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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~夏のお祭り篇~
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229話 ルーシー Ⅱ 3


 フライヤは、手帳の一冊目から、食い入るように読んだ。


 初期のころの手帳は、予定ばかり書きこまれていて、パーヴェルの心中を推し量るような内容はひとつもなかった。


 だが、ルーシーに出会ってから、パーヴェルの手帳に異常が現れた。

 手帳の空欄が、目立つのである。


 そして、ついにルーシーと結婚した年、めずらしくメモの部分に、仕事以外のことが書かれていた。


 “私は彼女を守ると決めた。たとえなんであれ。”


 シンプルな言葉である。フライヤはごくりと息をのんだ。結婚に対する、パーヴェルの並々ならぬ決意が伺える。

 ――決意だ。

 結婚に対する、浮かれた文言ではなく、並々ならぬ決意。


(たとえなんであれ、って――どういう意味だろう)


 このシンプルすぎるひとことでは、なにもわからなかった。


 フライヤは先を読んだ。細かい字に目が痛くなる。目薬を差しながら、読み続けた。


 結婚してからは、つづいた空欄がうそのように、パーヴェルの手帳は、予定で真っ黒に染まった。それからしばらくして、ルーシーの死の前後、また空欄が目立つようになる。


 またメモに、言葉があった。


 “この結末を招いた責任は、すべてわたしにある。”

 “彼女を追いつめたのは私だ。彼女が愛を欲しているのに、私は近づけなかった。”

 “なぜ君は死んだ。やりのこしたことがあっただろうに。”

 “君の意志は、私が継ごう。”

 

 その言葉の下に、「サイモン・K・トレスデン」という名と、「ラグバダ病」と文字が記してある。


 フライヤは絶叫をなんとかおさえて、次の手帳に移った。


 マンスリーやウィークリーの部分は仕事のことばかりだが、メモ欄に、サイモンの連絡先と、「アンナ・H・ラマカーン」の名と連絡先が記されていた。


 千年前の連絡先に、連絡を取るわけにはいかないが、フライヤは机の上のメモ帳に、それらを書き写した。


 すくなくとも、「ラグバダ病」というものがあるということには、たどり着いたのだ。


 パーヴェルの手帳は、その後、やはり仕事のあれこれで埋められて、ルーシーに関することは何も書かれていなかったが、ルーシーの死から、七年後の手帳のメモ欄に、決定的なことが書かれていた。


 “ラグバダ病は鎮まったよ。だから安心してお眠り、メルーヴァ。私のお姫様。”


 フライヤは、メルーヴァのひと文字を見た瞬間に「あーっ!!」と絶叫した。


 八年目の手帳は、八月で途切れている。その後、飛び飛びに、会社の業務の引継ぎや、病院の予定が書かれているのをみると、パーヴェルは大病を患って入院したのだ。


 翌年の手帳はない。一年飛ばして、また予定で真っ黒な手帳。

 以降、一度もルーシーの名も、メルーヴァの語句も出てこなかった。

 パーヴェルは再婚して、企業人としての人生を送っている。


(やっぱり……ルーシー・L・ウィルキンソンが……メルーヴァなんだわ)


 フライヤは、興奮冷めやらぬ様子で書斎中をうろつきまわったが、賑やかな笑い声がするので庭を見ると、シルビアと母親が帰ってきていた。


 フライヤは、おおげさに身震いして興奮を落ち着けてから、手帳を丁寧に元の場所にしまい、金庫のカギをかけ直して、カギを机の引き出しにしまった。


 そして、パソコンを起動し、「サイモン・K・トレスデン」と、「アンナ・H・ラマカーン」をさがした。

 どちらも、出てこない。

 探索は、暗礁(あんしょう)に乗り上げた。


 そろそろタイムアウトだ。フライヤは、ルーシーのことばかり調べているわけにはいかなかった。

 L03への出兵に先立って、調べねばならぬことがまだあるのだ。


 フライヤは、彼らの名前を書いた紙を、エルドリウスから借りた本に挟み、探索を中止した。





「まあ、つまりね、ルーシーがメルーヴァということで、あたしは考えていきたいと思うの」


 ルナは、「ビアード・E・カテュス~その愛と生涯~」のDVDを、結局手に入れた。


 ルナと同じころ、フライヤもそのDVDを購入していた。両者とも目的は、いつでも観られるようにするためだったが、フライヤは書店のDVDコーナーで、ルナはララからプレゼントされた、という違いくらいはあった。


 ルナたちの今日の夕ご飯は、大量のパスタだ。ピエトは大喜びだった。

 ちこたんがつくった、あんまりな量のパスタに、五種類のチーズとワイン、キュウリとレタスとルッコラの緑々しいサラダに、ニックのコンビニから買ってきたからあげの山。


 クラウドは、ルナが今日見た夢の記録を読みながら、クリーム味のパスタを巻き取って、ワインにぶち込んだ。


「悪くない考えだ――味もね。白ワインでよかったな」


 ワイン味のカルボナーラを口に運びなおしながらクラウドは言った。


「いいなあ、あたしも見たかったな。ルーシーの映画」

「おまえはキャビアが食いたかっただけだろ」

「え、なんで分かった」


 カレンとグレンの会話は終始この調子だ。カレンは、今日一日、検査のために病院に拘束されていたが、最高級キャビアと百万デルのワインと聞いたら、なんだか検査に要した一日が、急にしおれて見えたのだった。

 検査結果はあいかわらず良好だ。文句を言う筋合いはどこにもない。


「それより、いよいよ、お祭りが始まるのよ!!」


 ミシェルは大興奮だった。ララ邸に行けなかったことは、彼女にとって、お祭りほど重要なことではなかった。


 神社入口の商店街に、提灯や、短冊をきらめかせた竹や飾り物が並び、屋台の用意がされていたりと、祭りの雰囲気はずいぶんまえからあったが、いよいよ明日から八日間、真砂名神社で夏のお祭りがはじまる。


 今日も真砂名神社のふもとの川原で絵を描いてきたミシェルは、祭りの準備が着々と進められているのに大興奮で、絵どころではなかったらしい。


「夜には花火があがるの! ねえ、いつ行く? ルナ!」

「いつにしよっか。ゆかたも出さなきゃね。ピエトのゆかたも買ってこなくちゃ――あ」


 ルナは、もくもくとカルボナーラを食べる、でかい図体の男どもを見た。


「きっと、みんなのサイズの浴衣なんて、売ってないよね。特注になるのかな」


「ゆかたってなんだ!?」

 ピエトが元気よく聞き、ミシェルが、

「そうね。あれも民族衣装に入るのかな。うまく説明できない」

「着物の簡易版だろ――アズたちの分は、ないの」


 クラウドは聞いた。アズラエルたちは無言で首を振った。


 ミシェルがずいぶん前からお祭りに行くのを楽しみにしていたので、ふたりそろって浴衣は購入済みだ。「お祭り」には、「浴衣」を着てでかけるのが通常だと、クラウドは聞かされていたので、素直に従ったまでだ。


 そもそも、軍事惑星群に「お祭り」というものはほとんどなかった。クリスマス、バレンタインといった「イベント」は盛大だが。


 セルゲイのカルボナーラデビューは、鮮烈な印象をもって迎えられた。彼は無言で麺を啜り続けていたが、やっと口を開いた。


「カルボナーラっておいしいね――初めて食べたけど」

「うめえだろ!」


 カルボナーラ愛好会会長(※ルナ邸限定)であるピエトは、自慢げに言った。


「うん、明日もカルボナーラでかまわないくらいだな――浴衣って、どこにいけば売ってるの。デパートで売ってる?」

「あたしたちの地元じゃ、夏になればかならずデパートに出てたわ。専門店もあったし」


 ミシェルの台詞に、セルゲイとカレンは顔を見合わせ、

「じゃあ、明日、買ってこようか」

 ジュリを連れて行こうと二人は思っていた。ジュリはキモノ文化の中、成長してきた先達だ。

 そのジュリは、ジャックのところから帰ってこない日が続いている。


「ドレスコードか? ユカタでなきゃ行けねえのか。そのオマツリってやつは」


 グレンが面倒そうに言ったが、「あんたも連れてってあげるから。見繕ってこようよ」とカレンが誘う。


「俺たちはしばらく、昼間は動けねえ――演習がはじまっちまったからな」


 アズラエルがもう一本、ワインのコルクを抜いた。ララ邸で飲んだワインの値段の、百分の一以下のワインである。


「ああ――今日からだったの」

 カレンが思い出したように言った。


 ペリドットが、アズラエルとグレンに特訓を課す――おおげさにいえば――と言っていたのは、結構まえのことになる。


 ラグ・ヴァダの武神と戦うために、なまった体を鍛えなおすとの名目だったが、その間、イマリとブレアの逆襲だの、セシル親子の呪いだの、いろいろなできごとがあったせいで、なかなか実行されなかった。


 その特訓が、やっと今日から開始されたのだった。


 ルナがアストロスの神話の夢を見て寝坊していたころ、アズラエルとグレンは久方ぶりに、緊張感あふれるいい汗をかいていたのである。


「演習って、どんなことしてるの」


 それは単なる、皆の興味だった。カレンが代表して聞いたが、筋肉兄弟神ふたりは簡潔に言った。


「俺がベッタラと」

「俺がニックと」


 前者はアズラエル、後者はグレンだ。ふたりはハモって嫌な顔をしたあと、「演習してる」と言うセリフも重なったので、ふたりは苦い顔をしてワインを飲んだ。そのタイミングもシンメトリーに重なったので、吹き出さない者はなかった。


「ニックってつよいの!!」


 ルナはからあげを揚げるひょろひょろのニックを想像したが、(※からあげは関係ない。)グレンの顔色がワントーン落ちた気がした。


「強いなんてモンじゃねえ――バケモンだ」

「「「「え?」」」」


 皆の声も重なる。

 あのニックから、「強い」という語句は連想しづらい。だがグレンは肩をすくめて言った。


「儀式のときに、ニックもいたの気づいたか」

「え?」


 先日、セシルたちの呪いを解いた儀式のことか。


「あれな、ベッタラのほかに、交代要員が二、三人いたんだ。あとから知ったんだが――ベッタラがダメだったらってやつ。九庵もいたが、ニックがいたから、驚いたよ」


「ほんと!? 気づかなかった!!」

 ルナとミシェルとピエトが同時に叫んだが、驚いた顔はグレンとアズラエル以外の皆がしていた。


「俺もアイツがヒョロヒョロだって、バカにしてたが――参った。一撃もかすれねえ」

「あんたが!?」


 カレンも仰天した。

 かつてリリザで、余裕たっぷりにプロレスラーを沈めたグレンが、一撃もかすれないとはどういうことだ。


「ベッタラも、ありゃ、アノール族最強戦士ってのは、自称じゃねえかも」


 アズラエルも嘆息した。

 彼も今日、ベッタラ相手に手も足も出なかったというのだ。

 軍事惑星群一のコンバットナイフの使い手といわれた自身の母ほどではないが、アズラエルも匹敵する技術の持ち主ではある。しかも、実戦経験もだいぶ積んでいる。 

 その彼が、まるでかなわなかった。


 ピエトはごくりとパスタをのみ、「お――俺も、ネイシャと一緒に、ベッタラに稽古つけてもらうことにする!」と叫んだ。


「ルシヤにサバット教えてもらったら?」


 ミシェルがそういったが、ピエトは不貞腐れた。


「あれは、教えられないって。ハン=シィク出身以外のヤツにはダメだって、言われた」

「おまえは、学校に行けって言っただろうが」


 アズラエルは呆れ声で言い、だがピエトは、猛然と食って掛かった。


「俺も強い傭兵になるんだぜ!? ネイシャと約束したんだ! 俺も、どでかい傭兵グループつくって、アズラエルがどこにも所属できなくなったら入れてやるんだ」

「余計なお世話だクソガキ」


 アズラエルはどこにも所属できなくなったら自分でグループを立ち上げる。それだけの実力も、人脈も、すでにある。


「まあまあ」

 セルゲイが苦笑して遮った。

「いいじゃないか――学校が終わったあとならね。身体を鍛えることは、いいことだと思うよ。とくに子どものうちは、いっぱい身体を動かさないと」

「……」

「まァね。ピエトはそんなに必死に勉強しなくても、いい成績は取れてるよ、パパ」

「だれがパパだ」


 アズラエルは悪態をついたが、彼の心中をわかっている大人たちは言った。


「ピエト、食べたら宿題をかたづけよう。あとで俺が見てあげるから」

「わかった!」


 ピエトは、自分が食べた食器をシンクに運び、まっしぐらに部屋に駆けて行った。


 このところ、出会ったころに比べたら、食べ方もだいぶきれいになったし、だれかが注意しなくても、きちんと風呂に入るし、歯も磨くようになった。


 一緒に住むおとなたちのしつけの賜物(たまもの)であっただろうが、もはやピエトを、L85のスラムでスリをしていた子どもだと思う人間はいないだろう。


 こんなにも早くピエトが変わっていったのは、子どもの柔軟性ゆえもあるだろうが、ピエトのかしこさも一要因であることを、皆は知っている。


 ピエトはまだ十一歳の子どもだが、その理解力、読解力、記憶力、分析力は大人並みである。

 学力的には、高校に入ることを認められているのだ。


 宿題を見てあげるといったのはクラウドだが、ここにはピエトの宿題を見てあげることのできる大人はたくさんいた。――ピエトの可能性を広げてあげることのできる大人も、十分に。


「アズの気持ちはみんなわかってるよ。ピエトに、将来を決めつけてほしくない気持ちは」


 クラウドは、幼馴染みにワインをついであげながら言った。


「たしかに、アイツのIQは、おまえクラスだって言うんだもんな」


 グレンもワインを催促した。ルナがついであげた。


「“導きの子ウサギ”を見ていてもわかるけど、ピエトはやはり頭脳派だね。頭脳派のなかでも、どちらかというと“俺寄り”だ。……傭兵になるならないは、ピエトの自由だとしても、たしかに傭兵はもったいない」


「もしピエトが傭兵になったら――どんな傭兵グループを作るんだろう。それもなかなか、面白いと思うけど」


 カレンが興味深い顔で思索した。


「ピエトは、まだ十一歳でしょ。可能性だらけなんだから――この先、どう転ぶかなんて、だれにもわからない。今彼が傭兵になりたいとがんばっていることは、止める必要はないと思うよ、パパ」


「パパはやめろ」


 アズラエルはセルゲイに厳重注意したが、セルゲイは笑っているだけだった。




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