230話 夏のお祭り 2
「ミシェルとルナかあ?」
神社のほうから声がした。めずらしく神社のまえは大勢の人でごった返しているので、その声をひろえたのは、正しく奇跡だった。
「あ、おじいちゃん」
ルナとミシェルは、奥殿のほうにつづく道を歩いてきたイシュマールに、あいさつした。
「なんじゃ、気落ちした顔をしよって」
ミシェルは、星守りが売り切れていたことを、最下層のテンションでしゃべったが、イシュマールは、呆れた顔で言うのだった。
「おまえさんがラグ・ヴァダの女王なんじゃから、自分の加護が入ったお守りなんぞ、いらんじゃろうが」
自分。
ミシェルは目をぱちくりさせたが、自分は自分でも、ずっと昔の、なんだかすごい自分である。
自分がラグ・ヴァダの女王だと言われても、現実味がわかないのは、ミシェルも同じだ。
「それはね、それはそうなんだけどね。でも、なんていうかさ、あの星守り、かわいいでしょ、」
あきらめがたしとぶつくさいうミシェルの手に、イシュマールは、守り袋を置いた。神社の紋が描かれた、エメラルドグリーンの小さなお守り。
イシュマールは、ルナにもくれた。
それがなにか、ふたりはすぐにわかった。
袋の中をのぞくと、エメラルドグリーンの惑星が縮小化されたような、小さな玉が入っていた。
「ありがとう! おじいちゃん!!」
二匹は、盛大に喜んでイシュマールに抱き付いたが、「ほい、千デルずつ」とイシュマールは手を出した。
「えっ!? くれるんじゃないの」
「わしゃ、取っといてやっただけじゃ」
二匹は賽銭箱に入れようとしたが、イシュマールは自分の手のひらを示すのだった。
そこへ千デルずつ紙幣を置くと、イシュマールはにっこりと笑っていった。
「よし。これで、紅葉庵の白玉あんみつデラックスを食いに行くぞ」
三人は、屋台裏に隠れた紅葉庵で、白玉あんみつデラックスを食べた。
何がデラックスなのかと思ったら、アイスが三個も入っているのと、白玉がてんこもりになっているのだった。抹茶クリームと黒蜜もかけ放題だ。
「おじいちゃん、今日の階段はだいじょうぶなの」
イシュマールが、白玉とアイスを黒蜜の海におぼれさせたところで、ミシェルが思い出したように聞いた。
「だいじょうぶって、なんじゃ?」
「今日は、前世の浄化とかで、上がれなくなるひととか出てきたらどうするの。すごいひとだよ。今日、上がれない人が出てきたら大変そうだなと思って」
紅葉庵から見ているかぎりでは、今のところ、上がれなくて救助される人間も、階段途中でぜいぜいいっている人間も見当たらない。
「祭りのあいだは特別じゃ。階段も、ふつうの階段にもどっておる」
「じゃあ、前世の浄化とかは、しないんだね」
「うん、八日間だけは、だれでも上がれる――」
「おじいちゃん、電話なってるよ」
ルナが気づいて、イシュマールをつついた。
イシュマールの羽織のポケットから、演歌が流れている。祭囃子の音楽に似ているので、気づかなかったらしい。
「なんじゃなんじゃ」
周囲が騒がしいので、自然と大声になる。イシュマールは少し話したあと、電話を切った。
「夜の催事の準備がはじまっとるのに、どこほっつき歩いておると叱られたわ。――ふたりはゆっくり食べていけ。わしゃもどるでな」
イシュマールは一個ずつ残った白玉とアイスを切なげに見つめたが、しかたなく器を置いて立った。
「おじいちゃん、またね」
「うん。絵描きは祭りのあとじゃな。ルナもほれ、いつでもええから茶を飲みに来い」
七十を超えているのに、背筋も曲がっていないイシュマールは、そこらの若者にも負けない健脚で階段を上がっていった。
「おじいちゃんて、元気だよね」
「うん」
「あたしたちのまわりって、元気なお年寄りばっかりだよね。おじいちゃんといい、ツキヨおばあちゃんといい」
「うん」
「ニックは、おじいちゃんに入るのかな……。一応、ともだちの中では最高齢だよね」
よく考えたらニックは、イシュマールやツキヨより年上なのだ。ルナはあきれて口をぽかっと開けたが、すぐに半分溶けかかっていたアイスを一生懸命食べだした。
「ニックはおじいちゃんってゆったら、悲しむと思う」
見かけはセルゲイと同じくらいの年齢だし、六十代以上の彼女募集中だ。
「そーだよね。おじいちゃんが残した分、あたし食べようかな」
ミシェルがイシュマールの残した器を手にとった。
「おじいちゃん、黒蜜かけすぎ」
そこへ、腹に響くような太鼓の音が聞こえてきた。
祭囃子の行列が、大路を練り歩き始める。ルナとミシェルはガラスの器を手にしたまま、行列が見えるところまで飛び出したのだった。
階段下で、勇壮な音楽とともに、ドドォン! と太鼓の音が響きだした。お面を被っているが、あれはキスケとオニチヨ、キキョウマルとフサノスケだった。
ルナにとっては、どこかで見たような光景だったが――。
「カッコイイー!!!!!」
ミシェルの絶叫が、音に紛れて消えた。
そのころ、K33区では、ニックとベッタラのスパルタ式特訓に疲労困憊した筋肉兄弟が、地面に突っ伏していた。
「ほら、起きた起きた! L18の傭兵だとか少佐だとかいってるけど、軍人の特訓なんてたいしたことないんだね! この程度で起き上がれなくなるなんて!」
「アーズラエル。アナタ、ワタシの村にいたら、一日目でパコに食べられてましたよ」
もう指一本動かせない元軍人と傭兵のまえに立ちはだかるのは、ミシェルにおじいちゃんあつかいをされたコンビニ店長と、野生人だ。
おじいちゃん呼ばわりが失礼なほど、ニックの体力は有り余っていた。ふたりは、アズラエルたちと同じメニューをこなしたというのに、平然と立っている。
しかし、アズラエルたちも、これほど体がなまっていたとは思わなかった。
定期的にジム通いもしていたふたりだが、最前線から退いて、ずいぶん経つというのは、あきらかな身体能力の劣化をもたらしていた。
「グレン君は少佐だっていうから、だいたい座り仕事だっただろうけど、アズラエル君は何なの。君傭兵でしょ! しっかりしなさい! そのマッチョは見掛け倒しか!?」
アズラエルは文句も出てこなかった。
意外とニックは手厳しい。
いや――二人は昨日よりも厳しくなった気がする。
なんとなく、アズラエルとグレンは、二人が厳しくなった理由に思い当たるところがあった。
「べつに! ルナちゃんのお弁当がうらやましいなんて思ってないんだからね!」
「そうです! ちっとも、うらやましくなどありません!!」
((自分で言いやがった……!!))
アズラエルとグレンは、予想が当たりすぎて顎を外した。
「そら立て! もう一回真砂名神社まで往復だ!!」
「あァ!?」
「ウソだろ!?」
ベッタラとニックに襟首をつかみあげられ、筋肉兄弟は、さっきやっともどってきた、山道の入り口をながめた。K33区の山道から、真砂名神社の奥宮入り口まで、何十キロという距離を往復させられたのだ。
無論、ベッタラとニックもついてきた。あの長距離をほぼ全力疾走して、彼らは平気な顔をしているが、アズラエルとグレンはへとへとだった。
「ウソなどついていません! アナタたちはまだ体力が全然足りません! 剣術を教えるのはそれからです!!」
「ビッシバシしごくからね!!」
野生人はともかく、最高齢のコンビニ店長はずいぶん元気だった。
――そして。
こちらもまた、動きが止まっている人間がひとり、いた。
ロビンは、真砂名神社の階段手前で、硬直していた。
大勢の人間が階段を上がっていく。子どもも、しなびた老人も、若い男女もカップルも夫婦も家族連れも。
「ロビン、どうしたのぅ? 行かないの」
ロビンが連れてきた、取り巻きの女たちも、むろん平然と上がっていく。足が動かないのはロビンだけだった。
「ああ――今いくよ」
(――?)
ロビンは笑顔を貼りつかせたまま、周囲をにこやかに見渡した。
ただの階段である。
アズラエルが負ったような大怪我をする要素は、まったくといっていいほど、ない。とくにアクロバティックな要素も、ハイテクな要素も、ない。
今にも死にそうなヨボヨボの婆さんが上がっているというのに、ロビンの足は、地面に縫い付けられたように、一段目にも上がれないのであった。
(軍人、あるいは傭兵は、上がれない階段――か?)
あきらかに軍事惑星出身者だとわかるような、男の集団が、女づれで階段をにぎやかに上がっていった。ラガーやルシアンで見たことのある顔ぶれだ。中のひとりが、ロビンに気付いて、かるく手を上げた。ロビンもほがらかに返した。
――階段手前で、突っ立ったまま。
(――?)
なぜ、上がれない。
ロビンは冷静に分析しようとしたが、いつものように明快な理由づけもできなかった。
理解できない。どうしても足が上がってくれないのだ。ただ、それだけだ。
無理やり足を上げる。無理やり上がる。それができたら、どんなにかよかったが、それすらもできない。
たかが階段である。
(なぜ、それができない?)
ロビンにこたえは見つからない。
ロビンは腕を組んで、階段上を見上げた。人が大勢上がっていく。
「どうしたのロビン。つまんない? レトロ・ハウス行く?」
女たちが戻ってきて、媚びるように、ロビンの腕に自身のたわわな胸を押し付けた。
「ンー、そうだな。……俺のいるべき場所じゃァねえかもな」
そうだ、ここは、俺のいるべき場所ではない。
ロビンは納得し、踵を返した。
「ああン、待ってよロビン」
女たちはロビンに群がった。
行き先はレトロ・ハウスだ。そこが俺の行くべき場所だ。ここではない。
ロビンはそう言い聞かせて、階段をあとにした。
自分に命じて、ぜったいに振り返りはしなかった。




