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キヴォトス  作者: ととこなつ
第一部 ~時の館篇~
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29話 パンダのお医者さん 1

◇残酷表現があります。


 その夜、ルナが眠りについたと同時に立っていたのは、すでに時の館の内部――ドアのまえだった。

 ルナは、左側にある「パンダのお医者さん」のドアに向かった。

 となりには、導きの子ウサギ。


「今回はちょっと怖い思いをするかもしれないから、いっしょについていてあげる」

「こ、こわいおもい?」

「うん」


 昨日より怖い思いをするというのか。昨日だって、けっこう怖かった気がするのだが――。


「じゃ、行くよ」

「う、うさちゃん! ぜったいいっしょにいてね!」

「だいじょうぶ。ルナは別に、危険な目に遭うわけじゃないから」


 そうはいっても――ルナは、自分より小さな子ウサギの耳をぎゅっと握った。


「いたいよルナ」

「いなくならないでね!」

「わかったから離してよ」


 ドアが、いつも以上に不気味な音を立てて、ギイイ……と開いた。


 ルナは、薄暗い廊下に立っていた。嫌な臭いが立ち込めている。


 リノリウムの長い廊下――ここは――病院? 


 なんらかの施設であることはたしかだ。しかし、この、すえたようなひどい臭い。ルナは思わず鼻をつまんだ。


 外は夜。雨が降っている。

 なんだかとても、気味の悪いところだ。


 ギャー、という声がした。ルナはビクリと立ちすくみ、周囲を見渡したが、館内にはだれもいない。雨の音ばかり。カラスの鳴き声だろうか。ギャー。また声がした。


 カラス? 鳥? ちがう。――ひと? 子どもの泣き声だ。

 立て続けに聞こえる。バシ、バシというなにか叩きつけるような音も。


 ルナはあわてて廊下を走り、声のする方へ向かった。

 小さな引き戸。そこから聞こえる。

 ルナは渾身(こんしん)の力で、引き戸を引いた。

 薄気味悪い、はげた小男が、棒きれでなにかを叩いている。

 ――子どもだ。


「なにをするの!!」


 ルナは夢中で叫んで、小男を突き飛ばした。ルナの突撃を食らって、小男はよろめいて壁にぶつかり、倒れた。よだれが口から流れている。


 殴られているのは、小さな子どもだった。

 黒い髪は、ハサミで滅茶苦茶に切られたのかぼさぼさで、はげあがっている。裸で、あばらが浮いていた。骨の形が見えそうな足と腕。

 ルナは、その子から発せられる臭いに思わず鼻を覆った。手を出して、抱きあげることもできなかった。恐る恐る、その子がルナを見上げる。

 真っ黒な目。

 ブラックホールのような目。――なにも、見えていない。

 その子は、あう、と口を開いた。ルナは吐き気を(もよお)したが、目をつむって無理やりその子を抱きかかえると、廊下に出た。


「うさちゃん、なんなの、ここは!!」

「セルゲイがいた場所だよ」

「ここが!?」


 子ウサギは、ぴょんぴょんと、ルナの後ろをついてきた。

 子どもは泣いていたが、泣きたいのはルナだ。


「うさちゃん、どっちにいったらいい!?」


 返事はない。廊下を走って、玄関を探す。……ここを出なくては。本能でそう感じた。


 だが。


 薄汚れた白衣を着た大柄な男と、数人の、メイド服のようなものを着た中年女がルナの前に立ちはだかった。なにか言っている。ルナの知らない言語だ。共通語ではない。

 男がルナに向かって鞭をふり上げてきた。


 ルナがあわててかわす。大きな男で、動きが鈍いのが助かった。


 みんな、ひどく恐ろしい表情をしていた。ルナは見かけだけで人を判断したくはなかったが、それにしても、みな気持ち悪い顔をしていた。醜くゆがんでいる。

 モップを振り上げて、中年女まで襲いかかってくる。


 ルナは、反対方向へ逃げた。元来た道をもどって――走った。

 走って、走って、最初に立っていた、玄関の方まで来た。

 外が見える。

 ルナは無我夢中で、外へ出ようとした。


 めのまえで、勝手にガラス戸が左右に開いた。外から人が入ってきたのだった。

 ――軍人だ。


 ルナはその子を抱きしめて、万事休すだと悟った。

 恐ろしい目をした軍人だ。

 味方か敵かなんてわからない。

 ルナが振り向くと、追いかけてきた悪魔たちも、人数が増えていた。


「うさちゃん!」


 視界に、導きの子ウサギはいなかった。

 ルナは、どうしていいか分からなくて思わず「……アズ、助けて……」とつぶやいていた。


 ガウン! と銃の音がした。

 軍人が、宙に向けて威嚇射撃をしていたのだ。ルナにではない。ルナを追ってくる化け物たちに向かってだ。


「行け!」

 後方へ向かって、彼は怒号した。

「やはりここだ! 子どもたちの保護を急げ! 館内にいる者はすべてとらえろ!」


 怒号と同時に、たくさんの軍人が彼を追って入ってきた。瞬く間に電気がつけられ、廊下は明るくなる。


(た、たすかった、の……?)


 ルナは震えて、しゃがみこんだ。ルナを追ってきた化け物たちは、次々に捕まっていく。


「君、大丈夫かね」


 ポン、と肩を叩かれたと思った――いいや、彼にルナは見えていなかった。彼が抱き寄せていたのは、黒髪の子どものほうだった。

 気づけば、ウサギはずっと足元にいたのだった。ルナはやっと息をついた。


「彼は、エルドリウス少佐と言うんだよ」

 ウサギはルナに、そう耳打ちした。


 恐ろしいと思った顔は錯覚だったのか。いまは神様に見えるくらいだった。

 ブラウンの髪に、ブラウンの口ひげ。齢のころは、三十代後半くらいだろうか。軍人らしく厳めしい顔をしてはいたが、慈愛のこもった眼差(まなざ)しだ。


「もう心配いらないよ。……だいじょうぶだ、怖かったね? デレク! この子を保護したまえ」


 ――デレク? 


 カタカタ震えている黒髪の少年に、若い将校がブランケットをかけてくれた。


「もう、だいじょうぶだからね」


 ルナのウサ耳がびょこーん! と立った。

 デレクだ。

 見間違いようがなかった。

 あの、マタドール・カフェのデレク。

 どうしてこんなところに?


「デレク、少年を車に」

「はいっ!」


 デレクは少年を抱き上げ、施設を出て、大雨の中、カーキ色の大きなバスのほうへ移動した。戦車やトラックが何台も停車していて、たくさんの軍人が雨の中を走り回っている。


「この子をたのむ!」


 デレクが少年を押し上げるようにして、バスの中へ入れてくれた。

 女性の軍人が、デレクと二、三、言葉を交わすと、「しっかり。もう大丈夫だからね」と少年を引き取った。


 車の奥に案内され、椅子に座るとはじめて、少年が失禁しているのに気づいた。女性にしがみついて、ガタガタ震えている。


「だいじょうぶ。もう、だいじょうぶよ……」


 彼女は、少年を落ち着かせるように背を撫でさすりながら、そう言い聞かせた。


「ひどい目にあったわね……」


 女性軍人の顔を見たルナは、また驚いて、目を見張った。


 ――-キラ!?


「大きなケガはなさそう」

「できそうならまず入浴ね」

「そのあと、診察を――軽傷の治療と、落ち着いたら何か飲ませてあげて! ああ、だいじょうぶよ」


 何人かの軍人が、バスを出入りしながら指示を飛ばす。

 派手な化粧をした顔が、首をすくめた。


「ン――多分君は――セルゲイ君、かな」


 キラが少年を抱こうとすると、少年が嫌がったが、名を呼ぶとぴたりと動作が止まった。


 セルゲイ。

 ――セルゲイ!


(この子、セルゲイなんだ……!)


 ルナは絶句した。何度目かで、ようやく、そのことを認識した。

 なんてことだ。孤児院? あれが孤児院?

 あんな腐った臭いがして、化け物みたいな人間がいるところが?


「ごめんね、すこし我慢してね」


 キラは、セルゲイが分かっているかどうかはかまわず、瞳孔(どうこう)を見たり、口の中をチェックしたりした。ぐらりとセルゲイの体が傾いだので、キラは叫んだ。


「医療チーム、おねがい!」

 あわてて別の軍人が、セルゲイを抱きとめる。

「この子、餓死寸前よ」


 子ウサギが引っ張るので、ルナは施設にもどった。

 あんな薄気味悪いところは、二度ともどりたくないところナンバーワンになったが、ウサギが引っ張るので、しかたなくルナはもどった。軍人たちに姿が見えていないことをいいことに、セルゲイが隔離されていた部屋まで連れていかれた。

 そこではちょうど、セルゲイをいじめていた小男が引きずり出されていた。

 彼は、足を怪我していた。


「じっさいにはね、セルゲイは、彼の足をはさみで刺して、逃げたんだ」


 子ウサギは、セルゲイが逃げたルートを教えてくれた。


「さっきはルナが助けたけど、ホントはセルゲイが反抗して、刺して逃げた。それで、玄関まで逃げて、デレクに保護されたんだ」


 ルナは、玄関までもどり、外へ出て、豪雨にまみれる施設を見上げた。

 看板が、雷にでも打たれたように折れてひしゃげ、玄関の横に放りだされていた。


 ――なんてところだ。ここは。

 孤児院なんて、言葉だけだ。

 あの子どもは、セルゲイの面影もない。


(……ひどい)


 ルナは涙すら出てこなかった。


 それに――デレク。

 デレク。あの、「マタドール・カフェ」のバーテンダーだ。あの顔。なぜここに。

 それにどうして、キラまでここに?


 ルナはこっそり、セルゲイが保護されたバスにもどった。

 車内は広い。仕切りがあり、奥まで行くと、デレクがいた。デレクのほかに、二、三人の軍人も一緒に。通信兵のようだった。


「やれやれ。……こりゃ想定以上だな」


 ルナをすり抜けるようにして、エルドリウス少佐が、雨に濡れた軍帽を脱ぎながらやってきた。ソファに腰を下ろす。


「デレク、私にも一杯くれ」

「はい」


 デレクがアルコールランプで温めていた紅茶に、スプーンではかりながら、ひとさじ、ふたさじ、ブランデーを入れていく。

 ぽたぽたと前髪からこぼれる雨のしずくをタオルでぬぐい、エルドリウスは眉をあげて笑った。


「デレクのつくる紅茶はいつもながら最高だ。戦地の癒しだな。ブランデーとダージリンの配合が申し分ない」


「それくらいしか取り柄がないんですよ」

 デレクは苦笑する。

「それくらいでも取り柄があればいいさ」

 通信兵が紅茶を手にして肩をすくめ、小さな笑いが起こった。


「しかしホント、こんなひどいのは、久しぶりですね……」


 だれかがポツリとこぼした。

 デレクの入れた紅茶をすすりながら、エルドリウスは疲れたように、壁にもたれかかった。


「さっき、大量の死体を発見したよ。地下倉庫からだ。なんとか生き残りは保護したが、……気の毒だが間に合わなかった子もあったな」


 部屋の温度が一気に下がった気がした。


「まもなくL25から人員がきます。当たりだったみたいですね」

「そうか。やっぱり当たりか。ここは、十年前からわれわれと捜査していた臓器売買のアジトの要かもしれん」

「うわぁ……やっぱここでしたか」


 ルナはぞっとして、口を開けた。

 孤児院、なのではない。なんというところだ、ここは。

 この星は。


「ウィルスのほう、だいじょうぶでした?」


 デレクが聞いた。エルドリウスはおかわりを催促(さいそく)した。


「地下行った連中は、全員衣服焼却処分、全身消毒。第二部隊以降は入るなと厳命しておいた」

「うげ、マジっすか」

「ここ、いっぺんでも地下行ったヤツいるか? あとでもうひとつワクチン打っておけ」


 衛生兵が顔を出して叫んだ。


「副作用出なきゃいいなあ……」


 ひとりが、がっくり肩を落として部屋を出ていった。


「しょうがねえ。L47は泥沼のような星だ。まだぜんぶの病原体解明されてねえんだからな」

「ある程度この行軍でもワクチンは用意してきたが、早め早めの対処が肝要だ」

「あの子は、無事ですか」


 ワクチンと聞いて顔をしかめたデレクだったが、紅茶のお代わりをエルドリウスに渡しながら、聞いた。


「だいじょうぶ。かなり衰弱しているが、一命は取り留めている。今点滴を受けて眠っているよ。あの子は捜索願いが出ていてね。かろうじて名前はわかった。セルゲイだ。捜索願いを出したのは彼のおばあさんだったようだな。孫が行方不明になったショックで、気の毒だが、もうこの世にはいないらしい。――彼も、天涯孤独になってしまったな」


 エルドリウスの言葉が、徐々にフェードアウトしていく。


「このあと、セルゲイはエルドリウスの養子になったのさ」


 導きの子ウサギが、もふもふの手でルナを引っ張り、時間を移動する。彼は、首から下げた懐中時計をいじった。

 ルナの心の整理も追いつかないうちに、景色が切り替わった。


「こんなところからは、はやく退散しよう」


 ルナも、その意見に賛成だった。



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