233話 お祭りと星守りと神様たちと Ⅲ 3
「(心配しなくても、おまえだけじゃない。付き人はすべて、L03に帰す)」
「(えっ!?)」
ナバが、涙に溶けた顔を上げる。
「(帰るのはおまえだけじゃない。みんな帰す――でもこれは、おまえのせいでもなく、だれのせいでもない。以前から、サルーディーバ様とお話していたことなんだ。王宮護衛官がほとんどいなくなってしまった今、ひとりでも多くの戦士を、現職のサルーディーバ様は必要としておられる。だから、一人でも多くの助けがいる――おまえも、いざというときは家族のそばにいてやりなさい。いいね)」
それは、このナバが、日々沈痛な面持ちで願っていたことだった。
兄がメルーヴァと行動を共にし、跡継ぎがいなくなった家では、老父母が心細い思いをしている――けれども、今のL03に帰れば、命の危険があることを知っていたから、アンジェリカもサルーディーバも、ナバを引き留めていた。
結果として、それをかなえることになってしまったけれども。
アンジェリカが姉のもとを離れていたのは、かえってよかったのかもしれない。その間に、スパイがあぶりだされた。
アンジェリカが屋敷から消え、人を疑うことを知らないサルーディーバだけとなった屋敷内で、スパイたちは徐々に油断し、あっけなくその正体を見せた。
ひさしぶりに戻った屋敷で、ナバが、こっそりと人目をはばかるようにでかけるのをアンジェリカは不審に思い、姉に聞いた。姉は、彼女がコソコソしているとは思わなかったようだが、真砂名神社の祭りがはじまってから、毎日のように中央区に出かけていると言った。
姉の手紙を、L03に届ける役目があるわけでもないのに、いったいどうして。
「家族が心配なのでしょう。手紙を送っているのでは」
サルーディーバはそう言ったが、アンジェリカは疑った。ただでさえ、蟄居中のサルーディーバには、長老会の監視がつけられていた。
ナバは聡い。とても賢い。その上、「気配り上手」だ。それはかえって、疑いの種にもなってしまう。
アンジェリカはもちろん、疑いたくなどなかった。彼女は、本気で、自分に尽くしてくれたのだ。
けれど、スパイという役目は、知らぬうちに背負わされていることも、往々にしてある。
王宮から送られた者は、だれひとり信用できなかった。
サルーディーバを害するわけでないにしても、こちらの情報をどこかしこに送ることは、十分考えられる。
それが、アントニオたちの足を引っ張ることになっているかもしれないことも――。
アンジェリカはあとをつけ、彼女がどこに郵送物を送ったかまで調べた。
彼女は、真砂名神社の星守りを、L03に送っていた――シェハザールとつながりのある、王宮護衛官に。
家族ではなかった。彼は、アンジェリカも知っている、メルーヴァとともに、革命に立ち上がったひとりだ。
届け先が家族であったなら――アンジェリカも、彼女のスパイ行為を見破れなかったかもしれない。しかし、届け先は、家族でも兄でもなく、メルーヴァの軍の幹部だった。
ナバが、彼に連日手紙と星守りを送っている。恋人だというのでなければ、――あとは、ひとつしかなかった。
メルーヴァが、あの星守りを欲しているのか。
アンジェリカはすぐに予想がついた。
なににつかうために。それはわからなかったが、ナバを問い詰めても分からないだろう。彼女も、おそらく目的は知らない。ただ、送れと言われたから送っていただけのことだ。
しかし、彼女がメルーヴァの部下とつながりがある、それはスパイだということを確定づけた。
メルーヴァと別行動を取っている幹部と連絡をつけているくらいだから、彼女が手紙のやり取りで、こちらの情報を流していることは、まず間違いがないだろう。
優しいサルーディーバは、みなの手紙を検閲しない。覗き見ることもない。
アンジェリカは、なんとか、目を瞑ろうとした。
彼女は、スパイ行為だとは思っていなかったかもしれない。アンジェリカたちは、面と向かってメルーヴァと敵対したわけではないのだ。メルーヴァは長老会に対しては敵だろうが、サルーディーバたちに敵対したわけではない。
メルーヴァがルナを狙っているということは、ナバたちはあずかり知らぬこと。この作戦自体は、L03の革命とは関係のないことだ。
メルーヴァに元婚約者と、その姉の近況をつたえることは、――百歩譲って、スパイ行為ではなかったとしよう。
しかし、先の彼女の動揺ぶりは、彼女が「スパイ行為」だとわかっていて、それをしていたことをあきらかにした。彼女には、うしろめたさがあったのだ。
(メルーヴァは、やはり、なにか大きなことを企んでいる)
アンジェリカは、今こそそれを確信した。
ナバの動揺は、彼女が、この屋敷にいるからこそ手に入る、ちょっとした情報――アントニオやペリドットたちが、ルナを守るために立てている計画のかけら――をも、彼らに流したからこその動揺だった。
ナバは、自分のしたことの恐ろしさを、すべてではないにしろ、自覚している。
ナバたちスパイの存在を、アントニオやペリドットも知っていたかもしれない。だから、アンジェリカたちは、メルーヴァを迎え撃つ計画の概要を、ほとんど教えてもらえずにいるのか。
アンジェリカが体調を崩す前からだった。
サルーディーバも自分も、蚊帳の外にいるような気がしていた。肝心なことを教えてもらえない――そんな気がしていた。
アンジェリカが、真のZOOの支配者になれば、はじめて役割が与えられるのか、分からなかったが。
メルーヴァは、ルナだけを狙うのではなく、L系惑星群の戦火を拡大させている。もしかしたら、この宇宙船にすら、危機をもたらそうとしているのかもしれない――。
アンジェリカは、「それをお貸し」と、彼女が持っていた星守りを取り上げた。ナバは、もうあきらめたように、それをアンジェリカに渡した。
ナバだけではなく、スパイはもうひとりいる。確信はなかったが、予想はついた。だが、言及はしない。あきらかになったとたんに、彼が自決することも考えられた。
アンジェリカは、彼を暴くことはしない。そのかわり、みんなそろってL03に帰らせる。
ナバから取り上げたところで、彼がすでに、星守りを送っているかもしれなかった。いまさら遅い。
アンジェリカは星守りを握りしめ、ナバに返した。
「(――あんたに、マ・アース・ジャ・ハーナの神のご加護がありますように)」
L03での暮らしが過酷なものにならぬよう――アンジェリカがそう言って返すと、ナバは震える手で受け取り――号泣してうずくまった。
お許しください、お許しください、と繰り返し、地面に頭を打ち付けるように泣いた。
ルナたちが、花火の特等席――河川敷のスペースまで行くと、端にいたペリドットが、「遅かったな」と言ってふたりぶんのスペースを空けてくれた。
ルシヤたちも来ていた。ルナには気づかず、口を開けて花火を見上げている。
「星守りは無事ゲットできた?」
カレンが聞いた。ルナとミシェルは、笑いながら、ふたつずつお守りを掲げて見せた。
「今日は、ふたつも買えたの」
驚いてカレンが言うと、
「ううん。いっこは、授与所の巫女さんが取っててくれたの。いっこは、アンジェから」
「アンジェに会ったの」
クラウドが「元気になったのか? だったら会いたいな」と言ったのに、ミシェルが首を振った。
「本人は元気になったって言ってたけど――あれはやっぱり、まだ本調子じゃないよ。すごい痩せてたし、顔色もわるかったもん」
「うん――そうだったね」
ルナもうなずいた。
「ルナちゃんが、ZOOカードをペリドットからもらったのは、アンジェを助けるために、だろう? その後、アンジェのことに関しては、進展はないの」
「あたしが、アンジェみたいにZOOカードつかえたらね!」
ルナはほっぺたをぷっくりさせた。
「あたしが、どうやってアンジェを助けたらいいんだろうってうさこに聞いたら、アンジェはあと回しにして、イマリをなんとかしましょうってゆったの! ものごとには順番があるんだって! アンジェは黒いタカさんが乗ってこないと助けられないけど、黒いタカさんが乗ってきたら、青大将も乗ってくるから、イマリはタイムアウトだってゆわれて、」
「ええっ!?」
「なんだって!?」
「はァ!?」
悲鳴のような声を上げたのは、クラウドだけではなく、ペリドットとアントニオもだった。
ルナは三人の男に詰め寄られ、ミシェルというつっかえがなかったら、ビニールシートから転げ落ちるところだった。
「なに!? その話、俺聞いてないよ!?」
「俺もだ――“月を眺める子ウサギ”がそう言ったんだな? ルナ」
「“英知ある黒いタカ”に、“華麗なる青大将”、――なるほど、そういうつながりか」
クラウドだけが、ふんふん、と腑に落ちたようにうなずくだけで、ルナはまったく腑に落ちなかった。
「聞いてないのはとうぜんだよ! アントニオにゆってないもん」
ルナがそう叫んだ瞬間、ルナの存在に気づいたルシヤがまっしぐらにやってきて、ルナの隣を、ボディガードの名目で分捕ったので、男たちは話をやめた。
大スターマインの名を冠する、一番派手な花火がはじまった。勇壮な音楽に合わせて、光が雪崩のように降り注ぎ、つぎつぎ打ちあがる花火の饗宴に、ルナたちはしばし、口を開けて見とれた――。
はじめて花火を見るピエトは、最初、腹に響くような花火の音を爆撃と勘違いし、アズラエルにしがみついて泣きそうになっていたが、夜空に打ちあがった光の粒をみて、あんぐりと口をあけた。
いまも、間抜けなくらい大きな口をあけたまま、ネイシャと一緒に花火にくぎ付けになった。
ポカーンと口を開けた子ども三人の顔を、ひそかにジェイクが写真に収めていた。
一番盛大な花火が終わると、大きな拍手やら歓声やらで、あたりはいっそう賑やかになった。やがて、打ち止めの空砲があがり、終了のアナウンスが流れだすと、人々はぞろぞろと帰路に着きはじめる。
ルナたちは、ひとごみが落ち着くまで、ビニールシートで待った。
「かゆい!」
ピエトは、だいぶ蚊に刺されていた。ネイシャもだ。ルナは虫よけスプレーを持ってこなかったことを後悔し、とりあえず持っていたかゆみ止めの薬をふたりに塗ってやった。
「さっきの話だが、ルナ」
ペリドットが蒸し返した。
「“月を眺める子ウサギ”が現れてなにか言ったときは、どんなくだらんことでもいいから教えてくれ」
ペリドットは、“真実をもたらすトラ”と“月を眺める子ウサギ”のテリトリーは違うから、彼女がもたらす情報は何でも欲しい、といった。ルナはうなずいた。
「できれば、俺にも」
アントニオも言った。ルナはふたたびうなずいたが、回覧板がいるんじゃないかと、だんだん思い始めた。クラウドにペリドット、アントニオ。アンジェも、なにか教えてほしいというようなことを言っていた気がする。知らせるべきところがたくさんだ。
「ルナちゃんは、一番大切なことを教えてくれないんだ……いつも」
ふてくされたクラウドが、なにかブツブツ言っていたが、ルナは無視した。うさこも、いつもルナにいちばん大切なことを教えてくれないのだ。
「よっしゃ! もういいだろおっさんたち! ルナとミシェルを開放しな! あたしとデートするんだからさ!」
「おっさん!?」
クラウドとアントニオに異議がありそうだったが、ペリドットは特に異議はなさそうだった。
カレンはミシェルとルナに、がばっと抱き付いて肩を組み、
「今日は、これからふたりともあたしと、屋台デート! いいだろ?」
ミシェルとルナに異存はなかったが、クラウドもアズラエルも、苦笑するばかりで何も言わない。ふたりがいつものノリツッコミすらせずに、ルナとミシェルをカレンに譲った――ルナは、なんとなく、その理由がわかった。
(――カレン、もしかして、降りちゃうの)
このあいだのカレンの検査結果は、皆でもう一度、おめでとうパーティーを計画したくらい、良好だった。まだ油断はできないが、カレンのアバド病は、ほぼ完治していた。
カレンは、完治のめどが立ったら、降りると言っていた。
(カレン)
ルナは真面目な顔でカレンを見つめたが、カレンはそれに気が付かないように上機嫌で言った。
「ふたりとも、まだ何も食べてないんだろ」
「白玉あんみつデラックス食べたよ? 紅葉庵の」
ミシェルがいい、カレンが目を剥いた。
「なんだそりゃ! あたしも食いてえ!!」
「あたしも行く~!!」
ジュリもあとを追いかけてきた。カレンはジュリも抱きしめて、
「ハーレム! ハーレム!」
とご機嫌に笑いながら、大路のほうに出た。そのあとを、ルシヤとネイシャ、ピエトが追った。
ルナは星守りを落とさないように、やっとバッグの中にしまった。バッグの中には、八日間、集め続けてきたお守りがぜんぶ入っている。
「ルナあ! なに食いたい?」
「えっとね、」
ルナはあわてて、屋台に目を移した。今日でお祭りは終わりだ。ジュリとミシェルが金魚すくいの屋台に飛びつくのを見て、カレンがあとを追っていった。
(今日は、目いっぱい楽しもう)
カレンといっしょにお祭りにいったことが、いい思い出になるように。
ルナが空を見上げると、玉のような星々が、宇宙にきらめいていた。




