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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~孤高のキリン篇~
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244話 孤高のキリン Ⅴ 1


 カレンの部屋は現場検証のため、警察官たちに明け渡され、カレンはセルゲイの部屋のソファに、寝転がっていた。

 

(ほんとうに今日が、命日になるところだった……)


 あの不思議な夢がなければ。


 タトゥの正体を思い出すまでだいぶかかったが、あのままジャックを怪しむことなく、普段通りに迎え入れていたら、カレンは今頃、命はなかった。

 真正面から心臓を撃たれて、即死だったろう。


 そう考えたら、急にエアコンも温度が下がったような気がし、カレンはソファの上で、自分の身体を抱きしめた。


(あの、ピンクのウサギが、教えてくれなかったら)


 あれは虫の知らせとか、そういった類のものだろうか。先日見た、真っ赤な空の、銃声が鳴り響いた不吉な夢も。あれは、アミザの狙撃を意味していたのか。


 ――自分も、狙撃されたけれども。


 アズラエルとグレンのおかげで、自分のケガはまったくなかった。

 グレンときたら、このあいだ、真砂名神社で負った大怪我がやっと治ったというのに、また病院行きだ。

「どうして俺ばかりこんな目に遭うんだ」という、グレンのしかめっ面が容易に想像できて、カレンは小さく笑った。


(ほんとに悪かったよ……あんたのおかげでケガしなかった)


 グレンには、命の恩人だ。あとで直接礼を言わねばならない。グレンのことだから、照れ隠しに「うまいソーセージとビールを用意してくれたら許す」とかいって病院で宴会をはじめようとするかもしれない。


 リビングの外には、ヤンとラウが控えている。彼らだけではない。ララが手配した傭兵や、元警官隊の役員たちが、アパート周辺を厳重に固めている。しばらくこの付近は厳戒態勢に置かれるのだ。


(レイチェルたちも怖い思いしただろうな……ごめん)


 彼らには、もう直接、謝ることはできない。

 カレンは、明日、ララの屋敷に移動する。カレン自身の安全と、ルナたちの安全のためだ。送り込まれた組織が、もうないとは言い切れない。


 そうして、明後日にはもう――カレンは、宇宙船にはいない。


(ジュリ……)


 ジュリは、連れて行けない。これからカレンが歩む道は茨の道で、これまで宇宙船でしてきたような、のんきな生活ではない。これから何度も、命の危機に遭うだろう。そんな世界に、ジュリを連れて行くわけには行かなかった。いきたくもなかった。


 ジュリにはかわいそうなことをしたと思う。

 おそらくジャックは、グレンの情報をつかむために、ジュリに接触していたのだろう。

 かわいそうなジュリ。


(今度こそ、本気で愛せる人ができたと思ったのにね)


 ジャックは、利用するつもりでジュリに近づいたのだろうが、すくなくとも、ジュリはジャックが大好きだった。ロミオより、好きになっていたかもしれない。


 恋人の頭がめのまえで吹っ飛んだジュリは、衝撃のあまり、気が狂ったようにわめきつづけていた。安定剤をうたれて落ち着いたが、トラウマにならなければいいが――。


 カレンも今すぐ駆けつけたいところだったが、安全のために、勝手な行動は慎まなければならない。


 ジュリは、あとでルナとミシェルが見舞いにいくと言ってくれたし、マックスが、駆けつけてくれたそうだ。

 ルナやミシェルにもケガはないし、ピエトは学校へ行っているから無事だ。


 しかし、さすがのクラウドも、ジャックをヘルズ・ゲイトの残り一人だとは、予想できなかったのだ。


 あのメモがあったから――そして、ふだんから、ルナの見る夢の不可思議さに触れていたから、見破ることができたのだ。


 そうでなければ、たかが夢で見たタトゥの模様を、あそこまで本気に考えることはなかっただろう。


 カレンは、ソファに身を沈めた。


 現場検証が終わったら、荷造りがはじまる。業者も入るし、セルゲイが万事取り計らってくれる。カレンはこのまま、明日にはララの屋敷へ移動し、明後日には発つ。


 本当は、いますぐにも移動しなければならないのだが、タケルやチャンが、「別れを惜しむ時間」をくれたのだ。


 まだマスコミには流れていない情報だが、タケルから聞いた話によると、すでにアミザの暗殺を請け負った組織は捕まった。

 傭兵グループ「(リン)」。


 先ほど、暗殺ターゲットのリストが、「燐」のアジトから発見された。


 軍部は戦慄した。


 そこにはカレンとアミザの名だけでなく、ミラとツヤコの名と、祖父アーサー、エルナン医師、すでに故人ではあるが、祖母シナコの名まであったからだ。


 マッケラン家をすでに追放されていた祖父は、隠居後の豪邸で、死体となって見つかった。自殺の形を取らされていたが、警察は「燐」のしわざと見て、調査を始めているらしい。


「燐」の羽振りが異様によかったわけが、わかった。


 奴らは、逮捕されたマッケラン要人たちの、私兵みたいなものだったのだろう。黒幕をバックに、好き放題していた。カレンたちの暗殺という大仕事を請け負う代わりに、ずいぶんな金が奴らに流れていただろうし、要人たちの依頼した、数々の裏仕事もさばいてきた。


 ヘルズ・ゲイトが、宇宙船にいる傭兵グループだからということで、依頼したのだろうか。


 グレンとクラウドの拉致も失敗した「ヘルズ・ゲイト」である。すこしはできるところを見せておかねば、今後がない。


 だが彼らは、カレンの暗殺も失敗した。

 まったく、ご愁傷様である。


 チャンは、この宇宙船に乗っている傭兵グループで、カレンの暗殺を実行できるとしたら、やはり「ヘルズ・ゲイト」くらいしかなかっただろうと言った。


 たしかに、白龍グループ系列やブラッディ・ベリー系の傭兵グループは、いくら金を積まれてもそんな任務は請け負わない。ほかの傭兵グループもいくつか乗っているようだが、アズラエルとグレンや、クラウドの隙をくぐって暗殺できるような腕と経験を持った傭兵は、なかなかいない。


 ヘルズ・ゲイトは、傭兵仲間の間でも評判は悪いが、腕は確かだ。


 すくなくとも、クラウドですら、ジャックが「ヘルズ・ゲイト」の幹部だとは見抜けなかったのだ。今日、あのタトゥに問題提起されるまでは。


 カレンは、今日ほんとうに暗殺されていたかもしれないのだ。


(あの――ピンクのウサギが教えてくれなかったら)


 カレンはもう一度、深々とため息を吐いた。


(ルナのごはんも、今日かぎりかあ……)


 こころ残りと言えば、それくらいのもの。カレンはずいぶんと現金な自分に、苦笑した。


 みんな、きっと無事に地球に着けるように。

 メルーヴァの軍は、きっとL20の軍が止める。


(あたしがもどって、きっとそうさせる)


 あとは、セルゲイの説得だけだった。

 セルゲイには、宇宙船に残ってほしい。

 ルナのためにも――自分のためにも。

 説得は難しい。でも、今のカレンは、それもできる気がしていた。


 ――アランのことは、ずっとカレンのトラウマだった。


 物心ついたころ、カレンは、マッケラン家の者が、なぜか自分とアミザを「ちがうもの」として扱うことに気付いた。


 そしていつか、くわしいことは分からないが、それが「自分の母親」がしたことが原因であることに気付いた。


 しかしミラはいつでも、「カレンは次期マッケランの当主だから、アミザとちがうように扱われるんだよ」と言い、「カレンの母親は立派な人だった」とカレンをはげますことを忘れなかった。


 だが、カレンに対してマッケラン家の者が、つめたく当たるか、まるで「監視人」のような目つきで見てくるのは、カレンの勘違いではなかった。


 ――ツヤコもミラも、カレンを愛してくれた。


 だが、アミザが受けるようなあたたかな眼差しを、叔父や叔母、祖父や祖母、ほかの身内から受けたことがないカレンは、いつしか、差別される傭兵のことを、思うようになった。


 決定的なことが起こったのは、いつのことだったか。

 あれは、パーティーのときだった。


 カレンが、「どうして傭兵は、同じ人間なのに差別されるの」とおとなたちに聞いたとき、おそろしい戦慄が会場内に走った。


 音楽はやみ、ダンスがやみ、人々の顔が凍てついた。

 カレンは幼な心に、言ってはいけないことを言ったのだと分かった。

 

 そのあとだった。

 カレンは、ミラから、実の母親アランの生涯を聞かされたが、そのとき悟ったのだった。

 自分は、愛してくれた義母を苦しませる存在でしかないのだということを。


 アランの結末を、義母ミラはひどく悲しんでいた。そばにいてやれなかったこと悔いていた。己の力不足を悔いていた。


 そして、カレンはマッケラン家の皆が、自分をみつめる視線の意味が、ようやく分かったのだった。


 マッケラン家は、アランの子であるカレンが、「傭兵差別主義者」に育たなかったことを、恐れたのだった。


 カレンが思春期になるころには、ミラ以外の人間から、アランの話を聞かされることが多くなった。


 裁判での仲間の裏切り、実の父であるユージィンの裏切り。


 それを信じるには、条件は整いすぎていた。カレンは、そのときはじめて、父がユージィンであることを知ったのだから。


 カレンを疎んだのは、「傭兵差別主義」の身内だけではない。祖母や祖父は、傭兵差別主義ではなかった――けれども、ユージィンを憎むがゆえに、成長していくにつれ、彼に似てくるカレンを(うと)んだ。


 愛娘を裏切り、死に追いやった人物として、ユージィンを憎み、カレンにはひどく複雑な目を向けた。あまり、カレンのそばには近寄らなかった。


 ユージィンは、誰もがおそれている人物で、冷酷非情だ。あの男が自分の父親だと知ったとき、カレンの心は衝撃に沈み、母親を哀れに思った。


 そして、「恋」をおそれた。


 自分は、母親にのぞまれて生まれて来た子どもではなく、実の父のユージィンですら、アランを裏切り、カレンを裏切った。――母親は、心神喪失で自殺した。


 カレンの顔を見たとたん、アランは自殺を決めたのだと、ずっとマッケラン家の者にカレンは言われ続けた。


 口さがない者は、アランが牢番たちに身体を明け渡し、カレンを産んだのだ、牢番の慰み者であったと、根拠もない話をする者もいた。


 さすがに、カレンがそれを信じることはなかったが、激しい怒りのために、一週間高熱を出したほどだった。


 信じたくはなかったが、あまりにひどいその悪意は、長年カレンの胸にしこりとなって張り付いた――まるで、アバド病の細菌のように。


 エレナが受けて来た仕打ちを、マックスから聞いたとき、病のようになってしまったのはそのためだった。


 ジュリを見捨てられなかった気持ちも、そこから来ていたのかもしれない。もしかしたら、牢番にひどい目に遭わされたかもしれなかった、母の姿を、ジュリやエレナに重ねてしまった。


 今ではそれが――嘘だったと分かるけれども。


 アランは憎まれていた。カレンも憎まれていた。

 様々な理由で。


 アランの起こしたもめ事をおさめるために、どれだけの金をつかったと思う。

 ある者はそう言った。


 アランのせいで、マッケラン家は窮地に立たされたのだ。軍事惑星の名家であるマッケランの名を汚した。

 そういう者もいた。


 ミラでさえ、カレンに気をつかい、カレンがアランと同じような運命をたどらないよう、神経をとがらせていた。


 カレンはだれにも愛されない子ども。

 祖父が、酔った席で暴言を吐いた。


 おまえはのぞまれて生まれてきたわけではない。

 おまえがアランの腹にさえいなかったら、アランも自殺することはなかっただろう。

 おまえのせいでアランは死んだ。

 ユージィンと同じ顔をしよって、恨めしい。

 母上がおまえを引き取るなどしたからこの家におるのだ。

 ドーソンへ行けばよかったのに。

 おまえが産んだ子どももマッケランの子ではない。

 おまえはぜったいに子どもを産むな。


 おまえの子を、マッケランの子とは認めんぞ!


 祖父は、ツヤコに殴り倒されて、マッケラン家を追い出された。


 カレンは、そのあとのことをほとんど覚えていないのだが、子どもながらにショックが大きかったのだろう、――いまだに、だれも愛せなかった。


 だれかを深く、愛せる気がしなかった。

 

 カレンが、「傭兵を差別するのはおかしい」といったときから、カレンはマッケラン家次期当主として、不適格の烙印を押された。


 カレンはその瞬間から、義母と妹アミザのお荷物となり、マッケラン家の腫物(はれもの)となった。


 ミラとアミザが、必死でカレンをかばい、泣きそうな目を向けてくるたび、自分の存在を消したくなった。


 ――自分さえいなければ、義母の心労も、妹の苦悩もなくなるのに。


 何度、そう思って来たかしれなかった。そしてついに、苦悩が身体をむしばみ、アバド病となってカレンを虐げた。


 治るはずの病が治らないと知ったミラは、あらゆる手立てをさがしたが、どうにもならなかった。


 万策尽きたミラが、最後に、カレンを地球行き宇宙船にのせた。


 カレンは、宇宙船が起こす奇跡のことなどは、なにひとつ眼中になかった。

 ただ、これがさだめなのだろうと、あきらめていた。

 自分はマッケランを離れ、どんなところかも分からない地球で命を終えようとしている。

 地球に、たどりつけるかもさだかではなかった――。


(奇跡、あたしにも、起きたね)


 カレンはひとすじの涙をこぼしながら、落ちるように眠りに入った。




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