28話 孤高のトラ Ⅱ 2
体ががくん、と揺れる。
空気がぶれて、身の置き所のない空間から、足場のある空間へ来るのは毎回のことながら調子がつかめない。身体がついていかない。
「……で、あるからして」
ルナは、グレンの家――豪邸にいた。
ここは大広間だろうか。どこまでも高い天井と、とんでもない広さの、まるで絵本に出てくるようなお城の中だ。
ルナは、年配のメイドふたりと、それから男性四人と一緒に並んでいて、執事の話を聞いていた。
「グレンさまが、25歳のお誕生日に大怪我を負われて、やっと自宅療養まで回復された。あのお怪我で生きておられたのはまさしく奇跡にほかならない。だが――このガルダ砂漠でのご活躍で、結果的に、この若さで少佐に昇進されることになったのは、名誉であることは違いない。グレンさまは自宅療養にもどられたとは申せ、あと一年は安静にするよう医者の診断が出ている。あの方は無理を押すことはみなも分かっているはず。昇進されたとはいえ、無理をされてお身体に支障が出ては元も子もない。皆も気をつけるように」
メイドたちが一斉にうなずく。
「また、さまざまな理由があって、ずいぶんやめてもらうことになったので、人手は少ない。足りないところはpi=poで補うことになる。グレンさまは、これ以上人を増やされるお気持ちはない。じきここは引き払われて、よそへ移られる。先日から念を押しているように、忙しいのはそれまでの辛抱なので、がんばってもらいたい」
説明をしていた執事が「解散」というと、それぞれみんな持ち場にもどっていく。
グレンがケガをした? 戦争で? 一年も療養?
25歳だといっていた。大丈夫なのだろうか。
それに、お屋敷を引き払う? なぜ。たくさんのひともやめさせたみたいだし――。
ルナは急にそわそわして、心配になってきた。
「うさちゃん」
気づくと、導きの子ウサギが、ルナの肩にいた。
「さ、グレンの部屋に行こう」
ルナは、気持ちが急かされるように廊下を走った。まったく、この屋敷は広くて、自分がどこにいるか分からなくなる。でも、この廊下は、このあいだ時間移動したときに現れた場所だ。おぼえがある。
たしか、この廊下を進んで、階段を上がって、すぐ目の前の部屋――。
(あっ)
グレンの部屋のドアをノックしているのは、あの体格のいい女性――マルグレットだった。
「……起きてるよ」
ドアの向こうから、気だるい声がした。
マルグレットが入るのにあわせて、ルナも隙間から身体をねじ込んだ。
ベッドには、包帯まみれのグレンがいた。このあいだと部屋の内装は変わっていて、ベッドが左手側にある。
グレンの姿は痛々しかった。顔半分に包帯を巻いて、右手もまた、包帯でぐるぐる巻きだ。台に左手を乗せている。立てた左足首にも包帯が巻かれている。シルクの高級そうなパジャマとガウンでベッドに座っていたが、ひどく苦しそうだった。
「……グレン!」
マルグレットの気丈な顔はあっというまに崩れて、涙目になった。彼女は猛然とベッドに駆け寄った。
「よかった――よかった! 無事で」
ルナが知っているグレンは28歳。25歳のグレンがめのまえにいるが、ルナの知っているグレンとほぼ変わらない。
「なんてことなの――ガルダ砂漠はたいそうな犠牲が出たって聞いたわ」
「二十年まえだったら、ドーソンの嫡男に大ケガさせた咎で、全員軍事裁判だな」
「ふざけてる場合じゃないわ」
マルグレットは目じりをぬぐった。そして、ケガをしていないほうのグレンの手を取った。
「生きていて、よかった」
「なあ」
グレンは、眉をしかめながら身じろぎし、小さく言った。
「レオンはどうした? 一度もここへ顔を出さない」
レオンだけではない。いつもなら、従軍後はかならず顔を見せに来るはずのいとこたちの姿がない。マルグレットが最初の見舞い客だ。ほかのいとこたちはどうしたと聞くと、マルグレットは顔を曇らせた。
「……今のあなたに話したくはなかったけれど、今を逃したら、もう話せないかもしれない。だから、落ち着いて聞くのよ」
ルナは聞き耳を立てたが、マルグレットの声は小声で、聞き取りにくかった。
だが、やがてグレンの大声に、びっくりしてウサ耳を立てた。
「なんだって?」
グレンは震えながら身を起こした。
「わたしも、最近気づいたことなの」
マルグレットはグレンを助け起こしながら、話した。今度は、ルナの耳にもはっきり聞こえる会話だった。
レオンはずっと、L8系の地方の戦争へ追いやられている。ほかのいとこたちもそうだった。全員バラバラ――だれかがもどってきても、すぐ別の星へ行かせられる。まるで、いとこ同士が顔を合わせないように仕組まれている気がする、とマルグレットは言った。
「おそらくは、残った宿老たちが、危ぶんでいるの。わたしたちの存在を」
ユージィンを筆頭に、逮捕されずに軍事惑星に残ったドーソンの宿老たちが、傭兵擁護派であるグレンたち若手を忌避している。
グレンと、そのいとこたちが組んで、L18を支配するドーソン一族を転覆させ、軍人と傭兵の平等社会を築こうとしている、と――宿老たちには思われている。
それは、導きの子ウサギの解説だったが。
「それでも、あなたがガルダ砂漠に行っていたあいだ、ずいぶん減ったの――ドーソンの名を持つものが」
マルグレットはひっくるめた言い方をした。
「おばあさまは」
「おばあさまは、高齢だということもあって、まだ逮捕されてはいないわ。エセルも、アンナおばさまもよ」
マルグレットは、グレンの背をさすった。
「最近は、うちと懇意なアーズガルド家の人間も、逮捕されていると聞いたわ」
憂いを込めた表情で言った。
「そう聞いただけ。だってわたしも、先日もどったの。無理やりよ――あなたのことを執事からの連絡で知って、今あなたに会わなければ、次はいつになるか分からないと思ったから。わたしも、あなたと会えないように戦地を転々とさせられて、ほとんど家にもどれなかった。夫もよ。ミアとサシェンを見ていてくれたのは夫の両親。でも、逮捕されたわ」
「いつのことだ」
「半年前よ」
マルグレットの声が震えた。
「わたしの両親が――可愛がってくれていた祖父母が逮捕されて、ミアがショックで病気になって」
声を詰まらせた。
「死んだわ」
ルナも息をのんだが、グレンも言葉を失っていた。
「わたし、ミアの死に間に合わなかった」
マルグレットは気丈な声を放ったが、涙は次々にあふれた。グレンは、無事な方の手で、そっといとこの涙をぬぐった。
「それで、夫――クリスとも話したわ――わたしたちは、ミアの敵を討つ」
「なに?」
グレンの眉間がしかめられた。
「まさか、ロナウドに」
「いいえ」
マルグレットは首を振った。
「今がチャンスよ――今しかないの。“ドーソン”を、転覆させる」
「……!」
ルナも最初、聞き間違いかと思った。
マルグレットもドーソン家の人間で、グレンのいとこだ。ロナウド家の人々が、ドーソン一族を次々逮捕させているのに、ロナウド家ではなく、自分たちの一族であるドーソンを転覆させる、とはどういう意味なのか。
ドーソン家は、若手と宿老と、まっぷたつに割れて、争っているのか。
「ユージィン叔父たちがわたしたちを疑うなら、そのとおりになってやろうじゃないの」
マルグレットは悲痛な声で、不敵に笑った。
「今しかないのよ。わたしたち十二人がそろって決起する」
十二人とは、グレンのいとこ十人――マルグレット、シス、クレア、グリオン、カイン、ケイト、レオン、ナタリア、トニー、エセルにくわえ、マルグレットの夫クリスと、グレン自身で十二人だ。
「ドーソンの宿老たちを、L18から追い出すの」
グレンはごくりと息をのみ――その音が、すこし離れたルナのもとまで聞こえてくるほどだった。
マルグレットは言い直した。
「エセルは無理かもしれない。彼女は、病弱だから」
「待て」
グレンは、傷の痛みか、心の痛みか、どちらにしろ、痛みをこらえる顔で言った。
「待つんだ、メグ。時期尚早だ」
「いいえ。今がチャンスなのよ」
ドーソン一族は、決して軍人と傭兵の平等を認めない。
マルグレットは、声高に叫んだ。
「わたしたち、あなたのいとこに当たる皆は、傭兵が同じ人間だとわかっている。でも彼らは、けっしてそうじゃない」
軍人と傭兵が、手を取り合えるL18を。
「わたしたちが、“バブロスカ革命”を起こすのよ!」
マルグレットが毅然とした顔でそう叫ぶのを、グレンもルナも、強張った表情で見つめた。
(――バブロスカ、革命?)
どこかで聞いた。ルナは、図書館で見た本を思い出した。
(あれは、バブロスカ~我が革命の血潮~っていう本だった)
導きの子ウサギが、ルナをつついた。
「ルナ、一度起きよう、時間だよ」
――時計は、午前十時を指していた。
長い物語から覚め、頬は涙で濡れていた。
グレンの過酷な半生を、すぐそばで、いっしょに体験してきたかのようだった。
(マルグレットさんは、あれから、どうなったんだろう)
レオンさんは? 大けがをしていたグレンは。
(グレン)
ティッシュを探してウロウロしていると、室内の電話が鳴った――ルナはウサ耳をビビーン! と立たせた。
『おはよルナ! 起きた?』
「……アンジェ」
ルナはへたりと座り込んだ。
『どうだった、グレンの“過去”は』
「……!」
『あたし、三十分くらいでそっちに着くから。ひとっ風呂浴びたら、食堂においでよ。いっしょに朝ごはん食べよう』
ルナは、気だるい体を起こし、露天風呂に浸かった。お風呂に入ったら、少し元気が出た気がした。
ワンピースに着替えて食堂に行くと、アンジェリカが待っていた。
今日は、客がちらほらいる。
「あたし、朝ごはんまだなんだ」
アンジェリカはメニューを広げていた。
「午前三時まで仕事。さっき起きて、来たばっかり」
「三時!!」
占い師という仕事はそんなに大変なのか。
「あたしみたいな“サルディオーネ”ってのが特別なの」
アンジェリカは肩をすくめ、
「朝定食、十一時までだ」
メニューを見て、嬉しそうな顔をした。
「あとでデザートにパフェ食べよ。昨日の約束通り、あたしのおごりね」
「うん! ありがとう!」
ごはんにおみそ汁、納豆に鮭の焼き物に豆腐と温泉玉子などなど――ずいぶん量のある朝定食を、ふたりはすっかりたいらげた。
アンジェリカは小柄なわりによく食べる。ご飯を二杯お代わりして、パフェに取りかかった。
「で、どうだった。グレンの過去は」
ふたりはほぼ無言で朝食をかっ食らったが、チョコレートパフェが運ばれてくると、ようやくアンジェリカは本題に入った。
「やっぱりあれって、アンジェがなにかしたの?」
パフェを見て、昨夜のチョコレート色ウサギを思い出す。
ルナが聞くと、アンジェリカは笑った。
「ルナを、ZOOカードの世界にお招きしただけ」
なんのことはないように、彼女は言った。ルナは目をぱちくりさせた。
「あたしは、そうするように、“月の女神”にお願いされたんだ」
「月の女神さま?」
月の女神とは、マ・アース・ジャ・ハーナの神話に出てくる神様で、ルナの故郷、L77の真月神社に祭られている神様のこと?
「うん」
アンジェリカはうなずいて、アイスの部分を大きくすくった。
「ルナに、アズラエルとグレン、セルゲイの過去を見せてやってくれって」
「えっ」
そういえば、ドアは三つあったのだった。ルナが昨夜入ったのは、「孤高のトラ」であるグレンの過去の扉。
「あたしは、月の女神さまに言われたから、ルナに過去を見せているだけ。神様の意図は、あたしには分からない。なにか、意味があるんだとは思う。でも、あの過去は、あたしの創作なんかじゃない。ほんとうにあったことだ」
クリームのところだけ一気に口に入れたアンジェリカは、スプーンをぶらぶらさせた。
「……マルグレットさんとレオンさんは、どうなったのかな」
ルナのつぶやきに、アンジェリカはスプーンをグラスに突っ込み、沈黙した。
「それは、おいおい、分かってくることだと思う」
彼女は、ふたりのその先を、教えてはくれなかった。そもそも、あれはグレンが25歳のころの話。
グレンは今28歳だから、たった3年前の話なのだ。
「ただ、ひとつだけ言えるのは、グレンさんは、L03のガルダ砂漠の戦争で大ケガをして帰ってきた。あのあと、もう一度L4系のほうの戦争に行って、それから地球行き宇宙船に乗った。そして、あたしと姉さんは」
アンジェリカは一拍置いた。
「ガルダ砂漠で、彼と会ってる」
「――え?」
「そのあたりは、いつか話すよ」
アンジェリカはそう言って、パフェに目をもどした。
「と、ともかく」
ルナは困り顔をした。
「みんな、あんまり、知られたくないこととか、あるんじゃないかなあ」
ずいぶん、ヘビーな過去だったことはたしかだ。
ルナも、ちょっと気が滅入っている。起き抜けにアンジェリカが電話をくれて、一緒に朝食を食べてくれなかったら、せっかく旅行に来たのに、一日憂鬱だったかもしれない。
「うん――でも」
アンジェリカは、小首をかしげた。
「もしかしたら、必要なこともあるかもしれない」
「必要なこと?」
「うん。ルナが、だれかを助けるときのために」
「……」
ルナはもふもふと、ウサギの口を動かした。
「あたしが、だれかを助けたりなんか、できるかなあ」
「ルナが助けるんじゃないよ」
「え?」
「ルナは大樹。一本の、やすらぎの樹だ」
アンジェリカは、微笑んだ。
「ルナは、ルナであれば、それでいいの」
ルナは意味が分からず、まだウサ耳をぴこぴこさせていたが、アンジェリカはつづけた。
「きのう占いをしたとき、ルナに言ったよね。運命の相手と出会うことは、自分の運命と向き合うことだって」
少し違うが、アンジェリカはきのう、たしかに言った。
――「運命の相手と出会うということは、あんたのタマシイに課せられた運命が、はじまってしまうからだ」――と。
「ルナはまだ、知らないことがたくさんあるんだ」
「う、うん? それは、いっぱいある――」
「自分のことに関しても、だよ」
「――!」
「運命の相手と、運命の糸はつながっているんだ。ルナがこの船に乗って、軍事惑星群の人間と次々出会ったのも、その証拠だ」
アンジェリカはパフェを食べたあと、「明日もまた来る」と言い残して、あわただしく飛び出して行った。
時の館のドアは、まだふたつあった。
アズラエルの「傭兵のライオン」と、セルゲイの「パンダのお医者さん」。
ルナは、ふたりの過去を見てしまうまでは、ここにいたほうがいいのかなと思って、椿の宿の宿泊を延長した。
ひとりにつきひと晩ならば、あとふた晩かかるということだ。
そして、ウサギのワッペンをつけた日記帳を取り出すと、覚えていることをメモし始めた。
外に出て河原を散歩し、付近の商店街をうろつき、河原で豪華なお弁当を食べるという野望を達成したルナは、はずむ足取りで宿にもどった。
アズラエルからの連絡は、まだなかった。
夜も更け、ルナはお風呂に入って、さっさと布団に潜り込んだ。




