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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~孤高のキリン篇~
584/955

244話 孤高のキリン Ⅴ 2


 ――真っ暗で、真っ赤な空。不吉な空。


(また、この夢)


 空には暗雲漂い、眼前にそびえたつのは巨大な山岳だ。カレンを阻むようにそびえている、険しい山々。


 ふいに、バサバサと白鳥が飛んできて、カレンをつつきはじめた。


(なにをするんだ!!)


 たくさんの白鳥が、カレンをくちばしで攻撃する。カレンは長い首をぶるんと振るって、一度は跳ね飛ばしたが、きりがなかった。白鳥は次から次へとやってくる。カレンは悲鳴を上げた。


(やめて!!)


 身体のほとんどが地中に埋まってしまっていて、身動きが取れないのだ。カレンは、少し離れたところに、一羽の白鳥が、血まみれで転がっているのが見えた。倒れたその白鳥を、もう一羽が必死で守っている。彼女の涙と、流した血で、二羽の白鳥は溺れそうだ。


(義母さん、アミザ)


 カレンは、二羽を助けようともがいた。だが、身体が動かない。ますます身体は埋まっていく。自分にも、二羽のもとにも、白鳥が容赦ない攻撃をしかける。倒れて動けない白鳥を、さらに小突き回すのだ。


 降ってくるのはくちばしと、罵声(ばせい)揶揄(からかい)、あざけり――。


 カレンは何度も白鳥を振り飛ばしたが、ますます攻撃は激しくなる一方だ。カレンの力が尽きて来た。


(やめろ! やめて! おまえら、覚えていろ、あたしはきっと……)


 カレンには今、倒れた白鳥たちのほうに伸ばす腕もない。悲痛に叫びながら、カレンはずぶずぶと地面に埋まっていく。


 もう、だめだ。


 カレンが、目を閉じかけたときだった。


 ――信じられないことが起こった。


 カレンの沈みゆく身体が、ぴたりと止まったのだ。カレンをつつきまわしていた白鳥も、いなかった。


 それもそのはず。カレンを痛めつけていた白鳥たちはことごとく、檻に入れられるか、捕まっていたからだ――フクロウたちに。


 カレンは目を見張った。自分を土の中から引き上げているのは、おそろしく大きなフクロウだった。キリンと同じ大きさのフクロウなど、カレンは初めて見た。


 片目に眼帯をつけ、片方の羽根は、折れて曲がっている。フクロウは、無事な方の羽根で、カレンを土の中からやすやすと引き上げた。


(あ――ありがとう)


 カレンは、あっけにとられてそういった。フクロウは、うやうやしくお辞儀をしながら、(どういたしまして)と言った。


 そして、この巨大フクロウは、おそらく部下であろうフクロウたちに、鋭い声で命じたのだった。


(奴らをつかまえろ! 一羽たりとも逃すな!)


 フクロウたちは強かった。またたくまにすべての白鳥をとらえ、(おり)にぶち込んだ。


(僕がいるからには、これからはあなたを、決して危険な目には遭わせません)


 フクロウは、三百六十度、首をくるくる回しながら、誇らしげに言った。


 カレンの驚きはまだまだ続いた。今度は、キラキラと輝く、大きなペガサスが飛んできたからだ。そのペガサスも大きかった。大きなキリンであるカレンを、羽根で包み込んでしまえるくらいだ。


(あなた、綺麗だね)


 カレンはまじまじと見つめ、思わず素直な感想を口にすると、ペガサスはほんのり、ピンク色に輝いた気がした。


(あまりほめないでください――わたし、照れ屋なんです)

(そうそう。また恥ずかしがって布をかぶってしまうからね。そのあたりにしておいてください)


 フクロウが笑って言い――ペガサスが、羽根と前足をつかって、完全にカレンを――キリン姿のカレンを、地上に持ち上げた。


 カレンは、すっかり足が自由になった。

 何年ぶりに、地上に出ただろう。そんな気分だった。


(あたし――動ける!)


 カレンは、キリンの前足を、高々とあげた。後ろにひっくり返りそうになるくらい。


(動ける! ――見た!? 義母さん、あたし――)


 カレンはすぐさま、倒れ傷ついた二羽の白鳥のそばへ向かおうとしたが、黒いシェパードが、二羽の白鳥を守っていた。カレンは、その黒いシェパードが、ソヨンに似ている気がした。黒いシェパードだけではない。二羽の白鳥は、やさしげな顔をしたカバの背に乗せられ、周りを、いかめしい顔をしたフクロウたちが守り、ちいさなリスの看護師までついていた。


(もうだいじょうぶだよ。――あたしたちはだいじょうぶ)


 かつて涙の海に浸かっていた白鳥が言った。手当てを受け、羽根は白く輝いている。


 カレンはうなずき、自由になった足で振り返り――ついに、言葉も出ないほど仰天した。


 カレンの後ろには、カレンをつついていた白鳥とは違う、光り輝く翼を持った白鳥たちがたくさん、羽ばたいていた。


(我々は、マッケランの者です。あなたの味方です)


 彼らは、口々にそう鳴いた。


 白鳥の後ろで、空を覆い尽くすのは、金色の龍。頭が八つもあるやつだ。ララに似ているような気がしなくもない。しかし、龍はそれだけではない。青に緑に、さまざまな色の龍が、あちこちから集まってくる。


 ムクドリ、キジ、カラス、タカ、スズメ、カモにヒバリ――鳥たちも、びっしりと空を埋めていた。


 地上には、フクロウとペガサスのみならず、クマにゾウにサイ、カバ、ウサギやネコ、犬、ロバに馬――ライオンにトラにチーター、ヒツジにヤギ、カンガルー――カレンが見たことのない動物もたくさんいた。ずっと後ろの方に、しぶきをあげているクジラまでいたのだった。


(L20もマッケランも、白鳥だけじゃないんですよ)


 ペガサスは、微笑んで言った。


(おまえの味方は、こんなにいる)


 先頭にいる駿馬は、年老いていたが、黒く美しいたてがみと、その理知的な顔立ちが、若いころのツヤコを思い起こさせた。


 そして、彼女のすこし後ろにいるのは――カレンと同じ、キリンだった。

 カレンにはそれがだれか、すぐにわかった。


(かあさん)

 カレンは涙した。

(かあさん)


 ――あたしのことを、愛してた?


(もちろん)


 そこにはキリンではなく、微笑むアランの姿があった。カレンとほぼ変わらない若さでそこにいた。彼女の時間は、二十四歳で止まっている。


(ユージィンそっくりの、あなたを愛してるわ)


 カレンはアランに抱きしめられたまま、しばらく泣いた気がした。


(さあ――前をお向き。うしろは、あたしたちが守るから)

(カレン。前だけを見て、進むのよ)


 駿馬とキリンが言った。カレンもアランも、キリンの姿にもどっている。


 カレンは、ふたたび前を向いた。


 暗雲はたちどころに消え、雲海が、広がっていた。山は、峻厳ではあるが、陽の光をあびて、輝くような青さだ。


 カレンは、前足を動かした。後ろ脚も動かした。

 長年土に埋まっていたけれど、歩ける。

 錆びついてはいない。


(行きましょう)

(さあ、わたしたちともに)

(長いようで、ほんの短い旅路を)


 フクロウやら、ペガサスやら、駿馬やらが口々に言った。傷ついた二羽の白鳥と黒いシェパードは、いつしか大きな緑色の龍の背に乗っていた。


 ――もう、孤独ではない。

 でも、一人で立って、歩いていくことができる。


 カレンを連れて行こうとするように、目の前に躍り出たペガサスの背に、小さなピンクのウサギが乗っているのに気付いた。


(あなたは)


(こんにちは)

 ピンクのウサギは微笑んだ。

(“革命家のキリン”さん)





 カレンは、はっと目が覚めた。頬が、涙に濡れてつめたかった。

 ソファでうたた寝をしていたらしい。気づけば、すっかり陽が沈もうとしていた。


「カレン」


 セルゲイがカレンを起こそうとしたところで、カレンがいきなり起き上がったので、彼は驚いて「うわ」とちいさく叫んだ。


「あ、――もしかして、夕ご飯の時間?」

「そう。カレンは起きてるかなって」


(そういや)

 カレンはセルゲイの顔を見て、ふと思った。

(そういや――あの中に、セルゲイはいなかった気がする)


 カレンの後ろを守ってくれていた、たくさんの動物たちの中に、なんとなくセルゲイは、いなかった気がした。


 カレンはZOOカードにあまり興味がないし、セルゲイのカードがなんだったか覚えてもいないのだが、ルナたちの会話を聞いていると、セルゲイは、よくパンダだと言われることが多い。


 だが、パンダは、あのたくさんの動物たちの中にはいなかった。


(そうか。そういうことなんだ)


 ――やはりセルゲイは、宇宙船に残るべきなのだ。


「ってことはなんだ――あたしは、ルナの昼飯食い逃したってことか!?」

「そうなるね。朝食も、ついでに昼食も食べ損ねたってことだ」


 とたんに沈んだカレンに、セルゲイは苦笑した。


「笑いごとじゃない、笑いごとじゃないよセルゲイ! あたしもう、今夜しか、ルナのごはん食べられないんだよ!」

「明日の朝食もある」

「そういう問題じゃないんだよ! 昼飯なんだった」


 セルゲイが仕方なく白状したメニューは、カレンの好物だった。食べ物の恨みがこもった視線を向けられたセルゲイは、あわてて部屋から逃げ出した。


「カレン!」

 階下のルナの部屋に行くと、ピエトが駆け寄ってきた。

「だいじょうぶ? よく寝た? 食欲ある? おなかすいてる?」

 カレンは思わず笑った。

「ああ。よく寝たよ。腹も減ったし」


 ほんとうにスヤスヤと、よく眠ったと思う。アミザが狙撃され、ジュリは半狂乱、グレンも撃たれて搬送され、自分の命も狙われているというのに。


 あまりに立てつづけに緊張がつづいたせいで、スイッチがプッツン、切れたのかもしれないとカレンは思った。そもそも、あのガイコツ・タトゥのことばかり考えていたのも、逃避ではないかと思っていたくらいで――。


「カレン、だいじょうぶ?」


 食卓に器を運んでいたミシェルも、一目散にカレンのもとへ走ってきた。アミザとよく似ているミシェルの顔を見ると、ほっとする。


「だいじょうぶだよ、あたしは。グレンとジュリのほうが、よっぽど災難だったよ」

「さっき、グレンとジュリさんのお見舞い行って来たけど、グレンは元気だったし、ジュリさんは眠ってた。――あのさ、」


 ミシェルが、遠慮がちに聞いてきた。


「クラウドもアズラエルも、あたしたちにくわしい説明してくれないんだけど……あの、もうひとり救急車で運ばれて行った人、いたでしょ? ――亡くなったの?」


 カレンは詰まったが、とりあえず「……うん」と返事をした。


「あのひとが、ジュリさんのつきあってた、ジャックっていう人?」

「ああ」

「カレンをその――暗殺しに来た人、なんだよね?」


 カレンはうなずき、「ヘルズ・ゲイトっていう、まえ、グレンを襲った傭兵グループのメンバーだよ」と説明した。

 ミシェルが沈黙してしまったのを見て、カレンはあわてて言った。


「あたしのせいで、怖い思いさせたね」


 それに目を見張ったのはミシェルで、「え? ううん」と彼女も首を振った。


「そうじゃないの――カレンのせいとかじゃなくて――あたし、やっぱり銃の撃ちかたとか、習っておこうかなって、今日の昼間、ずっと考えてたの」


 ミシェルの言葉は、カレンの胸をうずかせた。

 ミシェルも、それからルナも、きっと軍事惑星群の男と付き合ったせいで、しなくてもいい怖い体験を次々にしている。


 クラウドを、ヘルズ・ゲイトが拉致しにきたときも、ふたりとも、恐怖のせいでしばらく様子がおかしかったと、かつてアズラエルは言っていた。


 今回はついに、身近で死者が出てしまった。

 人が殺される瞬間を、ふたりが見ていなかったことが救いだ。

 ――ジュリは、だいじょうぶだろうか。


(きっと、ジュリの回復を待てずに、あたしは旅立ってしまう)


「……ミシェルは、銃なんか、撃てなくてもいいと思うよ」


 カレンの言葉に、ミシェルはなんだか不満げだったが、アズラエルの、「シチューできたぞ!」という声に、二人そろって「はァい!」と返事をした。


「あれ? ルナは?」

「ルナだったら、みんなにサンドイッチとおにぎりを配りに行ってる」

「え?」

「ルナちゃん、外で張り込みしてる役員さんたちに、おにぎりとサンドイッチと、コーンスープを差し入れしにいったんだ」


 いつのまにか、セルゲイが後ろにいて、残ったサンドイッチをつまんでいた。


「危なくないの?」

「ああ――まあ、ちこたんが一緒だから」


「雨が降ってきちゃったよ! ――あ、カレン!」


 ルナがもどってきた。玄関先で、エプロンをぱたぱたさせて、カレンの姿を見つけると、満面の笑みを見せた。


 カレンはどきりとして――それから、にわかに目頭が熱くなった。


(――ルナ)


 ルナは「おかあさん」みたいだとジュリはいつも言った。

 ほんとうにそうだった。ルナは、とても暖かい「居場所」だった。

 いつでも笑顔で、カレンを、皆を迎えてくれる。帰ったら、「おかえり」といって微笑んでくれる。


「カレン、おはよ。ごはん食べよ」


 ルナはなにも聞かなかった。笑顔でカレンの手を取り、食卓に向かった。カレンにはそれが嬉しかった。


 ――ルナはいつも変わらずに、そこにいる。


「みんな差し入れ喜んでくれたけど、今日は危ないから外に出ないでくださいって怒られちゃった」

「あたりまえだろ。だから、俺が行くって言ったのに」

「だって、アズ、シチューから離れられないってゆってたじゃない! 待ってたら、せっかくのコーンスープが冷めちゃうよ!」


 ルナがぷっくりとほっぺたをふくらませ、アズラエルが肩をすくめる。


『ちこたんがいるのでルナさんの安全は守られています』

「ああ、おまえはよくやったよ」

『ちこたんはよくやりました』

「俺の分のコーンスープは?」

「なに言ってんの。みんな配ってきちゃったよ」

「ええ!? ほんとに!? 一滴も残ってないの!?」

「ええーっ!? 俺も食いたかったのに!」

「ママのコーンスープが……」

「だれがママだ」

「なんだ……味噌汁があるのか。なら、いいや」


 クラウドが、空の鍋を見て絶望的な声を上げ、ミシェルが呆れ声、ピエトも不満げな声を上げる――そして、味噌汁が入った鍋を見つけて、機嫌を直す。いつものかけあいを聞くのも、今日かぎり。


 カレンはセルゲイと、食卓に着いた。


 いつものメンバーで、いないのはグレンとジュリ。ジュリは最近、いないのが当たり前のようになっていたが、それでもいないのは、さみしい気がした。


「はい、カレン」


 カレンの前に、いつものように、味噌汁椀が置かれる。

 アズラエルのつくった、バリバリ鳥のシチューがたっぷりと盛られた白い皿。カレンが「美味しい」といったのを覚えていてくれたらしい。

 サラダのほかに、今日は二、三品、おかずが多かった。カレンの好物ばかりだ。

 ミシェルとピエト、クラウドも食卓に着いて、最後にアズラエルとルナが席に着く。


「いただきます!」


 みんなそろって言ったところで、いつも真っ先に味噌汁椀をとりあげるカレンが、「みんな」と言った。

 箸にさえ手を付けずに。


「あたし、明後日、宇宙船降りることになった」





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