242話 刺客 Ⅰ 2
セルゲイはまだ、カレンのアバド病の完治報告をしていなかったとみえる。
無理もない、セルゲイはセルゲイで、カレンを宇宙船から降ろしたくなくて、連絡を控えていたのだろう。
聞いてよかった。
義母さんにはっきりと、聞いてよかった。
カレンは熱くなった鼻をいきおいよくかみ、脱力した身体をふたたび机に預けた。
ミラは、カレンを避けたりしたのではない。マッケランにいれば、カレンが居心地の悪い思いをするから、ほかの居場所を用意してくれたにすぎない。アバド病のこともあり、余命まで宣告されたカレンに、これ以上つらい思いをさせたくなかった。
ミラの想いは、ずっと変わらなかったのに。
それがわかっていても、ついに見捨てられてしまったのだという思いが、ずっと消えなかった。
(聞いて、よかった)
昨夜から、自分になにが起こっているのだろう。
長年かかえてきたしこりが、次々にほどけていく。
(今日が命日とか、いわないだろうな……)
あまりにいいことと、頭をガツンと殴られるようなことが交互に起こりすぎて、カレンの頭はついに、オーバーヒートを起こしてしまったのだ。
でなければ、これはなんなのだ。
カレンは、急にパソコン画面に映った模様に、驚いて身を起こした。
夢で見たガイコツ・タトゥの模様が、電磁波の波にまぎれて浮かんでいる。
「これは、だあれ?」
タトゥの下に、文字が浮かび上がる。カレンはキーを叩いていない。
「――!?」
画像は、一瞬で消えた。
薄気味悪さに、カレンは立ち上がり、周囲にキョロキョロと目をやってから、またパソコン画面を見つめた。画面は電磁波がジジ、と音を立てているのみ。
今見たものが現実とは到底思えない。カレンは頬をつねったが、目が覚めないので夢ではない。
「いったい、なんなんだ……」
次いで、金切り声が聞こえて、さすがのカレンも身体をビクリと震わせるほど飛び上がった。
しかし、その声の正体がわかったとたんに、カレンは脱力した。
ジュリの奇声だ。帰ってきたのか。
窓が開けっぱなしだったために、ジュリのキイキイ声が筒抜けなのだ。カレンが窓からのぞくと、案の定、ジュリだった。ご機嫌なジュリが、両手で手を振っている。カレンは苦笑しながら「おかえり」と手を振り、ジュリの後ろをのっそり歩いてくる知り合いに気付いた。
知り合いの男は、ジュリとつきあっているジャックだ。ヤツまで能天気面でウィンクをしながら、手を振ってくる。
(悪いタイミングで帰ってくるなあ……)
ジュリの帰還は、階下のアズラエルたちもすぐわかった。
「なんだって、こんなときに帰ってくるんだ」
グレンが少し、苦い顔をした。
「いつもは帰ってこねえのに」
こんな事件が起こった最中だ、だれもジュリにかまっているヒマはない。
窓をのぞくと、ジュリがジャックとじゃれあいながら、仲良くこちらへ歩いてくる。ジャックの、ポンコツ寸前のアンティーク・カーが駐車場からはみ出している。グレンにはさっぱり良さが分からない。あんなポンコツで、新車より高いのだ。
「しかたねえな」
アズラエルは肩をすくめた。
「ジャックがいっしょなら、面倒みさせておけよ――それとも、こっち呼ぶか」
ジャックは、女たらしで、もと警官だというただのチンピラだ。知らない仲ではない。ラガーで会えば一緒に飲むこともあるし、ジュリとつきあいはじめてからは、二度ほど、カレンとジュリの部屋でコーヒーを飲んでいったことくらいはある仲だ。
たいてい、ジュリを送ってきても、K27区は趣味じゃないのか、さっさと帰るが。
「こんなところに住むなんて、イカレてるぜ」
とほざくジャックの頭を小突いた経験は、アズラエルにもグレンにもある。
「さすがに今日はさっさと帰るだろ――もしかしたら、ジュリがニュース見て、もどってきたのかもしれねえ」
「それはねえな」
「そうか? ラジオもテレビも、このニュースばっかだぜ」
「ジュリはわかってなくても、ジャックが聞いてる可能性はある」
「じゃあ、なんだ? 妹がご愁傷様って声かけに来たっていうのか?」
「ジュリを送ってきただけだろ」
「なんで、今日に限って?」
アズラエルとグレンは、にらみ合った。それは、疑問の交換であって、今日に限っては、お互いのツラを視線で張り飛ばしあっているのではない。
「だめです」
男たちは、ちっちゃなウサギちゃんの声に、急に静まり返った。
「だめです」
ウサギちゃんは言った。
「なんだか、ふきつなよかんがする。ジュリさんをおうちに近づけちゃだめ」
アズラエル、グレン、ミシェルが何か言うまえに、クラウドがずっと眺めていたメモを放り投げて、あわてて立った。
「アズ! 銃は何丁部屋にある!?」
「あ? 二丁はあるぜ」
「すぐ持ってきて! グレン、アズ! 銃を持ってカレンの護衛につくんだ!」
グレンとアズラエルが、顔を見合わせる。
「――ジャックは、“ヘルズ・ゲイト”だ」
クラウドがそういうと、アズラエルはまっしぐらに自室に駆けて行った。
「ルナちゃんとミシェルは、ここにいて!」
ピエトを送り出したあとで、本当によかったとルナはエプロンのはしを握った。
ふたたび車の音がしたので、ルナとミシェルが反射的に外をのぞくと、見知らぬ黒い車が、三台もアパート前に横付けされたところだった。
『防衛態勢に入ります』
ちこたんが、ヴン……と音を立てて、ルナとミシェルの前に立ちはだかった。
カレンは、ジュリとジャックが階段を上がってくるところで、ようやくタトゥの正体を思い出した。
――ヘルズ・ゲイト。
あの蛇とスカル、そして開け放たれた真っ黒な窓。Welcome to Hell!の文字。
かつてグレンを昏倒させて、宇宙船から運び出そうとした傭兵グループ。
あのとき、「ヘルズ・ゲイト」として逮捕されたのは、四人だった。
グレンを襲いに行ったのはヘルズ・ゲイト三人。
貨物倉庫で待機していた一人をあわせて、四人。
クラウドのほうへいったのは、彼らがナンパしたチンピラ三人。
七人、そろって降ろされた。数は間違っていない。
(――七人)
地球行き宇宙船に乗船するのは、常に二人一組だ。七人という数はおかしい。チンピラは、チンピラ同士で入船するだろう。彼らには、ヘルズ・ゲイトからの分け前も弾んだはずだ。ひとりのけ者にされたら、仲間割れが起こる可能性もある。
(――ひとり、足りない)
カレンは、そもそも、最初から間違っていたのではないかと思った。
(もし、ヘルズ・ゲイトが四人で乗船したのではなく、「八人」だとしたら?)
なぜ、カレンが八人だと思ったかというのは、「ヘルズ・ゲイト」の幹部が「八人」だと聞いたことがあるからだ。
職業などいくらでも詐称できる。顔も、変えることはいくらでもできる。ヘルズ・ゲイトがナンパした、流しの傭兵とかいうチンピラは、本当は「ヘルズ・ゲイト」の幹部メンバーで、それを「演じて」いたのだとしたら。
いくら地球行き宇宙船でも、そこまで下調べはしない。後ろ暗い前科がある者がいっさい乗れないのだとしたら、傭兵など最初から入船できない。
この宇宙船に乗れないのは、L55が指定した、重犯罪者のみだ。
「ヘルズ・ゲイト」として入船したのは四人。残りの四人は、職種を詐称して入る。
もし、そうだとしたら――。
まだ、「ヘルズ・ゲイト」のメンバーは、ひとり、船内に残っていることになる。
(なぜ)
どうして、今日に限って、ジュリが帰ってくる。ずっと帰ってこなかったのに。
ラジオでも、テレビでもこのニュースは持ちきりのはずだ。
ジュリがあんな楽しげな声を上げているというのは、事件があったことを知らないのだろう。
いや、ジュリは、ニュースを見ただけでは、あれがカレンの妹だとは気付かない。
ジャックのタトゥは見たことがない。
アイツが、「ヘルズ・ゲイト」の幹部だという証拠は、どこにもない。
そして奴らの目的は、グレンかクラウドの奪取だったはず。
(でも――)
カレンは、不吉な予感に冷や汗が流れるのをどこかで感じながら、中腰のままパソコンを見つめた。
カレンは、マッケランがつかう傭兵グループを思い浮かべた。
白龍グループに、ブラッディ・ベリー。
でも、彼らは、カレンやアミザの暗殺にはつかえない。
だとしたら、やはり、「どんな汚い仕事も引き受ける」傭兵グループをつかうはずだ。
場末の傭兵はつかわない。プロをやとうに決まっている。
(落ち着け――考えろ。サラマンドラ、クリティカル・アシッド、燐……)
悪名高いグループを片っ端からあげていくが、それらのメンバーが入船しているという話はなかった。
しかし分からない。外見を変えて、職業を変えて、まったく別人になって潜入していたら?
これら一連の事件には、マッケラン家だけではなく、ドーソンが関わっている。
マッケランつながりではなく、ドーソンつながりの傭兵グループもじゅうぶん、あり得るのだ。
やはり、あの「ガイコツ・タトゥ」は。
「カレン~! ただいまあ~!」
能天気なジュリの声とともに、ドアが開く。カレンは、銃を寝室に取りに行くのは、間に合わないことを悟った。
ジュリに遅れて入ってくる、ジャックの笑顔。Tシャツにジーンズ。そして、真夏なのに、ジャケットを羽織っている。いつもの薄汚れたジャケットを――。
「よう、カレン。ひさしぶりだな」
カレンがソファの陰に飛び込むのと、懐に突っ込んだジャックの手が火を噴いたのは、同時だった。




