを手にしていた。
セルゲイは、さっきまで、――ほんの数分前まで、降りるつもりでいたのだ。
『L系惑星群L80いきのL355便、搭乗ゲートが開きました』
いつか聞いたアナウンスが、いよいよ別れのときが来たのだと知らせる。
人ごみが流れ出したので、ついにカレンが行ってしまうのだと、ルナは悟った。
カレンまではとても遠い。
聞こえるだろうか。
でも、もうカレンは行ってしまう。
ルナは声を張り上げた。あの夜、アパートからカレンを送った言葉で。
「カレン――行ってらっしゃい!!」
ルナの大声に煽られたように、ミシェルが、ピエトが叫んだ。
「カレン! 行ってらっしゃい! 気を付けてね!」
「カレン! またなーっ!!」
キラやリサ、シナモン、レイチェルも叫んだ。
「また会いましょう!」「バーベキュー、楽しかったね!」「元気でね!!」
「行ってきます!」
それはたしかに、カレンの返事だった。
姿は見えないけれど、カレンの大声は、たしかにルナたちに届いた。
カレンには――聞こえていた。
「カレン! カレン元気でねーっ!!」
「いってらっしゃーい!!」
ミシェルとピエトが、いつまでも、声を張り上げ続ける。ルナも、叫んだ。喉がかれるまで。
――いってらっしゃい、カレン。
カレンを覆い隠していた警護の軍人たちも、ステーションの向こうに姿を消した。
立ち入り防止柵が、駅員たちの手で撤去される。
ルナとミシェル、ピエトは、振り続けていた手をやっと下ろした。
「カレン――行っちゃったね」
ミシェルが、ぽつんとつぶやいた。
リサが、「リズンに行かない?」と言ってきたが、ルナとミシェルは、そんな気持ちになれなかった。
「ごめん――今日は、帰るね」
ルナは、ナタリアたちを見送ったときとは違い、リズンでお茶をする気には到底なれなかった。
レイチェルもそれを察したのか、「ルナ、元気出してね」と言って、リサたちと一緒に先に帰った。
(カレン)
毎日一緒に暮らしていたカレンがいなくなってしまうことは、胸にぽっかり、穴が開いたようだった。
アズラエルやグレンですら、さみしいと感じているのだろう。セルゲイなど、複雑な気持ちを抱えたまま、いつカレンを追って降りても不思議はないような顔をしている。いつまでも、カレンが消えた回廊の向こうを見ていた。
言葉少なに、皆は家路についた。
アズラエルは、家に着くなり「走ってくる」と言いだし、ピエトも「俺も行く!」とついていった。
ルナは、ひとりぽつねんと、ダイニングの椅子に座った。
(カレンは、もういないんだ)
みるみる、涙があふれてきた。
公園のほうへ走り出して数分後、アズラエルは、後ろをついてきているちいさな足音が、遅れがちになってきたのを耳でとらえた。
ピエトが、泣きじゃくりながら足を止めている。
「家にもどるか」
アズラエルは聞いたが、ピエトは首を振った。アズラエルはピエトを背負い、公園を一周走ったあと、ベンチに座って、ピエトが泣き止むのを待った。
グレンは、自室のリビングにもどったあと、すぐにテレビをつけた。
一週間はあのニュースがつづくと思いきや、そうでもなかった。昨日までは、新しく飛び込んでくる情報を、ニュースキャスターがひっきりなしにしゃべりまくっていたが、そろそろ落ち着いたらしい。
アミザ狙撃の犯人は逮捕。傭兵グループ「燐」。
マッケラン要人五人は、余罪が次々と出てきて、監獄星行きは免れまい。だが、そのまえに、長い長い裁判があるだろう。
ユージィンのことが、あれきり報道されないのも、グレンには不思議だった。真っ黒なはずのあの叔父が逮捕されたなら、マッケランの要人たちのように、余罪があふれ出てくるはずだった。それがない。ニュースキャスターが、あれきり、ユージィンの名をまくしたてることはない。
(あの本をそのまま鵜呑みにするなら、ユージィンはシロということで、釈放されたのか)
あの本では、不気味なほどユージィンは善良な人間だった。しかし、ユージィンは、かつて「あのような」人間だったのだ。いつごろからか、人は変わってしまったけれども。
(ユージィン叔父は、アランの暗殺には関わっていない。なら、なぜ逮捕された?)
グレンには分からなかった。ユージィンは釈放されたのか。しかし、ニュースの公式発表は、「任意同行」ではなく、「逮捕」だった。
くわしい状況が知りたくても、連絡を取れる相手がいない。
(オトゥールはどうだ)
グレンは、ロナウド家嫡男の顔を思い浮かべ、すぐにあきらめた。
もう自分は、ドーソンに関わらないと決めたのだ。
――カレンとは違う。
グレンは、テーブルにあるスーパーの袋を見つめた。今朝、これをスーパーの店員が届けに来たのだ。「カレンさんという方から」と言って。
(ほんとうに、買ってよこすとはな)
中身は、グレンの好きな銘柄のビールとソーセージだ。高価なものではない。グレンが普段飲んでいるもので、ソーセージも、何度か食卓に上がったことがあるメジャーなものだ。
カレンと、皿に残った最後の一本を、よく取り合ったことを思い出して、グレンは苦笑した。
不思議なことにカレンは、一度もグレンに、「ドーソンにもどらないの」と聞くことはなかった。
お互いが、「家」と「一族」の話を避け続けてきたのはたしかだが、まったくしなかったわけではない。今回、カレンがL20にもどることを決意したとき、「いっしょに戻らないか」と言われることも、グレンは予想していた。
「いっしょに、軍事惑星を変えていこう」
ドーソンとマッケランの嫡子同士、協力し合って――そういわれてもおかしくなかった。いや、それができると錯覚するほど、宇宙船に乗ってからの生活で、互いを信頼していた。
カレンにそう言われたら、グレンはうなずいていたかもしれない。
そうしたら、この宇宙船のどこかにいるかもしれないレオンを、なんとしても見つけて、縛ってでもいっしょに連れ帰る。
レオンとカレンと一緒に、軍事惑星に戻る――その選択も、悪くはなかった。
だがカレンは、グレンに「共にいこう」とは言わなかった。
(オルドには、『軍事惑星群で会おう』と言ったが)
カレンがグレンに言わなかったのは、グレンを信頼していないからではない。
それは、グレンにもわかる。
マッケランとドーソンは違う。
――ドーソンは、滅びる。
おそらく、グレンがどうあがいても。レオンが、ユージィンが、どう、あがいても。
グレンがもどれば、その「滅び」に、必ず巻き込まれる。
おそらくカレンは、助けられないだろう。それで、グレンがカレンを恨むことはない。しかし、そんな末路を、カレンはグレンに、選ばせたくないだけだった。
あの日、病室をおとずれたカレンは、明後日宇宙船を降りるということをグレンに告げ、『アンタは命の恩人だ』と実に真面目くさった顔つきで言ったので、グレンは思わず、『礼はうまいビールとソーセージでけっこう』と言ってしまった。
その返答が、あまりにも予想範囲内だったのか、カレンは深夜の病院にもかかわらず大笑いした。
それからカレンは、神妙な笑みをたたえたまま、グレンに尋ねた。
『グレン、あたしの顔、だれかに似てると思ったことはない?』
『?』
グレンは、ほんとうに分からなかった。カレンが求めている答えも分からなかったし、グレン自身は、カレンがだれかに似ていると思ったことなど、一度もなかった。グレンはカレンの顔を穴のあくほど眺めたが、思い当たる人物は思い浮かばない。
無理やり似ているところを探せば、義母のミラくらいか。
やがて、業を煮やしたカレンが、『あたしのこと、ユージィンに似てると思ったことはない?』とはっきり聞いてきたので、グレンは『ユージィン?』と語尾を上げ、即答した。
『ない』と。
そっちの返事は予想外だったようだ。カレンは目を見開き、疑い深い目で、『ほんとに?』ともう一度聞いた。
グレンは、ほんとうにそう思ったことはなかったので、『ああ』とシンプルに答えた。
そして、説明が必要だと思ったので、そうした。




