234話 模索と真実と 2
「ヒュピテムには、わたしたちの両親の元へ向かい、わたしたちの“ルーツ”を聞いてくれるよう、頼みました」
「ルーツ……?」
アンジェリカは戸惑った。
「ええ。ルーツです」
「ルーツって……うちは、ただの中級貴族で――」
一族から、予言されたサルーディーバが輩出された件で、生家「エルバ家」は上級貴族となった。メルーヴァの革命のとき、いち早くL05に亡命したため、両親は無事だ。
L03に古くからある家ではあるが、とくに変わった“ルーツ”があるとは、アンジェリカは思えなかった。
「いいえ。なにかあります」
サルーディーバは、確信に満ちた声で言った。
「ペリドットに会いに行ったときに、彼はわたくしにこう尋ねたのです。『おまえは、自分の家のルーツをなにひとつ聞かされてはいないのか』と」
「――!」
「わが生家には、必ずやなにかあります。それに、もうひとつ気になることがあります。ヒュピテムが言っていたことです」
ヒュピテムは、サルーディーバの生家である「エルバ家」の親族であり、代々サルーディーバに仕えてきた王宮護衛官だった。
サルーディーバの蟄居中も、王宮を離れ、彼女につかえていた。アズラエルとグレンをガルダ砂漠で助けたときも、その場にいたメンバーのひとりである。
だから当然、メルーヴァのことも幼いころから知っていて、メルーヴァが革命を起こしたときはともに立った。
メルーヴァの革命や、なすことは、むしろサルーディーバのためであると信じて、彼女の情報をメルーヴァに送り続けて来たのだが、自分を含む付き人全員がL03に帰されることを知らされたとき、彼はその原因が、自分のスパイ行為が発覚したためだと悟った。
彼は、サルーディーバにスパイであったことを告げ、自害しようとしたのだった。
それを止め、ヒュピテムに役目を与えたのはサルーディーバだった。
そして、メルーヴァの目的をヒュピテムに教えたのも。
ヒュピテムは、ナバ同様、メルーヴァからすべてを教えられているわけではなかった。ヒュピテムは、メルーヴァが行っていることが、この世界に改革をもたらし、平和に導くという信念のもとにあると思っていた。
しかし、今では自分のまったく理解及ばぬ事態になっていることを知り――メルーヴァがルナという少女を狙うということは、彼には理解しがたいことだった――自害の剣を床に置いたのである。
彼は、真砂名神社の祭りでもらえる星守りのことは知らなかった。ヒュピテムとナバは、互いのスパイ活動のことは知らず、ナバのことを知ったヒュピテムはがく然としていた。
ヒュピテムは、サルーディーバに役目を与えられたことを喜び、与えられた任務が終わった暁には、ナバを守ることまで誓ってくれた。
結局、星守りの一件は、ヒュピテムも知らぬことだった。
ナバが、アンジェリカが返した最後の星守りを、メルーヴァに送っていた。
アンジェリカもサルーディーバも、その行為をとがめなかった。星守りを送らなければ、ナバがL03にもどったとき、死の危険にさらされる可能性が高くなる。
しかし、メルーヴァが星守りを必要とした理由も経緯も、まったくわからない。
ヒュピテムは、星守りの送り先であったラフランが、どうしてL03にいるのか、不思議に思っていた。彼はメルーヴァのそばにいるはずだった。
当然、すぐさまアントニオにも報告したが、メルーヴァが星守りを必要とした理由は、彼もわからなかった。
そして出立の日、ヒュピテムはひそかに、「ずっと気になっていたことが……」と、サルーディーバに告げたのだった。
「ヒュピテムは申しました。おそらく、わたくしは、地球行き宇宙船のチケットが、“当選”したのではありません」
「――え」
「ヒュピテムも、たしかなことは分からないと。でも、わたくしたちに来たチケットは、長老会がわたくしを追い出すために購入したものではないし、現職サルーディーバ様でも、メルーヴァでもなく、だれかれが買ったものではないというのです。もちろん、当選したのではないと。わたくしもはじめて知りましたが、チケットに書かれている名前は、当選した方の名前は緑、購入したチケットの場合は、青色で書かれているようですね」
「――それ、ほんと? 姉さん」
それは、アンジェリカも知らないことだった。
「わたくしのチケットは、金で名が記入されていたと――金とは、なにを意味するのでしょう。当選したものではなく、購入したものでもない。ヒュピテムは、わたくしが高貴な身分でありますし、特別派遣役員がつく身分であるから、特別なチケットだと思っていたようですが、わたくしは、そうではないと考えました。
ヒュピテムは、たしかに、わたくしの生家で、あのチケットを見たというのです。わたくしの幼いころです。
それで、わたくしの両親が、わたくしがいつか、宇宙船に乗るときのために、このチケットがあるのだと、そういったそうです。ヒュピテムはわたくしの十歳上ですから、王宮護衛官になりたての頃だったかもしれません。ですからヒュピテムは、わたくしが地球行き宇宙船に乗るということを、とうの昔から知っていたのです。
彼は昔見たチケットが、金で名前が書かれていましたから、自分の搭乗チケットが、金ではなく青色で書かれていることを不思議に思って、メリッサに尋ねたら、そう答えが返ってきたそうです」
アンジェリカは言葉も出なかった。
てっきり、姉がマ・アース・ジャ・ハーナの神から、「地球行き宇宙船に乗れば、ルナという少女が救ってくれる」という神託を受けた時点で、チケットが当選したのだと思った。その程度の奇跡は、マ・アース・ジャ・ハーナの神に仕えてきたアンジェリカたちには、めずらしいことではない。
だが、そこが盲点だったようだ。すべてを「奇跡」で片付ける安直さが盲点を生んでいた。アンジェリカは、チケットが「最初からあった」などということは、思ってもみなかった。
ある日、長老会がやってきて、サルーディーバを宇宙船に乗せることを提案してきた。
そのわずか数日後にメリッサがやってきて、宇宙船に乗った。
付き人のチケットは、すべて長老会が手配した。
そうだ。あの時点で、サルーディーバとともに乗る相方が、ユハラムでもよかった。なぜアンジェリカがいっしょに乗ったのかというのは、姉の希望もあったが、すでにアンジェリカもいっしょに乗ることが決められていたからだった。
アンジェリカは、チケットの入手経路も、自分が「はじめから」サルーディーバの同乗者と定められていたことにも、なにひとつ疑問を持たなかった。
そういえば、チケットは、だれが持っていて、メリッサに渡したのだろう。
長老会? ユハラム? ヒュピテム?
すくなくとも、アンジェリカやサルーディーバではない。
チケットをメリッサに渡したのが、自分たちの両親だとしたら――。
「わたくしは、ペリドットの言葉といい、ヒュピテムの言葉といい――生家にはなにかあると思いました。ですから、ルーツを、尋ねてみようと思ったのです」
「ルーツ……それが門外不出だったら?」
ヒュピテムが行っても、教えてもらえなかったら、とアンジェリカは言ったが、サルーディーバは「承知の上です」と言った。
「ヒュピテムの自害を止めるために役目を与えたのです。無理でしたら、わたくしが自分で聞きましょう。――けれども、ヒュピテムはわたくしたちと血が近い。もしかしたら、両親も話すかもしれません」
「……」
「ヒュピテムにも、ユハラムにも、メリッサにお願いして宇宙船の役員をつけていただきました。彼らはもう、宇宙船には乗れませんから、役員の方を通じて、書物や情報が届けられるでしょう。ふたりが無駄に命を落とさないよう、見守っていただく役割もあります」
アンジェリカはほとほと感嘆して、頼もしい姉を涙目で見上げた。
――そうだった。蟄居中の姉は、いつもこうして、皆を励まし、道をつくってくれていたのだ。
「そして、ほかの皆には、メルーヴァがL03にもどるまで、決してくじけず、現職サルーディーバ様をお守りするよう、そう言い聞かせました。死んではならぬと」
「メルーヴァが――L03にもどるの!?」
アンジェリカが絶叫したところで、サルーディーバは力強い声で言った。
「あの子は、決して、今のL03を放置しておくような子ではありません」
「でも――メルーヴァには、ラグ・ヴァダの武神が――」
サルーディーバもアンジェリカも、やっとカザマから、太古の伝説を聞けたのだ。ラグ・ヴァダの物語、そしてアストロスの物語を。
メルーヴァにはラグ・ヴァダの武神が宿っている。もはや、昔のメルーヴァでないというのは、そういうことなのだ。
「メルーヴァは今、ラグ・ヴァダの武神に操られているだけです。ラグ・ヴァダの武神の望むこと――世界の破滅か、メルーヴァ姫――ルナを手に入れることか。それを成し遂げるために利用されているだけです。メルーヴァがL03で革命を起こしたのは、長老会に支配された腐敗政治を一掃するためのものです。彼はもともと賢い子でした。長老会がなくなった後の、今のような事態も予測していたはず。――メルーヴァとは、偉大なる予言師なのですから。だから、すべてがすめば、彼は必ずL03に戻ります」
「――う、うん! ……うん!!」
「よろしいですか、アンジェリカ。わたくしたちの目指すべきは、ルナの命も、メルーヴァやシェハザール、ツァオたちの命をも救う道です」
「ね、姉さん――」
「彼らについていった者たちも、できうる限り救わねばならないのです。尊い命を散らしてはなりません」
姉の言葉を聞いていると、身体の奥から力が湧き出るようだった。
「ラグ・ヴァダの武神さえ、滅ぼしたらよろしいのです。メルーヴァたちが死ぬ必要は、どこにもない」
アンジェリカは、涙に洗われた目で、姉を見つめた。
「どうしたらいい――あたしは?」
「わたくしたちにも、できることがあります。――アンジェリカ、あなたはまず、ZOOカードをつかえることができるようになるように、真名を乞いなさい」
「……」
やはりそれしか方法はないのか、とアンジェリカは俯いた。気ばかり焦って、祈りにも集中できないのだ。
「ただし、マ・アース・ジャ・ハーナの神ではなく、“月の女神”に乞うのです」
「えっ!?」
サルーディーバは告げた。
「わたくしたちは、長く、L03の、“本物ではない”マ・アース・ジャ・ハーナの神に触れ続けました。ですから、わたくしたちが“マ・アース・ジャ・ハーナの神”と祈りますと、どうしてもL03のマ・アース・ジャ・ハーナの神に向かってしまう――それではおそらく、真名は見つからない。常に、“偽物”の神の邪魔が入るでしょう」
どうしたらいいの、と言いかけたアンジェリカを落ち着けるようにサルーディーバは言った。
「ルナの回覧板にあった言葉は、月を眺める子ウサギが、あなたを助ける道を模索してくださっていると考えていいでしょう」
「う、うん……!」
ルナが回した回覧板は、ふたりも見た。アンジェリカは目を丸くしたものだ。そこに書いてあったのは、アンジェリカ本人のことだったのだから。
『アンジェは、黒いタカさんが宇宙船に乗ってこないと、助けられないの。でも、黒いタカさんが乗ってくると、青大将さんも乗ってきてしまう。そうなったら、イマリはもうタイムアウトなのよ』
月を眺める子ウサギが、ルナにそう言ったということが書かれていた。
「ですから、月の女神に乞うのです。真名を」
月の女神に祈るということは、アンジェリカには予想もつかないことだった。だが、実際に動いているのは、月の女神の化身である“月を眺める子ウサギ”だ。
「真名が降ろされるというのは、おそらく、神託に限りません。あなたがZOOカードをふたたびつかえるようになることで、自ら発見できるやもしれません。可能性はひとつではない」
「――!」
「月を眺める子ウサギが、何をしてくださっているのかはわかりませんが、方法は知っているのでしょう。あなたを助ける道を。わたくしたちは、“英知ある黒いタカ”を待ちましょう。できうることをしながら」
「う、うん!」
「アンジェリカ、おそらく、“本物の”マ・アース・ジャ・ハーナの神というのは、わたくしたちが考えているようなものではない」
アンジェリカは目を上げた。サルーディーバは逆に、一度目を伏せると、決心したようにアンジェリカを見つめた。彼女のなめらかな額には汗が浮いていた。
「アンジェリカ――あなたには、伝えておかねばならぬことがあります」
決して他言してはならぬと言われ続けてきた、サルーディーバにのみ伝えられてきた真実を、アンジェリカに伝えるのだ。その教義をやぶることは、サルーディーバにとっては、死にも等しいこと。
だが、サルーディーバは感じていた。今これを、妹に伝え置かねばならない。
「これは、代々サルーディーバにのみ伝え継がれる、L03のマ・アース・ジャ・ハーナの神の正体です。心してお聞きなさい」
アンジェリカにも、姉の覚悟が伝わった。背を伸ばして体勢を整えた。
「L03でマ・アース・ジャ・ハーナの神と呼ばれるものは――その真名は――“バラス”。――ラグ・ヴァダの武神です」




