231話 お祭りと星守りと神様たちと Ⅰ 2
「ルナ、このあいだは失礼をいたしました」
「あ、あたし、サルーディーバさんにお礼を言いたくって……!」
ふたりで同時に口を開き、気まずげに笑いあってから、サルーディーバが待ってくれたので、ルナが先にしゃべった。
「サルーディーバさん、このあいだは本当にありがとうございました。セシルさんたちの呪いを解くの、夜の神様にお願いしてくれて」
サルーディーバは首を振った。
「……いいえ。わたくしこそ、謝らねばなりません。お気を悪くされたでしょうに」
ルナはいったん考えるように俯いてから、「ううん!」と大きな声で言った。
セシルたちの呪いを解くために、マミカリシドラスラオネザに会った日の翌朝、ルナは、ミシェルといっしょに真砂名神社へ最後のお願いに来た。
ルナは、儀式が成功するように、無事セシルたちの呪いが解けるように、できればレボラックが死なないですむように、あれやこれやとお願いをしに来たのだった。
そのときのことである。
拝殿に参拝し終わって、階段を降り、ミシェルがトイレに行ってくるといっていなくなった矢先だった。
――ルナのまえに、サルーディーバが現れたのは。
「ルナ、セシルという女性の呪いは、わたくしなら解くことができます」
ルナは唐突にサルーディーバが現れたことにも、言われたことにも、驚いて固まった。
どうして、サルーディーバがセシルたちのことを知っているのか。
ペリドットから聞いたのだろうか。
「ですが、難しい術ではあります。――三ヶ月、なにも食さず、飲まず、夜の神の神殿で祈祷をすれば術は解けるでしょう――それをなしうるのもわたくしだけ。わたくしも命を賭けましょう。ですから、どうかわたくしのお願いを聞いてください」
サルーディーバは思いつめた顔をしていた。
「――え?」
「アズラエルさんと別れて、グレンさんと結ばれてください。それが最良の道なのです。どうか、グレンさんと結ばれ、“イシュメル”をお生みください。それが世界のため――」
ルナは絶句した。すぐに言葉が出てこなかった。
サルーディーバはまた、アズラエルと別れろという。
しかも今度は命令ではなく、お願いだ。
だがルナは、以前のルナではない。サルーディーバがそのことにこだわり続けるのも、理由があるからなのだと、わかっていた。
彼女が悪意で、そんなことをいうのではないことも。
ルナは口をつぐみ、どう返事をしていいものか悩んだ。
ルナにも、分からないことだらけなのだ。
サルーディーバは、ルナが彼女を助けると予言されたから、この宇宙船に乗った。
しかし、ルナには、サルーディーバを「助ける」方法は、分からない。
彼女がなにに「迷って」いるのか。
「迷える子羊」――彼女のZOOカードの意味も。
彼女が、「ルナがグレンと結ばれることにこだわり続ける」意味の裏に、彼女の本音が隠されているのではないか――。
サルーディーバの言葉を消化しきれずに、ルナがだまったのを見て、サルーディーバは言葉をつなげた。
「お気持ちが定まりましたら、ご連絡ください」
サルーディーバは屋敷の電話番号を告げて、消えた。
ミシェルがトイレからもどってきたのだ。
ルナは、サルーディーバの言葉を整理しきれないまま、家路についた。サルーディーバに言われたことも、彼女が現れたことも、ミシェルには言わなかった。
ルナはその後、サルーディーバに連絡はしなかった。
すでに、マミカリシドラスラオネザたちが解術の準備をしていたし、サルーディーバが行う方法も、過酷なことに違いはなかったからである。
たしかに呪いは解いてほしいが、サルーディーバに命を懸けさせるわけにはいかない。
そして、すくなくともあの時点では、サルーディーバが呪いを解いてくれる条件として、ルナがアズラエルと別れるということが前提になっていた。
そのあたりを話し合うにしても、時間がなかった。
結局、サルーディーバは、ルナの返事を待たずに、メリッサとカザマを寄越してくれ、自身も夜の神を動かして、セシルたちの危機を救ってくれた。
メリッサも言っていた。
『サルーディーバ様はなにも仰いませんでしたよ。このことを引き換えにするような条件は』
サルーディーバは、呪いを解くというよりも、補助的にセシルたちを救ってくれたようなものだった。
「まさか、サルーディーバさん、三ヶ月も飲まず食わずしてないよね!?」
ルナは不安になって聞いたが、サルーディーバは笑った。
「いいえ。――あの日に、呪いは解けたのですね。ペリドット様に聞きました。エラドラシスの解術をつかったのだとか。わたくしは念のため、夜の神のもとに祈祷に入っただけですが、すこしでも手助けになったのなら幸いでした」
「少しじゃないよ……! いっぱいだよ! おかげでセシルさんたちが、レボラックに殺されなくて済んだの……!」
ルナは目を潤ませた。
サルーディーバが夜の神を動かしてくれなかったら、セシルとネイシャも重傷を負っていた――いや、打ち所が悪ければ、死んでいたかもしれない。
次の日、ルナはサルーディーバに礼をいおうと真砂名神社を訪れたが、サルーディーバはいなかった。神社の巫女さんに言伝てを頼んだが、つたわっていただろうか。
「ええ。聞いております。ルナ、あまり気を遣わずともよろしいのですよ。わたくしは、できることをしたまでですから……」
サルーディーバはセシル親子の呪いを解くことを、ルナがアズラエルと別れることと引き換え条件にしたことを、ルナに詫びた。
そばで聞いていたミシェルは顔色を変えたが、それが、サルーディーバの後悔が本気だということを示した。
サルーディーバは本気で後悔したからこそ、ミシェルに知られてもいいと思い、この場で言ったのだ。
「あの親子の命を、引き換え条件にするなど、わたくしは、サルーディーバとして、絶対にしてはならぬことをいたしました。それ以前も――」
サルーディーバは唐突に口をつぐんだ。目が潤んでいるように見えたのは気のせいだろうか。
「……あれは、わたくしの、せめてもの罪滅ぼしでした。許していただけるとは思っていませんが……」
「そんな……。許すとかじゃなくて……」
ルナの言葉を、サルーディーバはさみしげな微笑でさえぎった。
「――そうそう、これを、」
サルーディーバは、ふくらんだ袖から、守り袋をふたつ取り出した。
空色の守り袋に入ったそれは――「地球のサルーディーバ」の星守りだった。
「これを、差し上げましょう」
「ええっ!?」
ルナとミシェルは驚いて、それからふたたび、飛び上がらんばかりに喜んだ。
「いいの!? サルーディーバさん!!」
「ご存知ですか。この星守りは、真砂名神社の御祭りの八日間だけ、授与されるものだそうです」
「知ってる! あたしたち、集めてたの、ほら!」
ルナが昨日、おとついと手に入れた守り袋を見せると、サルーディーバは「あら」と口に手を当てた。
「もう、今日のが売り切れで、あきらめてたところだったの……! ほんとうにありがとう!」
「そんなに喜んでいただけて、わたくしもうれしいですわ」
サルーディーバが笑顔を見せたところで、ルナたちは財布をひっくり返しはじめたが――。
「お金はいらないのですよ。こちらは、先日、ルナに気を悪くさせてしまったお詫びもかねてのことですから……」
サルーディーバは、ふたりが紙幣を取り出そうとするのを止めた。
ネコとウサギは、顔を見合わせた。
「サルーディーバさん、時間、ありますか?」
今日は、ルナたちのほうから聞いた。サルーディーバは一瞬とまどいを見せたが、
「ええ。じゅうぶんに」
とうなずいた。
ふたりが彼女の手を取って向かったのは、「料亭ますな」だった。海鮮丼ランチ千デル。デザートつき。
大路の道すがら、ランチの看板を見つけて、帰りはここで食事をしようと予定していたのだった。
三人は、特に当たり障りのない話題ばかりをつめこんで話したが、それでも会話が弾まないわけではなかった。
相変わらず、サルーディーバはサルーディーバだった。ルナがはじめて会ったときと変わらない、おだやかな相貌と包み込むような雰囲気。
(なんで――サルーディーバさんは、あたしとグレンがくっつくことに、そんなにこだわるの)
そのことさえなければ、彼女はまったく変わっていないように、ルナには見受けられた。
ミシェルも、さっきのサルーディーバの告白には顔色を変えたが、最初と変わらない態度でサルーディーバに接した。
サルーディーバにも複雑な事情があることは、ミシェルもすべてではないが、知っている。それに、背景がどうあれ、彼女がセシルたちを助けてくれたことは、疑いようのない事実だった。
「……それで、これから、アンジェリカに、久々に会ってこようと思っています」
ルナの顔面には、「考え中」の札が下げられていたが、はっと気づいて札をしまった。
「アンジェ、元気ですか」
ルナの問いに、サルーディーバは苦笑し、
「最近、やっと元気を取りもどして、外に出られるようになったそうです」
「そうですかあ……! よかった!」
ミシェルがほっとした顔をした。サルーディーバは軽く頭を下げた。案じていてくれたことを感謝したのだろう。
「良かれと思って、距離を置いてしまったことが、あの子にはこたえてしまったようです。――できれば、あの子には、あなたたちと親しくして、新しいものに触れていってほしい。だから、わたくしは、親の反対を説き伏せ、あの子をL52の学校に行かせたのです。――わたくしのそばにいれば、どうしても、L03の教義に縛られてしまう。環境が、そうですからね」
物憂げに、デザートの白玉をすくい、器にもどし、を繰り返した。
「姉として、いつもあの子の幸福を願っています。わたくしは決して、彼女を信頼していないわけでも、拒絶しているわけでもありません。――でも、今のわたくしのそばには、いさせたくないのです。わたくしも、この宇宙船に乗ってから、価値観が揺れている。迷うわたくしのそばでは、あの子も迷う――アントニオが、あの子のそばにいてくれて、ほんとうによかった」
「……」
「アンジェリカは、良くも悪くもまだ若いのです。まわりにいる人間に、それなりに影響される年頃です。ですから、わたくしは、あの子にはよき影響があってほしいと願います」
サルーディーバは、言葉を苦笑で終えた。
――最後。
彼女の小さな口に運ばれる、最後の白玉をルナは見つめながら、ルナは唐突に思った。
(サルーディーバが最後だ)
彼女にもたらされる救いが最後。
(そうして、あたしは“月を見るの”)
ルナの胸の奥に響いた声は、月の女神のものだったか、ルナのものだったか。
――四日目。
ルナとミシェルはふたたび出遅れるという事態に出くわし、こんなことが四日も続いたので、さすがになにかある――もう、時間どおりに真砂名神社には行けないのだと覚悟を決めた。
今日のトラブルは、アズラエルとグレンがついに起き上がれなくなるという事態である。
連日の猛特訓に身体が悲鳴を上げ、倒れたのだ。ルナが連絡するまえに、ニックから電話が来た。
「そろそろぶっ倒れるころだろうから、おやすみにしてあげるって、二人に言っといて」
ルナは疲労のせいで高熱を出したふたりの看病に追われ、かわりに神社へ行ったミシェルは、ふたたび授与所の前で膝をついた。午前中に間に合ったはずなのに、売り切れていたのだ。
だが、今度はなんと、ルシヤが購入しておいてくれるという奇跡が起こった。
ルシヤも初日から通って、星守りを集めていたのだ。彼女がいつも首からぶら下げているネックレスは、この星守りを編み込んだものだった。
こうして、四日目の、「真昼の神」の星守りも手に入った。
最近出店したばかりのサンドイッチのチェーン店に立ち寄り、ミシェルは、ハンシックの四人と、星守りとサンドイッチをお土産に、家路についた。




