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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~夏のお祭り篇~
561/943

234話 模索と真実と 1


「……」


 ペリドットはバインダーをながめ、中身を読むまえにしばし絶句した。


 数あるカラーバリエーションの中の、「いちごミルク」を選択したのは紛れもなくルナだった。いちご模様のピンクのバインダーに、かわいらしい丸文字で情報が書かれている、便せんが挟まっている。なにか香ると思ったら、バインダーから、たしかにいちごの匂いがするのだった。


「……」


 ペリドットは甘ったるい匂いを嗅ぎ、やっと文章を読んだ。

 このあいだ、花火のときに聞いた、「アンジェは、黒いタカさんが乗ってこないと助けられないが~」という内容だ。


「……」


 ペリドットは、無表情でその一文を読んだ。無表情なのは不機嫌なのではなく、すべき表情が分からなかったためである。


 便せんの一番下には、ルナが描いたであろうウサギのイラスト。ウサギの横の吹き出しには、「読んだらサインしてね! 次のひとに回してください!」と書かれていた。


 クラウド→カザマ→アントニオ→ペリドット→ルナ。


 最後がルナだということは、ペリドットはこのままサインして、アズラエルたちにもたせてやればいい。今日もふたりは、K33区に来ていた。


(――俺も一応、携帯電話を持ってるし、メールの存在を知らんわけじゃないんだが)


 ペリドットのメールアドレスは、クラウドもアズラエルも、アントニオも知っている。てっきり、メールが来るものだと思っていたペリドットは、ずいぶん古典的な回覧板に、一瞬だけ動揺したのだった。


 おまけに、このピンクのいちご柄のバインダーが、世界を揺るがす情報を載せてあちこちを回るのかと思うと、どうしようもない気持ちさえこみ上げてくるのだった。


 一度咳払いして、複雑な気持ちをおさめたペリドットは、アントニオのサインの下に、アンジェリカのサインとサルーディーバのサインがあったことに目を留めて。


(ははあ。なるほど)


 この中で、コンピュータを扱えないのは、サルーディーバだけだ。


 ペリドットはサインをし、それから、思いついたように、へたくそなトラのイラストをすみっこに描いた。


 “真実をもたらすトラ”は、ペリドットの肩に乗ったままイラストをながめ、冷静に、「おまえに絵の才能はない」という真実をもたらした。


「そういう真実は、もたらさんでいい」





「ペリドットさん、絵がじょうず!」


 ルナは返ってきた回覧板を見て叫んだが、アズラエルは肩をすくめた。


「ずいぶんなお世辞だな」

「お世辞じゃないよ! こういうのは味があっていいってゆうんだよ!」

「――すごいシュール」


 ミシェルも回覧板を覗き込み、ペリドットがかいたトラを見てそう言った。


「こういうの、古代の壁画とかにあるよね」

「うん! あるある」


 ルナとミシェルが、ペリドットの絵を褒めているようには、どうしても思えなかったアズラエルだが、彼はペットボトルの水をひと息に飲み干して言った。


「ルゥ。メシは好評だったが、無理はするなよ」


 シンクには、すっからかんになった特大弁当箱が置いてあった。ルナは今日、それにおかずをたっぷりつめこんで、アズラエルたちに持たせたのだ。


 回覧板には、「おいしかったよ! ありがとう」というニックのサインと、ルナには読めない言語で、おそらく「ありがとう」か「美味しかった」とでも書かれているベッタラの筆跡もあった。


「うん! 無理はしないよ。できないときは、しないから」

 ルナは元気よく言い、回覧板を引き出しにしまった。





 こちら、K05区。

 アンジェリカは、すっかりがらんどうになってしまった部屋を眺めた。家具がそっくり運び出された部屋は、信じられないほど広い。


 だが、さみしいというよりかは、この部屋にZOOカードを一面並べてみたら、ものすごく壮観なんじゃないかという、ポジティブな気持ちさえ沸き起こっていた。


 心配ごとがひとつ減るというのは、ずいぶん心を軽くするものだ。

 最近は食欲も出て来たし、食い遅れかと思うほどよく食べている。今度は太る心配をしなくてはならない。


「アンジェリカ、アンジェリカ、これはどこに運べばよろしいですか」

「……姉さん!? そんなでかいダンボール、ひとりで持たないで!」


 自身が入りそうなくらいの大きなダンボールを――ショールばかり入っているからまだ軽いとはいえ――持とうとしているサルーディーバを、アンジェリカはあわてて止めた。


「引っ越し業者を頼んだから、姉さんはこれ以上動かなくていいの」

「アンジェリカ、わたくしは、これから何もかもを、自分でできるようにならねばなりません」


 使用人を全員帰してしまった今、サルーディーバは、衣装を着るのも、掃除をするのも、料理も、全部自分ひとりでできなければならぬと意気込んでいる。


「うん、それはそうだけど、一般人でも引っ越し業者はつかうよ。だから、姉さんは黙っていてもいいの。荷物を詰めるのは、あたしと一緒にやったじゃん」

「そうなのですね……」


 サルーディーバはため息を吐いた。物を知らない自分に対する呆れのため息だ。だが、サルーディーバは勤勉な上、素直だということは間違いない。これから、スポンジが水を吸収するように、いろいろ覚えていくだろう。


 彼女は、ダンボールを取り上げられてしまったので、(ほうき)をとって、すっかり綺麗になった廊下を掃くそぶりを見せた。

 アンジェリカはそれを見て苦笑する。サルーディーバは、掃除の中でも箒で掃くしぐさが気に入りだ。


「姉さん。掃除はもう十分したでしょ」


 アンジェリカは、カップを数個残してあるキッチンに目を向けて、姉を誘った。


「バターチャイ飲もうよ。業者が来るまで、のんびりしよう」


 小鍋でバターチャイを煮、銅製のカップふたつに注ぎいれてから、アンジェリカは目だけでトレイを探した。


 そういえば、宝石まみれの、大理石でできたあのトレイは、ユハラムたちに持たせてしまったのだった――あれは高く売れそうだったから――トレイのひとつくらいは残しておけばよかったと思いつつ、宝石のついたお盆など、もはや自分たち姉妹には必要のないものだ。

 

 ふつうの、木製のトレイをあとで買いに行こうとアンジェリカは決意し、少し冷めるのを待ってから、カップを手で持って、絨毯の上に座り込んでいる姉のもとへもどった。


 アンジェリカとサルーディーバは、引っ越しの準備中だった。

 K05の住宅街にある、ちいさな平屋の家屋に引っ越すのだ。ふたりで暮らすなら、こんな大きな屋敷はもう、必要ない。


「このお城は、なにもないとずいぶん広いものですわね――家具が多すぎたのでしょうか」


 家具がすっかりなくなった部屋は、殺風景というか、ただただ、ものすごく広かった。


 サルーディーバが宇宙船に乗る際、「ご不自由はさせません」と言わんばかりに、王宮を思い出すような高級家具や道具を大量に持たせてきた長老会だったが、サルーディーバにとっては邪魔なだけだった。


「必要最低限があれば、いいと思いませんか。L03で蟄居(ちっきょ)中だったころ、外に出られないのは困りましたが、あの生活はわたくし、嫌いではありませんでしたわ」


 サルーディーバはそう言って、微笑んだ。

 L03での八年にも及ぶ蟄居。三部屋しかない平屋の家屋に、使用人二人と、アンジェリカと、サルーディーバは住んでいた。


 次期サルーディーバをこんなところへ押し込めるなんて、と周りは憤慨(ふんがい)していたが、当のサルーディーバは平気な顔をしていたことを、アンジェリカは思い出した。


「アンジェを呼べば、すぐ返事がありますもの。あのお城では、だれかを呼んでも、すぐ返事が返ってきませんでしたわ」

「広すぎたもんね」

 アンジェリカも笑った。


 アントニオが、「引っ越すなら、二人そろってリズンの二階においでよ」と言ってくれたのだが、それはアンジェリカが断った。


 サルーディーバが落ち着きたいと願っているのはたしかだ。極端に文化の違う生活は、なるべくなら、させたくない。


 長老会が持たせた高級な品は邪魔ではあったが、あれらが高値で売れたことを考えると、かえってよかったのではないかとすら思えるものだ。


 L03から持ち込んできた絨毯や、エアコン以外の家具一式――タンスやソファ、鏡やベッド、不必要なくらいそろった食器や雑貨、宝石の数々、それらすべてを、アンジェリカは、郷里へ帰るユハラムたちに持たせた。


 それらを金と食糧、必要な物資に変えて、L03に届けるためだ。船内で売り払えるものはすべて売り払った。

 食糧などはL05あたりで買い集めなければならない。


 しかし、混乱中のL03に入れるのはいつになることか――。


 L03は、混迷(こんめい)一途(いっと)をたどっている。軍の支援がおぼつかず、民は食べるものにすら事欠くありさまで、サルーディーバですらカビのはえたパンを食べているという現状に、アンジェリカは絶句し、できうるかぎりの支援を送ろうとしたのだった。

 

 サルーディーバについてきた二十人以上の付き人や王宮護衛官は、ことごとくL03へ帰した。


 彼らが王宮まで着くのに――支援物資が王宮に届くのに、あと何ヶ月かかるだろうか。


 彼らは全員L03に帰されるという事態に当然驚き、反対したが、サルーディーバが時間をかけて説き伏せると、やがてひとりずつ、あきらめた。


 サルーディーバは、スパイのことはいっさい口にしなかったが、スパイであったナバとヒュピテムは、あっさり承諾した。もっともアンジェリカのそばにいた侍女と、王宮護衛官の筆頭である彼が真っ先に承諾したことが、ほかの皆の気持ちを動かしたのは、言うまでもない。


 ユハラムを説得するのが一番難儀に思われたが、彼女も郷里に家族がいる。そして、ナバのことを知ったあとには、自分がナバとヒュピテムの見張りをすると、そう誓ったのだった。

 

「……今ごろみんな、どこにいるかな」


 L03は遠い。出発して二日ぐらいでは、移動距離も知れたものだが、アンジェリカは懐かしんだ。


 ユハラムも、ヒュピテムも、セゾも――ナバも。

 みんな、みんな、大好きだった。


「アンジェリカ」

 サルーディーバは慈愛を込めて、妹の肩に手を置いた。

「皆は、死にはしません」


 ZOOカードはつかえなかったが、アンジェリカには予想がついていた。


 スパイだったナバとヒュピテムは、おそらくメルーヴァの手のものに殺されるか、自害する。

 

 サルーディーバは決してふたりを責めることもなく、彼らがスパイだと知っている、ということも口にしなかったが、彼らはメルーヴァとサルーディーバのはざまで揺れて、死を選ぶに違いないことは、アンジェリカには分かっていた。


 ほかの皆も、L03にもどれば、現職サルーディーバを守って死んでいくかもしれない。

「誇りある死を!」と願う彼らのことだ。


 次期サルーディーバを守るために宇宙船に乗せられたというのに、当のサルーディーバからL03に帰れと言われたときの彼らの絶望した顔を、アンジェリカは忘れたわけではない。説得によって観念はしたが、彼らの心に残った傷は大きいのだ。


 しかし、スパイだとわかった以上、そばに置いておくわけにはいかなかった。


 サルーディーバは、彼らがメルーヴァのスパイだとアンジェリカから告げられたとき、冷静に事実を受け止めたのだった。そして彼らをあわれみはしたが、スパイ行動について責めはしなかった。


 しかし、サルーディーバも、スパイを屋敷内に置いておくことはできないと、アンジェリカの提案を受け入れ、彼らをL03に帰すことを承諾した。


 アンジェリカの説得ではなかなかうなずかなかった、ナバとヒュピテム以外の者を説得したのはサルーディーバだった。


「アンジェリカ。彼らは命を無駄にはしません――わたくしは、彼らに、“役目”を授けたのです」

「役目……?」

「ユハラムとナバには、王宮に着いたら、ただちに現職サルーディーバ様に許可を願い出て、王宮書物庫にあるすべての書物を、地球行き宇宙船に送るよう命じました」

「ええっ!?」


 姉の、予想外の返答に、アンジェリカは目を剥いた。


「王宮の、歴史ある書物を戦火に焼かせるのはしのびない。戦争とは、文化の崩壊も意味します。いまでは、王宮内の書庫も二、三焼かれて、貴重な書物が消失したと聞きました。混乱している今のL03には、入ることもひと苦労でしょう――それからまた、脱出するルートをさがす――しかも書物を大量に送るということは、大変かもしれませんが、ふたりは、なんとしてもやり遂げると言ってくださいました」


「姉さん!」


 アンジェリカは姉にすがりつき、声を放って泣いた。


 ナバは、これでおそらく、自害することはない。サルーディーバ直々に下した命を、彼女は何としてもやり遂げるだろう。


 自分にはできないことだと思った。姉にしか、できないことだった。


 サルーディーバはアンジェリカの嗚咽をなだめ、彼女が落ち着くまで待った。そして、次の言葉を口にした。




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