229話 ルーシー Ⅱ 2
――ルナの期待は、大いに外れた。
映画には、ラグ・ヴァダのラの字も、メルーヴァのメの字も、出てこなかった。そのかわり、お色気シーンは満載で、ララは「ちくしょう……羨ましいんだよ」と悪態をつきながらヤケ酒していた。当然だがビアードとルーシーのお色気シーンは存在しない。
ルナはとっても落ち着かなかったのだった。そんなルナを横目で見ながら、ララのニヤケ面がおっさんになっていたことは割愛する。
長い映画が終了し、ルナはちいさな身体を目いっぱいソファの上で伸ばした。
「後篇は、五割がたエロだったことについてどう思う」
AV見てる気分だった、とアズラエルは言った。彼は前篇で寝ているんじゃないかとルナは思っていたが、意外としっかり見ていた。
「ふつうの映画でモザイクかかるとはな……」
グレンも言った。野郎どもは、内容よりエロシーン重視だったようだ。
「パーヴェルとルーシー、仮面夫婦だなんていいながら、やることはやってたんだね」
クラウドですら、このありさまだ。
「夫婦なんだから、交渉はあって当然じゃないの?」
「でも、嫌がる妻をほぼ無理やりっていうのは」
「無理やりなんかしてないだろ」
「強引なセルゲイっていうのは怖さが倍増するんだなってよくわかった」
「クラウド、あとで話がある」
「ごめん。失言だった」
セルゲイは、この映画にも、パーヴェルにも、一言も二言も物申したいようだったが、一番ご意見があったのは、ララだった。
「おまえら! もう十分ルーシーとやりまくっただろうに! 今生ぐらいあたしに寄こしな! あんたたちの数百億倍は大切にするからさ!」
ララの絶叫は室内に響いたが、それにかえってきたのは、クラウド以外の男たちからのブーイングだった。ルナは他人ごとのように、間抜け面で、かわいてしまったサンドイッチをもふもふ食べた。
「お色気ルーシーだったけど、ラグ・ヴァダの武神は出てこなかったね」
ルナは残念そうに言った。
「まだそんなことを言ってるのかい」
ララは、ルナの頭をよしよしと撫でた。
「ルーシーは、L52の貴族の娘で、L03とは何のかかわりもなかった――」
言いかけて、ララは「あ」とこぼした。
「“アイザック”」
ララが言ったのは、自身の本名ではない。グレンに呼びかけたのだ。かつての名で。
「なんだ」
それに反射的に返事をしてしまったグレンも、大分重症だった。
「覚えてないかい。ルーシーに、L03の専属占術師がいたね? なんつったっけ――名前」
「え? ――あ」
グレンも、思いついたようだ。だが、名前までは思い出せないようだった。なにしろ、千年前だ。
「“アンナ”じゃないか」
だれも思い出せない名を口にしたのは“パーヴェル”だった。
「“アンナ・H・ラマカーン”。たしか、サルディオーネの弟子だっていう、L03の予言師だ」
「そう、そいつだ!」
ララとグレンの声が重なった。
「あたしが、アンジェと懇意なようにね――“アンナ”は、ルーシーが懇意にしていたL03の高等予言師だった――そういや、アンナも映画には出てなかった」
当時から、歴史の表舞台にこそ出ないが、政府関係の有力者や経済人が、L03の予言師と懇意にしていたり、相談役に加えていることは、めずらしいことでもなんでもなかった。
「ようするに、ルーシーがL03とかかわっていたっていうのは、その程度ってことだね」
クラウドも残念そうに言った。彼は彼で、ルーシーとラグ・ヴァダの武神の関係性を、模索していたに違いない。
「――その程度じゃ、ないと思う」
顎に指をあてて考え込む姿勢に入っていたのは、セルゲイだった。
「なにか、思い出したの」
クラウドが興味津々で聞いたが、セルゲイは首を振った。
「なにか――って、具体的に思い出したわけじゃないけど、ルナちゃんがさっき言ったことも、クラウドの話も、間違ってはいないなって、映画を見ていてぼんやり思ったんだ」
「え?」
ルナのうさ耳がぴこたんと揺れた。クラウドは見ないふりをした。
「ルーシーの“使命”は、たしかに、べつにあったよ」
セルゲイは言った。
「パーヴェルは、それを知ってしまった。だから、ルーシーに対する気持ちが、複雑化してしまったんだ。――もし、彼女が予言された“メルーヴァ”だとして」
「ええっ!? ルーシーがメルーヴァ!?」
ルナのうさ耳が完全にたち、クラウドはついにカオスとつぶやいた。彼は敗北した。
「たとえばのはなし」
セルゲイはあわてて言った。
「彼女は、“メルーヴァとして”、ラグ・ヴァダの武神をたおすことを悲願に生きていたのだとしたら。パーヴェルという資産家と結婚したのも、ラグ・ヴァダの武神とたたかうために、経済力を必要としていたからだとしたら? パーヴェルは複雑だよね。彼女を愛していたんだから。ルーシーはルーシーで、パーヴェルを利用しているって気持ちがどこかにあって、素直になれなかった――それが、すれ違いを生んだんじゃないかってね――なんとなく、そんな妄想が込み上げたんだ。映画を見ていて」
「妄想とは、言いきれないさ」
もとパーヴェルのいうことだ。
クラウドは、目まぐるしく脳細胞を働かせようとしていた。
「あたしは、そうは思えないね」
ララはルナをなでなでしながら鼻を鳴らした。
「ルーシーは、ルーシーさ! L52の貴族のお嬢さん!」
ララはきっぱりと言い切り、論争を終わらせた。
それにしても、これはビアードの映画だったはずなのに、ビアードだったはずの本人も、その他のみんなも、ビアードの人生についての感想がない。
「これはビアードの映画だったんだよ。ルーシーはともかく、ビアードはがんばったんだね――会社も立て直して――」
最後は感動して目を潤ませていたルナだったが、張本人すら、どうでもいいようだった。
「この監督、金さえ出したら、ビアードとルーシーのエロ映画つくらないかね」
もとビアードは、ろくでもないことを言いだした。
「今度の女優は絶対、こんな豊満な女は許さない。華奢で、ちょっと生意気な顔してて、ツンケンしてるけど、ふいに見せる笑顔が可愛くてね、黒いスリットのドレスがよく似合うのさ。太ももをちょっとチラつかせて男を踏み倒す女――いいね、それこそがルーシーだね」
ララのルーシー語りは留まるところを知らない。
「――ルナ、ちょっと脱いでくれる? 裸を見ておきたいんだけど、あんたの肌も白くて、ルーシーと一緒――」
Tシャツに手をかけられたルナは、サンドイッチをのどに詰まらせた。
暴走し始めた株主を止めるのに、席から全員が立たねばならなかった。ララは女の格好をしていても、中身はララだった。
――フライヤ・G・ウィルキンソンは、あり得ないことに、映画の最中に居眠りをした。
彼女はいままで、どれだけつまらない映画でも、途中で寝ることはなかった。
だが、この上なく興味深い、連続で見たって飽きないだろう映画の最中に、よりにもよって寝こけたのだ。
彼女が目を覚ましたのは、メロウなジャズのエンドロールがすっかり終わった頃合いだった。
「――え!?」
フライヤが飛び起きたのに、隣のエルドリウスが笑いをこらえきれない顔で、笑っていた。
「ずいぶん、気持ちよさそうに寝てたねえ」
エルドリウスは言い、氷を入れたジュースをフライヤに手渡した。フライヤは、唖然としながら、「わたし、ずっと寝てました?」とおろかなことを聞いた。
「ずっと寝てたよ。それは気持ちよさそうにね」
シルビアと母親はいなかった。エンドロールがはじまったあたりに、再び涙を拭きながら、買い物袋をもってスーパーへ向かったのだという。夕食の買い物をするために。
フライヤは、はあ、と自分に呆れたため息を吐いたが、エルドリウスはテレビを消し、上機嫌で聞いた。彼は特に泣いてはいなかったが、映画は楽しく観たようだ。
映画を見ていたのかフライヤの寝顔を見ていたのか。器用な彼は、その両方を、最大限の力でもってすることができる。
「どこで見つけたの。ルーシーの映画なんか」
くどいようだが、これはビアードの映画である。
フライヤは、バッグの中から件の週刊誌を出して、エルドリウスに見せた。そして、この映画のDVDを見つけた経緯を話した。
「おや――バンクス・A・グッドリー。この記事をかいたジャーナリストかね」
「知ってるんですか、エルドリウスさん」
エルドリウスは、記事を斜め読みして言った。
「知ってるも何も、バブロスカの本の、著者だよ――正確には、編集者というか」
「ええっ!?」
フライヤは身を乗り出した。
バブロスカの本と言えば、「バブロスカ~我が革命の血潮~」である。フライヤの、読んでみたいけれど、読めない本のリストに入っている。なにしろ、軍事惑星群では出版が禁止されている。したがって、フライヤは読んだことがないし、これから先も読めないだろうと思っていた。
「読みたいの? あるよ、ほら」
エルドリウスは、本棚から単行本を持ってきた。フライヤは目を丸くしつつ、礼を言って受け取った。
まぎれもなく、初版の本だ。エルドリウスはどこから入手したのだろう。
しかし、軍事惑星だけでなく、あちこち飛び回っているエルドリウスが、この本を手に入れるのは、意外と簡単なんじゃないかとフライヤは考え直した。
この本は、軍事惑星群以外の星では、学校の指定図書になった。ほとんどの学校の図書館に置かれている本だ。
「彼もL03に興味があるのかな――専門外だろうどうあっても。――ふふ、小銭稼ぎに、適当な記事を書いたな」
「適当なんですか!? コレ!!」
フライヤはがっかりした。エルドリウスは笑う。
「彼は、疑問をそのまま放り投げておく男ではないからね――まるきりのデタラメだというわけではないだろう。だけど、真剣に調べる気はないよ、きっと」
彼は、軍事惑星関連の取材で手いっぱいだろうから、とエルドリウスは付け足した。
「そうなんですか……」
がっかりしたフライヤの顔を見て、エルドリウスも興味を得たのか、さらに聞いてくる。
「どうしたの、急に。ルーシーのことを調べ始めたりなんかして」
「特に理由はないんですけど――なんだか、気になって」
「……ふむ」
エルドリウスは立った。そして、フライヤについてくるよう促す。
ふたりは、ペガサスの紋章のドアを開けて、書斎に入った。エルドリウスは肖像画の下にある大きな机の引き出しから、鍵を取り出した。鍵と一緒に白い手袋も取り出し、自分の手にはめ、フライヤにもはめるよう勧める。
彼はその鍵で、部屋の隅にある大きな金庫を開けた。
中には、いくつかの書類や宝石箱がある。エルドリウスは、緑色のビロードが貼られた大きな箱を出した。
机の上に箱を置き、ふたを開ける。そこには、古びた手帳がぎっしり詰まっていた。几帳面なほどにそろえられて。
手帳は、どこにでもある黒い革表紙の手帳で、手のひらサイズ。同じ手帳ばかり、三十冊以上もあった。フライヤは手帳の表紙に、この書斎のドアにあるペガサスの紋章がついているのに目を留めた。
「これは、“パーヴェルの手帳”だよ」
エルドリウスは言った。
「彼の会社が毎年つくっていたもので、社員にくばられていた手帳だから、ペガサスの紋章がついているんだ」
エルドリウスは一冊取って、ぱらぱらとめくった。中はマンスリーとウィークリー、巻末にメモ部分があるだけの、シンプルな手帳だった。
「見てもいいよ」
「えっ」
エルドリウスに、手帳を手の上に乗せられ、フライヤは戸惑った。
「これは一応、うちの財産だから、大切に扱って。それさえ守ってくれれば、読んでもかまわない。――ルーシーに関わるなにかが、出てくるかな」
「あ――ありがとうございます!!」
フライヤの顔が輝いた。
どんなに高級な宝石やドレスをプレゼントしても、こんな笑顔は見せてもらえないのだろうな、とエルドリウスは、苦笑した。




