29話 パンダのお医者さん 3
「どうじゃ? 椿の宿は。へんな夢見るじゃろ」
ほっぺたをぱんぱんにしてぷんすかしていたウサギは、お風呂に入って、朝ごはんを食べて、ようやく機嫌を直した。しばらく待ってみたが、アンジェリカは来ない。
ルナは、朝から大路のほうに繰り出した。
真砂名神社に参拝し、階段を降りたところにある紅葉庵で、白玉あんみつを食べた。
店主のおじいちゃんは、今日も派手だった。蛍光ブルーのセーターに、ヒョウ柄のジャンパーを着ている。彼は白玉を山盛りにしてくれた。
「ヘンな夢……」
あれは、アンジェリカが見せている夢ではないのだろうか。
「おや、アンジェが今、特別なことでもやっとるんか――あそこはな、そうでなくても、宿泊客がおかしな夢を見るって、リピーターが少ないんじゃ」
そうだったのか。
たしかに、ルナ以外の宿泊客はなさそう。食堂の食事はおいしいし、大浴場も広い上、美肌の湯なので、そちらはいつもひとが切れないのだが。
「おじいちゃん、それって、前世の夢とか?」
寒々しい灰色空の下、おじいちゃんは膝上丈のカーゴパンツだった。
「どうなんじゃろうなァ。わしらも、町内会で椿の宿をつかうことはいっぱいあるが、近場じゃし、温泉や、メシを食いには行っても、泊まることはなかなか……おはようさん!」
おじいちゃんは、お客さんが来たので、注文を伺いに立った。
ルナはもちもちと白玉を食べた。
「どっから来たん」
灰色空でも明るかったはずなのに、いきなり薄暗がりになったと思ったら、ルナの両側に人が座ったのだった。右側はずいぶん体格のいい青年。左は背の高いおじいさん。
「なに言っとるかわからへんのやないか」
あんみつを食べながら、おじいさんが言った。
作務衣姿で、長い白髪を後ろで一本結びにしていて、丸眼鏡をかけている。ナキジンと同じくらい老人だが、背がシャキーン! と伸びていて、背もけっこう高い。
「マジで。オレそんななまっとる?」
ルナに声をかけてきた、アズラエルを二倍にしたような体格の青年もまた白髪で、不思議な髪形をしていた。それが「髷」というものであることは、ルナはまだ知らない。頭頂で、不思議な結び方をしている。
白髪の二人は同じ丸眼鏡をかけていて、顔も似ていた。親子だろうか。
「めずらしいタイプの子ォがおる。おこしやす、真砂名大路♪」
なぜかつぎつぎと人が寄ってきた。
着流し姿で、長い黒髪をかんざしで結わえた、背の高い男――男とわかったのは、声が渋いし、あまりに体格が良かったからだ。顔はうっすら化粧をしていて美人だったので、顔だけ見たら、ルナは間違えていたかもしれない。
二メートル近くある長身をくねくねと波打たせながら、彼はルナに名を聞こうとした。
「だんだん! ヒメさん」
紅葉庵の看板娘――ヒメノばあさんからアイス大盛りのあんみつを受け取った、金髪ツンツンヘアの、褐色肌の青年が、ルナの真正面にしゃがみこんだ。
こちらもじゅうぶん、季節を無視した格好だった。冬になりかけだというのに、タンクトップに派手な柄のハーフパンツ、ビーチサンダル。
「オレ知っとんよ。昨日も来とったけん」
「どっから来はったの」
「待って。当てる」
金髪がこぶしを額に当てて悩むふりをした。
「L6か、7系かもしれんぞな――」
「うん」
ルナはやっとのことで、「L77」といった。男たちは声をそろえて、「L77!」と叫んだ。
「どうりで。オレ、キスケ。入り口でハッカ堂ちゅう駄菓子屋やっとる。こっちがじいさんのカンタロウ」
言ったのは、白髪マゲの青年だった。早口で、ルナは名前しか聞き取れなかった。
「よろしゅうな」
おじいさんは、無表情のままルナに向かって会釈した。
いつのまにかもうひとり増えていた。バンダナ姿のお兄さんが、ルナの真正面にしゃがみ、ポットからひっきりなしにお茶をくみ、皆に配っていた。もちろんルナには、真っ先に差し出された。
「真向いのお茶屋カタクリのダンジといいます。うちのお茶、飲んでみてくやんせ」
「い、いただきます……」
「このオネエがキキョウマルいうて、裏のきもの屋の若旦那。こっちの金髪が大路の入口近くで甘酒とか焼きイカ売っとるオニチヨ」
「うちら、同い年」
キスケの自己紹介は続いた。ルナはなんとか、名前だけは聞き取ることに成功した。
着流し姿の美青年がキキョウマルで、タンクトップとビーチサンダルがオニチヨ。
「わたしら三人で、三羽烏いわれとります」
キキョウマルがにっこり笑った。
「さんばがらす?」
「裏に古武道道場があるでよ。三人で師範やっとるがね」
「もきゃ!?」
また増えた。つやつや黒髪をポニーテールにした着物姿のお姉さんが、一口サイズのトーストをルナに差し出していた。
「わたし、あそこの、真向いの喫茶吉野の、ヨシノ――ヨシノ! といいます。食べてみて、うちの小倉トースト」
「ひゃい」
ルナの手はあんみつとお茶で埋まっていたので、お姉さんがちいさなトーストのかけらをルナの口に押し込んだ。
「コーヒーもうみゃあよ。あとわらび餅」
「お嬢ちゃん、いくつだべ」
最終的にルナを見上げているのは、おかっぱ頭の五歳児だった。
「二十歳、だけど……」
「んだばボクのが年上だべ」
満足そうに笑みを浮かべ、咳払いをした。
「お兄ちゃんと呼んでも、いいでしゅよ」
語尾は子どもらしくたどたどしかった。わざとなのか、天然か。しかし、ルナに疑問を考える時間などだれも与えなかった。連続で話しかけてくる。
「ルナちゃん、うちのザワ焼き食って」
「ザワ焼き?」
「聞いたことないやろ。ラグバダがよく食うとる魚。うまいんよ。うちのオリジナルはこうスダチ絞って、オリーブオイルかけてな」
いつのまに持ってきたのか、オニチヨが紙皿に乗せた魚の切れ端を差し出していた。焼きたてだ。ルナは一口食べ、「おいしい!」とウサ耳を跳ね上げさせた。
「ほうじゃろ」
オニチヨがニッカリと笑った。
横で、「キスケ、駄菓子袋、駄菓子袋」とカンタロウが孫をつついている。
「ふだんあんみつなんぞといいよる連中が、ようそろっとるのォ!」
ナキジンの怒声が、はるかかなたから聞こえた。
「ルナちゃん? ルナちゃんいうの。いつ名前聞いたん」
「さっきナキジーちゃんがそう言うとったやん」
「ホンマ? ルナちゃん、二十歳で、L77の子ォか」
「わっかいのォ」
「なにしにここ来たの。観光? でも見るもんないぞな」
「L77の子ォ言うたら、見るもん食うもんめずらしいんとちゃう」
「ルナちゃん、一杯やるべ」
自称ルナより年上の五歳児が、朱塗りの杯に、なみなみと日本酒をついでいた。
「なにやってんねん! シオミの若旦那!」
五歳児に三羽烏が突っ込んだ。
「うちの大吟醸、味わってみてくだしゃいな――ルナちゃん、お酒飲めるっていったべ、な?」
ルナはうなずいた。それより、この五歳児が飲んでいることが気になったルナだった。
「潮見房之介といいます。裏のシオミ酒造の店主でしゅ――す!!」
五歳児は咳払いして、言い直した。
「L系惑星群表記だば、フサノスケ・G・シオミ……だども、うん、どっちでもええべ」
笑う五歳児は、いい大人にも見えたし、そのわりには言葉がたどたどしい部分もあって、ルナは不思議なものを見る目で見た。
「観光かあ」
「ここらはぐるーっと一回りしよったら終わってまうけど」
「そんなことないやろ。屋台街連れたったらええやん」
「道場見学する?」
「汗臭い男ばっかり見せてどないすんねん」
「キキョウマルのとこでレンタル着物着せたったら」
「ギャラリーあるぞな」
「絵に興味なかったら?」
「マスナ――K05はここだけやないよ、ルナちゃん」
「南のほうがおっきい温泉街あるきに」
「高級旅館もぎょうさんあるやろ」
「ルナちゃん船客? カレシいてはるの」
「一人旅もええもんやで」
「せやせや、隣のK02区、紅葉真っ盛りやろ!」
「終わるころや」
「サブリナ湖」
「あと、アース・ワールドと樹齢二千年の、ほら、あれ」
「どこ泊まっとるん」
「椿さんやて。やったら日帰りできるやろ」
「共通語しゃべりや! わかっとらんがね」
「努力しとるんよ! これでも!!」
「なんでみんな、ここで溜まってんの?」
ルナが口を挟む隙もタイミングも、どこにもなかった。人はどんどん増え続けていく。
まるで、ルナが観光名所だ。
「ルナちゃん、いっしょにK02行きもんそ」
具体的に誘いの言葉を口にしたのは、お茶屋のダンジだった。ルナの返事を待たずに、ヨシノが立ち上がる。
「ほなら店閉めんと! 店じまいや店じまい!」
「ええ!?」
ルナが思わず叫ぶと、全員がいっせいにルナを見た。
「平気やって。めったにお客さんけえへんし」
「紅葉今しか見れんし」
「雪が降り始めたで、今見んと、もう紅葉おわってまうで」
「ちょォ待ち。待ったれ。ルナちゃんの都合もあるじゃろ」
カンタロウが呆れ声で皆をたしなめ、「今日の予定はどうなっとった」と聞いてきた。
ルナはやっと、長文をしゃべることができた。
「えっと……おべんと買って、河原でご飯を食べようかと……」
きのう買った総菜屋さんの弁当がとてもおいしかったので、今日は別のお弁当を食べてみようと思っていたルナだった。
「それだけ!?」
ヨシノが目玉をこぼれ落ちそうなほど見開いて、叫んだ。
「それだけ!」
「う、うん……」
「なら、河原で宴会や!」
「急遽変更! 河原で宴会!!」
「ほいで、あしたK02区!!」
ルナは口を開けた。
「料亭まさなさんで助六人数分頼んできや、握りでもええで。あとひな菊さんで惣菜盛り――ルナちゃんひな菊さんの弁当おいしかったって!」
「ウレシ~! 腕ふるったるわ~!!」
「椿さんでもええんとちゃう」
「ルナちゃん、いつまでここにいるでごわすか」
「あ、えっと、あと二、三日は――」
「なら、あしたK02で決まりやな」
「みんなで案内したったらええやん」
「まさな観光さんにバスの手配!」
「シャインあるやろ」
「ここは! 紅葉見ながら観光でしょ!」
「電話電話! シオミの若旦那、お酒お酒!」
「チヨちゃん、料亭まさなさん頼んでええ?」
「かまんよ」
「タオちゃんも誘ったら? この時間ならまだ将八さんとこおるんちゃう」
「わし呼んできたるきに」
「ついでに将八さんにも行くか聞いてきや」
「あしたも行くかな?」
「ミワちゃんは?」
「あの子派遣さんやからなあ、どうかな」
「いこまい、いこまい! あー、楽しみができた!」
ルナが気付いたときには、三十人くらいの人数がめのまえにいたのであった。
ルナは終始、口を開けているのみ。
決めたとなったら即行動の住人たちは、ようやくわらわらと散っていった。
「ルナちゃん、かんにんな」
キキョウマルが苦笑して、ルナに手を合わせた。
「この辺、みんなこんな感じや」
「めんどうやったら、そっと抜けてええから」
酔っぱらったらみんな気づかんし、とキスケも苦笑いで言った。ずっと口が半開きだったルナは、首を振った。
「よいです。あたしも今日、おべんと食べたらどこにいこうか迷ってたし」
その言葉に、三羽烏の顔が輝いた。
「ところで、さっきも聞いたけど、カレシおるん」
「おるやろ、こんだけかわええし」
「二十歳……二十歳か……年齢差が……」
「一世紀差か……」
「年齢だけなら、シオミの若旦那でギリギリやな」
三羽烏がごちゃごちゃしゃべっているあいだに、ルナの膝には大量のおみやげが集められていた。
カンタロウが置いたハッカ堂の駄菓子袋、オニチヨ店の瓶入りラムネ、喫茶吉野のわらび餅パック、お茶屋カタクリのお試し緑茶パック、飴玉、お菓子、パン、しょうゆの小瓶、お酒の小瓶、ドライフラワーの花束、エトセトラ。
「こ、こんなにお土産もらっちゃって……」
ルナが困惑していると、三羽烏はそろって首を振った。
「ええのええの。また来てくれたらうれしいし」
「ひいひいひい孫に飴ちゃんあげる感覚やから」
「それより、ホンマにええの。宴会参加してくれる?」
「うん」
ルナはうなずいた。
「ルナちゃん、だんだん~!!!!!」
オニチヨが抱き着いてきたので、キキョウマルとキスケが撃退した。
「距離!!」
「近いわ!!」
「だんだんって?」
ルナはやっと聞けた。
「ありがとう、いう意味」
「ほら、やっぱりわかっとらんやないか」
カンタロウのひとこと。ルナはやっぱり口を開けた。




