243話 刺客 Ⅱ 1
「きゃあぁっ」
途切れない銃声とジュリの悲鳴。カレンは頭をかばい、連続で打ち込まれる銃弾の音を聞きながら、歯を食いしばって身を縮めた。ソファの陰で最初の攻撃をやり過ごした。
「チッ!」
舌打ちがして、ジャックが弾を込めるすきにカレンはソファからはい出し、キッチンのほうへ逃げた。
三発の銃弾がすぐさまカレンを追った。カレンは壁の陰にうずくまる。
(なんとか寝室まで逃げて、銃を)
次の弾切れのときに、ナイフをジャックに投げて、そのすきに寝室まで駆け込む。
心配なのは、ジュリを人質にされるかもしれないことだ。
だが、最初の一撃で仕留められなかったジャックに、もう術はない。銃声は、階下にも届いているはずだ。アズラエルたちが来たら、ジャックはもうおしまいだ。
(――?)
カレンは、シンク下の扉からナイフを出した。だが、三発のあとに打ち込まれる気配はない。ピストルの弾は切れていないはずなのに。
カレンが、恐る恐るシンクの陰から身を起こしてリビングを見ると、ジャックがアズラエルとグレンに左右から銃を突きつけられ、手を挙げていた。
「カレン! 無事か!?」
「生きてるよ!」
カレンの位置からは見えないが、クラウドの声もした。
シクシク泣いているジュリの声が聞こえるが、ジャックはジュリを人質に取っている様子はなかった。
ジュリにケガをさせたわけでもない。ジュリがケガをしていたら、もっと大げさに泣きわめいているだろうから。
「銃をおろせ」
アズラエルが命じるが、ジャックはニヤついたまま銃をおろさない。
「おまえら、なにか、勘違いしてねえか」
「なにをだ」
「俺は、おまえらを撃てる。おまえらは、俺を撃てねえ。なぜなら、おまえらは降ろされちゃ困るんだろ、宇宙船を」
「ためしてみるか」
ゴリッと音をさせて、グレンの銃口がジャックのこめかみにめり込む。
「へへ……おまえ、自分もターゲットだってこと、忘れてねえか?」
ふたたび鳴った重い銃声と、グレンの悲鳴。
「グレン!」
反射的に飛び出しかけたカレンを、アズラエルの「来るな!」の声が止めた。
アズラエルが引き金を引くまえに、ジャックに飛びかかり、その手から銃を手放させたのは、バーガスだった。
「っアあ! ちくしょう! 間に合わなかったか!」
巨躯のバーガスにのしかかられ、頭と腕とを押さえつけられたジャックは、不気味な笑みを浮かべたまま、やっと観念したようにおとなしくなった。
「グレンさん!」
チャンも飛び込んできた。クラウドが傷口に手を当て、「救急車の手配を! 早く!」と叫んだ。部屋に入りかけたヤンが、あわてて携帯電話を手にする。
「うあ……」
グレンは足を押さえてうめいていた。弾が貫通した太ももから血が流れるのを見て、ジュリがまた悲鳴を上げ、こちらも、やっと部屋に入ることができたセルゲイにしがみついた。
「カレン! カレン、だいじょうぶ!?」
「あたしは平気!」
セルゲイの焦った声に、カレンはなんとか大声で返事をしたが、まだ出ていく気にはなれなかった。
「グレンは無事なの!?」
「無事とは言いがたいが、反射神経がいいやつでよかったよ!」
カレンの問いには、バーガスの怒声。
これでもグレンは、ジャックの銃口が自分の心臓に向けられたところで、あわてて避けたのだ。
「コイツだけか!?」
「ほかに仲間は――」
「仲間の気配はありません!」
役員たちの怒号が重なる。
カレンは、自分のそばにだれか来たのに気付き、手にしていたキッチンのナイフを握り直したが、タケルだと気付いて、あやうく踏みとどまった。
「な、なんだごめん……タケルか……」
タケルは汗だくで、両腕を上げていた。
「お声もかけずに来た私が悪かったです……すみません、ご無事ですか」
「無事だよ……おかげで、あたしにケガはない」
カレンもようやく、タケルに肩を貸してもらって、壁の陰から出てくることができた。
どうやら、腰が抜けたらしい。
「バーガス、そいつの上着を剥いて」
「どうかしたのか」
「そいつの、タトゥを確認したい」
「タトゥ?」
カレンの予想と、クラウドの予想が合致しためずらしい瞬間だった。クラウドが言おうとしたことをカレンが先に言い、バーガスが、言われたとおりにジャックの上着とTシャツをめくりあげると、背中に、タトゥがあった。
カレンとクラウドは顔を見合わせた。ジャックの背中上部にあったのは。
――真っ暗な扉の中のガイコツが舌をだし、ヘビが絡みついたタトゥだ。
そして、Welcome to Hell! の文字。
カレンは、夢で見たタトゥが、そのままジャックの背中にあったことに嘆息した。
「銃声が聞こえてからにしちゃ、駆けつけるのが早かったね」
「クラウドが、いきなり、ジャックがヘルズ・ゲイトだって見破ったんだよ」
アズラエルが肩をすくめた。
「君が見せてくれた、メモのおかげでね」
玄関は超過密状態になっていたので、押し込まれるようにして、みながリビングへ移動した。
「アンタ、見たことないって言ってたじゃん」
「見たことはないけど、まァ、連想ゲームみたいなもんさ。Welcome to Hell! だなんて、カンタンな謎かけにもほどがあるだろ」
「そうかな……」
とりあえず、クラウドの脳みそがいつもどおりだということは分かった。おかげで助かった。
「あんたたちも――行動を起こすのが早いね」
「地球行き宇宙船で、あなたにケガをさせるわけにはいきません。ここは“安全”な場所なんですから」
チャンが肩をすくめ、すぐさま携帯電話でどこかに連絡していた。相手はララのようだった。――カレンの無事は確認したとかなんとか。
「カレンさん、ララ様のほうでもすでに用意は整っています。……できれば、御身の安全のために、ララ様のお屋敷に移動してほしいのですが」
緊迫したタケルの声。
タケルたちは、バンクスが刊行した本のことは、二週間前、すでに知っていた。
おそらく、なにか事件が起こるだろうことは、予想していたのだ。
そして、今日アミザが狙撃されたことで、カレンの身にも危険が及ぶのではないかと思い、緊急警備についたのだった。
「……いやだとは、この状況では言いづらいな。でも、少し待ってくれる」
「分かっています」
「下の、ルナやミシェルは無事なんだよね?」
「だいじょうぶです。おふたりには、別の役員がついています」
「俺は、もっと早くグレンのボディガードに着くべきだった」
バーガスが、後悔をにじませた声で言った。
「ガードしてるやつにケガを負わせるなんてな。さすがの俺も、自分にガッカリだぜ。二週間前から、いっしょに便所や風呂も入って、添い寝してやるべきだった」
「それだけは勘弁してくれ。頼む」
グレンの顔から、さらに血の気が失せた。
「ジャック。てめえがヘルズ・ゲイトの残りの一人だったのか」
バーガスが襟首を締め上げたが、ジャックはうんともすんとも言わなかった。
「立て!」
宇宙船役員たちに立たされ、手錠をかけられたジャックだったが、玄関を出ようとしたところで、妙なことを口走り始めた。
「よう、グレン」
タオルできつく止血され、応急処置を受けているグレンに向かって、ジャックは言った。
「カレンのほうは、“ついで”だ」
「あァ?」
「てめえの命を狙っているのが、俺たちだけだと思うなよ――なァおい、グレン、俺は見たんだ」
「早く来い!」
引きずられていきながらも、しつこくまくし立てるジャックに、グレンは思わず聞いた。
「――何をだ」
「俺はなァ、この宇宙船で、あの心理作戦部の……」
ジャックの台詞は、そこまでだった。
パンっという音とともに、ジャックの身体がぐらりと崩れた。
「うおあああっ!」
ジャックの襟首をつかんでいたラウが、思わず手を離す。ジャックは音を立てて、床に倒れこんだ。
彼は、頭を撃ち抜かれて絶命していた。みるみる、血だまりがフローリングを汚していく。
「きゃああああーっ! きゃーっ!!」
ジュリの、甲高い悲鳴。
「みなさん! 隠れてください!」
チャンの怒声に、セルゲイがジュリをかばって伏せた。バーガスはグレンに被さる。
アズラエルとチャンが、すかさず開いた窓まで駆け寄り、身を乗り出して周囲を探った。
「どこからだ――!」
「あそこです!」
ジャックを狙撃した人間は、逃げるつもりはないようだった。少し離れたマンションの屋根にいる。
女傭兵だ。金髪のボブヘアで、背はそう高くないが、腕も腰も肉付きがいい。バーガスくらいは、簡単に投げ飛ばせるような体格をしていた。
女傭兵は、チャンとアズラエルに向けて、ひらひらと手を振った。
「味方か――?」
「すくなくとも、我々を狙撃する気はないようです」
女傭兵の狙いは、ジャックだったらしい。チャンとアズラエルは、ほっと体の力を抜いた。
「やりすぎです」
ジャックを狙撃した女傭兵――メリー・M・アップルと名乗った彼女は、ふてくされた顔で、ルナが出してくれたアイスコーヒーを啜った。ガムシロップ三つと、クリームもたっぷり入れたアイスコーヒーを。
「え? じゃあなに? あたし、降船?」
「普通だったら、そうなってるってことを、忘れないでいただきたいですね」
メリーは、唾を飛ばしながらチャンに食って掛かった。
「情状酌量ってないわけ? 傭兵だったらフツーのことでしょ? あたし、グレンの命、助けたんだよ? やりすぎだったとは思わないな」
「……」
「あんたたちが鈍いし遅いから、グレンが撃たれちゃったんじゃない! 言わせてもらえば、あんたたちがちゃんと間に合ってたら、あたしが撃つ必要はなかった。そうは思わない?」
チャンは、メリーの唾が飛んだメガネを拭き、
「あなたの話は分かりました――でも、ジャックを殺すべきではなかった」
「……」
「彼からは、まだ聞き出したいことが山ほどあったんです。殺してしまっては、もうなにも聞けない」
チャンの深いため息。
ルナたちのアパートに、救急車が二台着いたころには、近所は騒然。野次馬はこれでもかと集まり、レイチェルたちも、不安げな面持ちで、ルナのアパートのほうを見ていた。
足を撃たれたグレンと、パニック状態のジュリ、そして遺体となってしまったジャックが搬送されていったあと、救急隊と同時に来た警察官が、カレンの部屋にすし詰めになっていた。
メリーはそれを眺めつつ、狙撃銃を手にしたまま、呑気に鼻歌を歌いながら、ルナの部屋にやってきた。
チャンやタケル、ララも知らない、第三の存在の登場である。メリーは当然、質問攻めにあった。
いったい、なぜジャックを狙撃したのか。
ジャックがヘルズ・ゲイトだと知っていたのか。
なぜこのタイミングで、ジャックを張っていたのか――。
メリーの話によると、以下のとおりである。
自分たちは、実はユージィンに命じられて、グレンの暗殺のために宇宙船に乗ったのだと。
その告白自体が、皆を戦慄させるものであったのは確かだが、彼らがほんとうにグレンを消す気なら、わざわざ顔を出す理由はない。
話をこっそり聞いていたルナでさえ、そう思った。
メリーは、傭兵グループ「アンダー・カバー」の幹部だった。
ライアン率いる「アンダー・カバー」は、グレンの暗殺には否定的であり、できるなら、実行したくはなかった。
メリーいわく、ライアンとメリーの希望は、できるなら、一緒に乗ったルパート――前の任務で大怪我を負って、車いす生活。もう任務はできないそうだ――彼と一緒に、地球にたどり着いて、平和に暮らすこと。
ほんとうなら、オルドもいっしょのはずだったが、彼は降りてしまった。
メリーに睨み付けられたクラウドは、小さくなるしかなかったが、メリーはこの場で、過去のことを蒸し返したりはしなかった。
なんとなく、その意志は、アズラエルもクラウドも感じ取っていた。ライアンたちが本気でグレンを消す気なら、ライアンが、アズラエルたちに近づくことはないだろう。
ライアンはプロの傭兵だ。暗殺を任務として宇宙船に乗り込んだなら、すぐに実行している。
ライアンは、グレンの前にも、アズラエルの仲間たちにもその姿を見せ、バーベキュー・パーティーにも参加している。
メリーは語った。
ヘルズ・ゲイトの行動やら、グレン近辺のきな臭い情報は、メリーたちも独自に調べ上げていた。同じユージィン経由で、地球行き宇宙船に送り込まれたグループだが、ヘルズ・ゲイトのことは、ライアンも知らなかったそうだ。
自分たちを雇っておきながら、もうひとつ別のグループを雇ったユージィン。
互いの監視が目的だろうか。
ユージィンの真意がつかめず、「アンダー・カバー」は、グレンの暗殺実行を、先延ばしにしていた。
そこへ、今朝、ユージィンが逮捕拘束されたというニュースが入った。
そのニュースを見た瞬間に、ボスのライアンは、すべての任務の変更を決めた。
ヘルズ・ゲイト幹部で、唯一、宇宙船に残っていたジャック・J・ニコルソンを拘束、彼らがユージィンに依頼された任務内容を聞き出す。
メリーは、ジャックを狙撃して身動きが取れないようにし、拘束するために追っていたのだが、予定外にジャックはカレンに銃をぶっ放し、グレンをも撃った。
だからメリーはあわてて、グレンの命を助けるために、狙撃した――。




