239話 ケヴィンとアルフレッド Ⅱ 1
「ケヴィン!」
ケヴィンはシャワーを浴びたバスローブ姿で、ミネラルウォーターの瓶の口をひねっているところだった。今日もたっぷり、屋外プールで遊んできたという日に焼けた顔を、驚いたようにアルフレッドに向けた。
「な、なんだよ……」
「すごいものを見た! っていうか、すごい話を聞いた!!」
アルフレッドは、部屋に飛び込んできたときの大興奮を維持したまま、ケヴィンをベッドに座らせ、自分は立ったまま、大げさなジェスチャーで、今日起こった出来事を話した。
アルフレッドの興奮にあおられたわけではないが、ケヴィンはその後、アルフレッドの話が落ち着く午後六時まで、ミネラルウォーターの瓶を持ったまま、一度も口をつけることなく、弟の話に聞きほれていた。
弟の話がやっと終わったそのとき、ケヴィンは、自分の持っていた瓶をひったくられたことにも気づかなかった。アルフレッドが、ぬるくなった水をごくごく飲み干すのを見ることもなく、ケヴィンは興奮気味に叫んだ。
「――おれも聞きてえ。その話」
「そういうと思った」
アルフレッドは、一気に喉に流し込んだ水に噎せ返りながら、言った。
「でも、アミザさんは、ぼくたちが母屋に近づくのをあまりよく思ってない。――どうも、ぼくたちが来ていることは、屋敷のひとには内緒にしたいらしいんだ」
「それは、なんとなくわかるよ」
ケヴィンはうなずいた。
「今、おれたちがまとめてる内容は、たぶんアミザさんの叔母の話だ。それも、インタビューの肝心なところはおれたちも見せてもらえないでいる。バンクスさんは、原稿が完成したら、おれたちにも見せるっていってるけど、もしかしたら、マッケラン家の内情に関わってる話だから、インタビューを受けてることを、あまりおおっぴらにはしたくないのかも――」
「でも、今回の話は、アミザさんのほうから、バンクスさんに、インタビューを受けてもいいといったって話だったけど?」
バンクスは、以前からマッケラン家に、「アラン」の生涯を本にまとめたいと、熱心な交渉をつづけていた。だが、ミラ首相からも、ほかのマッケラン家の者からも、承諾は得られなかった。
「アラン」の話はマッケラン家のタブーであり、背景には、マッケラン家の闇も抱え込んでいる。
現在、差別の象徴であったバブロスカ監獄が破壊され、第三次バブロスカ革命のユキトたちの名誉回復が行われていても、いまだ、軍人と傭兵の間には、根強い差別が残っている。
L20を取り仕切ってきた古い軍人の家系であるマッケラン家でも、その問題は根深い。
マッケラン家も、傭兵差別主義の軍人は多く、ドーソン家ほどではないにしろ、古い格式と家柄を大切にする伝統は、傭兵をなかなか認めない。
アランは、マッケラン家では「行動派」ともいえるべき、傭兵擁護側の人間だった。
彼女を「英雄化」して、本を出版するなど、もってのほかである。
それがマッケラン家の大多数の意見で、数少ない傭兵擁護派のミラやアミザも、アランを畏敬してはいても、本にして出版するとなると問題が多く浮き上がるのも事実で、バンクスの希望はなかなか実現しなかった。
バンクスが、かつて著述した本に記すことを許した内容は、アランの裁判を傍聴したものならだれにもわかる、当たり障りのない箇所でしかない。
そんなとき、アミザのほうから「アランの本を書いてくれ」という依頼が来たものだから、バンクスは、あまりに好都合な話に、一瞬裏があるのではないかと疑いかけた。
しかしそれは冗談でも、罠でもなく、アミザにもある「意図」があってのことだった。それは実際に、バンクスがインタビューの冒頭でアミザに聞いたのだが、内容はバンクスとアミザの間だけの話であり、ケヴィンたちは聞かされていない。
ここにいたって、ケヴィンやアルフレッドにもなんとなく分かりかけて来た。
――「アラン」のことを赤裸々に書いた本を出版するというのは、何の意図があってか知らないが、アミザの独断なのかもしれない。
そして、裏に、なんらかの政治的思惑がからんでいる。
「……じゃあ、ミラ首相もこの事実は知らないってことなのかな」
アランの本が出版されるという事実は。
アミザがバンクスに、長年タブー視されてきた、アランの話をしているということも。
「もしかしたら、そういう可能性もあるかもな。バンクスさんは、インタビューの肝心な部分は、おれたちに文字起こしさせてねえから」
ケヴィンは、気難しい顔でうなずいた。
「きっと、このインタビューを大っぴらにしたくないってのは――外部に漏らすことを警戒してるっていうより、身内にバレないようにしてるってほうが正しいのかも。だから、深夜に、アミザさんはこっそり、このホテルに来るわけだ。
毎日、ちょっとずつ話を置いていくっていうのも、怪しまれないようにしているのかもしれない。アランさんの話をするために、一日まるっと時間取っちゃったら、なにをしてるかバレやすい。あれだけ多忙な人だから、それなりの理由がないと、一日という時間は取れないはずだ。でも、深夜に数時間なら、恋人に会いに来てるって思われるだろ」
「なるほど」
バンクスも、このホテルにきてから、インタビューを受ける部屋と自室を往復するばかりで、外にはほとんど出ない。たまに外に出るときは、サングラスにYシャツとスラックス、といった、普段の彼にはない、このホテルの宿泊客にふさわしい格好で外に出る。
バンクスは、マッケラン家の人間に顔を知られているので、変装しているのだ。
「……」
ここまで話して、もしかしたら、自分たちは、とんでもないことに関わっているのではないかという不安が込み上げ、ふたりそろって言葉を失った。
だが、危険は最初から、承知の上だったはずだ。
バンクスは、ケヴィンたちが危険な目に遭わないように、いつも気を付けてくれている。取材も、ほんとうに危ない場所にはぜったいに連れて行かないし、いっしょに来ないほうがいいときは、必ず「今回はダメだ」という。
ふたりはバンクスの保護のもとで、さまざまな経験をさせてもらっているのだ。
「と、とにかく、おれたちはバンクスさんの助手で来たわけだから、よけいなことに首つっこむわけにはいかねえけど、――そのばあさんの話、興味あるよ。おまえが書斎で見た本ってのも。おれも、見させてもらうわけにはいかねえかな」
「う~ん……」
アルフレッドは、首を振った。
「無理だと思う。アミザさんは、ほんとうはぼくたちに母屋に近づいてほしくないんだけど、たぶん、ぼくがおばあちゃんの相手をしたことで、おばあちゃんがずいぶん元気になったから、あしたも来ることを許してくれたんじゃないかな」
「じゃあ、おれが行かなくても、アルが書斎の本を借りてきてくれるってことは」
「あの書斎の本は持ち出し禁止だ」
書斎のドア付近に、その旨が明記された額が飾ってあった。
「だから、ぼくが読んできて、ケヴィンに話をするよ」
ケヴィンは不服そうだった。無理もない。
「どっちにしろ、今日のことは、バンクスさんにも一応言っておかないと……」
アルフレッドが言いかけたところで、ノックがあった。
「俺だ」の声はバンクスだったので、ケヴィンがドアを開けると、彼はワゴンを押しながら入ってきた。氷の器に突っ込まれてよく冷やされたシャンパンと、シャンパングラスが三つ。
アルフレッドは、バンクスの用件がわかって、すぐさま謝りたい気持ちに駆られた。
「アル、おまえ、今日母屋のほうに行っちまったんだって?」
バンクスの声は、怒ってはいなかったが、固かった。
「ばあさんのことは、仕方ないことだったとはいえ、母屋に行くのはまずい。――いや、これは、おまえらにちゃんと話しておかなかった俺も悪かったんだが」
バンクスは、さっそくシャンパンのコルクをあけ、グラスに注いだ。
久々に明るいところで見たバンクスの顔には不精髭が生え、とても高級ホテルに滞在しているものの顔とは思えないほど、やつれていた。
日を追うにつれ、彼の憔悴ぶりはひどくなっていく。今回の作品は、彼の渾身の作であることは違いなかった。
「こいつは、アミザさんからの差し入れだ」
アルフレッドの予想は当たった。シャンパンは、ツヤコを屋敷まで送った礼だった。
バンクスは、シャンパンを飲むようすすめたが、ふたりはいつものように、すぐには取らなかったので、彼は、「いいんだよ、飲めよ」と肩をすくめた。
「俺は怒ってるんじゃねえ――だから、おまえらにちゃんと話さなかった俺のミスだと言っただろう――だから、今さら説明するが、今回の取材は、まさしく“極秘裏”なんだ。最初に、“絶対に母屋には近づくな”といったとおり、お前らの存在も、俺の存在も、母屋の連中に知られちゃまずい。――いいか。この取材は、中途半端にやめるわけにはいかねえんだ。ここでやめても、俺たちの存在がバレても、アミザさんの命に係わる危険性がある」
「――!?」
さすがにケヴィンもアルフレッドも、強張った。
「この取材の裏を話すことは、おまえらも巻き込む恐れがあるから言わなかったが――おまえらは、行く先々で、俺のいうことに“必ず”従ってくれた。だから今回、連れて来たんだ。おまえらがいてくれたことで、資料の整理も早いし、“カムフラージュ”にもなってくれてる。何度も言うが、今回の件に関しては、おまえたちにちゃんと伝えなかった俺の落ち度だ」
「す、すみません……バンクスさん」
自分の行動が、アミザの命に係わるかもしれなかった――。
さすがの事態に、アルフレッドは青ざめ、声は震えていた。バンクスは、久方ぶりに体内に入れたアルコールに、すこし顔色を良くしながら、やっと表情を緩めた。
「どちらにしろ――だ。アミザさんは、命を懸けて、このインタビューにのぞんでるんだ。アル、ケヴィン」
「は、はい!」
「明日から、絶対に母屋には近づかないと約束してくれ」
ケヴィンとアルフレッドは、うなずかないわけにはいかなかった。彼らはバンクスに、「二度と母屋には近づかない」と三度も復唱し、固く誓った。
「大層な取材だが、おまえたちに危険はない。これだけは言える」
バンクスは、ふたりを安心させるように言い、シャンパンを一気に飲み干すと、立った。
「俺がこういったからって、行動を自粛するのは、“母屋への潜入”だけでいいからな。ふたりはいままでどおり過ごしてくれ。ケヴィンは美女をナンパし放題だし、アルは散歩をつづけながらばあさんを保護することはかまわねえ。――そのかわり、なにか保護したら、すぐホテルへ連絡して、自分は関わらない。いいな?」
バンクスの口から冗談が出たことに、ふたりはほっとして、やっと笑顔を見せた。
「残りのシャンパンはふたりにやるよ――っていうか、このシャンパンはもとはと言えば、おまえが礼にもらったもんだよな。あ、今夜もテープ起こしよろしく」
ごちそうさまでした、とバンクスはアルフレッドに手を上げ、部屋を出て行った。
ケヴィンとアルフレッドは、バンクスが出て行ったあと、神妙な顔を見合わせ、緊張をほぐすように深々と深呼吸した。そして、これまた深々とよく沈むベッドに、腰かけた。
「ぼくがうかつだった」
「おれもだよ」
アルフレッドは、昼間の自分の行動を悔い、ケヴィンは多少強引な手段をつかっても、書斎に行こうとしていた自分の考えを悔いていた。
今、この事実を聞いてよかった。
でなければ、自分たちは、とても浅はかな行動をしていたかもしれない。
「……ね、ケヴィン」
長い長い沈黙のあと、外が暗くなってきたころに、アルフレッドは言った。
「このバンクスさんの仕事が終わって、本も出版されて、ひと段落ついたら、改めて、ぼくたちが“ツヤコさん”に取材を申し込んでみるっていうのは、どうかな」
双子の弟の提案に、兄のほうは驚いて顔を上げた。
「ミカレンの話も、ルーシーの話も、アランさんの話とは違う。ずっと昔の話で、伝説みたいなものだから、生きている人間に迷惑がかかる内容ではないはずだ。この話が門外不出だっていうなら別だけど、そのあたりはアミザさんに判断してもらって、出典をあきらかにして、小説を書きたいといえば、意外と受けてくれるような気がする」
今はバンクスの助手として来ていて、母屋に近づくなという厳命を受けているから、書斎には入れないけれども、すべてが落ち着いたら、あらためて、取材を申し込む。
アミザは、話の分からない人ではなかった。きちんとこちらの要望を伝え、礼を失することがないよう気を付ければ、許可してくれるのではないだろうか。
「お……おう! なんだ、今日は冴えてるじゃねえか、アル! さすが、おれの“図書館”だ!」
「図書館は、今関係ないだろ」
アルフレッドはあきれたが、がっかりしていたケヴィンの横顔に明るさがもどってきたので、安心した。
ケヴィンは、アルフレッドが「図書館のネコ」と言われたことを話したときから、
「やっぱりな。おれはそうだと思ってたぜ」
となぜか当然のような顔をして、自慢げに言うのだった。
「おまえは、おれにとって“図書館”みてえなもんだもん!」
アルフレッドは知識の宝庫。いつも、ケヴィンの知りたかったところ、足りないところをすぐさま差し出してくれる、貸出カードいらずの、生きた図書館だとケヴィンは言った。
ビアードを尊敬しているアルフレッドとしては、彼のつくった偉大なる美術館の図書館版――かつて太古の地球、アレクサンドリアにあった世界最大の図書館のような――世界一の蔵書を誇る図書館をつくってみたい――という、人に話したら笑い話にされるか、あきれられるかするぐらいで、本気にはされないだろう夢を持っていたので。
「図書館のネコ」という名称は、すぐさまその夢に直結したわけだが。
(まあたぶん、ケヴィンのいうことのほうが、正解だろうな)
自分はおそらく、ケヴィンの“図書館”なのだ。
そういうわけで、次の日の母屋への訪問はすっかりあきらめていたアルフレッドだったが、その後、意外な展開となった。
毎日恒例のインタビューを終え、ケヴィンとアルフレッドにテープ起こしをしてもらうために部屋をおとずれたバンクスは、想定外のことを口にした。
「アミザさんが、明日はちゃんと来てくれって、アル、おまえに言ってたよ」
バンクスは、疲れて血走った目に戸惑いも含めて、ふたりを見つめた。
「それから、“小説家志望の”ケヴィンくん。君も、どうせなら遊びに来てもいいってさ――お茶菓子くらいはあるよって話だ。そのかわり、アミザさんの学生時代の後輩って態度はくずさないこと。それは厳守。――書斎で、なにか面白い本でも見つけたのか」
語尾は質問だった。ケヴィンもアルフレッドも、驚きに目を丸くする方が先で、一瞬の間をおいてから、「い、いいんですか!?」と深夜という時刻も顧みない大声をあげた。
さいわいにも、この高級ホテルの防音設備は完璧だった。
「アミザさんが、インタビューの前に、この話を持ち出した。――あのひとがいいっていうんなら、俺が反対する理由はない」
アルフレッドはバンクスのために淹れた、特別に濃いインスタント・コーヒーを差し出してから、言った。
「ツヤコさん――あの、ぼくが保護したおばあさんの名ですが――彼女の話もおもしろかったんですが、なによりぼく、ルーシーの名前を見つけちゃったんです。マッケラン家の歴史書の中に」
「ルーシー」
バンクスは記憶をたどるような顔をした。アルフレッドが説明した。
「ルーシー。ルーシー・L・ウィルキンソン。地球行き宇宙船創設期のころに活躍した、経済人です」
「――ああ、なんとなく知ってる。ビアードのほうが有名だろ。地球行き宇宙船に世界最大の美術館をつくったっていう」
「そうです! ぼくはビアードの大ファンなんですが、彼女がいなければ、ビアードもなかったし、あの美術館もなかったって言われています」
アルフレッドは大興奮で語った。
「ぼくは、地球行き宇宙船で、彼らのつくった美術館に行ってきました。そこに、ふたりの歴史を中心に展示した部屋があるんです。年表やら、ルーシー自身が描いた絵が飾ってある――ビアードの歴史は、映画にもなってるし、ちゃんと彼の日記なども残っているんですが、ルーシーのほうは謎が多いんです」
「映画、俺も昔見たよ」
バンクスはめずらしく、世間話をつづける気があるようだった。
「色っぽい姉ちゃんだったなァ。だけどあの映画じゃ、一大事業を築いた経済人ってよりかは、なんつうか、夫やマフィアの愛人を利用して、色気でのしあがった女のように見えて仕方ねえ」
「そうなんです……」
アルフレッドも肩を落とした。
「ぼくは、ルーシーは、あんな人じゃなかったって思っています。ルーシーの事業が大成功したのも、パーヴェルやアロンゾ、アイザックとか、ビアードの力が大きかったっていう意見も、分からなくはないんですが――そんなんじゃないです。絶対。ルーシーは、お飾りの社長なんかじゃなかった」
いつも断定を避けるアルフレッドにしては、毅然とした言い方だった。
「ルーシーは、男を使ってのしあがった人間ではないとぼくは思います」
「――で、おまえがいつか、ルーシーの伝記を書くのか?」
バンクスとケヴィンのニヤニヤ笑いに、アルフレッドは、いつになく自分が熱弁していたことに気付いた。そのことに頬を赤らめながら、
「ぼ――ぼくには、ルーシーを魅力的に書く才能はないから――そこは、ケヴィンにお願いしたい」
「稚拙でもいい。それだけの想いがあるなら、ルーシーとビアードの物語は、おまえが書けよ」
バンクスは言った。
「俺は、おまえの書いた小説で、読んでみたい――少なくとも、読者は、ここにひとりいる」
アルフレッドの目が潤んでいるのは、薄暗がりのせいで、だれにも見えなかった。
「さあ、仕事だ。頼むぜ」
バンクスは、レコーダーとメモを置くと、アルフレッドとケヴィンの肩をはげますように叩き、部屋を出て行った。
ふたりは、資料をまとめることに没頭した。気づけば、すっかり夜が明けていた。




