244話 孤高のキリン Ⅴ 2
――真っ暗で、真っ赤な空。不吉な空。
(また、この夢)
空には暗雲漂い、眼前にそびえたつのは巨大な山岳だ。カレンを阻むようにそびえている、険しい山々。
ふいに、バサバサと白鳥が飛んできて、カレンをつつきはじめた。
(なにをするんだ!!)
たくさんの白鳥が、カレンをくちばしで攻撃する。カレンは長い首をぶるんと振るって、一度は跳ね飛ばしたが、きりがなかった。白鳥は次から次へとやってくる。カレンは悲鳴を上げた。
(やめて!!)
身体のほとんどが地中に埋まってしまっていて、身動きが取れないのだ。カレンは、少し離れたところに、一羽の白鳥が、血まみれで転がっているのが見えた。倒れたその白鳥を、もう一羽が必死で守っている。彼女の涙と、流した血で、二羽の白鳥は溺れそうだ。
(義母さん、アミザ)
カレンは、二羽を助けようともがいた。だが、身体が動かない。ますます身体は埋まっていく。自分にも、二羽のもとにも、白鳥が容赦ない攻撃をしかける。倒れて動けない白鳥を、さらに小突き回すのだ。
降ってくるのはくちばしと、罵声、揶揄、あざけり――。
カレンは何度も白鳥を振り飛ばしたが、ますます攻撃は激しくなる一方だ。カレンの力が尽きて来た。
(やめろ! やめて! おまえら、覚えていろ、あたしはきっと……)
カレンには今、倒れた白鳥たちのほうに伸ばす腕もない。悲痛に叫びながら、カレンはずぶずぶと地面に埋まっていく。
もう、だめだ。
カレンが、目を閉じかけたときだった。
――信じられないことが起こった。
カレンの沈みゆく身体が、ぴたりと止まったのだ。カレンをつつきまわしていた白鳥も、いなかった。
それもそのはず。カレンを痛めつけていた白鳥たちはことごとく、檻に入れられるか、捕まっていたからだ――フクロウたちに。
カレンは目を見張った。自分を土の中から引き上げているのは、おそろしく大きなフクロウだった。キリンと同じ大きさのフクロウなど、カレンは初めて見た。
片目に眼帯をつけ、片方の羽根は、折れて曲がっている。フクロウは、無事な方の羽根で、カレンを土の中からやすやすと引き上げた。
(あ――ありがとう)
カレンは、あっけにとられてそういった。フクロウは、うやうやしくお辞儀をしながら、(どういたしまして)と言った。
そして、この巨大フクロウは、おそらく部下であろうフクロウたちに、鋭い声で命じたのだった。
(奴らをつかまえろ! 一羽たりとも逃すな!)
フクロウたちは強かった。またたくまにすべての白鳥をとらえ、檻にぶち込んだ。
(僕がいるからには、これからはあなたを、決して危険な目には遭わせません)
フクロウは、三百六十度、首をくるくる回しながら、誇らしげに言った。
カレンの驚きはまだまだ続いた。今度は、キラキラと輝く、大きなペガサスが飛んできたからだ。そのペガサスも大きかった。大きなキリンであるカレンを、羽根で包み込んでしまえるくらいだ。
(あなた、綺麗だね)
カレンはまじまじと見つめ、思わず素直な感想を口にすると、ペガサスはほんのり、ピンク色に輝いた気がした。
(あまりほめないでください――わたし、照れ屋なんです)
(そうそう。また恥ずかしがって布をかぶってしまうからね。そのあたりにしておいてください)
フクロウが笑って言い――ペガサスが、羽根と前足をつかって、完全にカレンを――キリン姿のカレンを、地上に持ち上げた。
カレンは、すっかり足が自由になった。
何年ぶりに、地上に出ただろう。そんな気分だった。
(あたし――動ける!)
カレンは、キリンの前足を、高々とあげた。後ろにひっくり返りそうになるくらい。
(動ける! ――見た!? 義母さん、あたし――)
カレンはすぐさま、倒れ傷ついた二羽の白鳥のそばへ向かおうとしたが、黒いシェパードが、二羽の白鳥を守っていた。カレンは、その黒いシェパードが、ソヨンに似ている気がした。黒いシェパードだけではない。二羽の白鳥は、やさしげな顔をしたカバの背に乗せられ、周りを、いかめしい顔をしたフクロウたちが守り、ちいさなリスの看護師までついていた。
(もうだいじょうぶだよ。――あたしたちはだいじょうぶ)
かつて涙の海に浸かっていた白鳥が言った。手当てを受け、羽根は白く輝いている。
カレンはうなずき、自由になった足で振り返り――ついに、言葉も出ないほど仰天した。
カレンの後ろには、カレンをつついていた白鳥とは違う、光り輝く翼を持った白鳥たちがたくさん、羽ばたいていた。
(我々は、マッケランの者です。あなたの味方です)
彼らは、口々にそう鳴いた。
白鳥の後ろで、空を覆い尽くすのは、金色の龍。頭が八つもあるやつだ。ララに似ているような気がしなくもない。しかし、龍はそれだけではない。青に緑に、さまざまな色の龍が、あちこちから集まってくる。
ムクドリ、キジ、カラス、タカ、スズメ、カモにヒバリ――鳥たちも、びっしりと空を埋めていた。
地上には、フクロウとペガサスのみならず、クマにゾウにサイ、カバ、ウサギやネコ、犬、ロバに馬――ライオンにトラにチーター、ヒツジにヤギ、カンガルー――カレンが見たことのない動物もたくさんいた。ずっと後ろの方に、しぶきをあげているクジラまでいたのだった。
(L20もマッケランも、白鳥だけじゃないんですよ)
ペガサスは、微笑んで言った。
(おまえの味方は、こんなにいる)
先頭にいる駿馬は、年老いていたが、黒く美しいたてがみと、その理知的な顔立ちが、若いころのツヤコを思い起こさせた。
そして、彼女のすこし後ろにいるのは――カレンと同じ、キリンだった。
カレンにはそれがだれか、すぐにわかった。
(かあさん)
カレンは涙した。
(かあさん)
――あたしのことを、愛してた?
(もちろん)
そこにはキリンではなく、微笑むアランの姿があった。カレンとほぼ変わらない若さでそこにいた。彼女の時間は、二十四歳で止まっている。
(ユージィンそっくりの、あなたを愛してるわ)
カレンはアランに抱きしめられたまま、しばらく泣いた気がした。
(さあ――前をお向き。うしろは、あたしたちが守るから)
(カレン。前だけを見て、進むのよ)
駿馬とキリンが言った。カレンもアランも、キリンの姿にもどっている。
カレンは、ふたたび前を向いた。
暗雲はたちどころに消え、雲海が、広がっていた。山は、峻厳ではあるが、陽の光をあびて、輝くような青さだ。
カレンは、前足を動かした。後ろ脚も動かした。
長年土に埋まっていたけれど、歩ける。
錆びついてはいない。
(行きましょう)
(さあ、わたしたちともに)
(長いようで、ほんの短い旅路を)
フクロウやら、ペガサスやら、駿馬やらが口々に言った。傷ついた二羽の白鳥と黒いシェパードは、いつしか大きな緑色の龍の背に乗っていた。
――もう、孤独ではない。
でも、一人で立って、歩いていくことができる。
カレンを連れて行こうとするように、目の前に躍り出たペガサスの背に、小さなピンクのウサギが乗っているのに気付いた。
(あなたは)
(こんにちは)
ピンクのウサギは微笑んだ。
(“革命家のキリン”さん)
カレンは、はっと目が覚めた。頬が、涙に濡れてつめたかった。
ソファでうたた寝をしていたらしい。気づけば、すっかり陽が沈もうとしていた。
「カレン」
セルゲイがカレンを起こそうとしたところで、カレンがいきなり起き上がったので、彼は驚いて「うわ」とちいさく叫んだ。
「あ、――もしかして、夕ご飯の時間?」
「そう。カレンは起きてるかなって」
(そういや)
カレンはセルゲイの顔を見て、ふと思った。
(そういや――あの中に、セルゲイはいなかった気がする)
カレンの後ろを守ってくれていた、たくさんの動物たちの中に、なんとなくセルゲイは、いなかった気がした。
カレンはZOOカードにあまり興味がないし、セルゲイのカードがなんだったか覚えてもいないのだが、ルナたちの会話を聞いていると、セルゲイは、よくパンダだと言われることが多い。
だが、パンダは、あのたくさんの動物たちの中にはいなかった。
(そうか。そういうことなんだ)
――やはりセルゲイは、宇宙船に残るべきなのだ。
「ってことはなんだ――あたしは、ルナの昼飯食い逃したってことか!?」
「そうなるね。朝食も、ついでに昼食も食べ損ねたってことだ」
とたんに沈んだカレンに、セルゲイは苦笑した。
「笑いごとじゃない、笑いごとじゃないよセルゲイ! あたしもう、今夜しか、ルナのごはん食べられないんだよ!」
「明日の朝食もある」
「そういう問題じゃないんだよ! 昼飯なんだった」
セルゲイが仕方なく白状したメニューは、カレンの好物だった。食べ物の恨みがこもった視線を向けられたセルゲイは、あわてて部屋から逃げ出した。
「カレン!」
階下のルナの部屋に行くと、ピエトが駆け寄ってきた。
「だいじょうぶ? よく寝た? 食欲ある? おなかすいてる?」
カレンは思わず笑った。
「ああ。よく寝たよ。腹も減ったし」
ほんとうにスヤスヤと、よく眠ったと思う。アミザが狙撃され、ジュリは半狂乱、グレンも撃たれて搬送され、自分の命も狙われているというのに。
あまりに立てつづけに緊張がつづいたせいで、スイッチがプッツン、切れたのかもしれないとカレンは思った。そもそも、あのガイコツ・タトゥのことばかり考えていたのも、逃避ではないかと思っていたくらいで――。
「カレン、だいじょうぶ?」
食卓に器を運んでいたミシェルも、一目散にカレンのもとへ走ってきた。アミザとよく似ているミシェルの顔を見ると、ほっとする。
「だいじょうぶだよ、あたしは。グレンとジュリのほうが、よっぽど災難だったよ」
「さっき、グレンとジュリさんのお見舞い行って来たけど、グレンは元気だったし、ジュリさんは眠ってた。――あのさ、」
ミシェルが、遠慮がちに聞いてきた。
「クラウドもアズラエルも、あたしたちにくわしい説明してくれないんだけど……あの、もうひとり救急車で運ばれて行った人、いたでしょ? ――亡くなったの?」
カレンは詰まったが、とりあえず「……うん」と返事をした。
「あのひとが、ジュリさんのつきあってた、ジャックっていう人?」
「ああ」
「カレンをその――暗殺しに来た人、なんだよね?」
カレンはうなずき、「ヘルズ・ゲイトっていう、まえ、グレンを襲った傭兵グループのメンバーだよ」と説明した。
ミシェルが沈黙してしまったのを見て、カレンはあわてて言った。
「あたしのせいで、怖い思いさせたね」
それに目を見張ったのはミシェルで、「え? ううん」と彼女も首を振った。
「そうじゃないの――カレンのせいとかじゃなくて――あたし、やっぱり銃の撃ちかたとか、習っておこうかなって、今日の昼間、ずっと考えてたの」
ミシェルの言葉は、カレンの胸をうずかせた。
ミシェルも、それからルナも、きっと軍事惑星群の男と付き合ったせいで、しなくてもいい怖い体験を次々にしている。
クラウドを、ヘルズ・ゲイトが拉致しにきたときも、ふたりとも、恐怖のせいでしばらく様子がおかしかったと、かつてアズラエルは言っていた。
今回はついに、身近で死者が出てしまった。
人が殺される瞬間を、ふたりが見ていなかったことが救いだ。
――ジュリは、だいじょうぶだろうか。
(きっと、ジュリの回復を待てずに、あたしは旅立ってしまう)
「……ミシェルは、銃なんか、撃てなくてもいいと思うよ」
カレンの言葉に、ミシェルはなんだか不満げだったが、アズラエルの、「シチューできたぞ!」という声に、二人そろって「はァい!」と返事をした。
「あれ? ルナは?」
「ルナだったら、みんなにサンドイッチとおにぎりを配りに行ってる」
「え?」
「ルナちゃん、外で張り込みしてる役員さんたちに、おにぎりとサンドイッチと、コーンスープを差し入れしにいったんだ」
いつのまにか、セルゲイが後ろにいて、残ったサンドイッチをつまんでいた。
「危なくないの?」
「ああ――まあ、ちこたんが一緒だから」
「雨が降ってきちゃったよ! ――あ、カレン!」
ルナがもどってきた。玄関先で、エプロンをぱたぱたさせて、カレンの姿を見つけると、満面の笑みを見せた。
カレンはどきりとして――それから、にわかに目頭が熱くなった。
(――ルナ)
ルナは「おかあさん」みたいだとジュリはいつも言った。
ほんとうにそうだった。ルナは、とても暖かい「居場所」だった。
いつでも笑顔で、カレンを、皆を迎えてくれる。帰ったら、「おかえり」といって微笑んでくれる。
「カレン、おはよ。ごはん食べよ」
ルナはなにも聞かなかった。笑顔でカレンの手を取り、食卓に向かった。カレンにはそれが嬉しかった。
――ルナはいつも変わらずに、そこにいる。
「みんな差し入れ喜んでくれたけど、今日は危ないから外に出ないでくださいって怒られちゃった」
「あたりまえだろ。だから、俺が行くって言ったのに」
「だって、アズ、シチューから離れられないってゆってたじゃない! 待ってたら、せっかくのコーンスープが冷めちゃうよ!」
ルナがぷっくりとほっぺたをふくらませ、アズラエルが肩をすくめる。
『ちこたんがいるのでルナさんの安全は守られています』
「ああ、おまえはよくやったよ」
『ちこたんはよくやりました』
「俺の分のコーンスープは?」
「なに言ってんの。みんな配ってきちゃったよ」
「ええ!? ほんとに!? 一滴も残ってないの!?」
「ええーっ!? 俺も食いたかったのに!」
「ママのコーンスープが……」
「だれがママだ」
「なんだ……味噌汁があるのか。なら、いいや」
クラウドが、空の鍋を見て絶望的な声を上げ、ミシェルが呆れ声、ピエトも不満げな声を上げる――そして、味噌汁が入った鍋を見つけて、機嫌を直す。いつものかけあいを聞くのも、今日かぎり。
カレンはセルゲイと、食卓に着いた。
いつものメンバーで、いないのはグレンとジュリ。ジュリは最近、いないのが当たり前のようになっていたが、それでもいないのは、さみしい気がした。
「はい、カレン」
カレンの前に、いつものように、味噌汁椀が置かれる。
アズラエルのつくった、バリバリ鳥のシチューがたっぷりと盛られた白い皿。カレンが「美味しい」といったのを覚えていてくれたらしい。
サラダのほかに、今日は二、三品、おかずが多かった。カレンの好物ばかりだ。
ミシェルとピエト、クラウドも食卓に着いて、最後にアズラエルとルナが席に着く。
「いただきます!」
みんなそろって言ったところで、いつも真っ先に味噌汁椀をとりあげるカレンが、「みんな」と言った。
箸にさえ手を付けずに。
「あたし、明後日、宇宙船降りることになった」




